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それから幾ばくかの時が立って、俺と雫はバス停のベンチで二人座っていた。手を繋いで。
「……お兄ちゃん」
「どうした?」
「私に何か、隠してること、あるでしょ」
「へ……!?」
先程の甘い空気はどこにいったのか、雫は冷たい声でそう言った。
「言うなら今のうちだよ」
「えっ、あっ、なんのことかなぁ~っ」
正直隠していることがありすぎてどれのことを言っているのかわからない……!
俺は苦笑いを浮かべて誤魔化すしかなかった。
「……しらばっくれるんだ。ふぅ~ん」
雫はスマホをたぷたぷつついて、とあるページを開く。
そのページは、俺も何度も見たことのあるページ。
web小説投稿際サイト、そのランキングページだった。
「えーと、毎日死ね死ね言ってくる義妹が、俺が寝ている隙に催眠術で惚れさせようとしてくるんですけど。第一話、世界一可愛い俺の義妹」
「ちょっ! ちょっとまて!」
いきなり催眠義妹一話目を大声で朗読しはじめる雫を、俺は制止する。
「何で止めるの?」
ニヤリと笑う俺の義妹。
まさか……っ!
「し、知っているのか……?」
「何のことですか? 市野先生?」
「めちゃくちゃバレてるじゃねぇええかぁああっ!」
俺のことを市野先生と呼んだ瞬間。
俺イコール市野青人という隠し続けてきた事実が、バレているということは、簡単に理解できた。
「女装までして私と仲直りしようとするなんて……ほんと、シスコンすぎ! まぁ……それを知れたおかげで、私も素直になれる勇気が出たんだけど……」
「ご、ごめんキモかったよな……」
「そんなことない!」
「雫……っ」
「私、すごく嬉しかった……じ、地味女より私を選んでくれたこと、私に、勇気を出させようとしてくれたこと……本当に、嬉しかった」
吉沢さんが雫を素直にさせた魔法。
おそらくその一つが、俺のことを市野先生だとバラすことだったのだろう。
今思い返せば、そんなことを匂わせるシーンがいくつかあったように思える。
雫が素直になれる勇気を持てたのは、他でもない吉沢さんのおかげなんだけれど、今は無性にやつの顔をぶん殴りたかった。
「お兄ちゃんはその……私に吐き出したい劣情を抑えるために、義妹小説を描き始めたんでしょ?」
「……へ?」
「吉沢さんが言ってたもん、お兄ちゃんはその……私のことが大好きすぎて、エッチなことしそうになるたびに、義妹小説を書いて紛らわせてたって。それがカタイモだって、言ってたもん」
あ、あの編集とんでもねぇホラ吹いてやがる……!
た、たしかに雫への願望が、小説に反映されていないと言えば嘘になるけど、だからってそこまでは……!
「私に……その、エッチなことをしたいと思えば思うほど、小説が捗るんでしょ? 面白い物語がかけるんでしょ?」
「だ、誰がそんなことを言ってたんだ?」
「吉沢さん」
「雫、あの人をあんまり信用しない方がいいぞ? お兄ちゃんみたいに傷つきたくなかったらな」
「……じゃあ違うの?」
悲しそうな瞳。
捨てられるのを拒むような、小動物の瞳。
そんな顔をされて、俺が雫を拒めるはずがなかった。
「うぅっ……そ、その通りだけど……っ!」
「……お兄ちゃんのえっち」
恥ずかしさのあまりバス停の看板に頭を打ちつけたくなったけど、なんとか堪える。
たしかに雫の可愛いところに気づくたび、俺の創作意欲が刺激されるのは事実だ。
「お兄ちゃんは、私のこと、世界で一番可愛いって、思ってるんでしょ……?」
上目遣いで、雫はそういう。
「あぁ、間違いなくお前は世界で一番可愛い」
「ひぅっ……」
迷いなくそう言い切った。
気持ちが通じ合った今、どもる必要も恐れる必要もないのだ。
「お兄ちゃんは私に、手を差し伸べてくれた……諦めないでいてくれた……だから、私も」
俺の手を強く握って、雫は。
「お兄ちゃんのために、頑張るよ」
そう言って、俺の肩に頭を預けた。
***
三十分ほどバスに揺られ、俺と雫は温泉宿に戻ってきた。
カップル専用の一室。
部屋の角に据えられている大きなベッド。
そのベッドの上で、俺たち兄妹は借りてきた猫のようにちんまりと座っていた。
