愚かな願いの果て
愚かであった。
どうしようもなく――
純白だと思っていたそれに一滴の黒い染みができた後、それは最早純白とは言えない。
その染みが偽りであったとて、純白だと思えなくなった時点で。
偽りこそが真実であると思い込む他なかったのだ。
カミルと婚約者であるクラレットの仲は、決して悪くはなかった。
だがそれは薄氷のように呆気なく壊れてしまった。
愚かな己の過ちによって。
発端はカミルが間違えた事だ。
アルミアの後姿をクラレットと間違えた。
いくら従姉妹であるからとて、間違えたのはどうしようもなく事実である。
クラレットは清廉な存在で、故に王妃となるべき存在であるとカミルだって信じていた。
だがその清廉さを穢したのがアルミアである。
彼女は言った。
虐められた事があると。
クラレットがそんな事をするはずがない。
咄嗟にそう否定したかったが、しかしそれは同時に被害者であるアルミアの心を踏みにじる行為になりかねない。
クラレット本人にはアルミアを虐めた自覚がないだけで、アルミアがやられた事実はそこにあるとするのなら。
彼女がそんな事をするはずがない、と思いはしても、すぐさま否定はできなかった。
お互いの行き違いによるものではないか。
そう思いはした。
クラレットが虐めなどしていないのなら、アルミアがそう思っただけ、という可能性もある。
どちらにしても、直接その場面を目撃したわけではない以上、判断のしようなどなかった。
クラレットに問いただしたとして、虐めてなどいないと言うのがわかりきっていたし、しかしアルミアは虐められていたと証言している。
それも幼い頃の事、とその時は流してしまった。
けれど、もし。
もし今も、アルミアが言うような底意地の悪い女であったのだとしたら……?
そんなはずはないと信じたい気持ちはあるけれど、一度芽生えてしまった疑いは簡単には消えなかった。
真実を見つけるつもりで、カミルはアルミアに近づいた。
誤算があるとするのなら、その後アルミアに絆された事だ。
最初はまだ距離があった。
けれども、クラレットに似た顔で庇護を請うようなアルミアに、彼女を守りたいと思ってしまったのだ。まるでクラレット本人に救いを求められてしまったように思えたが、だがその時のカミルはそんな事に気付けなかった。
クラレットとてカミルを慕っているのはわかっている。
けれどもそれだけだ。
アルミアは慕い、頼ってきている。
アルミアの言葉が真実であるのなら、クラレットの暴虐を何とかできるのは確かにカミルとなるのだろう。
親に訴えれば、とも思ったが、身分はクラレットの方が上。彼女がやっていないと言えばアルミアの言葉は虚言であるとされるかもしれない。
そうでなくとも同派閥間での揉め事など、他の――敵対派閥が見ればこれ幸いと火種になるネタとして使われる。であれば事態を大きくしたくないと、クラレットの家もアルミアの家も、どちらの親も内々で済ませる事だろう。
その済ませる、は間違いなくアルミアの我慢を強いるだけに終わる可能性が高い。
カミルが考えた事と似たような内容をアルミアからも言われてしまえば、確かにそうだなとしか思えなくて。
思えばその頃にはすっかりクラレットの言葉が信用できなくなっていた。
自分の思い描いていた理想が実際はそうではなかった、という事に子供じみた癇癪を起こしたのかもしれない。綺麗なものだと信じていたそれが、汚いものだと思えて。キラキラと輝いていたはずの思い出が一転汚物まみれのものに変化したかのように、心の中で急速にクラレットへの想いが消えていくのを感じてしまった。
本物だと思っていたものが偽物だと判明した時のような。
ただのガラクタを世界で一番の宝物だと思い込んでいたような。
そんな気持ちになってしまってからクラレットと言葉を交わしても、既に彼女の事を信用できなくなってしまっていた。
それこそが、アルミアの思惑だとも気付けずに。
いつの間にかクラレットを邪魔者と思うようになって、同時にアルミアを愛し始めていた。
クラレットではなくアルミアと結ばれたいと思うようになってしまった。
だが婚約者の変更などそう簡単にできるはずもない。
クラレットに何らかの瑕疵でもあればいいが、そのようなわかりやすいものはなかったのだ。
だからこそ、カミルは考えた。
舞台から退場させるのが難しくとも、人生から退場させる事は可能なのではないか、と。
カミルには幼い頃から自分に付き従う従者がいる。
元々孤児だったのを拾い上げて育てられた、カミルに忠実な存在。
他にもカミルに付き従う者がいないわけではなかったが、いざという時の影武者としても利用できるファデルの事をカミルは常に近くに置いていた。
