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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第五章 山老は王を夢見る。
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6.

6.

 岩壁を割り砕く作業を止め、額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。腰元で水気を取ると、一度振り返って斜面の向こうに意識を向ける。耳にはただ風の音だけが届いている。遠く、猛禽の鳴く声が聞こえた。

 汗が引くまで遠くを眺めやって、水を飲んだ。日陰に置いておいたそれは冷たく喉をうるおす。

 目下心配事と言えば腹具合がいまいち普段と違う、という事であるが、状態自体は頗る快調であるのでなんとも言い難かった。

 警戒していた襲撃は、最初の遭遇以降、二日を過ぎても無かった。


 基礎となる壁面は仕上がり、路面の高さより一段高く積み上げてある。崖の柵と言う物は、無くても歩けるが、あれば安心するものだ。ただし階段に柵は作らなかった、それをやるとなると、最初の設計からやり直すことになる。一列上に足すのと、外側に足すのでは似ているようでまったく違う話になる。最悪の場合、ちょっとした衝撃で崩れ、かつ谷川を塞ぎかねない。強度も安全性も保障出来なくなる。

 作業開始から三日目で、基本的な施工は終わった。後は、内側に礫を詰め込む作業となる。これが一番面倒と言えた、何しろそれだけの量の石を運びこまねばならない。総重量はおよそ七八三○tにも及ぶ。途方もない数字であった。外壁作業中に切屑など多少は放り込んでいたが、焼け石に水というものであろう。この三日で埋まった容量は一割にも満たない。この先の作業量を考えて、うんざりとした。下から石礫を持ち上げるのは一大事である、岩と違って担げず、何かでくるもうにも自重で破けてしまう。半日かけて担ぎあげても、見た目にはほぼ変化がないであろう。上から落とすのであればともかく。

 天啓のごとくその考えが浮かんだのは、朝食の支度に薪を取りに上がった時の事であった。

 そうだ。そうだ、この手があった。この崖に階段を刻んでしまえばよい。下にある物を持ち上げるのは手間であるが、上にある物を下に落とす分には然程の手間でもない。砕いた端から穴に落とせば良いのだ。幸いに、路面からこの場所までは高さにして三十mはある。傾斜を三十度程度に抑えれば、相当な量の石材が手に入るであろう。足元の直下には半隧道とも言うべき掘り込みがある物の、そこは避ければ良いだけの話である。

 早速計算した。道幅は三mもあれば十分であろう。むしろ、角度を四十度程度にしても、幅を四から五程度にすれば賄えそうな量だ。これであれば話は早い。飯を食い次第、さっそく取り掛かって片づけてしまおう。


 この作業もやはり急激に進める事が出来た。今回はそれこそ大雑把で良いのだ、ある程度の大きさに砕けていれば、それで話は済む。

 宙空に障壁を張る。弾き飛ばした石が、谷や道に落ちぬ様枠を作る。その後は、高さを良く見ながら岸壁に剣を打ちつける作業があるだけだ。豪快に破砕音を響かせながら、上から一段ずつ階段を削り込んでいく。能率の良い手段を思い付くと、これ程気が軽やかになるものであるのか。

 岸壁の角から順に、斜面側に階段を彫り込んでいく。不壊の魔器とはこのような時に本当に便利である。損耗を気にせず、全力で石に打ち、突ける。刃筋を立てる事に関しての修練にも実に良い。僅かでも狂えば刃は逸れるのだ。一瞬たりとも気を抜かず、一瞬たりとも目をそらさず岩に立ち向かう。

 たちどころに岩屑は眼下の空白を埋めて行く。時折足元にたまった石屑も、障壁術の応用で下に流す。土を掘る様に、それよりも容易く岩を切り開いて行く。見る者が居れば目を疑うであろう。自然、口元は爽やかな笑顔で彩られていた。


 三度目の夜が来た。空間はあらかた埋め終わり、表面には刻みを入れた岩を短冊状に削り積み重ねてある。後はこれを敷き詰めるだけであるのだが、ここまでやって、やりすぎたかと、ふと思った。

