27:冷たい雨(5)
その日の夜は久しぶりに、家族全員が揃って夕食を囲むことになった。
食事を作ってくれる使用人なんていないので、料理は父と兄が作ってくれた。
残念ながら、こういう時母は役に立たない。決して料理ができないわけではないのだけど、とにかく材料費が高くついてしまうタイプなのだ。
その点、父と兄は安くておいしいものを作るのに長けている。今日は鶏肉が安く買えたから、と言って、にこにこしながら食卓に料理を並べていた。
鶏ひき肉で作ったミートボールのヨーグルト煮。鶏ささみで野菜やキノコを巻いた野菜巻き。バターを加えてクリーミーに仕上げたかぼちゃのスープ。それに、ふんわりと焼けた、兄特製のパンが一緒に並ぶ。
「そういえば、そろそろリーニャの誕生日ね」
母がスープを口にしつつ、リーニャの顔を見た。リーニャはミートボールをもぐもぐしながら、こくりと頷く。
そう、リーニャの誕生日は二月。もうすぐ十九歳になる。
「本当は誕生日を一緒にお祝いしてあげたいんだけど、領地の方も今ちょっと大変で……父様と母様は、すぐにでもそっちに戻らないといけないのよねえ」
「え? 父様も母様もお忙しいのですか? じゃあ、なんで今日、ここに?」
「それは可愛い息子イザークと可愛い娘サーシャが、私たちを呼んだからよ」
リーニャが目をぱちぱちと瞬かせつつ兄と妹の方を見ると、兄も妹もふいっと視線を逸らす。
母はそんな子どもたちを温かい目で見つめた。
「リーニャが笑わなくなった、どうしたら良いのか分からない、助けて、ってお手紙をくれたの。それはそれは驚いたわ。しっかり者の二人が揃って慌てたような文章を書いてくるんだもの。父様なんて、手紙を見た瞬間、飛び出していこうとしたのよ」
「イザーク兄様とサーシャが……それに、父様まで」
リーニャはずいぶんと家族に心配をかけてしまっていたらしい。
あの雨の日から辛くて苦しかったのは、リーニャだけではなかったのだ。リーニャを見守る兄と妹も、きっと、ずっと、苦しかったのだ。
「心配をおかけしました。もう大丈夫です、私はとっても元気になりました!」
兄と妹に笑いかけると、二人とも横目でリーニャをちらりと見て、それからほっと息を吐いた。
「良かった。リーニャがまた笑顔を見せてくれて」
「やっぱり、リーニャ姉様は笑っているのが一番ですわ!」
温かな兄妹の言葉が嬉しくて、リーニャはまたへにゃりと笑ってみせた。
夕食を終え、家族水入らずで団らんをする。いつも兄妹三人だけで過ごしている居間は、物があまりないこともあって、いつもどこか寂しい。けれど、今日は両親がいてくれるおかげで、やけに賑やかで楽しげな空間に見えてくる。
「さて、リーニャに笑顔が戻って安心したわね。でもまだ問題は解決していないわ……そう、リーニャの恋を成就させる作戦を考えないと!」
母がキラキラした瞳で家族を見回す。兄も妹もうんうん頷き、リーニャをじっと見つめてきた。
ただひとり、父だけは微妙な顔で両手を組み、それを額に当ててうつむいている。
「父様、どうかしましたか?」
「……いや、人見知りのリーニャは、嫁に行かずにずっと傍にいてくれるものとばかり思っていたから……ううっ」
「やだ、父様ったら泣いてますわ」
妹サーシャが父の顔を覗き込み、呆れたように首を振る。母も眉を下げ、頬に手を添えてため息をついた。
「ここ数日、父様はよく眠れていないから情緒不安定なのよ。困ったものよね」
「あ、それなら私、不眠に効くハーブティーをお入れします!」
「まあ、嬉しいわ! リーニャのハーブティーは本当によく効くものね。母様も飲みたいわ」
「もちろんです! みんなの分を入れますね!」
リーニャは台所へ行き、ガラス製のティーポットとティーカップを取り出した。それから心地良い睡眠へと誘ってくれるハーブを並べていく。