「……」
「……」
き、気まずい。
お互いの気持ちを確認し合った後、誰もいない二人きりの空間。
しかもカップル専用の一室ときている。
意識しない方がおかしい。
雫は用意されていた浴衣に着替えていて、仕切りに胸元を気にしている。ちなみに俺も浴衣だ。
スレンダーな体型の雫に、和装はよく似合う。
俺は雫の浴衣姿をチラチラ見ていると、雫はそんな視線を察知したのか、さらに浴衣の胸元をきつくしめた。
「ねぇお兄ちゃん……」
「ど、どうした雫」
「バスの中で、叫んだのって……小説の、ことなんでしょ」
「あ、あぁ。そうだ……」
俺の新作小説『催眠義妹』は、りんこの幼馴染小説に完膚なきまでに叩きのめされている。
それは現在進行形で、だ。
「私も……読んだよ。あいつの書いた幼馴染小説。正直、すごく面白かった」
「……だよな」
純粋な読者である雫にも、それは伝わるだろう。
りんこの小説は素人目から見ても出来が良い。疑いようない事実だ。
うつむく俺を見て、雫はあわてて訂正する。
「でも、私はお兄ちゃんの小説の方が百倍好き! あんな悲しい幼馴染小説なんかより、催眠義妹の方がずっとずっと楽しいもん!」
「お、俺もそう思いたいけど……実力差は歴然だ……ここからどうやったって、りんこには勝てない……」
俺の小説で、りんこのような重厚感のある人間ドラマは展開できない。
行き当たりばったりで、キャラクターが動き回る、俺の小説はそんなアップテンポな小説なのだ。
対してりんこの小説は、一見アップテンポな小説に見えて、その実、重厚な人間ドラマ。
幼馴染が主人公を好きで、けれど報われない。
そんな誰しもが経験したことがあるであろう報われない恋を軸に、話を展開していく。
そんな質の高い小説が五作品、アクセス数の多いランキングを独占しているのだ。
逆立ちしたって勝てない。
「あいつと、おんなじ土俵で戦う必要なんてないよ」
心を読んだかのように、雫は俺の手を握って、そう言った。
「お兄ちゃんの小説は、いや、ライトノベルは、その……義妹が、沫ちゃんが、可愛ければ可愛いほど面白い。そういうラノベでしょ?」
「っ!」
脳内に雷鳴が轟く。
例えるならば、雫の一言はそんな衝撃だった。
俺は何を血迷っていたんだ。
重厚な人間ドラマ、悲恋、質の高い物語。
そんなのはりんこの強みだ。
りんこにしかない武器で、りんこが扱うから強い。
俺がそれを真似ようとしたって、真似れるわけがないし、勝てるわけがないのだ。
逆に、りんこになくて俺にあるもの、俺にあってりんこにないもの。
その答えを、俺はとうの昔から知っている。
「雫っ!」
「ひゃっ! な、何!?」
俺は雫をベッドに押し倒す。
困惑した表情をうかべる彼女。
頬は赤く染まり、首筋に汗を浮かべ、股をもじもじと擦り合わせている。
「お、お兄ちゃん……? どうしたの……?」
「雫! 俺にはお前しかいないんだ!」
「ひぅぅっ!」
雫の目がトロンと濡れる。
「俺の創作の原動力はお前だ! お前がいなきゃ俺はラノベを書けない! お前がいなきゃ、俺は生きていけないんだ!」
「ら、らめだよお兄ちゃん……! 私たち兄妹なんだよ……っ!」
「そんなこと関係あるか!」
逃げ出そうとする雫の両手を掴み、動けないよう拘束する。
星空の下、雫の笑顔を見た時。
言葉に表せないほど、美しいと思った。
俺はまだ、この最高にかわいい義妹を、表現しきれていない。
一ノ瀬沫よりも、市ヶ谷雫の方が、まだまだ圧倒的にかわいいのだ。
「雫……お兄ちゃんの為に頑張るって言ったよな?」
「う、うん……言った……よ」
「じゃあ、恥ずかしくても、頑張れるよな?」
「え、ちょっ、何する気っ!?」
暴れようとする雫を、力で押さえつける。
いつもの雫の力なら、俺みたいなもやし男の拘束なんてはねのけられるはずなんだけど、何故か雫の力がいつもより弱かった。
とにかく。
小説のヒロインと、モデルである雫の魅力に差がある時点で、まだまだあの作品のポテンシャルを引き出せていないということなのだ。
雫の魅力を研究し、そして作品に落とし込むことができれば、催眠義妹はもっと面白くなる!
