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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第五章 山老は王を夢見る。
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7.

7.

 空腹は判断力を鈍らせる。

 食事を抜くのは良くないと、肉と麦粉を水でとき、滋養の為に土を一掴み、食えるものであればと考え、蛆は結構栄養価が高かったな、シルベスタは草を摘まんでいたよな、などと、集めてとにかく火を通した粥を掻き込む。

 がりがりと骨を咀嚼する。喉をくすぐる毛皮の感触が面白い。アントニオの器には入れていない。丸ごと兎を煮ては食べにくかろうと思い、骨と皮と内臓はこちらの器に外してやった。

 虚ろな目をしたまま椀を口に運んだ男であったが、半分もいかぬ内にみるみると目に力が戻ってくる。ある瞬間に、何やら叫びながら家を飛び出した。何事が自分に起きているか理解せぬままに戻ってきた。どうやら正気を取り戻したらしい。

 話を聞いてみると、村に到着してから、食事をとるまでの記憶が失われているらしい。落胆する男をなだめつつ、記憶障害もさては栄養失調の一種かと思い、食事を薦めてみた。

 アントニオは一口で満腹になった様子であった。

 これはいかんな。さては相当胃が弱っているのか。それでは明日は軽めに精のつくものでも作ろうか、と言ったらば、私にそんな事はさせられない。是非自分にやらせてくれと言うので任せることにした。

 それにより、自分は食料の調達と、警戒網の作成に数日を割けることとなった。

 狩りの首尾は上々であった。何しろ獲物は意外なことに、村の近くにも多く存在した。大概は牧草地に潜む鳥と兎であるが、時折山羊も仕留める事が出来た。

 食糧調達が終われば警戒網の作成に勤しむ。斜面自体は基本的に剥き出しの岩肌である。もともとが火山なだけあって、土壌に変わりそうな岩石ではない。基本が溶岩と玄武岩で構成された、赤黒いがらがらの岩質である。ハイマツらしき針葉低木が生えてはいるが、身を隠す場所になるかと問われれば否と答える。どれだけ大きくとも腰程度迄しかなく、また文字通り岩肌に這う様にあるので、潜り込む事も出来ない。表土らしい表土は無く、あるとしてもハイマツの根元に僅かに存在するだけであった。

 その上で樹脂が凄い。これは燃料に最適であろうが、触れた瞬間に粘りけを感じる程。まるで香草の一種かの如く、風に絶え間なく芳香を放っている。肌に付着すれば拭っても取れぬ、衣服に着いたときなど、たちどころに諦めねば、際限なく周囲の塵芥を招き寄せる。

 香りこそ胸がすっとするものの、私でそれだけ強く感じるのであるから、他のものにすれば、強烈な匂いも良いところなのであろう。

 話が逸れた。つまるところ、遮蔽物がない故に、明るい所で作業をすると、麓から丸見えになる。よって、呪式の設置は夜闇に紛れて行う事にした。幸い奴等の知恵はそこまでなく、気配を消す、等といった込み合った考えには至っていない様子である。この程度の事は予測されるか、とも思ったのではあるが、猿はおざなりな見張り役が幾頭かいるだけで、真剣に山側を見つめては居なかった。こう言う所に知性の悪性を見受ける事が出来る。下手に智慧が在るが故に、油断と慢心が顔をのぞかせるのだ。

 さらに言うならば、この数日の間、猿に動きはなかった。

 これは私に撃退されて警戒しているのか。はたまた何か警戒すべき別件でも存在するのか。

 はた、と思い付いた。

 相手は群れを頼む者である。

 対して此方は僅かに二名。

 先に大きな群れを相手取って完勝したが、他にも同じ事を考える群れがある、と考えたのではなかろうか。その上で、次に訪れた群れは強靭無比であるが僅かに少数。これにより我等を斥候、先見隊と予測し、本隊の警戒に割いているのではないであろうか。

