20:恋する舞踏会(2)
フェリクスとのダンスは、本当に楽しかった。踊り慣れていないリーニャは何回かステップを間違えてしまったのだけど、フェリクスは笑いながらそれを修正してくれた。
「大丈夫、僕が傍にいるから。何も心配しなくて良いよ」
フェリクスの優しい囁きに、リーニャは安堵する。
フェリクスと一緒なら、何も恐くない。慣れない場所にいても楽しく過ごせる。
しばらくそうして二人で踊った後、少し休憩することにした。会場の端の方に並ぶ椅子に座り、こくりと果実水を飲む。熱くなっていた体に、冷たい果実水が染み渡っていく感じがした。
「ありがとうございます、フェリクス様。私、すごくすごく楽しかったです! ダンスがこんなに楽しいものだったなんて、初めて知りました!」
「うん、楽しんでもらえて良かった。リーニャと踊ることができて、僕もすごく楽しかったよ。ありがとう」
目が合うと、フェリクスは優しく微笑んでくれた。そうやって笑ってくれるのが嬉しくて、リーニャもふにゃりと頬を緩めてしまう。
ずっと、ずっと、こうしてフェリクスの隣で笑っていたい。
できることなら、彼の天使のようなこの笑顔を、独り占めしていたい。
(私は、フェリクス様のことが、やっぱり好きみたいです……)
もう間違いない、と心が訴えてくる。
これは友人に対しての「好き」なんかじゃない。
もっと甘くて切実な――恋の「好き」。
「あ、あの、私……」
この想いを伝えたいという気持ちが膨れ上がる。けれど、それと同時に、恥ずかしさも湧き上がってきた。
どうしようもない頬の熱さ。高鳴る心臓の音。
喉の奥がきゅっとなり、次の言葉が上手く紡ぎだせなくなる。
「リーニャ、顔が真っ赤だよ。休憩室に行く? ここよりは涼しいかも」
「へ? あ、はい……」
まさかリーニャが告白しようとしているなんて、フェリクスは夢にも思っていないのだろう。
彼はさっと立ち上がると、微笑みながらリーニャに手を差し出してきた。
ああ、残念。
出端をくじかれたリーニャはがっくりしつつも、フェリクスに手を引かれて廊下に出た。
ひんやりとした空気が、火照った体を少しだけ落ち着かせてくれる。それでも胸のドキドキはおさまらなくて、リーニャはすがるように繋いでいる手にきゅっと力を込めた。
明るく華やかな舞踏会の会場と違い、廊下は薄暗く、人もいない。
でも、だからこそ、大きな窓の外に広がる星空が綺麗に見えた。小さな星はちかちかと瞬き、白く優しく輝いている。
「リーニャ」
不意に名前を呼ばれ、リーニャは星空からフェリクスへと視線を移した。フェリクスはほんのりと頬を染め、リーニャのことをじっと見つめている。
「……フェリクス様?」
「リーニャ。少しだけ、許して」
次の瞬間、リーニャはフェリクスに優しく抱き締められていた。
春の花のような柔らかな香りに包まれ、リーニャの心臓が今までにないくらいに大きく跳ねる。
首筋にフェリクスの吐息を感じ、リーニャは思わず叫びそうになった。
けれど、叫んだりなんかしたら、フェリクスが離れてしまうかもしれない。そうなるのが嫌で、リーニャはなんとか叫び声を抑えた。
その代わり、フェリクスに自分の方からぎゅっとしがみついてみる。
くすりとフェリクスが笑う気配がした。それからすぐに、ぎゅっと強く抱き寄せられる。
フェリクスの腕の中は温かい。
そっと目をつむり、フェリクスの体にぴったりと寄り添うと、彼の鼓動が伝わってきた。
その鼓動は、少し速めのリズムを刻んでいる。リーニャの鼓動と同じくらいの速さだった。
(もしかして、フェリクス様も私と同じくらいドキドキしているのでしょうか……)
リーニャがフェリクスを意識しているのと同じくらい、フェリクスもリーニャを意識してくれているのかも。
そう思うと、心の奥底が嬉しさでいっぱいになる。
フェリクスはリーニャのことを気に入っている、と言ってくれた兄の言葉を思い出す。
リーニャに対してはフェリクスは既にデレデレになっている、という妹の言葉も。
この温かな腕の中にいると、その言葉たちがすとんと胸の奥に落ちてくる。
リーニャは小さく笑い、そっと目を開けた。
視線を上げフェリクスを見つめると、フェリクスも優しく微笑んで見つめ返してくる。
そして。
ゆっくりとフェリクスの顔が近付いてきた。
彼の吐息がリーニャの唇をくすぐってくる。
あともう少し。
もう少しで、唇が触れ合う――と思った、その時。
ガシャン!
舞踏会の会場の方から、派手に何かが壊れる音がした。
リーニャとフェリクスは同時にびくりと体を震わせ、ばっと離れる。
「な、なな、何でしょう! すすす、すごい音がしましたねっ?」
「あ、ああ、うん。そ、そうだね、何があったのかなっ?」
リーニャの声も、フェリクスの声も、裏返ってしまっていた。
突然起こった派手な音のせいで、リーニャの心臓はリズムがおかしなことになっている。
「と、とと、とりあえず気になるので、様子を見に行きませんかっ?」
「そ、そうだよね、気になるよね! 行こう、行こう!」
裏返った声はなかなか通常に戻らない。でも、どうしようもない。
二人は上手く目を合わせられないまま、ひとまず会場へ戻ることにした。
会場の中は、先程までとは全く違う雰囲気になっていた。青い顔をした数人のご令嬢が、ぱたぱたとこちらの方へと逃げてくる。
どうやら会場の奥の方で、何かトラブルが起こっているようだ。
「リーニャはここで待ってて。僕、行ってくるよ」
「え、でも危ないのでは」
「僕の仕事、何だったか忘れたの? こう見えても王都警邏隊の一員だよ。こういう事態には慣れてる」
そう言うやいなや、フェリクスはざわついている奥の方へと行ってしまう。その背中は凛としていて、一人前の男の人みたいだった。
でも、リーニャはどうしても心配になってしまって、逃げる人たちとは逆に、フェリクスの向かった方へと足を進めた。
ざわつく人垣の真ん中。
ひょろひょろとした枯れ枝みたいな体格をした中年の男が、ひとりの少女を羽交い締めにしているのが見えた。
少女はどこかのご令嬢なのだろう、ずいぶんときらびやかなドレスを身にまとっている。けれど、その顔は真っ青で、苦しげに歪められていた。
舞踏会の警備をしていた騎士が男を取り押さえようとしているけれど、なぜか手を出せずにいる。よく観察して見ると、黒っぽいもやのようなものが騎士たちの手足にまとわりついているのが分かった。
(あの男の人、魔法を使っているみたいです……!)
その男はかなり手練れの魔術師なのだろう。たったひとりで何人もの騎士を足止めし、少女を連れ去ろうとしていた。動けない騎士に代わり、魔術師らしき人たちが少女を助けようと動く。けれど、男が目線を動かすだけで、その人たちも動きを封じられてしまう。
「誰か、誰か助けて!」
少女の悲痛な声が会場に響いた。
その時。
どこからかキラキラとした金色の光が現れて、黒いもやを吹き飛ばした。




