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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第五章 山老は王を夢見る。
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2.

 がさり、と、下生えが揺れた。ひょっこりと顔を出した兎が、鼻をひくつかせながら周囲の様子をうかがっている。

 針葉樹林帯には、穏やかな木漏れ日が指していた。ひょこひょこと出て来た彼が、草の葉を忙しなく食み始める。

 ふと、その耳が何かを捉えた様だ。訝しげに、かつ恐ろしげに耳をそばだてた兎の頭上を、直後に大きな影が三つ通り抜けた。驚愕に全身の毛が逆立ち、筋肉が緊張に一気に固まる。

 幸運なことに、影らは彼に気が付くことはなかった。馬蹄の音を轟かせながら、一目散に目的地へと駆けていってしまったのであった。

 しばらくの間、彼は動かずにいた。動くものは、捕食者からすれば、風景の中で異質なものに映るからだ。頻りに空気の臭いを嗅ぎ、風下に耳を、目を向け、安全である事を確認する。

 衝撃が大きかったのであろう。ぎこちなく繁みの中に足を向けると、彼は後ろも見ずに巣穴へと逃げ込んでいった。




2.

 低く、低く。重心を安定させたまま、落ち葉を蹴り上げて飛ぶように疾駆する。

 アントニオの話からするに、村を観察していた何者かは、下界と断絶させることで時間的猶予を手にいれようとしている様子である。それを考えると、既に動き出している可能性が高い。時間は残されていないと考えておいた方がよさそうだ。

 馬上の相方を流し見た。戦力的には二人で問題がない、むしろ、一人でも事足りるであろう。敵の数が幾ら多くても、彼女を仕留める事が出来るとは到底思えない。味方はむしろ足手まといである。自分が土木作業を担当し、彼女が村への救援を施した方が効率の面で良さそうだ。

 今回初めて移動に馬を使った。余分な荷物は街の商業会館へと預けてきた。武装と食料を除けば、ほぼ身一つと言った具合で柔らかな土の街道を疾駆する。アントニオを馬に乗せ、自らは手綱を引いた。彼がいる場合、これが一番早く移動できる手段である。二人だけであれば、道など無視して直線を走るのが最も、それこそ飛ぶのを除けば一番早いであろう。

 アントニオは速度に目を回しながら、必死に鬣にかじりついていた。山育ちだけあって平衡感覚は相当に良い。落馬しそうになる事が無いのが救いであった。

 もう一方に目を向ける。相変わらず彼女を載せた馬は、死んだ目をしていた。諦めきっていると言っても良いであろう。生物的な強度の差が、敏感に感じ取れるらしい。根源的な恐怖から、機械じみた硬さのまま走り続ける馬を、時折なだめ労いつつひた走る。

 明らかに異常な速度で街道を駆ける。

 空を往く者か、はたまた川を下る者か。例えるとしたらその二例程しかあるまい。その甲斐もあり、半日と経たずに問題の崩落地点に到着した。歩けば街から二日はかかる距離である、相当な時間を稼げたと考えて良いであろう。


「此処か」

「これは……相当の幅が崩れているな」


 ティタナは腰に手を当てると、崩落箇所を覗き込んでため息を吐いた。

 なにしろ山道とは言え、馬を引いてすれ違えるだけの道幅だ、それが、左手の山肌ごと、ごっそりと下の川に崩れ落ちているのだ。

 崩落した岩肌を見上げると、どうも柱状の節理が見受けられる。玄武岩質の山肌に、申し訳程度に土が張り付いている様子であった。知る限り噴火の歴史は無かった筈であるが、実は火山帯であるのかも知れない。上空から見れば判明するかやも、などと思いながら見聞する。垂直に切り立ったそこは、まるで岩ごと粉砕されたかの様に、えぐり取られていた。


「……結構な距離があるか」


 さしわたしで三十mは在るか、岸壁ごとえぐれているので、山肌側からの迂回はできそうにない。そのくせ、匙でえぐったかのように、底部は丸く滑っているのだ。何らかの意識的な力が働いているのは明白であった。


「ティタ、先に行って縄を下ろす、昇降はそれで頼む」

「心得た」

「ええっ!?」


 やりとりに、アントニオが疑問の声を上げた。見れば疑惑のまなざしで此方を見つめている。いや、これは睨みつけていると言った方が良いか。


「シルベスタ様が、きてくれるんじゃあ」


 男の疑問はもっともである。事情を知るか知らないかで、彼女の見え方は確かに変わる。

 

