9:初デートは失敗?(2)
王都の端にある子爵邸から馬車で十五分ほど走り、賑やかな街の中心地へと辿り着いた。
伯爵家の高級な馬車が小さな音を立てて、ゆっくりと止まる。フェリクスは軽やかに馬車から降りると、さっとリーニャの方へと手を差し伸べてきた。
「リーニャ、ほら、手」
「へ?」
リーニャは差し出された手を凝視した。こんな風に男性にエスコートされたことなんかないので、頭の中がパニックになる。
とりあえず、手を乗せれば良いのだろうか。
ごくり、と喉が鳴った。
フェリクスの手をじっと見つめてみる。意外とゴツゴツしている関節部分に目が行く。これはどう見ても男性のものだ。リーニャのふにゃふにゃな手とは全然違う。
緊張する。それでも、恐る恐る手を伸ばす。そして――。
「……リーニャ? ちょっ、待って、待って!」
「ほあっ?」
リーニャはこてりと首を傾げる。フェリクスの顔を見上げてみると、なぜか彼は真っ赤になっていた。耳まで赤くしてぷるぷると震えている。
彼の目線の先には、しっかりと繋がれた手。
「ちょっと、これ、違う! なんで繋ぐのっ?」
「え? 違うんですか?」
「僕はリーニャが馬車から降りるのを手伝おうとしただけだよ! ちょっと支えようと思っただけ! それなのに、なんでこんなにしっかり握っちゃうの……」
フェリクスの手を握ったまま、リーニャはへにょりと眉を下げた。どうやら間違えてしまったらしい。
そういえば、昔、令嬢としての振る舞い方を習った気がする。こういう時にどうするべきか。確かに、握るとは言ってなかったような。
ちょっとしょんぼりしながら、リーニャは馬車を降りた。
リーニャたちが降り立ったのは王都の街の中でもひときわ賑わっている通りだった。よって、そこら中に人がいた。
元気な商人のお兄さんや、おしゃれな貴婦人、仲良く談笑している老夫婦。いろんな人が行き交っていて、油断していると人酔いをしてしまいそう。
青空の下に立ち並ぶ店はどこも繁盛しているようで、明るい声が聞こえてくる。店先に飾られたガーランドが、風に吹かれてパタパタと揺れていた。
花屋さん、本屋さん、雑貨屋さんにレストラン。綺麗な建物が所狭しと大通りを埋めている。そんなお店の前を、たくさんの人々が楽しそうに笑いながら歩いていく。
「リーニャ、そろそろ手を離してくれる?」
フェリクスが赤い顔のまま手を離そうとした。けれど、リーニャは逆に、ぐっとその手に力を込める。
「……リーニャ? どうしたの?」
フェリクスの怪訝そうな声。リーニャは騒がしい街の通りを凝視しながら、震える声で小さく答えた。
「あの、実は、人が多すぎて恐いんです……。できれば、このまま手を繋いでいてほしいのですけど」
「なっ?」
「フェリクス様、確か恋人っぽく振る舞ってほしいって言ってましたよね! だから、問題ないですよね!」
「いや、言ったけど! 言ったけどさ……うわ、恥ずっ……」
リーニャと繋いでいるのとは反対側の手を口元に当てて、フェリクスは小さく唸った。眉間に小さな皺が寄り、すいぶんと困っているようだ。
けれど、リーニャも困っている。人見知りの人間は他の人間が脅威なのだ。今、リーニャが頼れるのはフェリクスひとり。
この手は絶対に離したくない。離すというなら、家に帰る。
「……分かった。じゃあ、繋いでおいてあげる」
「ほ、本当ですか? ありがとうございます!」
リーニャはぱあっと顔を輝かせ、改めてフェリクスの手を握り直した。離されたら困るので、今度は指と指を絡めるようにしてしっかりと。
「うわ、何やってるの! これ、恋人繋ぎになってる!」
「お嫌ですか?」
