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額からジワリと滲む汗。
俺はワンピースの裾をきゅっと握る。
「そ、そうなんですよぉ〜っ、よく男の子と間違われるんですよねぇ〜っ」
何年も前から付き合いのある幼馴染とバッタリ出くわし、平常心を保つという決意は砂漠の砂のように粉微塵になる。
雫だけじゃなく、なんでりんこまで……!
たしかにりんこは漫画やアニメ、そしてライトノベルも大好きなオタク女子。
けれど、彼女が好きなジャンルはラブコメの中でも幼馴染みモノに限定される。
義妹モノは読みはするけどあまり好感触を抱いていないはずだ。
だいぶ前に、それとなーく自分の書いた本をすすめて読んでもらったことがあるけれど『この作者の文章や演出は大好きだけど、ヒロインが義妹なのがあまり好きじゃない』と、一刀両断されたくらいだ。
それなのに……なんでお前がここにいるんだよ……っ!
なるべくりんこに顔が見えないよう、前髪を前に垂らしてうつむく。
と、とにかく! バレれば一生消えない変態の烙印を押される!
今は息を殺して、このカオスな状況を乗り越えるしかない!!
「あ、あの……その……」
「……んぅ?」
りんこは俺の顔をじっとみつめて、むむ~っ? と、唸っている。
この反応。おそらくまだ俺の正体に気付いていない。
……そりゃそうか。まさかラノベ作家のサイン会で女装している幼馴染に出くわすなんて思いもしないもんな。
なら、まだチャンスは十分にあるッ!
「本。サインしますね」
「あ、はい。すみません」
できるだけ自然な笑顔を浮かべながら、りんこが持っている本を受け取る。
よし……! このままパパっとサインを済ませて、真心込めて見送れば、何事もなくりんことのイベントは終了する!
前髪で顔を隠しつつ、スラスラ〜っと、自著にサインをする。
「あの、ひとつ質問してもいいですか?」
「へあっ!? な、なんでしょう?」
質問というセリフに、体が硬直する。
なんだ質問って!? まさか正体がバレたのか!?
い、いや、正体に感づいているのであれば、わざわざ質問なんてしないはずだ。
質問をするということは、つまりはまだ疑っている段階だということ。確信には至っていないということ……!
落ち着け……! どんな質問がきても、落ち着いて返答すれば絶対にバレない……!
俺は今、吉沢さんのメイクによって可愛らしい黒髪清楚な女の子になっているのだからッ!(狂気)
さぁ! 来いりんこっ!
どんな質問でもまったく動揺せず答えてみせるっ!
「市野先生って、とっても可愛い義妹がいたりするんですか?」
いやピンポイントでどギツイ質問きたぁーッ!
いやもうこれバレてるよね!?
100%バレてるよね!?
滝のように汗をかいていると、隣に座っている吉沢さんが俺の膝を小突く。
「先生、質問に答えてあげてください。ほら、ファンは気になるんですよ。作品が実体験に基づいたものなのかどうか」
「……あ、あぁ〜なるほど、そういうやつですか」
あ、焦ったぁ〜。
たしかに、冷静に考えてみれば、ファンが作者である俺に対してそう言った質問を投げかけるのはごく自然なことのように感じる。
俺の自著は義妹モノだ。
そこに登場するストーリーやキャラクターが事実を基に、あるいはベースにして作られたモノなのかどうか、ファンなら気になるところなのだろう。
「え、えっとぉ〜」
ここで素直に、義妹がいます。と、答えるのもなんかアレだしなぁ。
「私、一人っ子ですぅ〜」
女の子っぽい声を喉から捻り出しながらそう答える。
よし……このままの流れでいけば、どうにか誤魔化せそうだ。
前髪の隙間から、りんこの様子を伺う。
「ふーん。なるほど。そういう状況なんだね」
彼女はあごに手を当てて、さながら名探偵のようにそう呟いていた。
ば、バレてないんだよね……?
「あのぉ……サインかけましたぁ」
サイン会に来てくださった方々はまだまだいらっしゃる。サイン本を渡せばりんこも帰らざるを得ないはずだ。
サイン本を両手で持って、丁寧に渡すと、予想通りりんこは柔らかい笑みを浮かべながら出口に向かう。
「……長々とすみません。それでは市野先生、またお会いしましょうね」
ま、また?
不思議な一言に若干違和感を覚えつつ、俺は引きつった笑みを浮かべて、りんこを見送った。
「……はぁ、ど、どうにかなったな」
「市野先生、先程の方とお知り合いなんですか?」
吉沢さんは、すこし眉間にしわを寄せながら、そう言う。
ん? すこし機嫌が悪い……?
「し、知り合いも何も、幼馴染みですよ……。俺がラノベ書いてるってことは一度も言ってないんですけど、何故か出くわしちゃいましたね……」
「えっ」
いつも冷静沈着で、あまり顔色を変えない吉沢さんは、半ば呆気にとられたようなそんな珍しい表情をしていた。
「吉沢さん? どうしたんですか?」
「い、いえっ……なっ、なんでもありません……っ……ぶふっ」
「えっ? 何笑ってるんですか?」
「なんでもありませんってば!」
鬼の編集だと恐れられている彼女も、今日ばかりかは笑ったり怒ったりと忙しい。
まぁそりゃそうか、担当している作家が女装してサイン会に出てるんだもんな、当たり前か。
「次の人入りまーす」
スタッフの方の合図を聞いて、すぐさま笑顔をつくる。
予想外の出来事はあったけど、最も重要なのはここから……!
毎日毎日、催眠術をかけてくるソフトM義妹を、どうにかして欺かなければいけないのだ……!
俺はより一層気を引き締めて、サイン会に来てくださったファンの方を笑顔でお出迎えした。




