19:恋する舞踏会(1)
舞踏会の日がやって来た。
この日のために、リーニャはできる限りの準備をした。兄に付き合ってもらってダンスの特訓をしたり、妹に付き合ってもらってメイクの研究をしたり。
店で忙しく働きつつも、空いた時間に精一杯の努力をした。
なので、今日のリーニャは一味違う。
身にまとっている淡いグリーンのドレスは、スカートの部分が腰から裾にかけて直線的に広がる、少し大人っぽいデザインだ。胸元はふんわりとした生地が重ねてあり、立体的で優しい感じがする。
空色の髪は念入りに櫛で梳かし、緩やかに結い上げた。ドレスの共布を使って作られたリボンを飾ると、すっきりとした愛らしさが加わる。
メイクも派手になりすぎないよう、それでいてドレスに負けないように丁寧に施していく。
「リーニャ姉様、素敵ですわ!」
妹サーシャが感嘆のため息を漏らす。その横で、兄イザークも満足そうに何度も頷いていた。
「サーシャの言う通り、本当に綺麗だな、リーニャ。これならフェリクス様もきっと気に入ってくださる。もう花嫁候補は確定……いや、候補どころか一気に婚約まで行くんじゃないか?」
「ええっ? 婚約ですか?」
リーニャは熱くなった頬に手を当てて、もじもじとうつむく。さすがに婚約なんて話が出たら照れてしまう。
でも、そうなったらすごく嬉しい。
自分でも驚いてしまうほど、リーニャはフェリクスの花嫁になりたかったらしい。
彼のことを想うと、胸がドキドキして幸せな気持ちになる。
照れるリーニャを、兄妹が温かな目で見守ってくれる。
応援してくれる兄妹に、リーニャは心の底から感謝をした。
ほどなくして、フェリクスがリーニャを迎えに来た。子爵家の屋敷の前に馬車が止まり、盛装したフェリクスが現れる。
「迎えに来たよ、リーニャ」
フェリクスはリーニャを見て、ふわりと微笑んだ。それから、すっと手を差し伸べてくる。
「行こう」
もうすぐ日も暮れるという時間。外の空気は冷たく、いつもなら寒くて震えているはずなのに、リーニャの体は熱く火照っている。
だって、盛装したフェリクスはいつも以上に輝いていたから。いつも着ている王都警邏隊の制服も素敵なのだけど、今日の黒を基調とした衣装もすごくよく似合っている。胸元に結んでいるクラバットは淡いグリーンで、リーニャのドレスとお揃いだった。
そんな彼が、リーニャに向かって微笑みかけ、手を差し出しているなんて。
(夢、みたいです……)
フェリクスの差し出した手に、リーニャはそっと自分の手を乗せた。
手が触れた瞬間、どきりと心臓が跳ねる。
ああ、頬が熱くて熱くてたまらない。心臓もうるさすぎて痛いくらいだ。
こんなリーニャを見て、フェリクスは呆れたりしないだろうか。少し不安になってちらりとフェリクスの顔を見上げると、フェリクスは優しく笑みをこぼした。
「ドレス、すごく良く似合ってる。リーニャ、可愛い」
耳元で囁かれ、リーニャの思考が止まる。
心臓も、一瞬止まった気がする。
この天使、女性の扱いはまるで駄目だったはず。なのに、全然そんな風に見えない。
なんだ、知らないうちに覚醒でもしたのか。
真っ赤になったリーニャを見て、フェリクスがまた笑みをこぼした。その笑顔がやっぱりとんでもなく天使で、今度は息が止まる。
(私、生きて帰ってこられるのでしょうか……)
リーニャはフェリクスにエスコートされつつ、つい遠い空を見上げてしまった。
舞踏会が行われる城の大広間には、既に多くの貴族たちが集まっていた。会場は華やかに飾り付けられていて、どこに目を遣っても眩しい。
キラキラとしたシャンデリアが優しい光を落とす中、窓際にいる楽団が演奏の準備をしていた。貧乏令嬢のリーニャには全く縁のない、珍しい楽器がたくさん並んでいる。
ピカピカ光る楽器たちは、一体どんな音色を奏でてくれるのか。想像するだけでもワクワクしてくる。
「フェリクス様! 舞踏会ってすごいんですね! とってもキラキラしてます!」
つい興奮して、隣にいるフェリクスの腕をぐいぐい引っ張ると、フェリクスがこらえきれずに噴き出した。
「リーニャはやっぱり子どもみたいだよね。ふ……くくっ!」
「わ、笑わないでください! もう、フェリクス様はすぐ私のことを子ども扱いするんですから!」
「ごめん。でも、こんなに素直に喜んでもらえて嬉しい。リーニャを誘って、本当に良かった」
そう言ってリーニャを見つめるフェリクスの瞳は、とても優しい色をしていた。
リーニャはなんだか恥ずかしくなって、床へと視線を落とす。また頬が熱くなってきた。
「あ、始まるみたいだよ」
フェリクスの言葉におずおずと顔を上げると、会場の一番目立つ場所に、この舞踏会の主催者である王子様が立っているのが見えた。
会場のざわめきが少しずつおさまっていく。
そして、全体が静かになった時に、王子様が高らかに舞踏会の始まりを告げた。
初めて聞く王族の生の声に密かに感激していると、今度は緩やかなリズムの音楽が流れ始めた。楽団が奏でるその音楽は、ピカピカ光る楽器たちの姿からは想像もできないくらい繊細で、綺麗なものだった。
リーニャは大広間を包み込むような優雅な調べに、思わず感嘆のため息をつく。
こんなに華やかで美しい世界、初めて知った。
みんなの注目を浴びつつ、王子様が綺麗なご令嬢とともにダンスを踊る。そのダンスもまた素晴らしく、リーニャの目は踊る二人に釘付けになった。
息の合った、華麗なステップ。遠くからでも分かる、楽しそうな表情。
全てが一級品のそのダンスが終わると、次々と他の貴族も踊りだした。ご令嬢たちの鮮やかなドレスが華麗に舞い、世界がまた一段と輝いていく。
「リーニャ、僕たちも踊ろう」
「は……はい!」
フェリクスに導かれながら、踊る人たちの中へと入っていく。楽団の奏でる音楽が、より鮮明に聞こえてきた。
すぐ傍で、リーニャたちと同じくらいの年齢だと思われる貴族の男女が踊り始めた。
彼らは難しそうなステップを軽々とこなして、楽しそうに笑っている。なんというか、レベルが高い。
ダンスの特訓をしてきたとはいえ、こんなにレベルが高い中でリーニャが踊ると見劣りしてしまう気がする。
それはつまり、フェリクスのレベルも落としてしまうということだ。
フェリクスと一緒に踊ってみたい。
けれど、フェリクスのためを思うなら、ここは身を引いた方が良いように思えてきた。
「……あ、あの、フェリクス様。やっぱり、私は」
踊れない、と言葉にする前に、フェリクスが強引にリーニャの手を取った。そのままぐいっと引っぱられて、リーニャはつい一歩を踏み出してしまう。
すると、その一歩はダンスの始まりとなって、気付けばフェリクスにリードされて踊っていた。
くるりと回ると、ドレスの裾がふわっと広がる。次のステップは、と考える前に体が動く。
自分が自分じゃないと思ってしまうくらい、体が軽い。
「リーニャ、踊るの上手。楽しいね」
そう言って、フェリクスが優しく微笑みかけてくる。
リーニャは天使の微笑みに見惚れつつ、何度もこくこく頷いて、またひとつ軽やかなステップを踏み出した。