 これでは援軍として来る人間のやる事がなくなってしまう。そうなると、無駄足も良いところだ。

 増援が来るのは、早くとも明日になるであろう。であれば、此処から先は任せてしまっても構うまい。

 地に敷く石板は、一枚当たりの重量が三百kg程度、数人がかりで運べば、なんとでもなる重さだ。そこまで考えて、一度坂の上まで行き、自分が施した工事の後を遠目に眺める。

 うむ。これは良い仕事をした。

 これだけの建造物だ。人間だけであれば、十年経っても完成はするまい。ましてや岩の大きさが大きさだ。起重機の発明も未だ行われていない、一度は発展した文明が、滅び去った世界だ。数百年かかっても実現できない可能性すらある。

 実に満足である。画竜点睛を欠く状態ではあるが、完成させてしまっては後続の人々に申し訳がない。自分からすれば十数分の作業であるが、彼等がどれだけの時間をかけるかは解らないのだ。

 切り出した階段をゆっくりと登る。何と言う、この、言葉にしがたい到達感か。これだけで、路銀うんぬんよりも今回の仕事を請け負った甲斐があると言う物だ。素晴らしい充足感だ。

 斜面に出る。ごう、と、顔に風が吹きつけて来た。階段を上る間は感じなかったそれ。かすかに、かすかに獣の臭いを感じる。空は晴れ渡っていた。風は強く、からりと乾いている。雨の気配は無かった。

 見下ろす彼方に、僅かであるが人の起こしたらしき明かりが見える。あの位置からであれば、急げば午前中には到着するであろう。迅速な対応であった。

 一度下に戻り、自分の荷物を纏めた。これより先は、この場での警戒が主となるであろう。人が増えれば猿共もこちらを見逃すまい。そしてそれは、結果として彼女の仕事の後押しとなるのだ。

 その場に座り込んで、外套にくるまった。腰の袋から、干し堅焼きパンを取り出しおもむろに頬張る。ゆっくりゆっくりと咀嚼した。

 者共、いつなりとかかってくるが良い。この場にて、見事撃退して見せよう。


 片目だけを瞑って眠る。かつては常にそうしていた。両目とも瞑り、深い眠りに入るのは、彼女と共に在る時だけである。夢現の狭間に、そんな他愛もない事を考えた。


 ゆっくりと両目を開ける。

 谷の下流から、人の声が聞こえて来た。緩いとは言え上り坂だ、それを結構な速度で進んできている。

 増援が到着したらしい、近付くにつれて驚愕の声が大きくなってくる。実に気分が良かった。こういうとき、自分は本来こういった小さな人物なのだと確認できる。分不相応に祭り上げられている、とも思うが、事実やっている事は確かなのだ。それを、ただ素直に呑み込めないだけである。

 更に人々が現場へと近づいてきた。距離が無くなるにつれ、積み上げられたそれらの巨大さに言葉を無くしている様子だ。さもありなん。この規模の石材など、何処でも用いられることはない。十分の一でもまだ大きい。せいぜい石垣に使われる石など、両手に余る程度が良い所だ。

 隊を纏めているらしき男が、停止の号令をかけた。訓練されている訳ではないのであろう。てんでばらばらに、思い思いの格好で男達が休息を取っている。男は親方と呼ばれていた。しきりに積み上げた岩の具合を確かめながら、唸り声をあげている。そろそろ自分もそちらに向かうとしよう。

 綺麗に掃き清められたそこには、最早足音を立てる様な砂利もない。とは言え、ぬっと現れたのでは男達も警戒する事であろう。じゃりじゃりと、わざと音を立てながら階段を下りる。


「増援の方々だろうか」

「へい、自分は石工頭のアンドレと申します。シルベスタ様でございましょうか!」

「如何にも」


 専門家であるか。些かの気恥かしさを覚えながら、彼のもとへと足を進めた。

 さて、出来栄えは如何なものであろうか。


「先走って済まなかった、どうにもこの先で、危急の事があってな」

「いいえいいえ、どうぞ御気になさらないでくださいまし。そんな事よりも、この仕業です。こいつは、シルベスタ様が御一人でなさったのですか?」

「うむ、それなんだが、親方の目から見て、如何であろうか? 不出来に映らなければ良いのだが」


 今になって、じわりと不安が滲みだした。

 自分は専門家ではない、その仕業が、専門家の目に止まった時にどう見えるのか。後になって急に羞恥心を抱いたのである。

 アンドレ親方は、難しい顔をして縁に積まれた石を見つめていた。内心冷や汗が流れて行く。そこは、見つめているそこは、最後に割る際に、気が逸れて斜めに打ちこんでしまった所であった。よって、改めて障壁で固定し、後から四角く切り出しているので、節理とは違う切り込みが明らかに目に見えているのだ。


