28:諦めたくない(1)
二月になった。最近は晴れた日が続いているけれど、気温もまだまだ低く、寒さに震えることが多い。冷たい風に身を縮こまらせ、足早に去る街の人をよく見かける。
リーニャたちの店には、この寒い中でもやって来てくれるお客様が結構いる。そのおかげで、なんとか順調に営業できていた。
体がぽかぽかになるハーブティーをおすすめして、それを飲んだお客様の笑顔を見られるとすごく嬉しくなる。
「はい、サーシャ。これはあちらの女性のお客様に」
冷え性で悩んでいるという女性に、シナモン、ジンジャー、ネトルのブレンドティーを出す。これは血行を促進するスパイシーなハーブティーだ。
サーシャはにこりと微笑み、リーニャの入れたお茶を運んでくれた。
(とりあえず、今来てくださっているお客様の分は、これで終わりです!)
リーニャはほっと息を吐くと、スカートのポケットに忍ばせた手紙にそっと触れた。
そう、これはフェリクスからの手紙だ。
会いたいという旨を記したリーニャの手紙は、無事にフェリクスの元に辿り着いたらしい。彼からはすぐに返事が返ってきた。
仕事が忙しくてなかなか時間が取れそうにないけれど、二月の半ば頃には休みがもらえそう。だから、その時にゆっくり会いたい。そんな感じの内容だった。
(フェリクス様、今頃何をなさっているのでしょうか……。お仕事で危険な目に遭ったりしてなければ良いのですけど……)
そんな風に思いながら、窓の外を眺める。ひゅうひゅうと強めの風がガラスを揺らして音を立てていた。こんな寒い中、王都警邏隊の人たちは街の巡回をしているのだろうか。
と、ここでふと暗い考えが頭の中をよぎる。
実は仕事ではなく、ルアンナとデートしているのではないだろうか。
(いえいえ、脱獄犯がまだ捕まってないみたいですし、そんな暇はないですよね!)
そう思いつつも、だんだん不安になってくる。
大体、今度会う約束をしてもらえたからといって、前に進んでいるとは限らないのだ。
当然だけど、フェリクスがルアンナと笑い合っていた事実が消えてなくなったわけではない。あくまで現状維持のままなのだ。
「……はあ……」
ため息が漏れてしまう。
再会するのは楽しみだけど、ほんの少し恐い。「ルアンナと結婚することにしたから」とか「口説くって言ったの、撤回させて」とか言われたらどうしよう。
母のように諦めず、そこから大逆転ができるだろうか。
リーニャはへにょりと眉を下げて、スカートのポケットからフェリクスの手紙を引っぱり出す。そして、その手紙を両手で大切に持ってじっと見つめた後、ぎゅっと胸に抱く。
「フェリクス様……」
ぽつりとそう独り言をこぼしたその時、ドアベルが明るい音を鳴らした。
サーシャの「いらっしゃいませ!」という愛らしい声が店内に響く。リーニャは何気なく、入口に目を遣った。
入口に立つその少女の姿を見た瞬間、リーニャはぴたりと動きを止め、目を見開く。
可愛らしく揺れる、くるくると巻かれた薄紅色の髪。大きな瞳、長い睫毛、ぷっくりと艶やかな桜色の唇。
そう、その少女は侯爵家のご令嬢ルアンナだった。
ルアンナは興味深そうに店内を見回した後、護衛であろう騎士に外で待機するように命じた。それから、リーニャをまっすぐに見て、ふわりと微笑んでみせる。
微笑みを浮かべたルアンナは、鈴を転がすような可愛らしい声で尋ねてきた。
「願いを叶えてくれるお店って、ここですか?」
「あ……いえ、あの……」
上手く言葉が出てこなくて、リーニャは焦る。というか、なんでサーシャではなくリーニャに聞いてくるのだろう。別に知り合いでもなんでもないはずなのに。
(あわわ、無理、無理です!)
リーニャは涙目でしゃがみ込んで、カウンターの後ろで身を縮こまらせた。胸に抱いたままだったフェリクスからの手紙が、くしゃりと音を立てる。
リーニャの異変に気付いたサーシャが、代わりにルアンナの対応をし始めた。
「お客様、こちらの窓際のテーブルへどうぞ」
「ありがとう。でも私、カウンター席に座りたいですわ……駄目かしら」
「駄目ではないのですが……少々お待ちくださいね」
ぱたぱたと軽い足音を立てて、サーシャがやって来る。そして、しゃがみ込んで震えるリーニャを気遣わしげに見つめた。
「リーニャ姉様、どうしたんですの? 具合が悪いなら、店の奥に……」
「い、いえ。大丈夫です。が、がが、頑張ります」
ちょっと皺になってしまった手紙をポケットにしまいながら、リーニャは顔を上げた。
こんなことで逃げていたら、いつまで経ってもリーニャは弱いままだ。
今こそ、強くならなくては。
どくどくと鳴る心臓の音を気にしないようにしながら、ぺちりと自分の両頬を叩く。それから、すくっと立ち上がって、まっすぐにルアンナを見た。
「お、お客様、カウンターにどうぞ」
「ああ、良かったですわ! ありがとうございます!」
ルアンナはぱっと明るい笑みを浮かべ、リーニャの目の前に座る。そして再び、同じ問いを口にした。
「このお店が、願いを叶えてくれるお店で間違いないですわよね?」
「え、えっと、そう呼ばれることもあるんですけど、本当は違うんです。こっ、ここは単なるハーブティーのお店で……」
リーニャが震える声で答えると、ルアンナは少し困ったように微笑んだ。
「あら、そうなんですの? ……あ、でも、私、ハーブティーは大好きですわ。せっかくなので、おすすめをいただいても良いかしら」
「へ? ……は、はい、もちろんです!」
リーニャは体がぽかぽかになるハーブティーを入れ、ルアンナの前に出した。ルアンナは貴族令嬢のお手本であるかのような上品な仕草で、ティーカップを口に運ぶ。
こくりと一口飲むと、ルアンナの顔がぱっと輝いた。
「わあ、このハーブティー、すごくおいしいですわ! 体の芯からぽかぽかになりますわね!」
「あ、ありがとう、ございます……」
初めて面と向かって話をしたけれど、このルアンナというご令嬢は、とても明るくて良い子な気がする。
身分は格段にルアンナの方が上だというのに、上から目線になるわけでもなく、こちらを尊重した態度で接してくれる。
明るくて、可愛くて、優しい心を持った理想的な貴族令嬢。
こんなご令嬢とフェリクスを奪い合えというのか。なんて無謀な。
せめて嫌味な人だったら良かったのに。
それなら、自分の方がフェリクスにふさわしいと主張しやすかったのに。
(どうしましょう、やっぱり自信がなくなってきました。でも……)
足が震える。背中にはずっと冷や汗をかいている。
逃げたい。けれど、ギリギリでリーニャは踏みとどまる。
フェリクスのことを好きなこの気持ちだけは、絶対に負けないから。
深呼吸をして、またポケットの中にあるフェリクスからの手紙に触れる。
これは、お守り。フェリクスとリーニャを繋いでくれる、大切な宝物。
(フェリクス様に好きだって伝えたいんです。だから……こんなところでくじけたりなんかしませんよ!)
血液を綺麗にしてくれるネトル。和名はセイヨウイラクサ。
すごくトゲトゲしているハーブです。これ、花粉症にも効くらしいですよ♪
わわ、またブックマークが増えてる! すごく嬉しいです♪
優しいみなさまに読んでもらえて、とっても幸せです!
本当にありがとうございます!




