3:ここはハーブティーのお店(3)
突然の求婚に、リーニャは固まってしまった。
子爵家の娘として生きてきて十八年。そんなこと、初めて言われた。
だって、縁談なんて一度も来たことがなかったし。
そもそもリーニャの家は貧乏なのだ。兄や妹とともにこの店で働き、お金を稼がないと生きていけないくらいのレベルで。
だから、普通の貴族からはあまり相手にしてもらえない。
まあ貧乏でも容姿が整っていたり、愛想が良かったりすれば、良い縁談が来るのだろうけど。
あいにくリーニャにはそういったものもなかった。
「な、なんで私なんかに……え、結婚詐欺……?」
「そんなわけないでしょ」
「だ、だって、貴方みたいに見目麗しい貴族の男性が私に結婚を申し込むなんて、おかしいです! しかも、会ってすぐですよ、すぐ!」
そうだ。これはもう結婚詐欺に決まっている。
リーニャの対人能力が低いことを見抜いて、その上でだまそうとしているのだ。
そうとしか思えない。
だから、リーニャはぷるぷる震えながらも断りの言葉を口にした。
「詐欺になんて、引っ掛かりませんよ! け、結婚なんて、お断りです!」
その瞬間、フェリクスは翠の瞳を丸くして、うるうると潤ませた。そして、きゅっと口元を引き結ぶと、そのままうつむいてしまう。
ふわりと金色の髪が揺れ、彼の顔を隠した。
痛いくらいの静寂が店内に満ちていく。
「え、あの、大丈夫ですか……?」
遠慮がちにかけたリーニャの声にも、フェリクスは反応してくれなかった。
彼は深くうなだれたまま、ぴくりともしない。
(えええ、本気で落ち込んでいるみたいです! え、え、どうしたら……)
天使がここまでしょんぼりしているのを見るのは、心が痛い。というか、こんなに落ち込むとは思わなかった。
リーニャは妙な焦りを感じて、おろおろと店内を見回す。
ぱっと目に飛び込んできたのは、棚に並べてある小瓶たち。その中にはハーブティー用にブレンドしたハーブが入っている。
とりあえずそのうちのひとつを手に取り、リーニャはこくりと頷いた。
(落ち込んだ時には、気分転換できるこのブレンド!)
オレンジとペパーミント、それにレモングラス。この三種類のハーブをベースに、ゴツゴーラとレモンマートルを加えた特製ブレンド。
シトラスとミントの香りが心と体をリフレッシュしてくれる、リーニャのお気に入りのハーブティーだ。
リーニャは水を入れたポットを火にかけ、ティーポットとティーカップを準備した。
ティーポットとカップは、ハーブティーの色や、葉や花が広がる様子を楽しめるガラス製。銅や鉄などの金属製のポットは金属の成分がハーブティーと反応してしまうので、使わないようにしている。
しばらくして、ポットがコポコポと明るい音を響かせた。中のお湯が沸いているのを確認すると、そのお湯でティーポットを温める。
ティーポットが温まったら中のお湯を捨て、小瓶からブレンドしたハーブを大さじすりきり一杯分入れる。それから、その中へ熱湯を注ぎこんだ。
お湯を注いだ後はすぐティーポットにふたをして抽出を始める。ふわりとオレンジ、レモン、ミントの爽やかな香りが辺りに広がった。
この爽やかな香りが、落ち込んでしまったフェリクスの心を慰めてくれると良いのだけど。
リーニャはカウンター席に座るフェリクスをちらりと盗み見る。
フェリクスは顔を上げ、リーニャの手元にあるティーポットを見つめていた。
「……良い匂いがする。これ、何のお茶?」
「元気が出る、ハーブティーです」
「元気……?」
ハーブティーの抽出時間は、花や葉の部分なら三分ほど。実や種の部分なら五分ほどが目安となる。
リーニャはキラキラと光る砂の入った砂時計で時間を計りながら、その間にティーカップをお湯で温めた。
さらりと砂が落ちきったのを見計らって、ティーカップからお湯を捨てる。そして、できあがったばかりのハーブティーをティーポットからゆっくりと注いでいく。
ティーカップの中で、綺麗な黄色のお茶がゆらゆらとその水面を揺らした。
リーニャはそのハーブティーを、フェリクスの目の前にそっと置く。
「このハーブティーには、オレンジ、ペパーミント、レモングラスといった爽やかな香りで元気をくれるハーブを使っています。それに加えて、ゴツゴーラという記憶力や集中力を高め、頭をすっきりさせてくれるハーブも入れてあります。だからきっと、落ち込んだ気分も晴れるし、すっきりすると思います……」
フェリクスを落ち込ませたのが自分であることは、まあ置いておくとして。リーニャは、フェリクスが元気になってくれますように、と心の中で念じた。
その思いが届いたのか、心なしかフェリクスの表情が和らぐ。
「ん、ありがと」
フェリクスの指がティーカップへと伸びる。そして、フェリクスはゆっくりとハーブティーを口にした。形の良い唇が透明なティーカップに当たるのを見て、リーニャはついドキドキしてしまう。
フェリクスがハーブティーを飲む姿は、どこか完璧な貴族を思わせた。もちろん彼は伯爵家の令息であり、本物の貴族なのだから当然といえば当然なのだけど。
なんというか、絵になる。この店が高貴な場所だと錯覚しそうになるくらい。
「本当に、良い匂い。それに、おいしい」
へにゃりとフェリクスが笑った。その笑顔は不意打ちで、リーニャの心臓が大袈裟に飛び跳ねてしまう。
(こ、この天使は見ていると心臓に悪いですね! こんな人の傍にいたら、身が持ちませんよ!)
ドキドキとうるさい胸に手を当てて、ぎゅっと目をつむる。これ、人見知りじゃなかったとしてもドキドキしてしまうのではないだろうか。
と、ここまで考えて、はっと気付く。
(もしかして、フェリクス様が花嫁さん探しで苦戦している一因がそこにあるのでは……? その天使すぎる見た目が、女性を遠ざけているとか……?)
そうだとすれば、美形すぎるのも良いことばかりではないのかもしれない。なんだか急にこの天使が不憫に思えてきた。
今のままではきっと、彼は十八歳になるまでに花嫁なんて見つけられないだろう。
ここはあくまでもハーブティーのお店であり、彼の思っているような「願いを叶えてくれるお店」ではないけれど。
少しだけなら、彼に協力してあげても良い気がしてきた。
「あ、あの、フェリクス様」
「なに?」
「わ、私、フェリクス様の花嫁さんを探すの、手伝います!」
リーニャは勇気を出してそう言ってみた。すると、フェリクスがハーブティーを飲む手を止め、ぽかんと口を開けてこちらを凝視してきた。
「……僕の花嫁になってくれるの?」
「いえ、そうではなくて! フェリクス様にお似合いの女性をお探しして、ご紹介できたら、と!」
この店には、たまに貴族の女性も来るし、情報屋並みの噂好きの奥様も多い。だからきっと良い人が見つかるはずだ。
リーニャは両手をぐっと握って「任せてください!」と付け加えた。
フェリクスは少し悩むそぶりを見せたけれど、こくりと静かに頷いた。
「うん……じゃあ、お願いしようかな?」