「何する気って……お前もその気だったんだろ?」
「……えっ、あっ……」
「素直になるんじゃないのか? ん?」
すまない雫……!
これも作品の面白さを引き出す為に必要なことなんだ!
俺はお前を世界で一番可愛いヒロインとして描かないと、気が済まないんだよ!
「うぅ……そりゃ、そういうこと、したいって……思わなくも、ないけど……っ」
よかった……。
どうやら雫は、俺の取材に協力的なようだ。
「じゃあ、頑張れるよな? お兄ちゃんのために、一肌脱いでくれるよな?」
「う……うんっ……いいよ……来て……っ」
そう言って、雫はキツく締めていた浴衣の襟を緩める。
少し火照っていて、柔らかそうな淡いピンク色の肌が露出する。
「さすがは俺の妹だ。いっぱい可愛がってやるからな」
いつになく素直な雫の頭を優しく撫でてやる。
艶やかなでサラサラな髪の毛は、甘い香りを醸し出している。
「お、お兄ちゃん……いっぱいしゅきいっ」
雫は目にハートを浮かべてやる気十分なようだ。
これなら有意義な打ち合わせができること間違いなしだろう。
とにかく、今は担当編集である吉沢さんに改稿していいか聞くのが先決だ!
俺は枕元にあったスマホをとって、すぐさま吉沢さんに電話をかける。
雫が何故か困惑した瞳でこちらを見つめていた。
「あ、もしもし! 吉沢さん、市野です! 新作小説の件なんですけど、二話目以降すべて書き直したいんですけど! 問題ないですよね?」
『その声のトーン、何か名案でもあるんですか?』
反響する音声。
時刻は午後九時を回っているけれど、吉沢さんはまだ会社にいるらしい。
「名案なんかないです。でも、シンプルな答えに気が付いたんです」
先ほど、雫の一言によってようやく気が付いた。
いや、目が覚めたと言った方が正しいだろうか。
りんこと同じ土俵で戦うことはもうやめる。
俺には、俺だけにしかないものがあるのだ。
「俺の義妹は、世界で一番可愛い。りんこの作ったヒロインにも、この世界に存在するどんなヒロインよりも、可愛い。それを表現すれば良いだけだって」
迷いなく言い切ると、スマホの先から吉沢さんの笑い声が聞こえた。
『ふふっ、市野先生らしい死ぬほど気持ち悪い答えですね』
悪口を言われているはずなんだけど、不思議と悪い気はしなかった。
義妹が大好きで、それを表現するのが俺の仕事であり、得意技。
これしかりんこに勝つ道はない。
「俺の唯一の得意はキャラクター。俺には雫しかいない。それしか道はありません」
『わかりました。私はこのまま編集部に泊まりますので、いつでも原稿を送ってください。笹本先生は五作品投稿でしたが、こちらもそれに対抗して、物量で勝負しましょう。市野先生が書いたものを私が誤字修正し、投稿サイトにどんどんアップしていきます。とにかく書けるだけ書いてください。勝つ為には、もうそれしかない』
「わかりました! よろしくお願いします!」
これから書くとなると、原稿を渡すのは深夜や朝方になるだろう。
それでも一切迷うことなく協力してくれたことに、胸が熱くなる。
半端な作品は出せない。
信頼に報いる為にも、絶対に諦めるわけにはいかない。
『あ、あと、雫さんに電話代わってもらってもいいですか?』
「えっ、別にいいですけど、何か用ですか?」
『えぇ、少し』
