34:ツンツン魔術師の花嫁探し(1)
脱獄犯の事件から、数日が経った。
リーニャはところどころ焼けてしまった店の片付けをしながら、空っぽの棚をぼんやりと見つめる。
そこは、ブレンドしたハーブの小瓶を並べていた場所。そこに並んでいた小瓶たちは、脱獄犯によってほとんどが割られ、燃やされてしまった。運良く残った小瓶も、しばらく店が開けられないという理由から、今は撤去している。
壊れてしまったテーブルや椅子。焦げてしまった壁や天井。
何とかしなければならないものが他にもたくさんある。片付けはなかなか終わりそうにない。
「それにしても、リーニャ姉様。あのツンツン魔術師と婚約するって本気ですの?」
リーニャと一緒に片付けをしていた妹サーシャが、可愛らしく小首を傾げた。
「リーニャ姉様とツンツン魔術師が両想いになったのは喜ばしいことですけれど。でも、まだ解決していないことがありますわよ?」
「へ? 解決してないこと、ですか?」
リーニャはきょとんとしながら、サーシャの顔を見つめる。するとサーシャは呆れたように肩をすくめて、指摘した。
「ルアンナ様のことですわよ」
そう言われてみれば、フェリクスとルアンナの関係については、まだ謎のままだった気がする。
でも、フェリクスはリーニャのことを好きだと言ってくれたし、求婚だってしてくれた。甘いキスだっていっぱいしてもらったし、とそこまで考えて、リーニャの頬が熱くなる。
「なんで赤くなってますの? 今は恋敵についての話をしてますのに!」
「えへへ、フェリクス様のことを考えていたら、つい」
「もう、リーニャ姉様ったら! 私は心配してますのよ、これでも!」
サーシャは腰に手を当てて、ぷくっと頬を膨らませた。
「ツンツン魔術師がリーニャ姉様のことを愛しているというのは、全く疑ってませんわ。あの事件の時、ツンツン魔術師はルアンナ様よりもリーニャ姉様のことばかり気にしていたのを、私もこの目で見てますし。ただ……」
「ただ?」
「あの時のツンツン魔術師とルアンナ様のやり取りが、妙に親しげに思えましたの。何か隠しごとでもしているのではないかしら、あの二人」
リーニャは両手で口を覆い、目を丸くした。
一ヶ月ほど前、街で見たフェリクスとルアンナは、楽しそうに笑い合っていた。その時に彼らが一体何をしていたのか、リーニャはまだ何も聞いていない。
フェリクスと両想いになれたのが嬉しくて、聞くのをすっかり忘れていた。
「私、リーニャ姉様には絶対幸せになってもらいたいんですの。だから、ルアンナ様との関係について、きちんと確認してみた方が良いと思いますわ。まだ正式に婚約したわけではないですし、今なら引き返せますわよ」
「ええっ?」
婚約できなくなるくらいなら、ルアンナとの関係なんて確認したくない。見て見ぬふりで放置しておきたい。
でも、それではこの先もずっと不安が残るだろう。どうしよう、困った。
「ああ、そんな悲しそうなお顔をしないでください、リーニャ姉様! 私が考えすぎなだけでしょうし、そんなひどいことにはならないはずですわ!」
サーシャが慌てて慰めてきたけれど、もやもやした気持ちは晴れてくれない。
フェリクスとルアンナ。妹の言う通り、あの二人は何か隠しているのだろうか。
リーニャはうつむき、泣きそうになるのをぐっとこらえた。
と、そこに、兄イザークがやって来た。暗い顔をしている妹たちを見た兄は、片眉を跳ね上げて尋ねてくる。
「どうしたんだ、リーニャ、サーシャ。何かあったのか?」
泣きそうになってぷるぷるしているリーニャに代わって、サーシャが事情を説明してくれた。兄はふむふむと頷きながら話を聞き、うーんとうなる。