そんなファデルには、人にはとても言えないものを抱えていた。
彼は、生きた人間には興味を示さない。
死んでしまった者こそを愛するのである。
流石にそれを人前で堂々と明かした事はなくとも、長年共にいるカミルはそれを察していた。
ファデル自身が誰彼構わず他者を殺害するような事もしていないから、問題になっていないだけだ。
けれども以前馬車で移動中、近くで起きた事故により命を落とした娘を熱のこもった瞳で見つめていたことをカミルは決して忘れていない。
あれは愛というより執着や執念と言った方が確実であった。
カミルがその提案を己の従者にそっと告げるのは、賭けだった。
クラレットには消えてもらう。
そう告げた時、彼の目はまるで夜空に瞬く星空のように輝いた。
流石に死体もでないとなれば問題があるが、ならず者に襲われた後の死体として本人だと判別のつかない、似ているだけの別の死体を用立てるのは、ファデルにとって造作も無い事だ。
その代わりに、新たな死体としてクラレットを与える事を約束すれば、ファデルはそんな恐ろしい話を誰に報告するでもなく、従順に手を貸してくれた。
人気の少ない場所にクラレットを呼び出して、そうして殺す。
死体の傷はなるべく増やさないように、トドメはファデルが刺した。
その後、顔がぐちゃぐちゃになったクラレットと似た髪色と背格好の別の誰かをクラレットに仕立て上げ、彼女がお忍びで市井に出向いた際、うっかり治安の悪いところへ迷い込んだ末殺されたように偽装したのだ。
カミルにとっては邪魔者が消えたという感情しかこの時はなかった。
これでアルミアが虐められる事はないし、家柄からしてもアルミアが次の自分の婚約者となるのも難しい話ではない。
クラレットの死を踏みにじった上で、それでもカミルは幸せになれるのだと。
愚かにもそう信じていたのだ。
メッキは案外簡単に剥がれ落ちた。
アルミアは確かに努力はしている。けれどもその努力が実らなければ、無意味でしかない。
幼い頃病弱で教育も進んでいなかったアルミアは、学園で確かにそういった者たち向けのクラスにいた。
けれどもこれからは、教育の遅れがどうだとか言っていられる状況でもない。
カミルが即位するまでに、なんとかアルミアも相応しくならなければならない。
いくら前向きに頑張るわ、と言っていても限度はあった。
どれほどの努力を重ねても周囲はクラレットと比較し続ける。
アルミアも優秀であればまだしも、そうではないからこそ余計に周囲の落胆が大きいのだろう。
似ているのは見た目だけ。
能力は比べるまでもない。
そんな囁きはカミルの耳にも届いていた。
けれど今更アルミアとの婚約をなかった事にしたところで、有力な令嬢たちはとっくの昔に婚約者をみつけている。そこに割り込むような形をとれば、王家への反感は間違いなく大きくなる。
学園を卒業した後も、アルミアの学習は芳しくなかった。
王子としての執務の他、本来ならアルミアがやるべき王子妃としての執務のいくつかも肩代わりをした。いつか、彼女が王子妃としてマトモに機能するまでの辛抱だと言い聞かせて。
けれどもそれが果たしていつになるかまでは、カミルにもわからなかった。
その頃には、薄々勘付きつつあった。
クラレットがアルミアを虐めていたという事実はなかったのではないか……? と。
思い返せばそんな暇、果たしてクラレットにあっただろうか。
あの頃は、綺麗だと信じていたものが穢れていたと思った事でクラレットの言葉の何もかもが信じられなくなっていた。本当にやっていないとしても、言い逃れをしているようにしか聞こえなかった。
自分の中の美しいままだったクラレットが、現実のクラレットによってどんどん穢されていくように思えてしまって、余計に現実の彼女を疎む形となってしまった。
見たいものを見て、信じたい事を信じた結果と言ってしまえばそれだけの話だ。
アルミアの嘘を真に受けて、そんな彼女を信じた事で。
綺麗だった思い出は、想い諸共ガラクタとなった。
アルミアさえいなければ。
いや、自分が最初にこんな女とクラレットを間違えて声などかけなければ――
後悔をしたところで、クラレットは帰ってこない。
アルミアの執務も肩代わりしているために自分にも余裕がなかったというのもあるが、最早アルミアに心を砕こうとも思えずに、カミルは今後の未来を考えた。
アルミアがある程度使えるようになるまでは、とまだ結婚はしていない。
だがいずれは結婚する事になるし、そうなれば後継者が必要になるのは明らかで、故に子を作らねばならない。
クラレットに似ただけの、中身が醜悪なこれと……?