 そう考えて夜間の内に高台に出た。

 ―――確かに来ている。後二日もすれば男の元まで後続の人足が到着するであろう。およそ三十程の松明が、火の粉を散らしながら此方に駆けてきている。

 詰まる所、猿等も焦れて来ている。

 攻勢に転じるのは今日明日の内であろう。まだまだ敵の方が数は多いのだ。如何に精強と言えど、個で群は相手取ることなど出来ぬ。普通の相手であるならば、だが。

 警戒網の呪式をあちらにこちらに広げつつ、男の成果を見にそっと訪れる。気配は限りなく薄くし、一度風下に回る徹底ぶりで近付いた。下流にて崖を飛び越え、対岸に渡る。

 見えてきたそれの威容に、思わず笑ってしまった。


「おいおい、これは一体どこの城塞だよ」


 堅牢に積み上げられた岩は一つ一つがとても大きい、まさに岩積と呼ぶに相応しい代物である。とんでもないものを拵えた物だ。これは、千年先まで確かに残るであろう。男が名を記すのであればそれも良いかもしれぬ。無論多少の荒さはあるものの、正確に切り出された岩がそんな荒さも味わいの内にしていた。

 これはあれだな、帰りに通りでもしたら、誉めてやらねばなるまい。

 良い笑顔で汗を拭いながら作業を進める男の姿に、溢れる微笑みを止められない。

 遠目に増援の姿が見えた、後二時間も経たずに到着するであろう。それまでにはほぼ終えてしまうに違いない、称賛を受けるであろうか、それとも、驚愕に声も出ないか。どちらにせよ愉快な見物であろう。その場に居られないことを残念に思いながら、身を隠しつつ対岸に渡る。

 広葉樹林と斜面との境に仕掛けた術に、何かが引っ掛かったのはそんな時である。

 急いで高台まで駆け上がった。可能な限り重力を軽減し、ハイマツの上を跳ぶ。風に煽られるのが難点であるが、走るよりは余程速い。

 見下ろせば、じわりじわりと林の境から猿がわきだしている、かなりの数だ、二百、否、三百は見えた。どうやら総力戦で来るつもりであるらしい、待つのにも飽いた所、それこそ挑むところだ。


「―――な」


 瞬間、意識を失った。

 余りにも濃密な殺意。まるで真っ黒い風になでられたがごとし。物理的な圧力を通り越して、実際の殺傷力すら伴いそうな。否、圧力はない、含まれた意味はただこれから殺すとだけ。ただし、何の経験もなかろうと、それを明確に受信できるというだけ。

 男が斜面に向けて、殺気を放ったのであろう。彼我の距離は十五kmは離れていると言うに、明確で拒絶的なそれは、いったいどうしたことなのか。

 先程見詰めた笑顔とはまるで違うその殺意に、身の震える思いを抱く。強烈な痛みだ。

 咆哮は無い、だが、確かにシルベスタが哭いている。

 それは、なんという危うさか。澱が降り積もり、凍りついていた感情が強く揺さぶられる。何をそんなに哀しんでいるのか。何をそんなに怒るのか。

 音もなく、だが確かに風が吹き始めた。それまでの爽やかなそれとは違う、明確な意志を備えた風。たちどころに雲が沸き上がった。それはまるで、コリナ・イルヴィア・ラルガに覆い被さっていた嵐天の結界がごとく。

 立ち上がった積乱雲が、たちまちに雷を纒だした。

 ごう、と、飛沫を含んだ風が吹き付ける。滝もかくやという雨が、男の進行方向に出現する。目を開けることも困難な密度の水のなかで、雷すら雨の如く降り注いでいる。ただそれが、遠目には白い壁のなかで行われている。ごろごろと大気が震える。何もかもが白い雨のなかに隠されていく。あの中は斬殺結界だ。男の視界に入った瞬間に、雷か剣が敵を殺す。

 轟く雷鳴、最中に殺意の嵐が吹き荒れていた。叩き付けるような風が、叩き付けるような雨と共に猿の動きを封じる。そこに黒い剣が奮われるのだ。悲鳴をあげる間もなく、黒猿が数を減じて行く。荒れ狂う暴風の中、黒い荒死が血化粧に何もかも滅びよと舞う。