「なるほどな、それでリーニャが泣きそうになってるのか。でも、フェリクス様に直接聞けば、すぐに問題解決できるだろ。次に会った時にでも聞いてみれば良い、『ルアンナ様との関係は?』『何か隠しごとはしてる?』って」
「そっ、そんなこと恐くて聞けません! それに……なんか心の狭い女みたいに思われそうです。フェリクス様に嫌われちゃうかも……」
「ぶふっ!」
兄が噴き出した。リーニャは真剣に言っているというのに、なんて失礼な。
「いやいや、それは大丈夫だろ。フェリクス様はリーニャのことを本気で好きみたいだし。でも、そうだな。どうしても不安なら、いっそのこと試してみるか?」
「試す……って、何をですか?」
少しむくれつつリーニャが問うと、兄は楽しいいたずらを思いついたような顔で答えた。
「そりゃあもちろん、フェリクス様の愛を、だよ」
それからまた数日後のこと。リーニャは十九歳の誕生日を迎えた。
今日はフェリクスも仕事を休むことにしたらしく、二人でデートをする約束をしていた。
恋人同士となって初めてのお出掛け。
本当ならもっと気分も浮き立つはずなのだけど、リーニャは今、緊張で身を固くしていた。
少し寒いけれど、気持ち良く晴れた空の下。三兄妹は屋敷の前に仲良く並んで、フェリクスを待つ。
そして、彼がやって来た途端、兄が元気良く言い放った。
「フェリクス様、貴方のリーニャへの愛、確かめさせていただきます!」
「……なに、いきなり」
フェリクスが怪訝な表情で、リーニャの方に視線を向けてきた。リーニャはへにょりと眉を下げ、しょぼんとうつむく。
そんなリーニャをかばうように、妹サーシャが前に出た。
「うちの可愛いリーニャ姉様を手に入れたくば、私とイザーク兄様から奪ってみせろ、なのですわ!」
「いや、わけが分からないんだけど」
フェリクスが半眼になって、呆れ声を出す。まあ、そうだろう。リーニャだっていきなりこんなこと言われたら、同じような反応をすると思う。
兄は、微妙な反応をするフェリクスを気にすることなく、堂々と続ける。
「はっきり言って、今、リーニャはフェリクス様との結婚に不安を抱いています。だから、俺としては貴方の本気度を知っておきたい。リーニャのことを本気で愛しているということを、行動で示してもらいたいんです」
「……ちょっと待って。リーニャ、僕と結婚するのに不安があるの?」
フェリクスが驚いたような顔をして、リーニャに聞いてくる。リーニャは妹の後ろからちょっとだけ顔を出して、黙ってこくりと頷いてみせた。
「え、嘘! 何が不安なの? 僕の気持ちを疑ってるの?」
「はいはい、そこまでですわよ! とにかくリーニャ姉様を安心させるためにも、私たち兄妹からひとつ試練を与えますわ!」
サーシャが得意げに胸を反らし、空色の髪をさらりと揺らす。
「今から王都の街へ行きます。そして、リーニャ姉様には全力で王都中を逃げ回っていただきますわ。ツンツン魔術師、貴方にはその逃げるリーニャ姉様を日暮れまでに捕まえてみせてほしいんですの」
「ああ、もちろん魔法を使わない、という条件付きでお願いします」
妹の言葉を兄が補足した。フェリクスはというと呆気にとられた顔をしている。
王都の街は広い。魔法を使わずに一人の人間を探して捕まえるのは、かなり難しいだろう。でも、本気でリーニャを愛しているならできるはず、と兄と妹は目を輝かせながら言う。
「……正直、そんなことで本気度も愛も分かるわけないと思うけど」
フェリクスが遠い目をしながら、ため息をつく。
けれど、次の瞬間には覚悟を決めたようだった。
「まあ、受けて立つよ。魔法なしでリーニャを捕まえれば良いんだよね。僕の本気、見せてあげる」