考えただけで身震いした。クラレットを殺す決断を下したのは自分だ。そして得た結果がこれだ。
どこまでも悪いのは自分で、愚かなのも自分。
いっそ自ら命を絶つべきではないか……そんな風に思った矢先、ふと思い出した。
王家に伝わる秘宝の事を。
伝承として伝えられているそれが、本当に本物であるかはわからない。そういった逸話があるというだけのただの置物である可能性もある。
けれどもカミルは最早それに縋るしかなかった。
クラレットと比べられ続け心を壊しかけていたアルミアにその話をすれば、彼女もまたその話に飛びついた。
この頃には精神的な疲労が酷すぎて、その話をしたのが果たして誰だったのかをアルミアは理解していないようではあったが、それでも希望に縋る事は決めたらしい。
カミルの手引きで宝物庫へとアルミアを連れて、そうして目当ての物を見つけ出した。
伝承では、王家の人間のみが扱えるという。
であればアルミアを利用する必要はないように思えるが、しかし時を戻すと言われているそれは。
使用者が願ったところまで。
後悔し、やり直したいと願ったところまで時間を遡るとされていた。
であればカミルが使うとなると、あまりにも遡りすぎる。
自らの過ちを自覚した時から、カミルはいっそ生まれる前からやり直したいと思ってしまったからだ。
流石に生まれる前となると、そこまで遡れるのかは疑問であるしもしもやり直す前の事を覚えていなければ、長い年月をかけて同じ過ちを繰り返す可能性もある。
だが、アルミアなら?
彼女が果たしてどのあたりからやりなおしたいと願っているかは不明だが、それでも生まれる前まで戻るような事にはならないだろう。
一つの賭けではあるけれど。
それでも、時を戻すための導として、カミルはアルミアを利用する事に決めたのだ。
時を遡った際、その前の記憶が残るかどうかは人によると伝えられている。
であれば、もし時を遡る事ができたとして、カミルはこのことを忘れてしまう可能性もあるという事だ。
けれどもそれを恐れて今を生き続けるよりも、やりなおしに賭けた。
過ちを忘れた上でまた同じ過ちを繰り返したのであれば。
その時は潔く自らの手で幕を引こう。
そう決意して。
その決意があったからかはわからない――が、遠のく意識を手放した後、気付いたら宝物庫ではなく自室でカミルは目を覚ました。
それは丁度クラレットを殺す一年前。
既にアルミアと出会ってしまってはいるけれど、まだ引き返せるような状況だ。
カミルは何食わぬ顔をしたまま宝物庫へ向かって、中の確認をした。
時を遡るとされている秘宝。確かにそれはそこにあった。だが、使用した時の記憶と比べると色がくすんで輝きも何もない。単なる骨董品と言われてしまえばすんなりと信じて疑う事もないような、意識に引っ掛かるようなものも感じられない置物。
あぁ、力を使い果たしたのだな、と思った。
伝承では長い年月をかけて力を蓄えるとされていた。だからこそ、そう簡単に使える物ではないのだと。
必要な時に使え、なんて一文もあった気がするが、資格がなければ使いたくても使えないのだとも記されていたから、実際は半信半疑だった。
けれどもカミルは確かに時を遡ったのだ。
与えられた奇跡。
だが何度もやり直せるわけでもない。正真正銘、一度だけのやり直し。
次は間違えない、と固く誓って。
そうしてカミルはアルミアと出会ってしまったものの、彼女とは必要以上に関わらないようにと決めた。
それでも完全に関わりを絶つとなると難しかった。
アルミアがクラレットの親戚である事で、完全に遠ざけるのも難しい状態である。
アルミアだけを拒絶していても、周囲がそれを正確に汲み取ってくれるかはわからない。
派閥ごとカミルが距離を取りたがっている、と都合よく受け取ってそれならばうちの娘を……とクラレットを押しのけてでもカミルの嫁に差し出そうとする家が出るのは面倒だ。
クラレットと同じ派閥であるからこそ、アルミアの事を完全に邪険にはできなかった。
だが今回のアルミアは、クラレットに虐められているというような事を言わなかった。
ただ、苦手であるという事だけ。
あぁ、彼女は前の事を憶えているのか。
