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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第五章 山老は王を夢見る。
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3.

3.

「あの、ティタナさま」

「なんでしょうか」

「魔法って、話にはきくけど、どんなもんなんですか?」

「……ふむ」


 魔法とはなんであるのか、か。

 考えた事もなかった。切り立った峡谷を歩きながら、アントニオに問われた内容を反芻する。見上げれば、大地の裂け目のように岩壁が聳え立っている。その先の空を見上げつつ、少し考えた後。


「そうですね、我がままを形にする理不尽そのものでしょう」


 と、答えた。


「わがまま、ですかい?」

「ええ、自分の我がまま、です」


 他に形容の上手いのが思いつかなかったというのもある。突き詰めれば、この谷の様に大地を引き裂くことも可能となるのだ。

 勿論、個人にはあまりにも過ぎた力だ。普通に暮らしている人間には、決して使える様にはならない。エラリアの、それこそ近衛上位の人間でも、武器を介して初めて形になる程度。

 王国においては、賢者と呼ばれる研究者で、それでも二つ三つ使えれば良い方であろう。しかも、そんな賢者など、国に一人居るか居ないかである。

 魔法とは、読んで字のごとく魔の法である。

 麻に、幻惑と陶酔に潜む死者が用いる、理不尽な神流しである。

 常識を超越する現実の上書きである。

 通常これを用いるのは、魔獣から上の面々であろう。それを、意識せずとも常に発動させるとなれば、相当の高位階と見て良い。

 具体的に言えば、想像したものをそのまま具現化する力だ。魔素や霊素を操り、物理の媒介を必要とせず現象を引き起こす。

 現実に介入する非現実が、所謂魔法という代物である。

 その認識はアントニオにも確かにあったようだ。わがままを、と小さく呟いた以降、女であるとの侮りの視線が綺麗に無くなった。今はむしろ、驚かされ過ぎて卑屈な程になっている。

 無理からぬことではある、言わば人型の魔獣、それこそ魔人が隣を歩いている様なものであるのだから。


「それで、最初に着く村にはどのくらい住んでいるのですか」

「へえ、ひとつあたり、大人が八十人程度で、家の数がそれぞれ七、八軒くらい纏まってます。ちょっと詳しい数までは、おらぁわかりません」

「いえいえ、充分です」


 なるほど。大人の数がそれであるなら、子供の数はその倍は見てよいであろう。老人数名と、その子夫妻が数組、孫世代でその数を構成している事が予測された。

 長らく民兵を募る戦は無かった筈だ。

 そう考えると、十二、三で子を作り、その後十五年は生殖可能な人間だ。食糧さえ充分に供給されれば爆発的に繁殖する。そうであれば、一つの村当たりに人口が二百四十ほどになるか。軒数は七か八、被核家族、一族で一軒の持ち家であろう。

 むしろ屋根は雨露凌ぎと割り切っているに相違ない。人口密度は相当に高そうであった。


「産物についてお聞きしたいのですが、何を作って居られるのですか」

「さんぶつ……へえ、羊毛を街に商っております」


 言葉の意味を噛み砕くかの様な間を空けて、アントニオは言った。簡単に聞いてやった方が答えやすいか。

 畜産で羊毛となれば、必要なのはそれなりに広さのある牧草地。ちらと見た岩肌は玄武岩質であった。

 となると、この先にはカルデラが広がっていてもおかしくは無い。外輪山に住んでいるのは、先祖からの言い伝えか。少しでも火口から逃げ出しやすい様に、縁に住んでいるのかも知れない。

 それにしても暮らすには難儀な場所である。平野には人の住まぬ草原も多く在る中で、このような所に、山肌にわだかまる様に暮らしている。それを考えると、かつて政争に敗れた民が、追いやられた結果、この地に根を下ろしたと見る事も出来る。

 なるほど、此処は落人の集落で、今となってはその伝承も失われたか。

 よく秘境に点在する逸話である。時が過ぎて地上の権力者も滅び、かつての逃げ延びた民が、村を外界に開く。結果として、伝承は掠れ失われ、純粋さも、向ける相手の無い怒りも風化していく。やがてただの山里となるのだ。この土地は、まさにそんな収斂の結果なのであろう。

