選択の余地はそこにある
源之丞・高畠視点です。
帝国での後始末的な話が少し続きます。
何だか落ち着かぬ。
理由は言綏の所為だ。
妙に私に優しいのだ。
おかしな物でも食べたか…?
「そのようにちらちら見ずに、はっきりと仰せになられてはいかがですか?」
見ている事は知られていたようだ…。
「…言綏…そなた…」
「何もおかしな物は食べておりませぬ」
超能力者か?!
「…最近、そなたが私に妙に優しくて気持ちが悪い」
素直に言ったら、フン、と鼻で笑われた。
ルシアン殿は奥方に会う為に先に帝国を出られた。
アルト公や執事達も皇帝兄弟と色々と話し合い、間も無く帰国の途についた。
私はどうしようかと思っている。皇帝には帝都にて好きに過ごして良いと言われている。
帝国との問題も片付いた。燕国が避妊薬を意図的に売りつけていると思われる事はなく、これからも交易は続けてもらえる事になったのは有難い。
一番高値で売れていた物が売れなくなるから、売り上げは落ちるだろうが、あんな物、売れなくて良い。
そもそもが不健全な黒字だったのだ。
「これから、どうなされますのか?」
今、一番聞かれたくない事だった。なので卑怯にも質問返しをする。
「そなたこそ、どうするのだ?」
そうですなぁ、と言うと、言綏は目を閉じ、顎を親指で撫でる。
「若君のご友人のルシアン殿にもご挨拶も済み、あの何とも食えぬ御仁とも話が出来て有意義ではありましたが……」
食えぬ御仁と言うのは、アルト公の事だ。
二人を引き合わせると、満面の笑みを浮かべたアルト公に、引きつった笑顔の言綏という、滅多に見られないものが見られた。
言綏はアルト公を質問攻めしていたが、その全てをアルト公は悠々と答えていた。
質問は燕国の事も含まれており、そんな事までは知らぬだろう、というものまであっさりと答えられてしまって、さすがの言綏もグゥの音も出ない様子だった。
帰り途、機嫌が悪くなっているかと思いきや、言綏は上機嫌だった。
「上には上がいるものに御座りまするな。目指す存在がいると言うのは、実に楽しき事」
アルト公を目指すのか。そうか。言綏なら目指せそうな気もするが…。
「報告も御座います故、一度燕国に戻る所存に御座います」
燕国に戻れば、もう二度とこのように他国に来る事も出来ぬかも知れんな。
それよりも、兄上達に命を狙われるであろうな。
帰国すれば元服をする事になる。間違いなく、後継者の座を巡って、兄達と争う事になるのだろう。
私を担ぎ上げる者も出て来よう。
「若君は祖国に戻りたくありませぬのか」
「骨肉の争いを、誰が好き好んでしたいものか」
「お継ぎになりたくないから戻らぬのですか?」
「継ぎたくないと思った事は無い。継ぎたいと思った事も無い」
我ながら中途半端な事だ。本当に煮え切らぬ。
「五条様と九条様のどちらかに公方の座を譲られても良いと、お考えなのですか?」
その質問はこれまでもずっとされてきた。言綏だけでなく、母上にも。
いつも答えられなかった。答えられない理由すら、考えた事がなかった。ただ漠然と、違う、と思っていた。
こうして、外の世界を僅かながらも垣間見て、当たり前だが、世の中は広いのだと実感した。
自分の矮小さも、浅薄な事も。知らぬ事も出来ぬ事も、山程ある。
その上で私は、自分が取るに足らぬ存在である事を知った。
兄達は己こそ公方に相応しいと思っている事だろう。己は万能であるとすら、無意識に思っているかも知れない。知らぬから、そう思えるのだ。
「兄上達は確かに私よりも賢かろう。私よりも決断も早かろう。私に無いものを、お二人は沢山お持ちだ」
言綏はじっと私を見つめる。
「…あのお二人になくて、私にあるものは、己が矮小である事を知っている事であろうな。
