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29:諦めたくない(2)

 リーニャのおすすめハーブティーを飲み終えたルアンナが、にこりと微笑みかけてくる。


「こんなにおいしくて、心も体もぽかぽかになるハーブティーは初めてですわ。店長さんは、とても素晴らしい才能をお持ちなのね」

「へ……? あ、いえ、店長は私じゃなくて、あの、私の兄なんです。今は、その、雑貨屋さんに行ってて留守なんですけど……」

「あら、そうでしたのね! やだ、私ったら」


 ふふふ、と照れたように笑うその姿は、とても可愛らしかった。フェリクスを取り合う恋敵でなければ、お友だちになってほしいくらいの可愛らしさだった。まるで花の妖精さんみたい。

 そんな可憐なルアンナは、ふと顔を上げてリーニャを見つめてくる。


「あなたのお名前を聞いてもよろしいかしら?」

「わ、私の?」

「そう、あなたの。……私、あなたのハーブティーのファンになってしまったのよ」


 この子、すごく良い子だ。間違いない。

 リーニャは「ファン」という言葉に舞い上がってしまった。


「私、リーニャって言います! よろしくお願いします!」

「ふふ、こちらこそ。……やっぱり、あなたがリーニャ様だったのですわね」

「え、やっぱりって……?」


 ルアンナの思いがけない一言に、きょとんと目を瞬かせた――その時。


 店の入口で大きな音がしたかと思うと、乱暴に扉が開けられた。ドアベルが悲鳴をあげるかのように荒々しい音を立てる。

 店内にいた数名のお客様が、何事かと一斉に入口に注目した。


 サーシャやルアンナ、もちろんリーニャも、みんなと同じ方向へと目を向ける。


「ひっ……」


 誰かの小さな叫びが聞こえた。


 入口に立っていたのは、黒いフードを目深にかぶった怪しげな男だった。その男はギラギラとした目で店内を舐めるように眺める。そして、ひとりの少女に目を止め、にやりと口の端を引き上げた。


 男の標的になったのは、ルアンナだった。目と目が合ってしまったようで、ルアンナの表情が一気に青ざめる。


「嘘……なぜ……」


 ルアンナが震える声で呟き、両手で口を覆った。


 入口に立つ男は、喉を鳴らすようなくぐもった笑い方をして、ゆっくりと店内に侵入してくる。体格はひょろひょろしていてまるで強そうには見えないけれど、とにかく不気味で怪しかった。


 お客様に何かあってからでは遅い。なんとか穏便に、この男には帰ってもらわなくては。

 そう思って、リーニャは震えながらも一歩踏み出そうとした時。


「お客様、申し訳ないのですが、今日はもう閉店するところなんです」


 リーニャより先に、妹サーシャが動いた。営業スマイルを浮かべたまま、怪しい男からルアンナを守るように割り込む。


「また後日、改めてご来店を……きゃあ!」


 男はサーシャを突き飛ばし、荒い息を吐いた。サーシャはバランスを崩し、その場でしりもちをつく。


「ちょっと、お客様」

「黙れ……黙れ、黙れ!」


 ガンッと店内に大きな音が響く。男がすぐ傍のテーブルを蹴り上げたのだ。

 テーブルの上に乗っていたティーカップが床に落ちて、派手に割れる。


「どいつもこいつも、俺の邪魔ばかりしやがって!」


 しりもちをついたサーシャの隣にあった椅子を、男が力任せに引き倒した。また派手な音が、店中に響き渡る。

 サーシャが両手で耳を塞ぎ、泣きそうな声で叫んだ。


(サーシャが危ないです!)


 リーニャは妹を守るため、とっさに飛び出していこうとした。けれど、そんなリーニャの手がぐいっと引かれる。驚いて振り返ると、ルアンナが大きな瞳を潤ませて、何度も首を振っていた。


「あの男、ずっと私につきまとっていた王宮魔術師なの。どんな魔法を使ってくるか分からない……危険ですわ」


 ルアンナにつきまとっていた王宮魔術師、と聞いて、リーニャは思い出した。

 あの舞踏会の日に騒ぎを起こした、あの男のことを。

 そうか、この男はあの時の――。


「でも、どうしてあの男がこんなところに。おかしいですわ、あの男は確かに捕らえられて、城の牢にいれられたはず……」


 青ざめてがたがた震え始めたルアンナの肩に、リーニャはそっと手を添えた。その肩はまだ小さくて、リーニャよりも幼かった。

 この子をまた、あの舞踏会の日と同じ恐怖に陥れるなんて、絶対に駄目だ。


 リーニャはぷるぷると震えながらも、ルアンナをかばうように立って、男を見据えた。

 男は気に入らないとばかりに、また近くのテーブルを蹴る。


「どけろ、小娘」


 低くくぐもったような男の声。リーニャはびくっと身をすくませたけれど、ここで退くわけにはいかないと、ぶんぶん首を振った。


「どけろって言ってるのが分からないのか!」


 男が手を振り上げる。殴られると思って、反射的に目をつむった。

 けれど、予想に反して男は殴ってこなかった。代わりに、店の棚に並ぶガラスの小瓶に魔法を放つ。


 耳に突き刺さるようなひどい音が連続して響き渡った。ブレンドしたハーブを入れた小瓶が次から次へと割られ、中身が床に飛び散っていく。

 その様子を見た他のお客様が、悲鳴をあげながら店の隅へと逃げていった。


(恐い、恐い……イザーク兄様、助けてください……)


 リーニャはルアンナを背中にかばったまま、がたがたと震え続けていた。


 舞踏会での騒ぎの時は、第三者の立場で見物していただけだったので分からなかったけれど。

 当事者になると、こんなにも恐怖を覚えるものなのか。


 手や足の先が冷たい。息が上手く吸えない。


 どうにかして、外に助けを求められないだろうか。せめて雑貨屋にいるはずの兄を呼び戻せたら。

 リーニャとサーシャだけで全てを守るなんて無理だ。


「ルアンナ、こっちへ来い。やっと見つけたんだ……もう逃がさない」


 男が低く笑いながら、また一歩近付いてくる。ルアンナが「ひっ」と小さく悲鳴をあげ、逃げようと腰を浮かせた。


「逃がすか!」


 男の手がまた振り上げられ、小瓶がいくつも宙を舞う。小瓶はそのまま床に叩きつけられ、耳が痛くなるような音を立てて割れた。

 男はそれだけでは満足しなかったようで、今度は床に散らばったハーブに魔法で火を放つ。


「あ……!」


 床に落ちてしまったハーブはもうハーブティーとしては使えない。でも、ポプリや植物の肥料として使うことはできる。こんな風に燃やされるなんて、納得がいかない。


(助けて、イザーク兄様! 早く……)


 リーニャの目の前で、大好きなハーブが灰になっていく。炎はどんどん広がって、店内のものを飲み込み始めた。

 テーブルが、椅子が、カーテンが、赤い炎に包まれる。

 店内にぶわりと熱気が満ちていく。


 リーニャはぎゅっと目をつむり、心の中で叫んだ。


(このままでは、私の大好きなお店もハーブもなくなっちゃいます! お願い……誰か、誰か助けて!)

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