表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第五章 山老は王を夢見る。
47/66

1.

1.

 どう、と、屋根の上を乾いた熱い風が吹き抜けた。

 低い所に浮かぶ雲は、まるで手を伸ばせば届きそうな程に近い。ゆるやかに形を変えながら、まるで綿が転がる様に吹き流される。雲のない空との境目は、違う風のぶつかる所なのであろう。明確な空の分かれ目を見せる雲らが、地上に日陰のモザイクを描いていた。強い日差しに目を細めながら、喧騒の市場を歩く。


「もう、すっかり夏だな」

「そうだな、良い季節になった」


 王都を離れて二十日が経っていた。

 当初の予定通り、南東の沿海州を目指した男と私は、なんのかんのと冗談を交えながら街道を進んでいた。西と南に山並みを持つこの土地は、海からの風が山向こうで湿度を雨に変えている。結果として、この地方の夏は短いもののからりとしていてすごしやすかった。

 途中で立ち寄った都市村落では既に、男が語ったエーデルホフ・サーガが住民に熱狂的な支持を受けていた。英雄の最期に涙する人々を見るに、養父殿は恐らくあの世で身悶えして居ることであろうと推察する。

 そもそも、自分を語られる時に、あれほどいたたまれない顔をしている男が、どうしてこんなに慈しむ目をしながら養父の物語を聞いて居るのか。どうやら、これは男なりの供養のつもりであるらしい。

 貴様それを自分の身に置き換えてみろよ、と言いたくなるが、まあ、まあ、深い愛情故なのであろうと納得しておく。

 男は、今回の件で王へ報告した際、全ての手柄を養父の物としていた。自分はそれにとどめを刺しただけであると、結果コリナ・イルヴィア・ラルガの雨も止んだと。

 流石に納得はされなかった。確かにエーデルホフは食い止めたやも知れぬ。だが、結局はシルベスタがやったのであろう、と。王はしばし考え込んだ後。


『騎士エーデルホフこそ騎士の鑑である、本日ただいまより、生まれいずる男子にエーデルホフと名付ける事、人名として今後用いる事を永久に禁ずる』


との勅令を発し、その上で男にも褒美を出した。男は緊急時における資金調達方法をねだっていた。

 郡爵以上への領主に対し、王家の紋章入り短剣を見せることで資金を引き出す。それが爵領への負担にならぬよう、シルベスタが一筆添えて、領主の名義で王へ請求する形だ。

 男は勅命文書を持ち歩くだけで良く、硬貨が嵩張らなくて良い、と喜んでいた。

 とは言え、あくまでも火急の用向きの場合。普段から銀行が如く引き出せる訳ではない。それ故に今回は目先の金に窮するのが目に見えていた。


「何か仕事をするか」

「そうだな」


 気分は日雇い人足だ。夏の爽やかな日差しの中を、連れだって商業会館へと足を向ける。出来れば隊商の護衛などがあると良い。


「……なんだ?」

「妙な気配だな」


 そう、考えて居たのであるが、いざ中に入ってみると、何やらおかしな空気が漂っていた。普段通りの蒸し暑さであるが、その熱気にどこか力がない。

 頭を抱える商人達が、掲示板の前に塊まっていた。

 いつものような活気は何処へやら、淀んだ空気の中に、どちらかと言えば誰がやるんだよ、と言った、ややなげやりで、かつ牽制するような気配が漂っている。

 ぬっと、人ごみの後ろから男は掲示板を覗き込んだ。


「見えるか?」

「ああ。なんでも、南西にある山村が、道の崩落で孤立しているらしい」

「よくあるのか?」

「いや、初めて聞いた」


 少人数集落の孤立化は、かつても幾度か目にした記憶がある。

 この近辺の気候から察するに、食糧自給率はそれなりに高いはず。短期的な危急さ、との観点からであれば、そこまでの問題は無さそうである。だが、隊商達からすれば、僅かな売り上げでも後々に大きく響いて来る事になるであろう。そしてそれは、村人からしても同じ事であるであろう。決して儲かる話が転がっている訳ではない。隊商とのやり取りも、日銭を稼ぐための物と言い切って良いであろう。となれば、消費されるのは冬に備えて蓄えられている物から、となる。今、金を稼いでおかなければ、この冬が越せない可能性だって出てくるのだ。

 男の言葉からすると、以前に道が崩落したのは十年以上の昔らしい。であれば、当時の記憶など微かになっている可能性もある。孤立したのは経済や長期的計画等とは無縁の人種である、村長が如何に諫めても、目の前の空腹には耐えられまい。特に若い人間は飢えで簡単に理性を飛ばす。また、都市部ですら十分な教育が施されていない、識字率が三割を切る世界だ。山村であれば、読み書きの出来る人間が集落に数人居れば良い方であろう。村長の特権を支える能力ろされている可能性もある。それを考えるとあまり時間はない。


「大事だな」


 私の言葉に、ああ大事だ、とうなずくと、男は考える事もなく言った。


「ここより三日の所だそうだ。人足を募集しているな、受けよう」

「良いんじゃあないか」


 男は一つ頷くと、受け付けに依頼受諾の旨を伝えに歩み寄った。災害派遣は英雄の基本業務だ。男の膂力があれば、復旧作業は数百倍はかどる事であろう。それこそ、崖ごと崩落していようと、七日もあれば立派な街道を開通させてのけるに違いない。

 壁際に置かれた椅子に腰を下ろし、手持ち無沙汰に辺りを眺めた。贅沢にも複数のカンテラで照らし出された室内には、油煙と人の汗、男達の体臭が混ざった、何とも言えない臭いが漂っている。普通の人間から比べて、鼻の利かない私でこれだけきつい思いをするのだ、これは相当なものであろう。カンデラリタなど目を回してしまうかもしれない。

