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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第六章 雷挺よ、深淵を穿て。
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8.

8.

 ティタナを担ぎあげたまま群衆の中を進む。歩む先の僅かにだけ人の間隙が出来た、伸ばされる指が己のなめし皮めいた肌を撫でていく。不思議と彼女は触れられない様だった、何か仕掛けている気配はない、純粋に彼女に対する畏れだろう。歓声はいよいよ高くうねり、とどまるところを知らない。踏みならされる桟橋が、大勢の力に耐えかねて悲鳴を上げていた。早急に移動せねば拙い事になるやもしれぬ。橋と言う物は軍隊の行進で容易く落ちると聞く、然程良い木材を使った訳でもない桟橋など、それこそ浮き橋の様なものだろう。いずれ木組みか釘のどちらかが弛み、誰しもが湾の中でたゆたう事になるやも知れぬ。もっとも、そうなった所で港の男女。水練は誰しもが達者だろう。心配なのは年寄りくらいのものだ。

 歩く最中、自分にだけ聞こえる程度の声で、ティタナが穏やかに言った。


「と、なるとだ。墓参りは必然かも知れんぞ」


 この女はいつもこういう事を言う。まるで、自分が見えない巨大な視点から、彼方を見通されている様に思えた。経験と言うべきか、なんと言うべきか、複雑怪奇な断片から、未来を見通す様に俺を導くのだ。ふと、賢者とはそう言うものであったと思い直す。なるほど、女は神代よりその身を損なわずに存在してきた竜の王である。蓄積された知識も経験も、並みの賢者が万人束になった所で鎧袖一触に蹴散らされるであろう。


「何故だ賢者よ」


 訝しげに、女は俺を見下ろすと、眉根を寄せたまま笑った。


「……んん? どうした改まって」

「これと言って理由は無い」

「ん、そうか」何とも言えない顔をして女は続けた「まあいいがな。如何にも不思議に思っていた、ウンディネは空、サラマンドラは海、恐らくは力をそぐためであろうか、それぞれの精霊は、本来の居場所とはまるで違う場所に封じられていた」

「そうか」

「うむ、その上でシルフが貴様の出生に関係するとなれば、行き先は自ずと見えてこよう」

「良く解らない」

「封じられているか、はたまた加護がある、か。この場合は封じられているのだろう。貴様の故郷とはどんな場所だ?」

「山肌にへばりつくようにある寒村だ、あ、いや、どちらかと言えば、谷の上部、か」

「うむ、風は当たり前の様に吹くな」

「そうだな」

「おかしいな、いきなり行き詰った」

「うむ」

「あれえ?」少し考えてから女は言った「まあ、行けば解るか。これも恐らくだが、貴様の出生に関係があると思うのだ」

「つまりあれか、俺の魔素を食らう体質がシルフの加護に因を持つ、と」

「然り。説明が付く」


 話の最中、やはりティタナが不意に顔を上げる、釣られてそちらに視線を投げれば、丘の上の館から、ベルナルドが駆け下りてくるのが見えた。


「俺の先祖か何かにシルフとの関わりがある、こういうことか」

「如何にも」女は言葉を短く切ると、納得したと呟いて続けた「なるほど、こうなるとケイが剣に雷を纏わせた事も理屈がつく。あれは貴様の加護を分けられたものであったか」

「じゃあ、あの嵐もか」

「だろうな、貴様の内に眠るシルフの力が、ウンディーネのそれに呼応して目覚めた結果産み出されたのだろう」


 それきり女は口をつぐむと、俺の頭にしなだれかかる様にした。時折子供達に手を振り返したりしている。ただ、女に手を振り返すのは止めた方が良い、その金属色の髪と、強い意志の瞳はたおやかな肢体をもってしてなお女達を魅了するに余りある。

 やがて息を切らせたベルナルドが目前にまで駆けよってきた。彼の表情は実に明るい、目前に迫りつつあった危機が、これより遥けきにわたり駆逐された事。誰よりも先に気が付いているのだろう。


「シルベスタ、首尾よく仕上げたか」

「ええ、ベルナルド。この地の暗雲は祓われました」

「ああ、やはりか」


 ベルナルドは言った。

 専用の倉庫に例の絵は押し込まれているのだが、今日、ふとその邪気とも瘴気ともつかぬ厭わしき気配が消えているのに気が付いた。訝しみつつも掛けてある封をめくりあげると、昨日までは確かに近くにいるだけで、精神と魂を汚し、冒涜し、狂気に導かん、否引き摺り込まんと放たれていたおぞましき気配が針の先程も感じられなくなっていた。先日までの記憶の方が余程恐ろしいと思いつつ、恐る恐る布を剥がしたものの、確かに構成にしても題材にしても狂気そのものであるのだが、あくまでもその程度の薄汚れた絵でしかなかったという。

 そこで彼は気が付いたと言った。

 たちまち窓に飛びついて開け放つ。するとどうだ、ここしばらくパレテスを蝕んでいた気配がきれいさっぱりとぬぐい去られているではないか。

 さてはシルバめ、首尾よく難を祓ったのかと、仕事も手につかぬ有様で我等を待ち構えていたらしい。


「友よ、偉大なる男よ。ありがとう、この礼は何を持ってお前に報いればよいだろうか」


 感極まったと、声の出ぬ喉で、涙ぐみながらベルナルドは言った。


「ベルナルド、俺を友と呼んでくれるのか。ならば友として遇してくれればそれで良い」

「おお、謙虚な男だ。義を知る者よ。良かろう友よ、莫逆の友よ。我が忠心と誠をお前に捧げよう。爪先に接吻する事を許してくれ」

「勿体のない事だ、パレテスのベルナルド。俺は友と、友の故郷を守るために立っただけだ。たまさかその相手が海神で、首尾よく勝利を拾えたに過ぎぬ」

「馬鹿め、たわけた事を申せ、お前以外に誰がかの海神に勝てようか。目視するどころか、気配を感じただけでおぞましさに死ぬと伝えられている邪なる神に!」


 そこまで叫ぶように言うと、ベルナルドは両ひざをつき、押し戴く様に俺の爪先に口付けた。何とも奇妙な心地だ、一人では何一つ上手く行った気がしないのに、ティタと共に何かをなせば、必ず人に称えられるのだ。