声には出さずに納得する。
だからといって、前の事を口に出すつもりなどカミルにはなかった。
お互いにやり直している真っ最中だ。アルミアがここからやり直したいと願ったのがどういうつもりであるのか、カミルは知らない。教育が遅れていたという以上、改めてここから学びなおすつもりなのかもしれない。前回を覚えているのなら、今のアルミアなら療養していた者たち向けのクラスからはすぐに出て、通常クラスに戻る事が可能だろう。
だからこそカミルは当たり障りのない、周囲に後ろめたいと思われるような事もない距離感でアルミアと接していた。前回の事をもしアルミアが憶えているのなら、あまりあからさまに距離を取ろうとすると彼女がどういう行動に出るかわからなかったので。
こちらにヘイトが向くのならまだいいが、クラレットを害そうとされるのは困る。
前回アルミアはクラレットに虐められているのだと言って、彼女の評判を落とそうとしていた。
今にして思えば、どうしてそれが嘘だと気付けなかったのだろう。
虐めている側に罪の意識がない可能性を考えて、アルミアが被害者であるという部分を疑いもしなかった。
だが、もし本当に虐められていたとして、それならアルミアの両親に訴えれば済む話だったはずなのだ。
親に心配をかけたくなくて……などとしおらしく言われる事も有り得たが、幼い頃に病弱だった娘が学園に通うようになったのだから、アルミアの心身を傷つけるような事があれば親も早いうちに何らかの手を打ったはずだ。
いくらアルミアが心配をかけたくないと言って黙っていたとしても、何かを押し殺すように我慢をしている雰囲気を、それこそ長年彼女に付き従っていた使用人たちの誰か一人くらいは気付いたはずだろうし、そうなればアルミアの親に報告だってされたはずだ。
前回のあの発言は今にして思えば、カミルの関心を引くためのものであった。
実際彼女を守ってあげなければ、という風に思うようになったし、アルミアには自分がいなければ駄目なんだと思ったので、そういう意味ではまんまと彼女の策略に嵌ったと言える。
だが今回は彼女に同情などしないし、嘘に騙されてやるつもりもない。
あくまでも婚約者の親戚だから関わっているだけ、というのを隠す事なくカミルはアルミアと接する事を徹底した。
実際に本来のクラスへ戻ったアルミアは、カミルに纏わりつくような事もないままに学習に励んでいた。
前回は療養者のためのクラスに居続けていたのもあって、学習のほとんどは遅れがあったようなものだ。けれども今の彼女は学ぶ事が楽しいとばかりにせっせと知識を蓄えている。
もしかしたら、王子妃ですら大変だったのだから王妃などもっと務まらないと判断して別の道を模索しているのかもしれない。
カミルはうっすらそんな風に思い始めていた。
それならそれで構わない。カミルからクラレットを奪うような真似をせず、自身の幸せを求めるのであればカミルだって率先してアルミアを排除しようなどとは考えなかった。
けれども、所々でクラレットの目を盗むようにしてカミルに関わりにやって来るアルミアに、カミルはそんな考えを早々に消す事にした。
前回のクラレットの死にアルミアは関わっていない。だから彼女は何も知らない。
故に今回も何もなければクラレットが死ぬものだと思っているのだろう。そうすれば、その後釜であっても自分が選ばれる可能性がある事も。
その為に、今から必要な知識を得ようとしているのだと気付いた。
確かにクラレットが死んだ後、アルミアが婚約者に選ばれたとして、今のうちに必要な学習をほぼ終えていれば前回のような事にはなるまい。
けれどもやり直したいのはアルミアだけではない。カミルもなのだ。
だからこそクラレットを殺すなど有り得ないし、彼女が死なないのであればアルミアが代わりとして選ばれる事もない。
そう伝えてやる義理はどこにもないが。
下手な事を言って、またアルミアがクラレットを陥れようとすると困る。
根も葉もない噂でクラレットを穢すつもりなどないのだ。
アルミアとはあくまでも学友であるという態度をカミルは表に出していたし、また婚約者として交流する際にクラレットにも疚しい事など何一つないのだとアルミアとのやり取りは伝えてある。