世界は本当に広い。私はこれまで書物でしか世界を見て来なかった。遊学中もそうであった。
ルシアン殿の事があり、私は初めて為政による犠牲を垣間見た。その理不尽さを体感した。民が国の為に命を落とす事に疑問を思った事もなかった。人が人を思う故の業の深さも初めて知った。
皆、何と活き活きとした事か。目的を持って邁進するその姿は、美しくもあり、醜悪ですらある。だが、それこそが生きるという事なのだろうな」
そこまで言って、言綏が淹れてくれた緑茶を飲む。熱がゆっくりと胃の腑に落ちていく。
息も白い。もう今年も終わろうとしている。
「兄上達が公方になっても、取り立てて悪い方には向かわぬだろうとは思う。公方による暴走を止める仕組みが燕国にはある。代わりに良くもなるまい。それは私が公方になっても同じ事だ」
ただ、思う事はある。
「燕国は、このままでは取り残されるだろうと思う」
「……それはどう言った点にござりましょう?」
「ディンブーラ皇国は新しい世継ぎの御子の下、それまでに溜め込んだ膿を吐き出し、新しく生まれ変わろうとしている。変革は少なからずあるだろう。
雷帝国とて同様だ。欲にまみれた大公派が直に一掃される。皇帝は帝国を変えていかねばならぬだろうし、弟がそれを支えるだろう。
二つの大国が変わろうとしている。もう一つの大国に影響を及ぼす事は必至だ。
その際に燕国は何処にどう立つべきなのか。その判断を、父上や兄上達は下せるのか。
……私なら出来るなどとは言わぬぞ?」
言われる前に先に断っておく。
「上が判断を誤れば、民は苦しむ。為政者の直ぐ側にいる者とてそうだ。政は難しい。本当に」
左様ですな、と答えて、言綏も茶を飲む。
「して、公方には何が必要だと思われます?」
「……覚悟と、共に考えてくれる家臣が必要であろうな。公方一人が全てを掌握する事など不可能だ。目は二つしかないし、頭も一つだし、手も足も二本ずつしかない。
やれる事などたかが知れている」
「その為に家臣が必要と?」
「私はそう考える。父上と兄上がどう考えてらっしゃるかは分からぬが」
お茶を飲みきったので、お茶を注ぎ足そうとした所、言綏が立ち上がった。
「では、某が若君の家臣になりましょう」
「……は?」
言綏の背中を凝視する。
……聞き間違いか?
お茶が注ぎ足された茶碗が目の前に置かれた。
顔をじっと見る。いつも通りのしれっとした顔だ。
「何故驚かれます」
「誰にも仕えたくないと言っていたではないか」
「あの時、あの場所にお仕えしたいと思える方は確かにおりませなんだ」
「あの場には私もいた」
あの時あの場所には私もいた。だが、私に仕えたいとは言わなかった。それが何故?
「今は違う、と言うだけの事。何の不思議がありましょうや」
不思議だらけだ。
「……訳が、分からぬ」
「察しが悪ぅ御座いますなぁ、相も変わらず」
飲んだお茶が咽喉につかえる。
「あの時の若君に、お仕えしたいと言いたくなかっただけに御座いますよ」
言綏はしれっとした顔のままお茶を飲む。
「今も昔も、某がお仕えすると心に決めているのは若君だけに御座います」
突然の事に言葉が出ない。
そんな事を思っていたなど、初めて知った。
「ですが、若君は公方になりたいと言う意思をお持ちではなかった。ですから若君がいつかそのお気持ちを抱かれた時にと思っていたのですが、これがまたなかなかそうはならず。本当に手強くて手強くて」
責めるような眼差しが刺さる。
居心地が悪い。
「所で、某の仕える方を次の公方にすると、公方様がお決めになられた事はご存知でしょうや?」
「否、知らぬ。知らぬが、何だそれは。
父上はそんな無茶をおっしゃったのか?」
それでは兄上達は言綏を無理矢理己の配下にしようとなさるだろう。
口説き落とせ、と言う事か?