詳細を話さない吉沢さん。
少し怖いけど、ここで渡さない理由は別にないので、俺は素直に雫にスマホを渡す。
雫はなぜか俺をにらみつけながら、スマホに向かってうんうん頷いていた。
あの悪魔と催眠系義妹が結託しているような、そんな印象を受ける相槌だ。
正直嫌な予感しかしない。
しばらくして、通話が終わると、雫はスマホをベッドの上に置いて。
「は、恥ずかしいことって……取材のことだったのね……」
俺のことを薄目で見ながらそう言った。
「え? それ以外に何があるんだよ」
「……ぅっ! こ、この! ま、まぁいいわ」
雫は何か言いたげにしながらも、言葉を飲み込んで、鞄から何やら箱のようなものを取り出した。
「お兄ちゃん、これを食べなさい!」
「こ……これは?」
「小説が死ぬほど書けるようになるチョコレートよ!」
箱を開くと、小さくて丸い可愛らしいチョコレートが六つほど、綺麗にラッピングされていた。
「そ、そんなものがこの世に存在するのか!?」
「吉沢さんからこんなこともあろうかと、前もってもらってたの」
「ふーん……そのチョコは、その、吉沢さんが作ったのか?」
「たぶんそうだと思うけど」
頭を動かすには糖分が必要だ。
そういう意味では、チョコレートを食べると小説が死ぬほど書けるようになると言えないこともないけど……。
「それなんか変な薬とか入ってないよな?」
「いいから食べなさい! この鈍感天然タラシのラノベ主人公っ!」
「あぐぅっ!」
雫に無理やりチョコレートを口の中に放り込まれる。
甘さと、少しの苦味、そして不思議な香りが口いっぱいに広がった。
あれ……なんだか……意識が朦朧と……。
咀嚼し飲み込んだ瞬間。胃が焼けるように熱くなる。
「まだまだあるわよ!」
「まぐっ!」
箱の中に入っていたチョコレートを、俺はすべて平らげてしまった。
しばらく経つと、頭がぼーっとして、すごく良い気分になってくる。テンションが上がってきたといえばいいのか?
とにかく意味もなく笑いだしたいくらいにはハイになっていた。
「うぃっ、ひっく」
「ど、どう? 効いた?」
「雫、取材をするぞ」
今のこの気分なら、恥ずかしがらずに雫に取材できそうな気がする。
なりふり構わず描写をすることも、だ。
俺は雫をお姫様抱っこして立ち上がる。
「え! ちょっ! どこさわってんのよ!」
お尻も触ってしまっていることは些細な問題にすぎない。
義妹のお尻の柔らかさを調べる為にどうせこの後揉みしだくのだ。今触って感触を軽く確かめておくのは悪いことではない。
「雫! ツンツンしている時間はないんだ!」
「ちょっ! いやっ! 離して!」
「いいや離さない! もう絶対に、離さないっ!」
離してという言葉に反応して、お姫様抱っこした雫を一旦おろして、思わず胸に抱き寄せてしまう。
「離れるなんて言うなよ……俺たちようやく、心が通じ合ったんだからさ!」
「ううっ! 悔しいけどかっこいい……っ!」
「雫も天使みたいに可愛いよ」
「ふぁっ!?」
「食べちゃいたいくらいさ」
「お、お兄ちゃんいっぱきしゅきぃっ……!」
なんだろう、今のこの気分なら、思っていることをすべて話せるし、書き出せそうな気がする。
「それじゃあ雫」
雫の肩を抱き寄せて、耳元でささやく。
「お風呂に入ろうか」
「ふぇっ?」




