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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
序章 竜王と戦王は出会う。
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6.

6.

 夢を見ていた。

 見たことがあるような景色、見たことが無いような顔、記憶にかする光景。夢だ、と知れたのは、自らを俯瞰する視線からだった。

 王城、草原、海原、何処かの市場。覚えのない傷がある自分、覚えのない会話。まるで他人のような会話。

 舌鼓を打つ誰か、感嘆の声をあげる誰か、それを、笑って見ている自分のような人物。

 平和な光景だった。今まで見つめた覚えがない風景。剣は共にあって、意義もそこにある。

 これは、俺が歩めたかも知れない別の生き方なのか。

 あるいは、これから歩むことが出来る生き方の一つなのか。

 それはないだろうと思った。何故ならば、自分は―――


 ゆっくりと覚醒する。

 まず目に映ったのは、清掃の行き届いた石の床と、打ち捨てられた黒い剣だった。日は既に高く、柔らかな暖かさを石の床に与えている。

 痛みは何処にもない、拘束もされていない。訝しく思いながら、剣を探す。一つ念じると、鞘に包まれたままの剣が、手の中にあった。奪われてはいない。

 周囲に生きたものの気配はない。喉の乾きを覚えた。水の気配なら、玉座の奥に感じる。

 玉座には、主の姿がなかった。何処に行ったのか、獲物でも狩りに行ったのか。餌ならば目の前にあっただろうに。

 そう言えば、殺さないような事を言っていた。

 疑念が湧く、何故殺さないのか。殺すまでも無いということか、そこまで隔絶していると言うことか。敗北の悔しさはある。

 腹が立ったせいか、胃袋が主張を始めた。緊張の糸が切れているらしい。無理もない、魔王と人界で呼ばれる存在。それと対面して剣を交え、敗北した上で何故か生かされている。不可解だった。今まで、この廃都から帰還した者など居なかったと言うに。


 喉の乾きが強い。今は、声も出ないだろう。水気が欲しかった。

 誘われるように、微かに届くせせらぎに足を向けた。玉座の奥には布が壁から垂らされていた。奥に空間があるらしき、音の反響だ。布ではなく、皮か。

 恐らくは竜皮とおぼしき緞帳をくぐり、階段を登り、螺旋を描く回廊を歩く。回廊は恐ろしく高い場所に在るようだった。吹く風は強く、足を取られそうになる。かつては、柱と柱の間に板硝子がはまっていたのであろう。高度な文化が築かれていたと聞いている。今は失われているが、柱や床、天井に施された精緻な意匠など、そこかしこに名残はあった。

 不思議と水の音は常に聞こえる。どうやら、回廊に張り巡らされた金属の管から聞こえているらしい。伝声管のような仕組みなのか。いつしか回廊は天涯つきの橋に変わっていた。廃城の最上階から、後ろに跪く山並みに向けて架かっているらしい。遠く、海が見えた。

 橋を渡りきると、山並みに踞るように離宮が見えた。白い石造りのそれは、まるで大きな犬が眠っているようにも見える。近付くにつれ、左右の木々が、鬱蒼と視界を遮った。ただし、体に触れるほど、ではなく、目立たないように、さりげなくさりげなく、美しく手が入れられている。深く感心した。あの魔王は、余程自分よりも美的感性に優れているらしい。

 緩やかにS字を描く小路を抜けると、一気に視界が開けた。


「起きたか」

「……」


 目が覚める、とはこの事か。

 そこは美しい庭だった。色とりどりの花が咲き乱れ、空気は芳しい薫に甘く、涼やかな水の音と、優しい鳥の声が、耳に優しい。木々は調和良く枝を伸ばし、雄々しくも優しく、まるで互いを気遣うが如く葉を繁らせている。 そのどれもが、まるで幾星霜を経てきたかの様な力強さを備えていた。

 胸の奥に熱い何かが込み上げてきた。生まれ落ちて以来、ついぞ揺り動かされた事の無い感性が、激しく掻き鳴らされる。いや、今世どころか、前世でもこんな美しい光景は見たことがなかった。

 よく掃き清められた地には、白と青のタイルが地に散りばめられ、品の良いモザイク模様を描いている。高く湧き上がる噴水は清浄で、廃都、魔都の評判を裏切っていた。

 木々の向こうには、山並みがまるで自然と続くように調和し、赤い花々の向こうには、対照的に蒼い海が陽光に輝いている。庭自体はそこまで広いものではないのに、無限の空間がそこにはあった。


「良い庭だろう」


 しばらくの間、呆けたように目を奪われていた。急にもたらされた感性に、胸が激しく鼓動している。動揺していた。何か、自分は大きな考え違いをしているのでは無いだろうか。ただ悪を、理不尽を、不幸をもたらす怪物が美を理解する?

 やっとのことで声の方向に目を向ける、敵意などは欠片もない。存在感も、それこそ庭木で遊ぶ鳥並みに抑えられている。庭の片隅にある東屋、置かれた鉄造りの椅子に、女が座っていた。精緻ではあるが、力強い意匠のそれは、白石作りのそこによく馴染み、女とともにまるで一枚の絵が如く空間に調和している。長いドレス姿だ、赤とも、黒とも、銀ともつかぬ不思議な色合い。金属色と言っても良いだろう。花のようであり、置物のようでもある。あらためてみると女は美しかった。切れ長の眼は力強く、ややつり目勝ちで自慢気に笑っている。濃くも形のよい眉は緩く弧を描き、鼻筋は通って無駄がなかった。癖の強い髪は螺旋を描き、やはり日を受けて金属の様に輝いていた。


「何か飲むか、と言っても、水しかないが」


 おもむろに女は立ち上がると、無造作に噴水の湧き口から、角の盃に水を汲んだ。色々と台無しだった。

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