崩れ去る足元
本日2つ目になります。
レペンス枢機卿視点です。
すみません、残酷なシーンがあります!ご注意下さい!
式典や祭禮の時のみ纏う枢機卿のローブを纏っている。純白のローブには銀糸が編み込まれている。ひと月後には別のローブを纏って、神殿を訪れる事になっているだろう。
左の中指にはめた指輪の中に、皇帝に飲ませる為の毒を入れてある。宝石を回すと指輪の一部、手のひら側に穴が開く。そこから毒が溢れ落ちる仕組みになっている。
ワインをゴブレットに注ぐ際に、同時に注ぐのだ。
この指輪は枢機卿になった時から身に付けているものだ。この式典の為に慌てて用意したものではない。身に付けていたとして、不審がられる事もない。それに私がこの指輪に触れるのも、周囲の人間は癖だと認識している。必要以上に触れたとしても、疑われはしない。
式典に参加する人間は多くない。
神殿が広くない為、決められた人員しか入らない。入る事が許されているのは枢機卿である私と宰相、騎士団長と皇帝と公爵家当主ぐらいのものだ。人数にして20人ぐらいといったところか。
無事に式典が終われば、夜に大広間にて宴が開かれる。そこで改めて、皇帝の即位15年が祝われる。
騎士団長がまず、鍵を穴に差し込んだ。カチリと音をさせて一つ目の錠が解かれる。次は宰相だ。同じような音をさせて錠が解かれる。最後に私も鍵を差し込み、開錠する。
扉を開け、ワインは騎士団長が取り出し、ゴブレットを私が取り出す。
ワインを騎士団長が祭壇の上に置き、少し離れた場所に立つ。私は両手でゴブレットを持ち、祭壇の上段に立ち、祭壇を挟んだ正面に立つ皇帝に笑顔を向ける。皇帝は無表情に私を見る。
私は軽く咳払いをした。
「それでは、ヴィタリー・ダヴィード・リヴァノフ・ライ皇帝陛下の即位15年を祝賀する聖杯を、女神マグダレナに代わり、授けましょう」
臨席する貴族達が一斉に頭を垂れる。皇帝もだ。
頭を垂れないのは、不測の事態に対応する為に配された近衛騎士4人と、騎士団長と、宰相だけだ。
私は緊張をほぐすふりをして指輪に触れて穴を開けた。
中の毒がまだ溢れ落ちないように指輪の向きを皇帝側に向け、ワインの入ったボトルを手にする。
確実にゴブレットに毒を入れられるように、左手をボトルネックに添え、右手でボトルの腹の部分を持ち、傾けてワインを注いでいく。
指を伝い、ゴブレットの中に毒が入るのを見届ける。これで、この杯に入ったワインを飲めば、皇帝は死ぬ。
ワインを祭壇の上に戻し、指輪の穴を閉じると、ローブで左手をそっと拭った。
「御世が長く続く事を、祈念致しております」
頭を上げた皇帝に両手で持ったゴブレットを差し出す。
皇帝は手を伸ばさない。
「?
陛下、どうぞお受け取りを」
ゴブレットを皇帝の前に差し出そうとした瞬間、激しい音と日光が神殿内に差し込んだ。薄暗い神殿に差し込む光に、思わず目を細めた。
突然の事に、式典の最中である事も忘れて、皆、神殿の入り口を見る。
そこには純白のローブを纏った、美しい男が立っていた。
「何者か!」
近衛騎士が駆け寄り、男を囲む。
「控えよ」
騎士団長の鋭い声が通り、近衛騎士は男から一歩下がる。
戸惑う近衛騎士に、騎士団長が言った。
「そちらのお方は、本日この日の為に、ディンブーラ皇国からお越し下さったマグダレナ教会の教皇、ゼファス・フラウ・オットー聖下である」
話には聞いていた。つい去年教皇に就任したのは年若く、天使のように美しい皇国の皇族だと。
だが、何故教皇がここにいるのだ!
