13:魔法のキス(1)
詰め所に突撃した日から何日か過ぎ、十一月下旬になった。
冬を目前にして、最近は少し肌寒い日が続いている。
今、リーニャは自分の部屋で一通の手紙をじっと見つめていた。手紙の差出人のところには、フェリクスの名前が書いてある。
そう、やっとフェリクスから連絡がきたのだ。
(な、なんて書いてあるのでしょう……お怒りの言葉でしょうか……)
リーニャは椅子に座って姿勢を正し、ドキドキしながら手紙を広げた。
(良かった。怒ってはいないみたいです……)
その手紙には丁寧な字で、謝罪の言葉が綴られていた。
『デートの後、全然お店に行かなくなったこと。そして、せっかく詰め所まで会いに来たリーニャに、冷たい態度をとってしまったこと。
リーニャの気持ちも考えず、申し訳ないことばかりしてしまった。どうか許してほしい』
そういえば、なぜデートの後で、フェリクスがリーニャと会わないようにしていたのかというと。
リーニャに振られたくなかったから、らしい。
どうやら、あの初デートの内容を知った先輩にこれでもかと駄目出しをされ、「こんなの振られて当然だ」と脅されてしまったようだ。特に魔導具ではしゃいだところは厳しく注意されたのだとか。もっと相手のことを考えて行動しろ、と。
(まあ、私は魔導具店も楽しかったですけどね。はしゃぐフェリクス様は、とっても可愛かったですし。でも、確かに普通の女性は自分が放っておかれると嫌なのかもしれません。そういえば、サーシャも同じようなことを言ってましたね……)
なるほど、そういう理由でフェリクスは女性に振られてしまうのか。
リーニャはふむふむと妙に納得した。
そのまま手紙を読み進め、最後の一枚に辿り着く。そして、そこに書いてある内容に、リーニャは思わず目を丸くした。
『花嫁候補の情報の中にリーニャのものがあって、嬉しかった。ずっと振られるのが恐くて悩んでいたから、すごく安心した。
また一緒に出掛けたい。でも、先輩からはもっと恋人同士のデートを勉強しろと言われてしまった。だから――』
(『デートの練習』に付き合ってほしい……?)
初デートの後にデートの練習をするって、何なんだ。
リーニャはつい力が抜けて、机に突っ伏してしまった。
でも、なんだかおかしくて。
手紙をもう一度見つめ、リーニャはくすくすと笑ったのだった。
というわけで、リーニャとフェリクスはデートの練習をすることとなった。
十一月末の、天気の良い休日。二人揃って、王都の街を仲良さげに歩く恋人たちを、じっくりと観察する。
「あ、フェリクス様、見てください! 恋人さんたち、手を繋いでいますよ! なんと、前に私たちがやっていた繋ぎ方です!」
「いかにも衝撃的な新事実を発見したかのように言ってるけど、恋人同士なら珍しくない光景だからね? あれは『恋人繋ぎ』だって言ったでしょ?」
フェリクスが呆れたようにため息をつく。でも、リーニャは恋人たちが本当に「恋人繋ぎ」をするものなのだと、今、初めて知ったのだ。びっくりして当然なのだ。
「なるほどです! では、練習ということで、今日も『恋人繋ぎ』をすることにしましょう!」
初デートの後にできた微妙な距離をなくすため、リーニャはできるだけ明るく振る舞うことにしていた。はりきって手を出して、フェリクスの顔を期待に満ちた瞳で見つめてみる。
フェリクスはそんなリーニャを見て、みるみる顔を赤くしてしまった。
「なんか、僕ばっかり意識している気がするんだけど……」
「へ?」
「なんでもない。……ほら、これで良い?」
フェリクスの手がリーニャの手をきゅっと握る。指を絡ませる「恋人繋ぎ」だ。
なんだかんだ言いつつもリーニャの言う通りにしてくれるフェリクスは、やっぱり優しい人なのだと思う。リーニャはふにゃりと笑みをこぼした。
「この調子でどんどん恋人のみなさんの真似をしていきましょう! きっとデートというものがどういうものなのか、分かるようになるはずです!」
「そうかな?」
「そうです! ……たぶん」
残念ながらリーニャには恋人なんていたことがないので、本当にこれが効果的なデートの練習になるかどうか、全く分からないのだけど。
まあ、間違ってはいないと思う。たぶん。
「とりあえず、あの強そうなお兄さんと可憐なお姉さんの後をつけてみましょうか。なんか理想的な恋人さんに見えますし」
「……リーニャがそう言うなら」
お手本にしたい恋人たちを発見したので、その二人を見失わないようにしながら歩き始めた。もちろん、リーニャとフェリクスの手は、ばっちりと恋人繋ぎになったままだ。
(やっぱりフェリクス様に手を繋いでもらうと、安心しますね。人がたくさんいても、全然恐くないです……)
フェリクスの手は温かくて心地良い。この手に引かれているうちは、苦手な人込みも平気になれた。極度の人見知りのリーニャでも、普通の人みたいに、この王都の大通りを楽しむことができる。
それは、リーニャにとっては、とてもすごいことだった。
ついついこぼれる笑みもそのままに、リーニャはご機嫌でフェリクスの隣を歩く。
そうしてしばらくすると、植物園へと辿り着いた。お手本の恋人たちは仲良く談笑しながら、その中へ入っていく。
その植物園では、温度を管理する魔導具のおかげで、季節を気にせず珍しい植物や綺麗な花を見ることができるのだという。
まあ、それはとても魅力的なのだけど、残念ながら入場料が結構高い。
リーニャは植物園を囲む銀色の柵を見上げながら、眉をへにょりと下げた。入り口近くの料金表には、リーニャがびっくりするくらいのお値段が書いてある。
悔しいけれど、さっきの恋人たちの観察はここで諦めて、他の人を探したほうが良いかもしれない。
「あの、フェリクス様」
繋いでいる手をくいっと引っぱり、フェリクスの横顔を窺う。すると、フェリクスはこちらを見て不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの、リーニャ。中に入るんでしょ?」
「いえ、あの……」
「行きたくないの? 今は温室のバラが見頃らしいよ。他にも花がいっぱい咲いてるって」
花、と聞いて、リーニャはカモミールの花を思い出した。白くて小さな可愛いあの花は、甘いリンゴみたいな香りがして、ハーブティーにぴったりなのだ。
もしかして、そういう可愛いハーブの花も咲いているのだろうか。それなら絶対見たいのだけど。
もちろん、フェリクスの言う見頃のバラも見てみたい。バラの香りもきっと素敵だろうから。
「行ってみたいです……」
「じゃあ、中に入ろう。ほら、おいでよ」
フェリクスはリーニャの手を引いて、入口へ向かう。そして二人分の入場料をさっと払うと、植物園の中にリーニャを連れて行ってくれる。
「あ、あの、お金……」
「いいよ。デートの練習に付き合ってくれてるお礼。というか、そんな困った顔してないで楽しんでよね。じゃないと、僕も楽しくないし」
ツンとすねたように口を尖らせて言うフェリクス。彼の頬はほんのりと赤く染まっていて、やっぱり天使みたいだった。
リーニャはこくりと小さく頷いた。
そして、今度フェリクスがお店に来てくれた時は、いっぱいいっぱいサービスしようと心に決めたのだった。