「ああ、彼女がいれば問題ないだろう」

「そんな、そんな簡単に言わねえでくだせえ!」


 まあ、それもそうだよな。などと呟きながら周囲を見た。

 外見からだけでは、彼女の実力はうかがい知れまい。ひとつ頷いて、付近の潅木を二本切り取った。長さは三m程、それなりに撓る。

 投げ渡すと、彼女は心得たと言わんばかりに体の周囲で取り廻して見せた。ごう、と風が啼いた。アントニオがはっと息をのむ。僅かにその存在質量が顔をのぞかせる。村人一人萎縮させるには充分であった。

 おもむろに打ちかかる。手加減はしない。折れない程度の速度のそれは、巻きこむようにいなされた、破砕音が響く。そのまま鋭く五度突き出される。確実に正中線を狙うそれ、頭を振ってかわした、中、右、左、右、左、引き手に合わせて掬いあげた。破砕音が響く。穂先を巻きこむようにして、飛ばそうとした穂先が飛ばされそうになる。舌を巻いた。確実に彼女の技術は磨かれている。硬い音を立てて棒が絡まった、お互いの間合いを制圧せんと棒が唸りを上げる。

 横目で見れば、アントニオは口を丸くして目を剥いていた。それも仕方あるまい、ただ速いだけでなく、魔素を纏った棒の先が、当たる端から木石を砕いているのだ。岩に当れば岩が砕け、茂みを払えば上半分が斬り飛ばされる。

 最終的に、互いの棒が保たず、打ち合った瞬間に弾けて折れ散った。まあ、これだけ見せれば充分であろう。


「見ての通りだ、彼女はこれだけ扱える。棒槍だけじゃあない、なんでも使えるから心配はいらない」

「……お、おみそれしました」

「これだけではありませんよ、魔法も使えますので」

「え、えー、はぁ」


 茫然と返すアントニオを尻目に、必要な道具をそろえてもらう。円匙、鶴嘴、丸太引き、斧、鉈。道具袋から取り出すように、彼女は霊素からそれだけの物を作ってのけた。

 さしあたり、これだけあれば充分であろう。


「十分か?」

「ああ、助かる」


 そう答えて、岸壁を確かめる。程良い岩の節理にくさびを叩き込んだ。くさびには穴が開いている、此処に縄を通して垂らすのだ。一度谷底まで赴き、反対側の崖を這い上ると、同じようにくさびを打ち込んで縄を垂らした。

 後は彼女に任せておけばよい。


「それじゃあ行ってくる」

「ああ、任せた」

 

 短いやり取りの後、女はするすると縄を使い降りて行く。アントニオも、おっかなびっくり後に続いた。

 反対側で手を振る彼女を見送って、作業の算段を付ける。

 崖下までは十五m程ある。今は、谷底の流れを土砂が塞ぎ、水がたまっていた。自然堤の上部から、改めて流れ出した水が小さな滝を作っている。

 崩れた岩の大きさはそれなりに大きい、これであれば、余程の大雨でもない限り、土砂堤の決壊による下流域の水害は考えにくいであろう。

 流量は毎秒五立方m程か、それなりに多く、流れももともとは速そうであった。

 雨季には十二m程度の谷幅いっぱいまで水が来るのであろうが、今はさしわたし三m程、水深最深部で四十㎝程度の流れとなっている。都合が良かった。

 周辺を見渡すと、それなりに使えそうな大きさの岩が、それなりに転がっている。上流から流されてきた物もあるのであろう、一抱えを超す大岩があちこちにあった。

 これは重畳とばかりに、周辺の大岩を担ぎ出して集め始めた。やはりもともとが火成岩であるのだろう、節理の向きが解り易く入っている。大きくうなずいた。これならば、復旧作業も容易く進められる。また、土砂だけで再構築するよりも、余程頑丈に作り直す事が出来るであろう。

 頭に絵図面を引く。これだけ用いやすい岩があるのだ、基本切り込み接ぎで大岩を組み、最後に土を被せる。それで良かろう。

 早速作業に取りかかった。岩の向きと高さをそろえ、底面と天板を決めて行く。レイマルギアが役に立た。下手なくさびよりも、たがねよりも確実に、かつ一撃で岩を割る事が出来る。振りの精度を高める練習にもなった。