「若君のその察しの悪さは、どなたに似たのでしょうな?公方様も、御台所様も、勘所のあるお方ですのに」
凄く責められている気がする。いや、気ではなく、責められている。
「公方様は某が若君にしか仕える気がない事など、とうの昔から見抜いてらっしゃいます。その上で、そうおっしゃられているのです」
「……分からぬ」
それではまるで……。
「最初から父上は、私を後継者に決めているようではないか……」
「おや、そこは分かるので御座いますか?」
馬鹿にされている。実際 言綏に比べればそうなのだから返す言葉もないが…。
「公方になられませ、若君。
今の貴方様なら、良き公方となられましょう」
それに、と言葉を繋げると、言綏はにんまりと微笑んだ。
「若君には某のような者が必要で御座いましょう?」
「し、しかしだな、言綏」
この、よく分からない波に飲まれてはならぬと、必死に抵抗を試みる。
「先程も申し上げました通り、某がお仕えすると決めた方が次の公方に御座いますれば、若君の細やかな抵抗など、風に吹かれる紙切れのような物に御座います」
色々と酷くはないか。
いや、正式に命を下されたならそれはもう致し方ない事ではあるが。
「いつになったらその日が来るのかと暇を持て余しておりました。暇すぎて貿易関連の書類を目にして帝国に来た訳ですが、こうして若君の成長した姿を目にする事が出来たのは僥倖と言うもの。あの時の己の勘を褒めたいぐらいに御座いますよ」
ふふふ、と言綏が笑う。気持ち悪いぐらいに機嫌が良い。いや、本当に気持ち悪い。
「某とご帰国いただけますな?」
「私の意思など聞く気も無い癖に、よくもそんな質問を言えるものだ」
悔しいので嫌味で返すと、笑顔のまま言われた。
「若君の意思は尊重しておりませぬが、お立場は尊重しておりますよ?」
どう言い返せば良いかと必死に考えていた所に、言綏が言った。
「ルシアン殿という、若君のご友人」
「あぁ」
「獣のような方に御座いますな」
獣?うむ、まぁ、猫科の猛獣のような方だとは私も思う。
しなやかで美しく、賢く、油断がならない。
「父親はあの魔王、息子は猛獣。恐ろしい一族ですな」
「確かにな」
魔王という表現に思わず笑う。
言い得て妙だ。
「魔王がいなくなったら誰があの猛獣を御するのでしょうな」
あぁ、それなら問題ない。
「ルシアン殿は奥方には頭が上がらないからな、大丈夫だろう」
どう大丈夫なのかと問われても答えようがないが、あの方がいれば大丈夫だと言う謎の安心感がある。
「そのような女傑がいるのでございますか?アレを御する?」
アレとは酷い言われようだな……。
「ミチル殿は女傑には程遠い存在だ。儚げな美貌をお持ちの、そうだな、これまで見た中でも指折りの美しさを持つお方だが、芯がお強い方でな。
此度の皇帝兄弟の事も、丸く収まったのはミチル殿の望みだと聞いている」
興味を引いたのか、言綏は立ち上がると棚から菓子を取り出した。
おぉ、あられ!しかも五色あられではないか。
海老塩味、海苔あられ、梅、ざらめ、醤油。まずは梅から口に入れる。美味。
「本来であれば、ルシアン殿もアルト公も、皇帝を退位させ、弟のレーフ殿下を即位させて終わらせようとしていたようなのだ。そうすれば皇帝から殿下が命を狙われる事もなくなると考えて。距離や関係性を考えてもそれが妥当な所だ。皇国が深入りする必要なんてないからな。
それが、ミチル殿がそれでは根本的な解決にならないと色々お調べになったようでな。殿下から知った情報から、新情報が出て来たのだ。
皇帝と殿下が実は不仲ではない事が判明し、皇帝が避妊薬を正妃に飲まされている事に気が付き、公に伝えられたようだ。そこからレペンスの存在にたどり着いたのは公とルシアン殿だったようだが」
着眼点が良いのであろうな、ミチル殿は。
それとも、転生者としての知識の所為であろうか。
