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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第六章 雷挺よ、深淵を穿て。
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2.

2.

 自分が何者であるのか解らなくなった。等と言う事は幸いにも無い。何者であるのかは把握しているし、譲るつもりもない。

 ただ、確実に自分の物とは違う意志が、レイマルギアに残されていた魔王の残滓、あるいは蓄積されて行った黒い魔素が組み上げた魔王の意思が、自身の内側に膨大な魔素と共に住み着いたのも確実な事であった。

 剣は我が身の一部となっていた。存在しないのではなく、完全に同化している。手足の延長の様な感覚であった。伸びた爪や、毛髪の類いに似ている。関節が一つ増えると言っても良いであろう。最早背に負う必要もなかった、文字通り剣は我が身を鞘としているのだ。

 外観は大きく変化していた。とはいっても、基本的な形状はそのままである。ただ、象嵌が銀に変化していた。金属の中で最も鏡面性の高いそれが、鏡のように文字に己の顔を映し出している。光の反射によっては太陽そのものを映しだすのだ、使いようによっては敵の隙を作る良い仕込みの一つになる。

 また、棒状鍔の装飾も、美しく変化を遂げていた。華やかだが華美ではない、しっとりと落ち着いた銀の象嵌が、戦術面で影響の無い程度に外装を飾り立てている。この装飾性は何処から来たものであるのかと疑問を覚えた。自身にそのような感性が無い事は百も承知である。そうすると、かつての剣の記憶か、あるいは。

 刀身自体は更に深みのある地鉄であった。まるで澄み切った秋の夜空の様に、硬軟織り混ざった鉄―――鉄と呼んで良いのかは甚だ疑問であるが―――がまるで裏側でも透けて見えているのでは、などと思わせる肌模様を見せている。一面にきめの細かい鉄が冴えていた。かつての生で居た専門家の様に、用語を知っていればこの味わいを表現する事も出来るのであろうが。

 刀の様に、刃文らしい刃文は無い。いや、あるのであろうが、此処から刃文、此処から地鉄という区別がない様に思える。

 刀職者からすれば刃縁の錵深く、また刃中の錵厚く付き、地錵厚く突いて刃境判然とせず、また錵の粒子細かく光り強く綺羅星の如く輝き冴える、刃中に足しきりに入り、砂流しきりにかかって野趣があるものの、五カ伝に類する所無し。と表現する所である。また、おおよそ日本刀であればありえる事のない焼き刃の構成であった。美術品としての価値であれば一顧だにせず、武用としての観点からにしても、一度使用を以て判断するべきであろうか、と、それぞれが首を傾げるであろう。とは言えそんな事はこの男の知る所ではない。

 それが超常の強度と重量を持って、自在に消滅と顕現を行うのだ。質量保存の法則など、遥かな以前から適用されてはいなかったが、事此処に至っては武器と呼ぶ事も相当にあやしい。

 そうだ、そうである。剣という概念の、武用のそれのイデアと呼んでも良いであろうか。折れず曲がらず良く切れる、不壊にして絶対切断、絶対刺貫の概念。

 そこまで考えて、苦笑した。なんと希薄な自己であるか。思いつく事と言えば剣の事、自らの事などそもそもがそんなに考えつかぬ。何を以て己とするのか、それを問われた時に、答えるべきは名と武威のみであるという歪さ。

 これは、己が己である事を、誰かに承認されなければいざと言う時に相当な脆さを見せるであろう。

 ばかばかしくなって空を見上げた。太いため息が漏れる。空は碧く澄んでいた、それでいて、どこかじっとりと重い湿度を感じる。もう海が近いのであろう、僅かずつではあるが、潮風のそれを鼻腔に感じていた。

 しかし、記憶にある海の香りと言うものは、此処まで饐えた磯臭さであっただろうか。



 



 一度山道に入り、それでも太く歩きやすい街道を行く。大きな木々は少しずつまばらに数を減らしていった。代わりに丈の低い灌木が増え、良い香りの花を付けている。

 葡萄の畑が増えてきていた。食用にしては丈が刈り込まれている。察するに、醸造に用いられる物であろう。

 街道には商人の姿が多かった。

 海路は余所の国との交易に於いて重要な役割を果たしている。だが、それにしては出て行く人の方が多い様に見えた。何処か忙しなく、今からでは次の町までに日が暮れるであろうと言うに、一歩でも遠ざかろうとして町から出て行く様子に見えた。