 いや待てよ、山肌が急峻であるのは、牧畜をする上で効果的であるか。外敵の侵入は防ぎやすく、家畜の逃亡も無い。理に適っているではないか。

 曲がりくねる川沿いを、走るように登って行く。視界が徐々に開けて来た。やがて、一際高い岩の頂き、その南側に寄り添うように存在する集落が見えて来た。どこか黒い靄がかかっているようにも見える。

 それを見て、里心がついたのであろう。


「もうしわけねえ、ティタナさま、おらいかねば」


 そう言い残して、アントニオは駆け出してしまった。

 引きとめようとした手を引っ込める。

 安全の確保がなされていない以上、出来れば一緒に行動をしてほしかったのであるが、行ってしまったものは仕方がない。

 死んだら死んだで彼自身の責任である。無理に引きとめはするまい。


 不意に、うなじに視線を感じた。

 不審に思われないであろう程度に、ゆっくりと周囲を観察する。木立はほとんどない、剥げた岩山である。どこからこの視線が来るのかが解らない。

 だが確かに感じていた。力を抑えているからか、馬よりもはるかに鈍感に、この肢体を観察している。

 粘り付く様な視線である、そこにどのような欲が含まれているのかまでは解らないが、なるほど、これは重圧を感じるであろう。

 一度アントニオの駆け去った方角に目を向けた。

 歩いて二時間と言っていた、あれだけの速度で走れば三十分ほどで着けるであろう。


「しかし、なんだな」


 嫌に静かである。麓からの道は、集落から丸見えであった。元来は外敵を見張る意味もあったのであろう。だと言うに、見上げる集落に人の気配は伺えない。

 おかしな話であった。

 辺境の住人は物見高い、娯楽が乏しいゆえに、好奇心にあふれている。それが何の反応も見せない。声すら聞こえない。明らかな異常であった。

 べっとりと背中に視線が張り付いている。振り返って山肌を睨みつけた。およその目端をつけて見たが、視線のあった気配はない。不可解であった。理由は解らないが、敵の行動圏内に入ってから、ずっと観察されている。隙を窺っているのか、不気味な事この上ない。

 歩く内に、やがて最初の建物にさしかかる。岩肌に、申し訳程度に積み重ねられた日干し煉瓦が、僅かに転落防止のそれと知れる。

 靄の正体が割れた。近づくにつれて蠅の羽音が聞こえてきたのだ。それも尋常な数ではない。

 死の気配があった。


「御免ください」


 一応声をかけて、開け放たれた戸口に立つ。

 戸板は完全に破壊されていた。恐ろしい数の蠅が、室内に渦を巻いている。夏場である、如何に高地が涼しかろうと、骸の腐敗は避けられまい。

 この時点で私は、村が何者かの襲撃で全滅したことを確信していた。

 目が徐々に闇に慣れる。はたしてそこには、大きな血だまりが二つ、黒々と地面に描きだされていた。

 ざっと屋内を見渡して、構造を把握する。文字通り、雨露を凌ぐための構造であった、部屋割りなど何もない。寝る時は一斉に雑魚寝であろう。幾本かの柱とかまどがあるだけで、壁は外壁のみが見える。幾つか明かりとりの小さな窓がそこには開けられていた。

 無数の蠅が、そこかしこから体当たりをしてくる。目を細めなければ飛びこまれそうだ。黒い靄を掻きわけるようにして中を観察する。床には大きさのほぼそろった蛆が大量にいた。

 違和感を感じながら、血だまりに触れた。


「……乾いている?」


 色と腐敗具合、蛆の状況からして二日程経過しているか。土に染み込んだ、と言うよりは、全て舐め取られたと表現すべきであろう。血だまりの輪郭は、なすりつけられたように滲んでいる。

 ところどころに巨大な手形があった。シルベスタと比してもまだ大きいであろう。


「……魔猿、狒狒の類いか」


 殊更に性質が悪かった。

 狒狒は人に近しいだけあって、智慧持つ者が多く在る。ただし、それは非常に原始的であり実に野蛮な知性だ。残虐性と言っても良い。どういう訳か、彼等は猿の持つ社会性を全て失ってしまう。欲求に突き動かされるまま、人を襲う事もしばしばあった。今回など、まさに典型的な事例と言えるであろう。