ゆっくりと赤い絨毯を歩いて来た教皇は、皇帝の前で立ち止まり、にっこりと微笑んだ。
「ご招待ありがとう、皇帝陛下」
皇帝はその場に跪いた。私も慌ててそれに倣う。
「私如きの即位式典を、聖下にお祝いいただけるなど、身に余る栄誉にございます」
教皇が祭壇に近付いて来た。
ゴブレットを皇帝に渡すのだろうか?
既に毒は仕込んである。もう少し教皇の登場が早ければ、毒を仕込めなかった。危ないところだった。
小さく息を吐いた時、私の前にゴブレットが差し出された。突然の事に息が止まるかと思った。
恐る恐る顔を上げると、教皇が変わらぬ笑顔を私に向けていた。
「まずはそなたが飲むが良い」
「わ、私に、ございますか…?」
「そなたは皇族なのだから、当然だろう」
教皇の言葉に神殿内がざわつく。皇帝も驚いた顔で私を見つめる。
「…聖下、それは誠にございますか?」
皇帝の問いに教皇は頷いた。
「先々帝の最初の妃が産んだ子は女児だった。それを怒った時の皇帝は妃を離縁し、次の妃を迎える。
…が、2人目の妃に子は出来なかった。3人目の妃が産んだのが先帝だ」
「まさか、この者は…」
何故それを、教皇が知っている…?!
「皇女としての立場は失ったが、妃の生家にて隠すように育てられた女児は、年頃になり、秘密裏に子を産んだ。産褥により体調を壊し、数年後に皇女は死んだと聞いている。持て余した妃の生家は子を捨てた。それがこのレペンス枢機卿だ」
さぁ、と教皇は私にゴブレットを差し出す。
「式典では皇族から杯の中のワインを飲み、最後に皇帝が飲むと聞いている。まずはそなたから飲むのが筋というものだ」
「よ…よしんば私が皇帝の血を引いていたとしても、今の私は女神に仕える聖職者にございます…」
声が震えるのを止められない。
このゴブレットに口を付ける事だけは避けねばいけない。
「…己が皇族である事は否定しないのだな?」
この問いを否定してはならない。
「それは…母から聞き及んでおりましたので…」
「何故、名乗り上げなかったのか」
皇帝が私に言った。
この男は何処まで愚かなのか。そんな事言ったとして誰が信じるだろうか。
祖母の生家が後ろ盾に付いた状態で訴えるならまだしも、生家から追い出され、市井に混じった私がそんな事を言ったところで誰が信じると言うのか。
「後ろ盾もなく名乗り出た所で相手にはされまい」
教皇がそう言うと、皇帝は唇を噛み締めた。
「さぁ、レペンス、飲みなさい」
強引に持たされたゴブレットを手に、震えが止まらない。
これを飲めば、私は死ぬ。
私の計画が狂っていく。何処だ。何処で失敗した。何故教皇がここにいるのだ。誰が教皇をここに呼んだのか。皇国と帝国は戦争状態ではないものの、決して良い関係とは言い難かった筈だ。それが何故。まさか、皇弟か?少し前に皇弟が帝国を出て皇国に入った事は知っていた。教皇を呼ぶ為に?何故?私の事を気付いていた?皇帝はあの様子から気付いていなかった。とするなら、皇弟が気付いて?それならば皇弟が死んだと言うのは嘘なのか?
「飲めぬのであろう?」
教皇の言葉にぎくりとした。
「毒が入っているものな」
顔を上げると、教皇は口元に笑みを浮かべていた。
「この杯に入っているのと同じ毒で、正妃は死んだ」
何処まで!何処までこの男は知っている…?!
「何故知っているのかと言う顔だが、そなたが知る必要はない。
そなたの、負けだ」
「捕えよ!」
騎士団長の号令を受けて近衛騎士が私に近付いてくる。
私は咄嗟に祭壇を騎士団長の方に向けて倒し、皇帝を掴んで背後に回り、隠し持っていた短剣を皇帝の首に当てた。
悲鳴が聞こえる。
「動けば皇帝の命はない!」
誰も動かないのを、周囲に目をやって確認する。
「馬車を用意せよ。それから食料と金を積んでおけ」
宰相が頷くと、何人かが神殿から飛び出して行った。
息苦しい空気の中、教皇だけが顔色を変えない。
面白いものを見るように私を見ている。
くそっ、おまえさえ来なければ…!
