36:ツンツン魔術師の花嫁探し(3)
午後四時。
リーニャはフェリクスを撒いてしまったことを後悔していた。
「あんなに本気で逃げたりしなきゃ良かったです。うう、フェリクス様はどこにいるのでしょう……ぐすっ」
「リーニャ、泣くな。次にフェリクス様に見つかった時、逃げなきゃ良いんだよ」
べそべそ泣くリーニャを、兄が励ましてくれる。リーニャは涙をぐいっとぬぐうと、こくりと頷いた。
ルアンナのことを聞くのはやっぱり恐いし、避けたい。でも、フェリクスと結婚できなくなるのは、もっと恐かった。
「ルアンナ様のこと、はっきり聞いてみます。それで、不安を吹き飛ばして、フェリクス様の花嫁さんになるんです。もう逃げません! 私は強くなるのです!」
「よし、よく決意した、リーニャ。偉いぞ!」
そう、両想いになる前は、振られたって諦めるもんかと思っていたのだ。両想いになってからまた弱虫に戻るなんて、そんなの駄目だ。
リーニャは今度こそ逃げない。
そして、彼が来てくれるのを待つばかりでいるのも止める。自分から、大好きな人を見つけだしに行こう。
だんだん日が傾き始めた、午後五時。
「はあ……はあ……こんなところにいた……」
疲れ果てた様子のフェリクスが、リーニャの前に現れた。少し前に見た時よりも、更に顔が険しくなっているような気がする。
「もう絶対逃がさないからね!」
「ひえっ」
やっと会えた、と喜んだのもつかの間。フェリクスの形相にびっくりしたリーニャは、つい悲鳴をあげてしまった。
すると、フェリクスは不機嫌そうに眉をひそめる。
「僕はリーニャのこと、本気で好きなのに……リーニャは違うの?」
「違わない、ですけど……」
でも、今のフェリクスは恐い。どうしたら良いのか分からなくなって、リーニャは兄妹を振り返った。
すると、兄も妹も爽やかな笑顔で、リーニャをフェリクスの前に押し出そうとした。
「ちょ、ちょっと、イザーク兄様もサーシャも、押さないでください!」
「もう逃げないって決めたんだろ? 頑張れ」
「リーニャ姉様、応援してますわよ」
「でも今のフェリクス様はちょっと恐いし……って、ひゃああ!」
兄妹とわちゃわちゃしている間に、フェリクスが目前まで迫っていた。
パニックになったリーニャはぴょこんと飛び上がり、慌てて路地裏へと走る。
けれど、今度はフェリクスの反応の方が良かった。すぐさまリーニャを追いかけ、その腕を掴む。
「リーニャ」
そのまま腕をぐいっと引かれ、リーニャはフェリクスに抱き留められた。
フェリクスはすがりつくようにリーニャの体をぎゅっと強く抱き締め、それから大きく息を吐く。
「やっとつかまえた――僕の花嫁」
温かくて甘い響きを持ったフェリクスの声。
てっきり怒られると思っていたリーニャは思わず顔を上げ、フェリクスの顔をまじまじと見てしまった。
リーニャを見つめるその顔は、夕日に照らされてきらめき、輝いて見えた。柔らかそうな金の髪が、ふわりと風に揺れる。優しく細められた翠の瞳には、リーニャひとりしか映っていない。
どきりと心臓が跳ねた。
春の花のような柔らかな香りがする。
すぐ傍にある熱いくらいの体温。早鐘を打つ胸の音。
「リーニャ、教えて。何が不安なの?」
こつん、と額と額がくっついた。リーニャは頬に熱が集まるのを感じながら、訥々と話す。
「ル、ルアンナ様のことが……」
「ルアンナ? ただの知り合いだけど?」
「あの、でも、フェリクス様は求婚されてました……よね?」
「うん。でもそれはすぐに断ったし、向こうも納得してるよ」
すぐに断っていたのか。でも、それならなぜ。
「じゃあ、なんで雑貨屋さんの前で笑い合っていたんですか……?」
そう、あの現場さえ目撃していなければ、こんなに不安になることもなかったのだ。リーニャはなんだかムカムカしてきて、小さく口を尖らせた。
フェリクスはすねるリーニャに驚いて目を丸くした後、照れ臭そうに頬をかいた。
「リーニャ、それ……嫉妬?」
「ふへっ?」
「うわ、やきもちやくなんて、リーニャ可愛いね!」
嬉しそうに声を弾ませたフェリクスは、にこにこしながらリーニャをぎゅっと抱き締める。
つい釣られて笑顔になりかけたリーニャだったけれど、はっと気付いてまた膨れた。
「ち、違います! そうじゃなくて、私に黙って二人で会ってたでしょう! 隠しごとをされるの、私、嫌です!」
「隠しごと? ……ああ、それはこれのことかな」
フェリクスは上着の内ポケットから、小さな包みを取り出した。そして、それをリーニャの手に乗せる。ピンク色の可愛らしいデザインの包みだった。
「ルアンナと街で会ったのは、一度だけ。これを選ぶ助言をもらうために同伴してもらったんだ。でも、あれをリーニャに見られてたのか……気付かなかったな」
「こ、これは?」
「リーニャへの、誕生日プレゼント」
あの日。フェリクスはリーニャの誕生日プレゼントを探しに、街に出ていたのだという。
けれど、女性へのプレゼントなんてしたことがないから、何か良いのか分からない。そこに偶然通りかかったルアンナに、声をかけられた。
フェリクスの悩みを知ったルアンナは、「舞踏会の日に助けてもらったお礼に」と喜んで協力を申し出てくれたらしい。
「じゃあ、私のために……?」
「リーニャには絶対喜んでもらいたかったから。気に入ってもらえると嬉しいんだけど」
フェリクスが、リーニャの誕生日を覚えていてくれたこと。プレゼントを一生懸命選んでくれたこと。
全部嬉しくて、リーニャは少し泣きそうになった。
「ありがとう、ございます……」
ルアンナは恋敵どころか、むしろ味方だった。
こんなことなら、うじうじ悩まずにもっと早くフェリクスに聞いてみれば良かった。
フェリクスは、ずっとずっとリーニャのことだけを見ていてくれたのだから。
一途に、想い続けていてくれたのだから。
フェリクスからもらった包みを開けてみると、可愛らしいデザインの髪飾りが出てきた。綺麗なレースのリボンがついた髪飾りに、リーニャの顔がぱっと輝く。
フェリクスは目をキラキラさせて喜ぶリーニャに優しく微笑みかけた。
そして、リーニャの髪に髪飾りをつけてくれる。
「似合うよ、リーニャ。すごく可愛い」
フェリクスの指がリーニャの髪に触れる。
リーニャは優しいその手つきにドキドキしながら、頬を染めた。
「……そろそろ戻ろうか。リーニャの兄妹、きっと待ってる」
リーニャは頷いた後、ちょっとだけ勇気を出して、自分からフェリクスの手を握ってみた。すると、フェリクスは自然にその手を握り返してくれる。
どちらからともなく指を絡め、二人の手は恋人繋ぎになった。
夕日が二人の影を長く伸ばす。
仲良く寄り添うその影は、間違いなく恋人同士のものだった。