最終的にレペンスを見つけ出すお二人が凄いが。
「レペンスに気付いたのは、何から?」
それは私も気になってルシアン殿に尋ねたのだ。
「ミチル殿は、殿下から伺った事を自分の言葉では書かず、聞いたまま手紙にしたためて公に送ったのだ。言葉にするとさらりと抜けていくものだが、文にすると不思議な事に頭に入るものだな」
" 祖父の代で色々あってな。
男子の出来なかった正妃と離縁し、新しく迎えた正妃にも子が出来なかった為、別の公爵家から新しい妃を娶り、父上が生まれた。それから平民の娘との間に叔父上が生まれたようだ "
男子の出来なかった、と書かれていたらしい。次の妃の箇所は子が出来なかった、と。
と言う事は、最初の妃には子が出来たのだ。皇女が。
ただ、先々帝が怒り、妃共々追い出してしまった。
「なるほど。ただの言い回しと受け止められてもおかしくありませぬな」
そうなのだ。
ざらめ味を口にする。甘さとしょっぱさが丁度良い。
「ははぁ、面白ぅ御座いますな」
うんうん、と頷くと、梅味を食べる。
「カーライル王国宰相嫡男の妻は転生者だとの話は聞いておりましたが。なかなかの人物のようですな。
それで、そのミチル殿が皇帝兄弟の諍いを根本から解決して欲しいと夫に望んだ結果が、今に御座りまするか」
頷く。
「実に興味深い。
事が済みし後、お二人を燕国にご招待されては如何に御座いますか?」
これは珍しい。言綏がそのように人に興味を持つなんて。
「それは良い案だが、言綏、ミチル殿に懸想だけはしてはならぬぞ」
「猛獣に噛まれる趣味はございませぬよ」
ふ、と笑うと、言綏は立ち上がった。
「さて、話は纏まり申した。後は燕国に戻る手続きやらを進めまする」
「いやいや、待て!私は公方になるなどひと言も言っておらぬぞ!」
そうだった。
気が付いたら全く別の話になっていたが、そもそもは後継者の話をしていたのだ。
「今、お二人を燕国にお招きするとおっしゃっておられませんでしたかな?」
「言うたが、それは流れと言うか」
「武士に二言は無いもの」
嵌められた感が凄まじい。
言綏は楽しくて仕方ないといった顔で私を見下ろして言った。
「言綏に目を付けられた不運を嘆かれませ。その代わり、名君として歴史に残る事を約束致しましょう」
「要らぬいらぬ。何だその胡散臭いのは」
あぁ、もう。
いつもそうだ。
こうやって言綏に良いように丸め込まれてしまう。
「器はございまするのに、無欲ですな」
「名君とは、なろうと思ってなるものではあるまい。後世や民が決める事だ」
「そう言う事にしておきましょうか、今は」
にやりと笑うと言綏は部屋から出て行った。
頭が痛い。
痛いが、ルシアン殿とミチル殿を燕国に招待している様を思うと胸が踊った。
その未来を得るためには、兄を退けねばならないが、あの様子だと言綏が何とかしてしまいそうだ。
それに父上も、言綏の言を信じるなら、私を後継者にと考えてらっしゃるようだし、私に逃げ場などない。
選択肢の少ない人生だとは思う。
いつも何処かで、そうは言っても全て決まっているのだろうと諦観もしている。
ただ、望んでも手に入らない物を持っている自覚はある。
しようと思えばそれを捨てる事も。
ずっと嫌だと思っていた。捨てたいと。ただ、捨てたら自分に何が残るのかと、そう思うと捨てられなかった。
いつだったか。
ルシアン殿と遠乗りに行った際に言われたのだ。
将来の事を、兄の事なども考えずに、昔から思っていた事を口にした。
理想を語るのは楽しかった。
源之丞殿にお仕え出来る方は幸せですね、と。
その時は世辞を言われたと思って、礼を言ったぐらいだったが。
嘘も吐かない、人に媚びないルシアン殿にそう言われて、やはり嬉しくて、それからあまり、後を継ぐ事に抵抗を感じなくなった気がする。
おかしなものだ。
たったあれだけの事で。
人の心など、存外単純なものなのかも知れぬ。




