11:初デートは失敗?(4)
フェリクスとの初デートが終わってから、数日が経った。
リーニャは今日も店でハーブティーを入れる準備に追われていた。珍しく店内には数組のお客様の姿があり、ウエイトレスのサーシャも忙しく立ち回っている。
今日のお客様は、みんな常連さん。悩みも把握している人たちばかりだ。
窓際のテーブル席に座ったふくよかな中年女性は「いつものお願いね」と言った後、お腹のあたりをゆっくりとさすった。
「あのお客様は……そう、このブレンド!」
リーニャはコリアンダーシード、ダンディライオンルート、フェンネルをブレンドした小瓶を取り出して、ティーポットの隣に置いた。
これは便秘の改善に効くハーブティー。精神的なストレスが原因の場合にも効果が出るように、ペパーミントとローズヒップも加えてある。
消化を促進する三種類のハーブと、爽やかな香りで心を癒す二種類のハーブ。ティーポットの中で抽出すると、茶色の香ばしいハーブティーができあがる。
「お腹も心も元気になりますように」
リーニャは小声で願いを込め、ハーブティーをサーシャに託す。サーシャは微笑みながらこくりと頷き、お客様の元へとハーブティーを運んでくれた。
「次はこちらのお客様の分! えっと……これですね!」
カウンターの端に座っている初老の紳士のために取り出したのは、フィーバーフュー、ホワイトウィロウ、レモングラスをブレンドした小瓶。
これは頭痛を和らげる効果のあるものだ。
フィーバーフューもホワイトウィロウも鎮痛作用のあるハーブ。そしてレモングラスは爽やかな香りで痛みを軽減してくれる上に、抗菌作用まであるという優れもの。
このハーブティーを続けて飲んでいると、習慣的な頭痛も改善できる。
ハーブを入れたティーポットへお湯を注いでいく。ふわりと優しい香りがした後、透明だったお湯が黄色く染まった。このハーブティーは苦みがあるけれど、初老の紳士はその苦みが好きなようで、いつもこれを注文してくれる。
「頭の痛みが和らいで、笑顔になれますように」
またも小声で願いを込め、ハーブティーをサーシャに託した。
紳士は気難しそうな表情でサーシャからハーブティーを受け取る。そして一口飲むと、ほんの少し眉間の皺を和らげた。その様子を横目で窺い、リーニャはほっと息を吐く。
その時、入口の方からちりりんと明るい音がした。リーニャはぱっと音がした方へ目をやり、そこに立つ人間を見てしょんぼりとうなだれた。
(フェリクス様かと思ったのですけど……)
そこにいるのは、数日おきに顔を見せてくれる常連のお姉さんだった。もちろんお姉さんが来てくれたのは嬉しいのだけど、どうしても期待が外れてしまったという感じがしてしまう。
サーシャが笑顔を振りまきながら「いらっしゃいませ!」とお姉さんに声を掛けに行く。お姉さんは、はにかみながらサーシャに応えていた。
リーニャはぷるぷると首を振って気持ちを切り換える。大切なお客様が来てくれたのに、しょんぼりするなんて駄目。
あのお姉さんはつややかな美肌効果のあるハーブティーがお好みだ。さっそく準備をしないと。
ジャーマンカモミール、ヒース、ローズヒップ。それに加えてミルクシスルとリコリスも。
甘くてフローラルな香りを楽しめる一杯を作り出すため、リーニャは小瓶へと手を伸ばしたのだった。
その後も、こんな風に忙しく仕事をする日々が続いた。
でも、やっぱりフェリクスは来てくれない。以前は店にちょこちょこ顔を出してくれていたというのに、デートの後、彼はなぜかぱったりと訪れなくなっていた。
数日が過ぎ、一週間が過ぎ、そしてもうすぐ半月が経つ。うっかりしていると十月が終わってしまいそうだ。
「……やっぱり、私はフェリクス様に嫌われてしまったのでしょうか……」
秋の夜。
子爵家の屋敷の居間で、リーニャは兄妹を前に弱音を吐いた。
「あのデートで何か失敗をしてしまって、呆れられてしまったとしか思えません。私、フェリクス様の花嫁さん探しにまだ何も協力できてないのに……情けないです」
「何をおっしゃってますの、リーニャ姉様! 悪いのはツンツン魔術師の方ですわよ。お腹が鳴るまで街中を歩かせるとか、魔導具に夢中で女性をほったらかしにするとか、はっきり言ってありえませんわよ! 他の女性たちが彼を振りたくなる気持ち、よく分かりますわ!」
「うう、でも……」
こう言ったら意外に思われそうだけど、リーニャにとってあのデートは結構楽しいものだったのだ。
そう、また一緒に出掛けられたら良いなと思ってしまうくらいには。
そんな風に、人見知りのリーニャが心を許す相手は限られている。その限られた相手の中に、いつの間にかフェリクスは入ってしまっていた。
ソファに座ってしょんぼりとうつむいていると、妹サーシャが隣に来てそっと手を握ってきた。柔らかな温かさに包まれて、リーニャは少しだけ安心する。
「リーニャ姉様は悪くありませんわ。大体、どんな理由かは知らないですけど、ツンツン魔術師が店に来ないのが悪いのですわ。だから、花嫁探しだってする必要ありませんわよ。彼に恩を売れなくなるだけで、別にこちらは何の損もしませんもの」
「……いいや、損するぞ」
サーシャの言葉に反論したのは、兄イザークだった。きりっとした紫の瞳をすっと細めて、妹たちを見遣る。
「フェリクス様は、確かにリーニャのことを気に入っていたはずなんだ。玉の輿も目前だったんだ。リーニャの言う通り、これはデートで何かあったに違いない。……ああ、花嫁候補になれるチャンスだったのに!」
花嫁候補という言葉に、リーニャの心臓がどきりと跳ねた。
いや、別にフェリクスの花嫁になりたいなんて、そこまでは思ってないのだけど。
でも、ほんの少し彼の隣に立つ自分の姿を想像してしまった。彼と目を合わせ、幸せそうに微笑む自分の姿を。
けれど、すぐに首を振ってその想像を打ち消す。今更そんなことを考えたって意味がない。
たぶん、フェリクスはあのデートでリーニャを見限ったのだろうから。
だからもう彼には会えない。花嫁探しだって、もう手伝ってあげられない。
「私は本当に、役立たずですね……」
眉をへにょりと下げ、リーニャは情けない笑顔を浮かべた。すると、サーシャがふるふると首を振りながら、ぎゅっと抱き着いてきた。
「リーニャ姉様は役立たずなんかじゃないですわ! リーニャ姉様はちょっと人見知りなだけで、素直でお可愛らしくて、私の自慢の姉ですもの!」
「サーシャ……」
お互いを慰め合うように、リーニャとサーシャは抱き締め合った。妹の優しい温もりが、今はただ嬉しい。
兄がそんな妹たちの頭をぐりぐりと撫でてくる。
「二人ともそんな顔をするな。リーニャはフェリクス様のことが嫌いなわけじゃないんだよな?」
「……はい。なぜかは分からないですけど、フェリクス様は恐くないんです」
「じゃあ、ここで諦めるのはなしだ。フェリクス様が店に来ないというなら、こちらから行けば良い!」
「……ええっ?」
リーニャとサーシャの声が揃った。兄は余裕ぶった笑みを浮かべている。
「フェリクス様に花嫁候補の紹介をしたい、と言って会いに行くんだ。独身女性の情報をまとめて、渡しに行ってみれば良い。そうそう、ついでにリーニャの情報も混ぜてな」