「そこまでして皇帝になりたかったのか?」
「当然だ。本来私がなるべきだったのだから」
下らないことを聞くな。
「私の娘が聞いたら鼻で笑うな」
教皇に娘?
「あぁ、養子にとった娘だ。これがまた、面白い」
何を言いだすのだ、この男は?この状況が分かっているのか?
「皇族の私にすら働けと言うような娘で、見ていると本当に飽きない」
「おまえの娘の事など、どうでも良い!」
「そうだろうが、暇なのでな。娘自慢をしている。
そなたも加わったらどうだ、リオン」
貴族の一人が立ち上がり、教皇の側までやって来た。
誰なんだ、この男は。
「勝手な事をしないでくれとあれほど言っただろう」
「暇なのだから仕方ない」
悪びれもせず言い切る教皇に、その男は肩を竦ませると、私の方を向いて笑顔になった。
「初めまして、レペンス枢機卿。
私はリオン・アルト。ディンブーラ皇国内にあるしがない辺境の国で宰相をしている者だよ」
ざわり、と貴族がざわつく。
私も噂では聞いた事がある。
ディンブーラ皇国の、カーライル王国宰相であるリオン・アルトは天才であると。かのスタンキナすら負けたのだと。その男が何故、ここにいるのか?
「本来なら帝国内の事は帝国内で片付けて欲しいんだけどね、皇帝が弟にそっくりな私の可愛い可愛い息子の命を狙うものだから、仕方なく来たんだよ」
皇帝がリオン・アルトの息子を狙った?皇帝と皇弟の不仲が囁かれて久しいが、やはりあれは振りだったのだな。
皇弟を逃がしたのだ。そしてそっくりなリオン・アルトの息子を身代わりにしようとして、蜂の巣を突いたのか。
「君の計画はね、皇帝が私の息子を狙った時に狂ったんだよ。残念だったね」
分かっていて皇帝はリオン・アルトの息子に手を出したのか?
「そんな事はどうでも良い!早く馬車を用意しろ!」
計画が狂ったのならこの国にいる訳にはいかない。脱出しなければ。
ははは、とリオン・アルトが笑った。
「面白い事を言うね。まさか、私から逃げられると思っているのかい?」
私に向けられた視線に、背筋がぞわりとした。
その鋭い眼差しは、肉食動物のようだ。
ふふふ、と笑うその姿に、震える。
この男は、駄目だ。
敵に回してはいけない奴だ。だが、私が招いた訳ではない、皇帝が呼んでしまったのだ。
「自分の手を汚さず、大公や正妃を使うそのやり方、嫌いじゃない。
ただちょっと、計画が浅かったかな。もう少し捻らないといけないよ。君の存在が分かった途端に目的も手段も直ぐに分かってしまったからね。
謀というのはね、二重三重に重ねていくものなんだよ」
ふふふ、とリオン・アルトが笑った。
「!」
右腕に衝撃が走り、足元で金属と床がぶつかる音がした。
視線を下に向けると、私の手が、なかった。
肘から先が、なくなっていた。
「うわああああああああ!!!」
傷口を押さえて座り込んだ私の横に、誰かが立った。
見上げるとそこに、レーフがいた。
いや、違う。
リオン・アルトの息子か。
「ルシアン、その辺で止めておきなさい。その男の罪を裁くのは帝国だ」
「謀反人を捕えよ!!」
騎士団長が叫んだ。
私は立ち上がり、ゴブレットを手にし、ワインを飲んだ。
近衛騎士が私を捕まえたが、もう良い。もう遅い。
捕まるぐらいなら、ここで死を選ぶ。
呼吸が乱れる。腕を切り落とされた事による出血で、発熱もあるとは思う。
汗が全身から吹き出す。視界が狭く感じられる。
音も、感覚も、鈍くなってくる。
何故だ。
何故なんだ。
私はただ、取り戻したかっただけだ。私のものであったものを。
私は………ただ………