リラックスさせてくれるジャーマンカモミール。気分が昂ぶっているのを落ち着かせてくれるパッションフラワー。心身を緊張から解き放ってくれるリンデン。
この三つをベースにブレンドする。
おまけに少しだけ、不眠薬としても使われるバレリアンと、不安定な心を落ち着かせるレモンバームも加えておく。
コポコポとお湯が沸いたら、リーニャは慣れた手つきでブレンドしたハーブをティーポットに入れ、お湯を注いだ。ふわりと甘く爽やかな緑の香りが広がっていく。
抽出が終わったらティーカップに丁寧にハーブティーを注ぐ。輝くような黄色のお茶が出来あがり、リーニャはふにゃりと笑った。
「質の良い眠りで、心も体も癒されますように」
温かなハーブティーを家族に出すと、みんなにこにこしながら飲んでくれた。
まあ、父だけは少し寂しそうな笑みだったけど。
「リーニャは本当にハーブティーを入れるのが上手になったなあ。うう、嫁にやりたくない……。いつまでも傍にいてほしい……」
「父様、あの、まだ嫁に行くと決まったわけではないですよ? これから頑張ろうとしているところですし」
「こんなに可愛いリーニャを振る男なんているわけないだろう……! ああ、寂しい……」
母もかなりの親バカだと思っていたけれど、どうやら父もそれに負けないくらいの親バカだったらしい。リーニャが世界一可愛いと信じ込んでいる。
あまりにも哀れな父に、母が「仕方ないわねえ」と言いつつ寄り添った。
「ところで、フェリクス様にどうやってアピールするつもりなんだ? 詰め所まで会いに行くのか、それとも伯爵家まで行ってみるのか……どうするんだ?」
兄に聞かれ、リーニャはうーんと考え込んだ。仕事の邪魔はしたくないし、かといって家に押しかけるのも気が引ける。
と、そこにサーシャが割り込んできた。
「今日店のお客様から聞いたんですけど、王都警邏隊は今、大忙しらしいですわよ。なんでも城の牢から逃げた人が、王都の街にいるんじゃないかって言われているみたいで。脱獄犯……っていうんですの? その人を捕まえるために休日返上で働いているそうですわ」
「え、そうなんですか?」
「あのツンツン魔術師も、きっと働き詰めだと思いますわ」
なんてこと。せっかくこれから頑張ろうというところなのに、フェリクスに会えそうにないとは。
あまりのタイミングの悪さに、リーニャは頭を抱える。
「それなら、手紙を書いたら良いんじゃないか?」
兄が名案を思いついたとばかりに膝を打つ。
すると、サーシャが「まあ!」と頬を染めてぴょんと飛び跳ねた。
「イザーク兄様、それって恋文ってことですの? きゃあ! 甘酸っぱいですわね!」
「こ、こここ、恋文ですかっ?」
ばふっと顔に熱が集まった。
どうしよう、何を書いたら良いんだろう。「好き」とか「愛してます」とか、そういう感じのことを書くのか。
それを読んだフェリクスは、どんな顔をするんだろう。見当もつかない。
「むむむ、無理です! 恥ずかしいです! あああ、でも頑張るって決めたし、書いた方が良いのでしょうか……でも、でも、恥ずかしいです!」
あまりの恥ずかしさに、リーニャはソファの陰に隠れ、小さくうずくまった。そんなリーニャの肩を、困り顔をした兄がぽんと叩いてくる。
「……いや、まずは会ってもらえるように、打診をするところからで良くないか?」
「……それも、そうですね」
翌日。
リーニャは兄の助言通りに手紙を書いた。
フェリクスと会えますように、と祈りを捧げながら――。
精神を鎮める作用のあるパッションフラワー。和名はチャボトケイソウ。
これ、「時計草」というだけあって、本当に時計みたいなお花なのです……♪
わわ、ここ数日の間にブックマークとお星さまが増えてる!
すごくすごく嬉しいです! 元気が出ます!
いつも本当にありがとうございます♪