自分から関わりに行ったのは、巻き戻った時点で既にやらかしていたクラレットと間違えて声をかけた時だけだ。
クラレットも今回は虐められているなどとアルミアが言わなかったから、カミルにそれを問われる事もなく。
だからこそ、あまり彼女にばかり構わずに自分もちゃんと構って下さいね、なんて可愛らしい事を言ってきた。
二人きりの時に見せられた婚約者の可愛らしい一面。
前回それを見る機会を失っていたのだ、と気付いた時にカミルの胸には後悔と、同時にクラレットへの愛が再び燃え上がるのを感じていた。
己の愚かさ故に彼女を信じなかった結果失ったそれらを、次こそ手放さないように。
どうするのが最善かを考える。
結果として、前回とあまり大きく行動に違いはもたせなかった。
アルミアが関わってくる時は話し相手になるくらいはするけれど、自分から関わる事はない。
違いといえばその程度だが、それでもアルミアはそれをおかしいとも思わなかったようだ。
そのうちクラレットが死んで、自分が次の婚約者になるのだときっと信じて疑っていないのだろう。
クラレットが死んだのは、前回邪魔だと判断した自分が始末したからだ。
だが今回彼女を殺す必要はどこにもない。
殺すために呼び出す必要はどこにもないし、であるのなら前回の自身の愚かさと醜悪さも今回は表に出る事もない。表に出ないだけで存在しているという事実を嫌でも理解するしかないのだが。
今回のアルミアは既に通常クラスへ戻ってその上でよく学んでいるのだから、いっそ誰か――相応しいであろう相手を紹介するというのも考えたが、アルミアが王妃の立場を諦めていなければ結果として無駄になる。
そうでなくとも前回とあまりにも違う行動をとればアルミアとて気付くだろう。自分もまた以前の事を憶えたままやり直しているのだと。
そうなればアルミアはカミルが何をやり直そうとしているのか、当然それくらいは気付けるはずだ。
クラレットの死を回避して、その上で彼女と結ばれる事こそがカミルの願いだと思ったアルミアが、果たしてそのままそれを見ているだけで終わるだろうか?
今だってまだカミルの事を完全に諦めていないからこそ、彼女は完全にカミルから離れようとはしていない。そして彼女も前の事を憶えているのなら、やがてクラレットが死ぬと信じているはずで。
それをカミルが阻止しようとしている、と思った時アルミアがどのような行動に出るかはわからなかった。けれども、黙って見過ごしてくれるとは思えない。
既に綻びがあったとしても、それでもなるべく前と大きな変化をもたらさないように、カミルは前回同様クラレットを呼び出す事にした。前回は殺すためのものであったけれど、今回は普通に逢瀬としてしまえばいい。
クラレットが死ななかった事でアルミアが何かに気付くか、もしくは前回との変化によって今度はクラレットを排除しなければと考えたとしても。
もしそうであるのならその時はアルミアを排除すれば済む話だ。
前回、カミルを奪うためにクラレットを貶めようとしていたアルミアは、今回はそれをしなくていいと思っている。けれどもそれは彼女が死ぬと知っているからであって、クラレットが生きているままであるのなら彼女のやり直しは無意味に終わる。
それを彼女が良しとするのなら、それでもいい。
けれどもそうではないのなら、いずれまたアルミアはクラレットの悪評を流し、彼女を陥れて自分がその座におさまろうとするはずだ。
現に今、アルミアが学んでいる内容は前回王子妃教育の際によく躓いていた部分が大半を占めている。
時折会話をする事があったが、その際に仄めかされていたのだ。そこから少し調べれば嫌でも把握はできてしまう。
クラレットに対する悪い噂を流される前に、それよりもむしろアルミアをさっさと排除してしまった方がいいのかもしれない。
考えるうちにそれが手っ取り早く思えてきて、カミルは万が一の事を想定して従者――ファデルへと自らの考えを伝えておくことにした。
彼は、反論も諫める事もせずただ静かに頷くだけだった。
そして当日。
前回であればクラレットが来た、彼女の命を奪った日。
やって来たのはアルミアだった。
何故彼女が?