「英雄よ、偉大なる我が友よ、私は、パレテサッティオは、パレテスの海は今日の恩を決して忘れない」

「そう言ってくれるか、光栄だ」

「吟遊詩人がお前の偉業を伝えるだろう、道の彼方まで、海の彼方まで、そして語り続けられるだろう。神話から歩み出てきた様な英雄よ、お前のなした事は時の彼方まで語り継がれるだろう」


 褒められ過ぎて恥ずかしくなった。頭に痒みを覚え、がりがりと爪を立てる。


「さあ親愛なるパレテスの民達よ! 今宵こそ宴を開くべきであろう、英雄の偉業を称えるのだ、女達よ、酒と、食い物を用意せよ、今日のあがないは全て私が持とう、いざ存分に飲むが良い。芸術の都パレテスは今。我等は今、英雄譚の一幕にまさに書き込まれているのだ!」


 三度群衆が爆発した。一斉に家々から食卓が運び出され、座れそうなものであればなんであれ即席の椅子に変じて行った。勿論当たり前の様に椅子も運び出されているが、此方はどちらかと言えば子供の英雄ごっこの道具として用いられている様子であった。


「友よ」

「どうしたベルナルド」


 少し寂しそうに男が言った。驚くべき事に、この胸にも熱く湧き上がる物があった。この世に生まれ出でてかつて、感じた事のない衝動に、ひどく戸惑いを覚える。


「近く発つのだろう」

「如何にも然り」


 穏やかな笑顔を顔に乗せたまま、涙をにじませてベルナルドは両手を広げて言った。


「此処はお前の故郷だ、そう思ってくれていい。私はお前を兄弟と呼びたい、シルバ、よいだろうか?」

「構わない、ああ、兄弟よ、ベルナルドよ。俺は本当に良い友を得た」

「やっと気が付いてくれたか、受け入れてくれたか、それだけで私は嬉しく思う。心よりだ」


 抱擁を交わした。港の男の匂いがした、痩せてはいるが、確かな筋肉に覆われた体であった。


 一夜が明けた。酒精は無論ながら体に残っていない、昨夜は然程飲んでいなかったのであろう老人から、二頭のラバを買った。主に寝具と天幕、食料品を積むためであった。以前用いていたそれは、山道で失ってしまっていた。改めて手に入れるなら、賑わいを持つこの街で仕入れていくのが賢明だろう。この世界の人間に余裕は無い、商売と言っても、基本として誰もが精一杯生きている中で微かに出来た余剰を、ほんの少しだけの金に換えているに過ぎない。


「発つか、シルバ」

「ああ、世話になった」

「こちらの台詞だ」


 にっ、と男臭い笑顔を浮かべてベルナルドが歩み寄って来た。荷造りする手を休めず、自然と自分も笑い返している、その様子をくすぐったそうにティタナが見詰めていた。

 ラバが積み上げられていく荷に、やや不安そうな声を上げた。こんなものかと思いつつ今度は自身の旅装を整えていく。着られる間は人の手で作られた物を纏えば良い、ただ、道中争いがあれば血に汚れるか痛むかはするだろう。この海の香りが失われるのはなんとも惜しい気がした。


「ところでだ」


 不意にベルナルドが言った。


がくにいれると絵が重くてかなわん、うまい方法はないか」


 考えても見なかった言葉に、流石に手を止めた。


「今は何をがくに?」

あかがねを薄く鍛えて用いている」

「なるほど」少し考えてから口を開いた「沖の島にひどく木質の軽い木が生えていた。こういう葉をした奴だ。あれに彫刻を施して、金泥で仕上げたらどうだろうか」

「なるほど」

「なるほど」

「なんだよ」


 ベルナルドはにやりと笑い、聞いていたティタナは呆れた顔をした。

 妙に居心地が悪くなる視線に尻の座りが悪くなる。続けてベルナルドが言った。


「昨日の大騒ぎで桟橋がどうも掛け替えの必要に迫られている様子でな、ところが鉄釘はすぐに朽ちる、かといって木釘では弱い、如何にする?」

「ふむ……木を組んで見たら如何だろうか」

「組む、とは?」

「例えばだ」


 そうしてやはり地面に例を描き出す。またもなるほど、との音が重なった。今度も同じような声音であった。


「後は新しい料理があると良いのだが」

「白身魚が最高だったな」記憶を辿りながら忘れかけた味を思い出す「あれの小魚と、芋を磨り潰して混ぜる、それを油で揚げたらどうだろうか」

「ほぉ……試してみよう」

「――なるほど?」

「な、ティタナ殿、面白かろう。こやつの頭はまるで失われた魔法王国の図書館に繋がっておるかの様だ。聞けば何でも答えが返る、そしてその答えが見た事も聞いた事もない物ときた!」


「さらばだ友よ、貴様の旅路に幸多からんことを」



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