22:恋する舞踏会(4)
そこに立っていたのはフェリクスだった。
うずくまったままのリーニャを心配そうな瞳で見つめ、気遣うように手を差し伸べてくる。
「待っててって言ったのに、会場にいなかったから焦った。ごめん、ひとりにして。恐かったよね」
リーニャは黙ってふるふると首を振った。フェリクスの顔をそれ以上見ていられなくて、視線を逸らす。
「髪もほどけちゃってる。これじゃあもう舞踏会どころじゃないね。今日はもう帰ろうか」
フェリクスの声はとても優しかった。リーニャはこくりと頷く。
言葉は何も出てこなかった。
下手に喋ると変なことを言ってしまいそうで、恐かった。
フェリクスがリーニャの手を取ろうとして、一瞬止まる。
そして、リーニャの手に握られているリボンを指さした。
「貸して。結んであげるから」
リボンを渡すと、フェリクスは少し苦戦しながらも、リーニャの髪を軽くまとめてくれた。
きゅっとリボンを結ぶ音が聞こえる。
それからフェリクスは、リーニャの手を取って立ち上がらせてくれた。
不意に目が合う。フェリクスが照れ臭そうに、はにかんだ。
「もう大丈夫だよ」
彼はリーニャの手を引いて歩きだした。リーニャはただ、それについていくだけ。
視線を落とし、フェリクスの靴を見つめながら、のろのろと足を動かす。
きっと、こうして手を繋いで歩くのは最後になるだろう。温かなこの手は、これからはルアンナに差し出されることになる。寂しいけれど、彼の幸せを思えば、それが一番良いことなのだ。
リーニャはこの手の温もりを忘れないように、心に刻み込んでおくことしかできない。
ずっと、こうして二人で歩いていたかった。
でも、すぐに馬車に辿り着いてしまう。その馬車に乗り込むと、自然と手は離れていった。
夜の街を馬車が走りだす。小さな窓から、リーニャは外の景色を眺めた。
王都の街中は、夜でも比較的明るい。すぐ傍の建物の中からは橙色の優しい光が漏れている。少し視線を遠くにやると、通りを照らす街灯がぽつぽつと白く並んでいるのが見えた。
城で見た時と同じように、空には綺麗な星がたくさん散らばっている。
けれど、不思議なことにその輝きはずいぶんと鈍っているように思えた。街の明かりが、星の光を邪魔しているのかもしれない。リーニャはぼんやりと、そんなことを考える。
「……リーニャ」
向かい側に座っているフェリクスが、小さな声で呼び掛けてきた。
「なんで、ずっと黙ってるの? ……もしかして、僕が置いていったこと、怒ってる?」
彼は形の良い眉を下げ、上目遣いでリーニャを窺ってくる。その顔はなんだかとても情けなくて、子どもみたいに幼く見えた。
城でトラブルを解決した時の、大人っぽくてかっこよかった姿とは全然違う。
リーニャはふるふると首を振り、なんとか言葉を絞り出した。
「……怒ってなんか、いないです。フェリクス様は、とても立派でした」
「なら、なんでずっとそんな顔してるの? 僕がリーニャを置いていく前までは、楽しそうに笑っていてくれたのに……」
「それは」
それは、フェリクスに素敵な花嫁さんが見つかったから。
その人は、リーニャなんかじゃ太刀打ちできないくらいの、素晴らしい女性だから。
フェリクスはその人を選んだ方が、幸せになれるはずだから。
そう言おうとして、でも何も言葉は出てきてくれなくて、結局リーニャは口をつぐんだ。
リーニャは彼のことが好きだけど。本当に大好きだけど。
でも、だからこそ、この気持ちは捨てないといけない。
これ以上、彼の傍にいたいなんてわがままを言って、彼を惑わせるわけにはいかない。
唇を噛み、視線を下に落とす。
馬車が走り続ける音だけが、二人の間に落ちた。
「……僕は」
フェリクスが独り言のように小さく呟き、視線を彷徨わせる。
「僕は、リーニャのことが好きだよ」
びくりと体が震えた。フェリクスの言葉は確かにリーニャの耳に届き、熱を持って胸の奥へと落ちてくる。かっと全身が熱くなるのが分かり、リーニャは思わず胸に手を当てた。心臓がどくどくと鳴っている。
恐る恐るフェリクスの顔を見上げると、彼は頬を赤く染め、真剣な顔でリーニャを見つめていた。
「リーニャのことが好き。だから、僕と結婚」
「駄目です!」
フェリクスの言葉を遮るように、リーニャは叫んだ。
「私、さっき見てたんです。侯爵家のルアンナ様が、フェリクス様の花嫁になるんですよね? ルアンナ様はとてもお可愛らしい方でした。フェリクス様にとてもお似合いの方でした」
「見てたの、あれ……。でも、それなら」
「フェリクス様はルアンナ様を花嫁さんとして迎えるべきです。私みたいな人見知りの貧乏令嬢なんかで妥協しては駄目ですよ」
そう、妥協してほしくない。フェリクスは幸せになるべき人だから。
リーニャは精一杯年上ぶって、言い聞かせるように続ける。
「フェリクス様はいずれ、お父様の跡を継いで伯爵となられるのですよね。一時の気の迷いで、伴侶を選んではいけませんよ」
ああ、胸の奥が痛い。自分で言った言葉に傷つくなんて馬鹿みたいだけど、止められない。
「私は、フェリクス様の花嫁にはなれません」
フェリクスが翠の瞳を大きく見開き、唇を噛んだ。悔しそうに視線を落とし、膝の上に乗せていた拳を固く握る。その拳は力を込めすぎたせいか、小さく震えていた。
そうしている内にリーニャの屋敷に到着したようで、馬車は少しずつスピードを落としていき、ゆっくりと止まった。
「ごめんなさい。どうか、ルアンナ様とお幸せに」
リーニャは祈るようにそう言って、馬車から降りようとした。
けれど、フェリクスに手を掴まれ、引き止められる。
驚いて振り返ると、フェリクスの暗く沈んだような顔が見えて、ひやりと背筋が凍る思いがした。
「……僕が、十八歳の誕生日までに花嫁を見つけなければならない理由、知ってる?」
リーニャは突然の問いに呆然としながらも、首を振った。
そういえば、なぜ彼はそんなに結婚を焦る必要があるのだろう。あと十年くらい独身でも問題なさそうなのに。
「僕の親はとても心配性でね。僕が王都警邏隊で働いていることをあまり良く思ってないんだ。危険と隣り合わせだし、さっさと辞めて家を継いでほしいって言われてる。でも、早く僕が結婚して、子どもができれば……もう少しだけ、自由にして良いって」
フェリクスの瞳に、強い光が宿る。
「僕は王都警邏隊を辞めたくないって、ずっと思ってきた。警邏隊の仕事、本当に楽しいからね。……だから、とりあえず誰でも良いから結婚相手を探せば良いって、そう思ってた。でも、今は違う。相手は、誰でも良いわけじゃない」
ぎゅっと一度リーニャの手を強く握った後、フェリクスはその手を離した。
そして、どこか不敵に笑ってみせる。
「今は、リーニャの気持ちを尊重して、引いてあげる。でも、覚えておいて。僕は諦めない。王都警邏隊を辞めることになっても構うもんか。長期戦の覚悟で、僕は君を口説くことにする」
わわ、お星さまをもらっていたことに、さっき気付きました……!
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