 酷く、胸が痛んだ。

 とは言え、今こそが絶好の機会である。響く悲痛な獣声の中、身を低くして駆けた。走り抜けるのは最短の距離、目に映る端から突き殺し、一息に目的の大木まで駆ける。僅かずつではあるが猿の数も、猿の大きさ自体も増してきた。そんな中を、一直線に人間の繋がれる場所まで走る。警戒らしい警戒は無かった。出払っているのか、他の猿の気配もない。柵の一部を叩き怖し、中の人間を引き起こした。


「この方向に走りなさい、道に出たら、村を目指しなさい」


 質問は許さない。

 きっとした態度で周囲を睨み付ける。全員が動き出すまでに暫くの時間がかかった。衰弱している者もある。だがゆっくりとはしていられない。走るというよりは、転ばないようにしていると言った方が正確であろう。そのしんがりに立つと、周囲に意識を巡らせた。

 直線方向に猿の気配は無い、左、山側にはまだ近場にある。射程に入り次第、かつ射線が通り次第鱗剣を投げつけて殺した。近場の猿であれば、気配は感じた瞬間に打ち倒す様にする。容赦なく鱗の飛剣を眉間に投げるのだ。大概は音もなく倒れて死んだ。死ななかったものは心臓を拳で打ち抜いて殺した。


 しばらく進むと嵐の結界から脱出した。熱源を探るが、前方に人間意外のそれは存在しない。

 これでやっと足手まといなく狩りに勤しめる。そう考えて振り返った。

 途端、例の木の方角から殺気吹き付けてきた。他の猿よりも余程強い。なるほど、これが件の頭であるか。

 そちらに向けて駆けた。最早我慢する必要はない、雷鳴を背に力を込める。しゃらしゃらとした感触を経て、肌の一部に鱗がわきだす。


 そこには確かに魔猿が居た。

 身の丈は他の猿の三倍はあるであろう。黒い毛並みは針金の如く、螢螢と光る両の目は、蒼白く燃え上がる様な強さを放っている。


「おい、ちいさいの」


 だが、言葉を聞いて、心の底から失望した。

 ……これはない。

 辛うじて知性はある様子だが、良くて子供止まりであろう。喋るのに適さぬ構造の口で、くぐもってしゃがれた声を紡いでいる。


「なんだ、大きいの」


 嘲るように言うと、魔猿は嬉しそうに体を揺すった。なんとも毒気を抜かれるやりとりである。燃え上がった殺意が、薄れていくのを感じた。


「おまえ、つよい、おれ、もっとつよい」

「ああそうか、で?」

「おまえ、おれ、したがえ、おれ、まおう、なる」


 魔猿は続けて言った。


「りゅうのおう、さった。だからおれ、おうになる、すみか、もっとひろくする、おまえもかってやる」


 がりがりと頭を掻いた。

 詰まる所、この猿は私が居なくなったと思ってこの土地を攻めた訳か。

 間接的には私のせいか? それともシルベスタのせいか。

 今後この様な手合いが増えるのかと思うと頭痛がする。しかしそれにしてもなんというべきか。


「思い上がるな下郎、貴様ごときに我が後継が務まるか」


 魔猿は間の抜けた顔で此方を見詰めている。

 苛立った。だめだ、余りにも頭が悪い。会話が成立しない。もう早々に殺してしまおう。


「な」


 爆ぜた。

 一足に踏み込み、全速で、かつ全力で拳を打ち出す。瞬く間に両の膝を吹き飛ばした、何があったか分からない顔を張り付けたまま魔猿は崩れ落ちる。頃合いの高さに頭が下りてきた。


「冥土の土産に教えてやろう。我が名はティタナ。イリ・クトロンニク・コロマイディズ・オ・ティターニア。貴様等が平伏すべき王である。頭が高い、控えおろう」


 そっと額に拳を当てて、殺すに充分な力で以て打った。

 最後まで猿は此方の言葉を理解できず死を賜った。

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