 建物を出た。途端に先ほどまでの視線が再び体を這う。荒い、獣特有の息が聞こえてきそうな程に粘ついた視線であった。

 狂い猿か。

 ひとりごちて次の建物に向かう。共通の文様が戸口に切られている。これがこの一族の紋章なのであろう。察するに、九つの氏族がこの山帯に住み着き、標高の高い順に、その分家、そのまた分家となっているのであろう。

 血だまりは二軒目にも二つあった。同じくめぼしい物は無い。三軒目、血だまり一つ。四軒目、血だまり四つ。五軒目、三つ。六軒、二。七、五つ。


「解せん、な」


 数が合わない。

 人死にの痕跡が明らかに少ない。アントニオの話からしても、生活の痕跡からしても、一軒あたりに軽く見積もっても十人以上は住んでいる。雑魚寝の形跡を見てもそれは明らかであった。血だまりは少なくとも二日程経ている。

 どこかに避難しているか、はたまた連れ去られたか。

 前者であれば、脅威を除けば自ずと住人は戻ってくるであろう。後者であれば急ぎ捜索、敵を仕留めれば助かるやも知れぬ。

 恐らく、抵抗した者はその場で貪り食われ、抵抗しなかった者は連れ去られたのであろう。

 腐った血の臭いが染み付いた気がして、一枚皮を脱ぎ捨てた。

 敵の数は解らないが、猿の化生であるならば群れを率いている可能性もある。

 血の状態から見て、複数の件が一度に進行していると考えて良さそうだ。同時に他の村も襲っているとしたら、アントニオの村もその被害にあっているであろう。

 鼻をならして、アントニオを追った。彼の村は中央だという。全力でそちらへの道を駆けた、自分の足であればものの数分で到着する。





 アントニオは家の前で呆然としていた。ぺたりと地面に腰を下ろし、力なく肩を落としている。大きな手のような足跡が周辺にあった。

 一足遅かった、と言った具合であろう。足跡は一部、水で描かれている。まだ乾ききっていなかった。

最悪の状況を覚悟して、横から覗きこむ。

 蝿が涌いていない事にほっとした、少なくとも血痕は無い、ただし、屋内はひどく荒らされていた。農具やらなんやらが引っ掻き回されている、隠れていたところを探し出されたのであろう。

 その中の、気になる足跡があった、同じ個体であろうが、わずかだが広さが違う。皺の形は同じなのに、潰れ具合が違っていた。

 これは抱えて連れ去ったか。

 呆然と揺れるアントニオには声を掛けず表に出た。夕闇は既に近付いて居る。彼の安全を確保できる時間は少ない。

 一瞬迷った後、足跡を追跡した。基本はシルベスタから習っている、獲物を持った獣、その帰りは一直線になりがちだ、であれば、この足跡の延長線上に敵がいる可能性が高い。

 猿もかくや、という動きで直線上の岩山に駆け上がる。

 見下ろして、舌打ちをした。

 どうやら外輪山を越えて外側に出たらしい。植生が道の傍とは違っていた。広葉樹林が繁っている、街道のそれは植林されたそれであったらしい。湖が見えた。

 足跡は途切れている。だと言うに、捜索すべき範囲が広大すぎる。

 拐われた人間の無事は、時間を経れば経るほど可能性が低くなる。食われるか、或いは犯されるか。賊徒でもなければ、後者は普通であれば無い。毛の生えた獣にとって、はげた獣が美しく見える道理がない。

 ただ、狂っているなら話は別である。人ですら獣に手を出す事がある。

 これは、シルベスタの力が必要になるかも知れない。だが、アントニオを一人置き去りにする訳にもいかない。

 何か、連絡を取る手段を考えねばなるまい。

 外輪山の西の縁に太陽が沈みゆく。黄金の光が、橙を経て血の様な赤に変じて行く。東からは夜闇が迫っていた。特にこれから訪れる時間は、敵の本領が発揮される凶ツ時である。せっかく関わったのだ、面倒を見てやらねば、寝醒めも悪くなろうと言うもの。

 仮の宿を取るために、アントニオの村へと踵を返した。

 

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