 訝しく思いながらも、声には出さなかった。ティタナも気にした様子はない、そもそも好奇心は旺盛だが、あまり他人には興味を持たない女だ。どちらかと言えば、とっつきにくい人種と言えるであろう。何とはなく気まずい今、自分としても話しかけ辛い。

 なんのかんのと考える物の、彼女が興味を示していない以上、有意義な会話になるとも思えなかった。

 しばらく考えた上で、気まずい空気を放置する事にする。その内会話もまた出てくるであろう。別に話題らしい話題でなくとも構わないのであろうが、他愛ない話をするには自らが落ち着いて居なかった。

 引き方が雑になったのか、馬が鼻を鳴らして抗議してきた。頬を軽く撫でて返答する。

 荷物は意識を取り戻した後に回収した。アンドレ親方にのみ声をかけて、そっと馬を引いて去る。その際に、親方は申し訳無さそうに、深く頭を下げた。示し合わせたように、自らも振り向いて頭を下げていた。


 それにしても、と、小さく呟いて思考に没頭した。

 出る人が多いとなれば、土地に異常があるのは確実である。その面に於いては、この土地を目指したのは、間違いがなかったであろう。

 或いは己の蓄積している魔素に導かれているのやも知れぬ。質量とは本来、大きくなればなる程他を引き寄せる物だ。魔素という、それ単体では重さを持たない因子にしても同様である。

 それにしても鉢合わせたとでも言うべき時期にかちあったものだ。各所で続く異常。その理由は二つ程思い付いた。敵方が焦燥に駈られたか、手段に自信があるか。そのどちらかであろう。

 では、複数のそれらがこの時期に起きるという必然性は、何処から来たものであるのか。

 目下判明している敵の目的は、魔王レイマルギアスの復活である。しかし、敵方の目論む復活の為の手段がどうにもはっきりとしない。察するに、最後の器を手にしているのが先方なのであろう。そうは考えるものの、各地に仕掛けられた悪魔との関係性が今一つはっきりとしない。

 そもそも件の魔王が滅んだのか滅ぼされたのかも定かではないのだ。

 伝承通りであれば英雄によって、とあるが、それにしては用意が周到に過ぎる。

 では各地の魔方陣が、そもそも魔王自身が仕掛けたものである場合は?

 自身の推論を根拠とするため信頼性には乏しいが、二つの自我に振り回されるを由とせず、魔王たる意識が実権を握る為に、自らの死と再生を以て唯一たろうとした保険であるならば。

 そうであるならば、十二の欠片と膨大な力に分かたれた理由として納得が行く。

 これは、魔王自体の目的と、復活を目論む集団の目的と個別に考えるべきであろう。

 敵は、魔王の力を利用して王国を陥れる、或いは滅びをもたらそうとしたのであろうか。

 しかし解らぬ。理由が今一つ判然としない。

 滅ぼす、と言うのは確かに目的の一つであるが、その先にどうするのかと言う絵図面がどう考えても思い付かない。

 これは、魔王復活の後に国を滅ぼすと言う、直接的な呪詛の案は棄てるべきであろう。

 むしろ、魔王の欠片を利用して王国の力を弱め、その後に魔王を復活させ、その力を背景に現世での権威を思うがままにする。そう考えた方がしっくりと落ち着く。

 待てよ、そうすると―――


「シルバ、海だ!」

「おお、見えたか」


 女の声に意識を現実に引き戻された。纏まりかけていた思考は雲散霧消とするが、いつでも考えられるか、とそのまま放棄する。

 峠の、向こう側から徐々に海が覗き始めていた。ほう、と、思わず熱いため息をつく。実に眼福と言える眺めであった。

 足を止めて首をかしげる。此処から見る限り、異常は何ら感じられない。むしろ、王都よりも文化的に進んでいるのでは、と思わせる、風光明媚な港湾都市が眼下に広がっている。