 崩落した個所を掃除する。一旦残らず岩をどけねば作業がやりにくい。結果的に土砂で作られた堤は五十m程上流にずれる事となった。作業中に足場が水浸しでは捗らない。反対側の壁面近くに水路を導き、そちら側を流れる様に設計する。

 猛然と円匙を振った、上に何が乗ろうと関係ない。自らよりも大きな岩を、綿の塊がごとく放り投げる。地盤で形が悪い所には鶴嘴を叩きつけた。そうやって、綺麗にえぐれた岩盤を成型して行く。出来れば奥の壁面は底面との接地個角度を九十度まで持って行きたい。そうこうしているうちに、徐々に日が暮れて来た。山の夜は明かりが無い分とても暗くなる。確かに星明かりは明るいが、それで作業する程物好きでもない。

 一度道に這い上がると、野営の支度を始めた。

 

 考えてみれば久方ぶりに、一人きりの夜である。以前は当たり前であったが、なんとはなしに心が疼いた。寂しいとは思わない、ただ、なんとも言えず、心が浮かれている様な気がしないでもない。

 興奮しているのを自覚した、どう表現するべきか。何かを作る事と言うのはことさらに楽しい物であり、それが大きければ大きい程、己が思うままに進めば進む程、喜びもまた大きくなる物である。

 しかも今回は道である。それもただの道ではない。近衛にいた頃、確かに街道整備の任を行った事もあるが、そんな規模の話ではない。さしわたし三十m、幅六m、高さ十五mもの大規模施工だ、およそ個人で関わる代物ではない。浮かれるのも無理は無いであろう。

 思わずほくそ笑んだ。増援が来るまで、後五日はある。それまでに何処まで進める事が出来るであろうか。

 既に基礎工事は終えた。石もある程度切り出してある。明日は朝から石を積もう。

 心が躍った。日に一m、いや二mは積み上げたい。そうすれば、増援が来た段階で、そこそこの高さになっているであろう。

 確か、玄武岩の比重は三前後だったはずだ。となると、一立法m辺りの重量が約三t程度、それなりに重たいが、自分であれば問題ない。問題があるとすれば、それだけのサイズを確保し続ける事であろう。場合によっては、違う大きさの石を組み合わせる事になるかもしれない。いやいやまてまて、それであれば、前後に難所らしき細い個所があった。あそこを拡張するのと同時に石切場として用いれば、材料が確保できるのではなかろうか。


「そうすると、困った事になるぞ。困った困った」


 などと呟きつつも、困ったつもりは一切なかった。むしろ、それならばどうすれば美しく頑丈に石が積めるか。そちらの方が気になりだしている。

 一番頑丈なのは、中までみっちり綺麗に積み上げる事だ。だが、それは途中で材料が尽きた時に見た目が悲惨な事になる。それであれば、コの字型に前後と右側のみを組み上げて、中には切屑や土砂を詰めた方が良いのではなかろうか。最後に滑り止めの刻みを入れて、大岩で蓋をすれば完璧であろう。

 否、排水の不便がある。それであるならば、横長の石を用いた方が良いであろう。上り坂なのだ、ある程度の摩擦が用意できた方が良い。とは言え、表面の凹凸は、大き過ぎれば荷駄や車輪の負担になる。滑らず、排水に長け、かつ行く者の負担にならず、その上で、どうせやるのであれば美しい方が良い。

 胸が躍っていた。これは、実に楽しい。初めての体験ではなかろうか。

 市場で仕入れた香茶を入れる。ごりごりと干堅焼きパンを齧りながら、良い匂いのそれを啜った。

 ほう、と。短いため息を吐く。自然と口元が緩んでいた。

 何と言う充実感か。物作りの、道造りの喜びとはこういうものであるのか。

 かつて生きた国の人々が、何故あれほどまで年末に道路の工事にやっきになっていたのか、災害時の感動するほどの手腕を何故持ちえたのか。今となってはそれも良く理解が出来る。

 なるほど。これは、こんなにも楽しい。


「朝が待ち遠しいな」


 そんな、焦がれた声が転がり出た。

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