勿論そう思ったのは当然であったし、アルミアも何かを言おうとしてはいた。
しかし――
「あぁ、そういう事か」
「え? あの……?」
理解してしまった。
時を遡り、巻き戻って以前の記憶を持っているのはカミルとアルミアだけではないという事に。
ここにクラレットが来ていない事こそが、その証である。
彼女もまた前回を憶えているのだ。
憶えているからこそ、今日ここにクラレットはやってこなかった。殺されると思ったから。
そこでアルミアを代理でよこしたのは、既にカミルとアルミアの仲が親密であると判断したからか、別の思惑があるからなのか。
以前と大きな変化はなかったから、クラレットが前回の事を憶えているなどカミルは思いもしていなかった。時を遡る事を決めた時点で、クラレットは既に死んでいたのだ。だからこそ、秘宝を使用した時に彼女にまで前回の記憶が残ったままだなんてこれっぽっちも考えなかった。
……無意識のうちに考えないようにしていただけかもしれない。
けれど、それならば。
カミルは従者へと視線を向ける。
それだけで彼は全てを理解した様子だった。
クラレットが前回の事を憶えているというのなら、なおさらここでアルミアを生きて帰すわけにはいかなくなった。
クラレットが殺されたまさにその日に、同じ場所、同じ時間にやって来たアルミアが生きて帰れば狙いが確実にクラレットであると彼女に悟られてしまう。前回は確かにそうであったが、今回は違うといってもはいそうですかと納得されるはずもない。
アルミアがここから生きて戻る事で、クラレットは今もカミルが自分へ殺意を持っていると思う事だろう。故にこの凶行には及ばなければならない。
いずれ排除する可能性も考えていた以上、それが少し早まっただけ。
己にとって都合の良い考えに、カミルは内心で吐き気を催しながらも、以前のように隠し持っていたナイフを突き刺す。かつて、愛したと思った相手へ真っすぐに。
従者の動きもまた前回と寸分の狂いもなく。
クラレット同様に、アルミアもさして抵抗もできぬまま、その命の灯火を消す事となった。
カミルが愛しているのはクラレットである。
確かに以前、アルミアに絆されて彼女こそが真に愛する人だと思っていた事もあった。
時を戻す方法を思い浮かべる前までは、確かにアルミアの事を愛していた。
それが彼女の思惑で、自分は騙されていたようなものであった、と気付いてからはそんな情すら失せてしまったがそれでも。
それでも、かつて愛していたはずの人を二度も殺す事になったカミルの手は、かすかに震えていた。
頬を伝って流れた涙は、決して愛する者を殺めたからではない。
恐怖だった。
クラレットもまた前回の事を憶えている。
今の今までその可能性を考える事すらしていなかった、己の愚かさ。
以前の過ちをやり直そうとした自分を、彼女は果たして一体どのような目で見ていたのだろう。
秘宝の力は使い果たされて、もう一度は存在しない。やり直せたとしても、また以前の記憶を憶えたままなら結局それは無意味な事でしかない。
まっさらな状態であればまだしも、既にそうではないのなら。
ぴくりとも動かなくなったアルミアを前に、カミルは膝から崩れ落ちた。