「嫌じゃないけど、その、これは……」
フェリクスは口ごもりつつも、最終的には腹をくくったようだった。
「あああ! もうこれで良いよ! でも、今日だけ! 特別だからね!」
「はい!」
どうせフェリクスとデートするのなんて、今日限りのことだ。今日さえ乗り越えられれば、それで良い。
リーニャは安心して、ほっと息を吐いた。
それにしても、フェリクスの手はすごく温かくて心地良い。なんだか頬が緩んできてしまう。
リーニャはつい上機嫌になって、その手をにぎにぎしてしまった。
「ちょっ! まっ! 止めてよ! なに目を輝かせて、人の手で遊んでるの!」
「だ、駄目でしたか!」
「これはさすがに駄目でしょ! もう、本当、なにこれ……恥ずかしい……」
フェリクスが全身を真っ赤に染めてうつむいた。ふわりと揺れた金髪が、優しく降り注ぐ日の光を受けてきらめいている。
その姿は照れまくった天使そのもの。行き交う人が真っ赤になったその天使を見て、目を丸くしている。
「フェリクス様、みんなに見られてますよ?」
「誰のせいだと思ってるの……。ああ、もう、行くよ!」
フェリクスは、少しふてくされたような表情をして歩きだした。態度はツンツンしているけれど、リーニャの手を離すことはなく、しっかりと握ったままでいてくれる。
(えへへ、フェリクス様が優しい方で良かったです。それに、とっても美少年なおかげで、みんなの目線が全部フェリクス様に集中してますね。私は全く見られてません! これは安心です!)
真っ赤な顔のフェリクスに手を引かれながら、リーニャはふわりと笑みを零した。
しばらくそうして王都の街を歩いていると、後ろの方から声を掛けられた。
「あれ、フェリクス? 何やってんだ、こんなところで」
振り返ると、そこには王都警邏隊の制服を身にまとった青年がいた。
短く切り揃えられた黒髪に優しそうな紅の瞳を持つその青年は、リーニャたちの傍へ軽い足取りで近付いてくる。
「あ、デートか! うわ、一緒にいる女の子、可愛いじゃん。手まで繋いじゃって……仲が良いんだな。あれ、フェリクス。お前、なんか顔、赤くない?」
その青年は一方的に話し掛けてきた。フェリクスはというと、青年の言葉にまたも顔を赤くしながら、口を尖らせる。
「先輩、今は仕事中でしょ。邪魔しないで」
「えー、冷たいなあフェリクス。あ、紹介してよ、その可愛い女の子」
青年の人懐っこい目線がこちらに向けられたので、リーニャはびくりと体を震わせた。
初対面の人はやっぱり恐い。どんなに優しく明るい人だったとしても逃げたくなってしまう。
フェリクスの背中の陰に隠れ、ぎゅっと目をつむる。なんだか嫌な汗をかいていた。
(こういうの、苦手です……。上手く話なんてできないし、変に思われそうだし……)
誰とでもすぐに仲良くなれるような明るい人には、絶対分からないだろうけど。
知らない人と話すのは苦痛なのだ。頭の中が真っ白になってしまうのだ。
「……リーニャ、大丈夫だよ」
小さく震えていた手がぎゅっと握られ、フェリクスの囁くような優しい声が降ってきた。はっとして顔を上げると、温かな翠の瞳と目が合う。
「この人は僕の先輩で、ミロスラフっていうんだ。ちょっと馴れ馴れしいけど、王都警邏隊の人間だし、怪しくはないよ」
リーニャはただ、こくりとひとつ頷いた。緊張しているせいで言葉は出てこない。
表情が固いままのリーニャを見て、フェリクスがまた手を強く握ってくる。それから、リーニャを守るように青年から距離をとった。
その様子を見て、青年――ミロスラフが意外そうな顔で呟いた。
「おお、フェリクスがなんか本気っぽい! うわあ、珍しいな……」




