15:魔法のキス(3)
お手本の恋人たちの真似をして、リーニャとフェリクスもバラのアーチをくぐってみることにした。
「……これ、何が楽しいのか分からない」
アーチをくぐった後、フェリクスが真顔で言った。リーニャも首を傾げながら同意する。
「おかしいですね、あの恋人さんたちはとても楽しそうでしたのに……。あ、もしかして、ただくぐるだけでは駄目なのでしょうか? こう、あの恋人さんたちは仲良く寄り添って、いちゃいちゃしながらくぐってましたよね……そこがポイントなのかもしれません」
「そうかな……?」
「フェリクス様、もっとこっちに来てください。いちゃいちゃしながら、もう一度くぐってみましょう!」
元気良くそう言って、フェリクスの手を引っぱる。すると、フェリクスの顔がみるみる真っ赤に染まった。
「ちょっ……リーニャ、いちゃいちゃって」
「これもデートの練習です! 訓練です! 特訓です!」
「い、いや、そこまでしなくても良いでしょ! もう充分! 充分だから!」
「ええ……? 遠慮しなくても良いのに……」
結局バラのアーチを再度くぐるのは断念して、お手本の恋人たちの後を追うことにした。
けれど、フェリクスの赤い顔はなかなか元に戻らない。
「フェリクス様、大丈夫ですか? ずっとお顔が赤いですよ?」
「リーニャのせいでしょ! いちゃいちゃするとか言うから!」
「実際には、いちゃいちゃしてないですよね?」
「あのね、想像するだけでも恥ずかしくなることってあるんだよ……」
そうこうしているうちに、恋人たちは植物園から出て行ってしまう。彼らを見失わないように、リーニャとフェリクスも外へ出た。もうすぐ日暮れの時間だったようで、空は茜色に染まっている。
王都の街の大通りは、夕方になっても人が多い。油断していると、すぐにお手本の恋人たちを見失いそうになる。
「気をつけないと、あっという間に見えなくなりますね! フェリクス様、急ぎましょう!」
リーニャは繋いだ手を引っぱって、人込みの中へと向かおうとした。けれど、逆にフェリクスの方へ手を引かれてしまう。一体どうしたのかと驚いてフェリクスを見つめると、彼はふいと視線を逸らした。
「リーニャは人が多いの苦手でしょ。今の時間帯は本当に人が多いし、無理しなくて良いよ」
夕日に照らされたフェリクスの横顔が急に大人っぽく見えて、リーニャは少し戸惑った。なんだか知らない人みたいな感じがする。
なのに、繋がれた手は心地良いまま変わらない。
フェリクスは不思議だ。
極度の人見知りであるリーニャと、すぐに仲良くなってくれて。
年下なのに、リーニャのことを他人から守ろうとしてくれて。
他の女性にはツンツンしているらしいけど、リーニャにだけはいつも優しくしてくれる。
(私は、フェリクス様のこと、どう思っているのでしょう……?)
自分で自分の気持ちがよく分からなくなる。好きか嫌いかと聞かれたら、もちろん「好き」と答える。でも、それは恐らく友人としての「好き」なのだ。
だって、やっぱりリーニャは、フェリクスの花嫁になりたいなんて思っていないから。
恋なんて、よく分からない。
人見知りで他人を避けてしまうリーニャは、たぶん、これからもずっと、それを知る機会なんてないのだろう。
「……帰ろうか」
フェリクスがそう言って、リーニャの手を引いて歩き始めた。大通りの中でも比較的人の少ない道を選びながら、ゆっくりと進んでいく。
王都の人々の喧騒が、少しだけ遠ざかった。
人気のない路地裏に差しかかった時、偶然にもお手本にしていた恋人たちの姿を再び見つけた。
「あ、フェリクス様! あの二人、私たちがお手本にしていた人たちです!」
「そうみたいだね」
彼らに聞こえないように小声で言葉を交わし、なんとなく物陰に隠れて様子を窺う。
薄暗い路地裏の真ん中で、男性が女性の耳に口を寄せて何かを囁いていた。女性は恥ずかしそうにひとつ頷いて、男性を見上げる。
恋人たちは甘く視線を絡ませて、とろけるような微笑みを交わした。
二人は頬を赤らめたまま、お互いの顔をゆっくりと近付けていく。
そして――。
と、ここで、ばっとリーニャの視界が真っ暗になった。
「んん?」
突然のことに理解が追いつかず、リーニャの頭の中が疑問符でいっぱいになる。
すると、耳元でフェリクスが小さく囁いてきた。
「リーニャは見ちゃ駄目。刺激が強すぎるから」
「ええっ?」
刺激が強すぎるってなんだろう。そう言われると、余計に気になる。
リーニャは視界を塞いでいるフェリクスの手を退かそうと奮闘する。けれど、フェリクスは手を退かしてくれない。
そうこうしているうちに、その刺激の強い一幕とやらは終わってしまったらしい。ようやく手を退かしてもらえた時には、既に恋人たちの姿すら消えてしまっていた。
「フェリクス様、私、何も見えませんでした! どうしてくれるんですか!」
「いや、あの真似をする必要はないから。ほら、帰るよ」
「うう、納得がいきません……。あ、それなら、何をしていたのかだけでも教えてください!」
これはデートの練習。お手本の恋人たちの行動はすべて把握して、次のデートに生かしていかなくてはならない。
そう、いつかフェリクスが本物のデートをする時のために。
少しだけ、胸の奥がぎゅっとなる。でも、リーニャはそれに気付かないふりをして、フェリクスの顔をじっと見つめた。
薄暗い路地に、細い夕日の光が差し込んでいる。その夕日がフェリクスの金の髪を照らし、柔らかくきらめかせていた。
リーニャを見るフェリクスの翠の瞳が、不意に揺らめく。
「……本当に、知りたい?」
思ったよりも真剣な声音で聞かれて、怖じ気づきそうになる。けれど、リーニャは勇気を出してこくりと頷いた。
知らないままでは、きっとフェリクスの力になれないから。
リーニャは、この天使みたいな友人の力に、できる限りなってあげたかったから。
「じゃあ、教えてあげる」
くいと繋いだ手を引かれたかと思うと、フェリクスの顔が近付いてくる。
その直後、リーニャの頬に温かくて柔らかいものが触れた。
ちゅ、という甘い音が聞こえ、その優しい熱はすぐに離れていく。
(……え? これって……)
リーニャはぱちぱちと目を瞬かせ、何が起こったのかを理解しようと考え込む。
(フェリクス様の顔が近付いてきて、それから、ほっぺたに……)
そっと自分の頬に手を添えてみる。こてりと首を傾げ、隣に立つフェリクスの顔を見上げた。
フェリクスは片手で口元を押さえ、斜め上の方を見ている。その顔は驚くほど赤い。よく見ると、顔だけでなく、耳も首筋も手のひらも全部赤かった。
(え、もしかして)
ぽっと頬に熱が灯った。
とその瞬間、フェリクスがこちらに目線を向ける。
ぱちりと目と目が合って、リーニャの心臓が大きな音を立てた。
(フェリクス様に、キスされた……?)