「……美しい街並みだな」

「へえ、シルバもこの土地は初めてなのか」

「ああ、海賊の話も聞いたことがなかったしな」

「なるほど、それは良いことを聞いた」


 何処か嬉しそうに言う女の顔を、疑問符を頭に浮かべつつ眺めやる。

 彼女は浮き立っているように見えた。何をそんなに受かれているのかは知らないが、先程までの仏頂面よりは余程良い。

 坂道の両脇は、街に近付くにつれ、まばらであった家並が、徐々に畑とその比率を逆にしていく。

 夕陽が斜め後ろから我々を照らし出していた。白い壁の家並みが、陽を受けて鮮やかな色に染まっている。刻一刻と深紅に染まっていく風景は、なんとも原始的な郷愁を胸に懐かせた。


「どうする?」

「まずは宿と食事だな」


 短く伝えて、止めていた足を再び動かした。




 正直な所を言えば、食事をとる必要性を感じなくなっていた。

 排泄も既にする事は無い、ただ内臓は備わっている物の、食べたら食べただけ蓄積され、動いた分消費されている。傷を負わない限り、新陳代謝自体も停止している様に思われた。

 ただし、心臓は鼓動を重ねている。不可解であった、血液は確かに流れているが、血液が流れている、と言うよりは、何か力そのものが流動している様に感じられる。

 街並みを眺めながら歩く。基本的に木で骨組を作り、煉瓦を積んで漆喰を塗った構造をしている様子である。この都市だけが、文化で言えば相当に異色であると言えよう。なにしろ他の都市部は、せいぜい家を作るのに煉瓦を積み、ただ壁土を塗ってあるだけの構造が多い。木窓など数えるほどであり、それこそただの穴が壁にあけられているだけの空間であったりした。

 ところがこの街には蝶番すら存在しているのだ。どうやら我が王国は、よその国からすると結構な文化後進国であるらしい。

 行き交う人々も、どこか垢ぬけてこざっぱりとしている。

 気後れして、ティタナに声をかけた。


「俺達は場違いだな」

「そうか?」


 そうだとも、そう続けようとして目と口を丸くした。

 いつの間に衣装を変えたのか、傍らの彼女は街行く人々に劣らぬ、むしろ一角上の衣装と装飾を身に帯びている。言葉を失う自分に対し、悪戯っぽく笑いながら彼女は言った。


「擬態だよ、どんな生き物でも群れからはぐれた個体は目立つだろう? 心配するな、宿に着いたら貴様の分も用意してやるからさ」





 宿には扉が付いていた。当たり前の様で当たり前ではない、せいぜい布を垂らしてある程度で精一杯だ。所がこの街の宿にはどれも部屋ごとに立派な木の扉が付いている。無論気密性などない、ただの木板を組み合わせた物であるが、正直なところ、生まれて初めて扉を見た気がする。

 城門は、等と思うかもしれない所であるが、あれは巻き上げ式の格子が上下開閉するので扉自体は初見であった。

 荷物を部屋に纏めると、衣装を渡された。身につけてみると、港湾労働者風ではあるが、そこかしこに貴金属があしらわれており、高級感が感じ取れる風合いであった。


「うん、やはり貴様には肌を見せる類いの格好が良く映えるな」


 そう言うと、ティタナは満足そうにひとつ頷いた。そんなものかと我が身を見下ろす物の、これと言って普段と変わらぬ体があるだけである。


「ともあれ、食事にしよう」

「そうだな、とてもとても楽しみなんだ、海だろう? 海産物なんて食べるのは、どれだけぶりか忘れてしまったよ!」

 

 そう言いながら、宿の階段を軋ませる。そう言えばこれも驚いた事であった。平屋の家屋がほとんどないのだ、どこもかしこも二階建てが最低で、高い物では四階建ての代物も見受けられた。はっきり言って文明のレベルが二つは違うであろう。全盛期のローマ帝国と、同じ時期のケルトの北方領域を比較した気分であった。文化が違う、どころの騒ぎではない。

 何しろワインがあるのだ。やはり並ぶ畑のそれは醸造用で、基本的に飲みごろは冬の間、今の時期に残っているのは最後に残った物で、蒸留したアルコールを足して、防腐剤の代わりにしているそうだ。中央に出てこないのは山越えをする間に悪くなってしまうからだとか。

 

「楽しみで仕方がなかったんだ、早く行こう!」

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