「ふぅむ……」


 親方は正確にその位置を指でなぞっている。

 熱くもないのに汗が噴き出た。何と言うか、親が今にも怒りだしそうな気配を纏っている所に、動く事を許されない子供の様な―――


「―――シルベスタ様」

「ああ、なんだろうか」


 声が震えるのではないか、と思った。かろうじて裏返ってはいない、息が切れているだけに思われるかもしれない。ただ、どう見ても激しく動いては居ない事が知れるであろう。何とも言えぬ居心地の悪さを感じるままに、親方に歩み寄る。

 アンドレ親方は、肩の力を抜くとこう言った。


「御見事、他に言う言葉が御座いません」

「……おう、そうか、それは嬉しいな」

「黒亀甲岩は扱いの難しい岩です、少しでもたがねの角度が違えば、この部分の様にまともな割れ方をせず、節理に沿って割れてしまいやす」

「なるほど、確かにそうであった」

「所が、ここまで積み上げられている物のたがね目は、そりゃあ見事な物だ。よほど切れるたがねで、よほど大きなそれで、よほど思い切りよく、しかも完璧な角度で打ちこまなきゃこうは切れねえ」


 親方が岩の表面を手でそっとなぞる。その顔には、怒りと、羞恥と、憧憬と、やりきれない感情があふれていた。




「俺はこの道で三十年食ってます。自信があった。誰にも負けない技術があると。だからこそ解っちまう。俺にはこんな芸当はできねえ、いや、人間じゃあこんな代物は何百年経っても作れねえ」




 言葉には噛み殺す様な強さがあった。

 それが、ぎりぎりと胸に食い込んでくる。息が苦しかった。自分が砕いていたのは岩だけではないのか。このまっすぐな男の心と誇りも砕いていたのか。笑いながら。


「……なるほど、シルベスタ様が英雄だってのはよく理解できました。その上で、無理を承知でお願いいたしやす。こっから先は、人間に任せちゃくれませんか?」

「……ああ」

「申し訳御座いやせん、有難うございやす」

「……いや、親方の、言う事は、正しい」


 氷入りの冷水を、頭から被せられた気分であった。


「俺は、些か……調子に乗り過ぎていた様子だ」

「……シルベスタ様が悪いって訳じゃあ御座いやせん。ただ、貴方を人の枠に、俺達は置いておけねえ。それを許しちまったら、俺達は生きている意味を見失っちまう」


 最早言葉も無かった。

 アンドレ親方に深く頭を下げると、踵を返す。

 なるほど。なるほど、その通りだ。俺は石工ではない。俺は建築家でもない。俺はただの戦士でしかない。

 そして、人間からはみ出してしまった元人間でしかない。

 やり場のない怒りが、悲しみが、行き場を失った喜びが、様々な熱い何かが。胸中をめちゃくちゃにかき回してくれる。

 自分が切り開いた階段で斜面へと上がった。

 なるほど、思いあがっていた。俺は他人と同じ道を歩けるのだと。

 とんだ思い違いであった。既に我が前には荒野しか残されていないのだ。

 悲しみのままに、背の剣を抜いた。具合の良い事に、怒りをぶつける相手がすぐ近くまで来ている。斜面の地平に黒い塊が蠢いている。三十、四十は越えまい。だが少なすぎる位だ。


「良かろう、相手をしてやる」


 人を越える為に人を捨て、この地の果てまでやってきたのだ。

 今更人間らしい喜びに、額に汗する労働に喜びを見出すなど、俺には贅沢が過ぎたのだ。

 良いだろう。ああ、良いだろう。

 貴様らを皆殺しにして、俺が何者であるのかを再度確認する事にしよう。


「―――起きろ、レイマルギア。待たせたな、今こそ貴様の本当の出番だ!」


 手の中の剣が高らかに鳴く。

 歓喜の声を上げる剣と共に、俺は黒く蟠る猿軍へと駆けた。

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