兄の怒り
キース・クレッシェン視点です。
「それで…今回の失態を、我が弟殿はどうするつもりなのかな?」
兄の言葉に胃が縮こまる思いがした。
私の屋敷を訪れた兄は、そう言って私を見ている。
ミチルに媚薬が盛られ、皇弟により助けられたのは、不幸中の幸いではあった。
この件はすぐにカーライル王国の兄の元に報告がなされ、今、こうして、異例の速さで現れた兄は、私の前にいる。
「まさか、今回粛正した者達の処罰で終わりだなどと考えてはいないな?」
「勿論です、兄上」
兄にとって、距離など関係ない。
何処にいても正確に情報を掴み、策を練り、そして実行する。
「…本来廊下などに配置されている筈の騎士などが不在だった理由などの調べがつきました」
「遅い」
ぴしゃりと否定する言葉が投げつけられて、また胃がちぢむ思いをした。
兄はテーブルの上に書類を投げた。今回の調査結果をまとめた書類だ。
「今回の事、私はそなたにも、ルシアンにも、がっかりしている」
頭を下げた。
「申し訳…ございません」
「いつから我がアルト家はこんな日和見になったのかな」
「日和見などには…」
ふぅ、と大袈裟に息を吐く兄は、窓から見える皇城を見つめていた。
「大方、姫が皇都の貴族を信じたいなどとおっしゃったのだろうが…約束は約束だ」
皇室の建て直しに手を貸すにあたり、皇国貴族達が邪魔をしてくる事は予想されていた。だからこそ、アルト伯爵夫妻には手を出すなと再三再四、皇室としては異例の警告を発していた。
兄がミチルの身を案じての事であり、もしこれが破られた場合、報復を行うと兄ははっきりと警告をしていた。
ミチルが可愛いだけではなく、兄の頭の中で、彼女は皇国圏内をまとめる為に必要な重要な駒でもあるから、このような事でミチルが傷付けられたり、価値が下がるような事が許せなかったのだろう。
「早々に姫と摂政殿に面会の時間を要求するように」
「承知致しました」
*****
「ご機嫌いかがですか?姫」
兄が笑顔で皇女に話しかけた。
本来であれば、姫から話すのが立場的な順序である。
「はい、あの、今回の事は、本当に申し訳ございません…」
姫は慌てて頭を下げた。
義父であるクレッシェン公爵も頭を下げる。
「謝罪などは不要ですよ。無駄ですから。
それに謝る相手も違う」
完全に取り繕う事を止めている兄に、冷や汗が浮かぶ。
クレッシェン公爵の額にも汗が浮かんでいる。
「で、ですが…」
はは、と兄は笑った。
「姫が謝罪なさったら、うちのミチルが受けた傷が消える訳ではないでしょう?ですから無駄な事です」
返す言葉もなく、姫は俯いた。
「ルシアン」
「はい」
兄は短く甥の名を呼んだ。
「くだらぬ友情などに囚われ、最愛の妻を窮地に追いやった気分はどうだ?」
ルシアンは手をぎゅっと握り込み、口を結んだ。
「守れぬのであれば、ミチルをカーライルに戻せ」
「それは…出来かねます」
「それだけ大切ならば何故、もっと早くに行動に移さなかった?何度もミチルは危害を受けていた筈だ。何故それを放置した?次期当主となるそなたがアルト家の名に泥を塗ってどうする?」
しかも、と言葉を続ける。
「皇弟に借りを作るなど、最初聞いた時は耳を疑った。なんと面白い冗談なのかと」
「アルト伯爵が悪いのではありません!私が、私が止めたのです!」
姫が必死にルシアンをフォローする。
ルシアンはミチルに危害を加えられた後、確かに処罰を与えて欲しいと願い出た。
それを止めたのは、姫と、私だ。
「全てが後手に回り、起こる必要のない事でミチルは傷つけられた」
ため息を吐きながら、兄は背もたれに寄りかかった。
「結果が今回の媚薬だ」
何もしていなかった訳ではないが、後手に回った事は確かだったし、ルシアンが願い出たような処罰は行わなかった。
「キース、そなた、あの程度の処罰で、皇国の貴族を御せると思っていたのか?」
「急すぎる変化と苛烈な処罰は、皇国貴族の反発を生むと判断し、処罰を受けるに値する者のみに罰を与えました」
「甘い」
「…仰る通りです」
まぁ良い、と兄は言うと、姫を見据えた。
「申し訳ないが姫、約束は約束なのでね。
我がアルト家の者に傷を付けた事に関する報復はさせていただく」
「先日ので全て終わったと認識しているのですが、違うのですか?」
姫は私にちらと視線を寄越す。
「…本来巡回すべき騎士がいなかった事、皇族専用休憩室の扉の前に立っている筈の騎士がいなかった事など、他にも関与したと思われる者がいるのです…」
ドレスを手にして戻ったミチルの護衛騎士の一人は門番に足止めをくらい、城内に戻る事を妨害されている。
エルギンが関与した事ではない。
その事を姫に伝える。
姫の顔から色が消える。
「起きた事は仕方ない。せっかくだから、膿は全て出し切ろうではありませんか、姫。その方が姫の今後の治世にとってもやりやすくなる。
あぁ、異論は認めませんよ?姫のおっしゃる、皇国貴族を信じた結果が、これですからね」
姫はその場にへなへなと座り込んだ。それを義父が慌てて支える。
「ルシアン、殿下へのお礼は過分な程にするように。
それに、そろそろ母国が恋しくなる頃だろう。そのお気持ちを汲んで差し上げなさい」
「かしこまりました」
ルシアンは深く頭を下げた。
「それから、頼んでおいた候補者の選定は?」
顔を上げたルシアンは頷いた。
「完了しております。また、現在の皇国領地内の全貴族の一覧と、女帝即位前に皇城に勤務していた高位貴族達の現在についても調べ終わっております」
「よろしい」
兄は立ち上がり、私を見てにっこり微笑んだ。
「そういえばキース、城内でミチルに何かあったら、同じ事をそなたの妻にするとルシアンと約束したそうだね?」
全身の毛穴が開くような感覚が私を襲った。
「兄上!お許し下さい!」
床に膝をつき、許しを乞う。
「姫とそなたがルシアンからの要望を潰した事は、別の筋から確認が取れている。
キース、そなたはクレッシェン公爵家に養子に入ったとは言え、アルト家の人間だ。それは変わらない。
ここに私がいないのなら、次期当主であるルシアンがそなたの主人となるのだと、そなたは理解する必要があった。
違うか…?」
無表情に私を見下ろす兄への恐怖で、身体が震える。
ここまではっきり口にしていると言う事は、実行に移す準備が出来ているという事だ。
「お相手は、誰が良い?
私は優しいからね、可愛い弟の願いだもの、そのぐらいは聞いてあげるよ」
「兄上…!兄上…!それだけは…!」
兄は無表情のままだ。
日頃笑みを絶やさない兄の顔から表情が消えた時は、怒りが凄まじく、生半可な事では許されない。
「あの日のミチルも、同じ気持ちだったろうね」
その言葉に、私は言葉を飲み込むしかなかった。
「あぁ、護衛騎士とセラにも仕置をせねばならないね。
それから、ミチルにも。
全て終わったらルシアン、そなたもだ。覚悟するように」
「…承知しております」
ルシアンは深く頭を下げた。