 受付で歓声が上がっている。周囲よりも頭一つ半抜きん出た男だ。それだけでも有り難いと言うに、それが辺境の勇者シルベスタと来れば言わずもがな、というものであろう。


「やっぱり災害救援は英雄の基本だよな」


 などと呟きつつ、何気無く隣に目をやると、そこには何やら危険な雰囲気を放つ、薄汚れた衣を纏った男が居た。

 怯えきった目をしている。それが最初の印象であった。

 椅子に腰を下ろし、前屈みで肘を膝にのせ、腰を丸めて指を硬く組み、かたかたと震えながらその手を口許に押し付けている。目は血走っていた。何か恐ろしい者に取り憑かれているかの様にも見えた。

 尋常な様子ではない。

 気になって、僅かも迷わず話し掛けた。


「もし」


 男は目だけで此方を見ると、僅かな間恐怖を忘れたように私に見惚れた。


「もし、隣のお方、何かお困りでしょうか」


 しばし目の前で手を振る、男の目に意識が戻るのを待って問い掛けた。


「お話しくだされば、何かお力になれるやも知れませぬ」

「あっ、あの、いや、こんな別嬪さんじゃあ」

「荒事、ですので?」

「……ああ、女の人じゃあ……たくさん来てもらってもちょぃ無理だ」


 そう言うと、今度は俯いておし黙ってしまった。

 成る程。

 見るに、男の手足は細身だが実にがっしりと力強い筋肉で出来ている。特に足腰が強そうだ。サンダルから覗く足指は、汚れきっているが太く逞しい。手は節くれだって大きく、掌には分厚いたこが出来ていた。

 私は、そんな体格に見覚えがあった。庭師や林業従事者、或いは山の強力など、山や森林、庭に携わる人間の体である。

 言葉から察するに近隣。衣服は襤褸で汚れているがしっかりしたもの、足回りが草の汁で変色している所から山あいの住人。それこそ、件の孤立した集落の住人ではなかろうか。

 ……態度からすると、村が何かの脅威に曝されている。まだ目立って被害は無いが、いつ何が起きてもおかしくはない。早急に増援を呼ばねばならないが、人が集まらない。その上で足止めを食っている、と言った具合であろうか。


「……察しますに、賊徒の類い、でしょうか?」


 そう言うと、男はぎょっとしたように目を剥いて此方を見た。


「あんた、なんで」

「何となく、では御座いますが」


 男はしばらく考えている様子を見せた。話すかどうかを迷っているのであろう。暫くして、言うだけ言ってみる気にはなったらしい。緩く手で目許を覆うと、そんなもんじゃあない、と小さく答えた。


「……あんたに話すような事でもないが、あれは人間じゃあなか。もっと、もっとおっかないものだ」




 男はアントニオと名乗った。

 なんでも、高地にある九つの集落。その中央に位置する村の出身であるらしい。


「俺らの村は、干し茸だぁ、木材だぁ、羊毛だぁ、街に下ろしてたんだ」


 そんな暮らしの中で、ふと、森の中から異様に強い視線を感じるようになったという。

 何者かは解らないが、不気味なことこの上ない。子供や女は昼間でも家の外に出たがらない。幸い家々は点在している訳ではなく、ある程度纏まっているので相互に警戒が出来ている。だが、いつ何があっても不思議ではない。気のせいかも知れないが、空気がどんよりと澱んでいるようにすら感じられたと言う。暮らすだけで胃が痛くなる様な思いをするのは御免であった。幾度かの話し合いを経て、調査の依頼を出す事が決まり、足の早い男が街まで降りて来たのだと言う。


「しったら、おらがすぐ後ろで、道が崩れたんだ」


 ちょうど、崩落した部分を通り過ぎた時の事であったと、アントニオは言った。

 山に生きる人間だ、山崩れや、地滑りの前兆くらいは把握している。ところが、大雨も、湧水も、木の斜角化も、地震も、地鳴りすら無い。何も前兆がない中で、真後ろの道だけがごっそり谷川に崩落して行ったと言う。恐ろしくなって、一目散に街まで駆け下りて来たそうだ。


「はやく、はやく帰らなきゃならね。嫁と娘が待ってるんだ、……あいつらが化物に襲われてでもしたら、おらこの先生きて行けね」


 言葉の最後は涙で滲んでいた。

 シルベスタが戻ってきたのは、かける言葉もなく、男の話が途切れたその時で、実に頃合いであった。


「道具が揃わんらしい、出発は三日後だ」

「シルバ、急いだ方がよさそうだ」

「どうした?」


 男はそう言うと、椅子に腰かけたまま目を丸くしているアントニオに視線を投げた。どうやら、それだけで大体の事情を察したらしい。アントニオは小柄な男である。私と比較しても、頭一つは違うであろう。その上で椅子に腰を下ろしているのだ、文字通り、子供が大人を見上げるような心持ちであった事であろう。


「盗賊でもでたか?」


わずかにいぶかしむ声音で、低く、豊かな声量で男は言った。


「獣、であればよいが」

「……孤立集落に獣か、どちらにしても厄介だな。急がなければなるまい」


 賊徒であれば、余程凶悪なそれらでない限りは村人にどうこう、と言うのは考え難い。何しろ荒くれで、かつ真っ当な生産活動からこぼれ落ちた出来損ないである。騎士や傭兵くずれである彼等は、戦うことしかその心身に備えていない。よって彼等には、食料を自給する能力がないのだ。どちらかと言えば、山中に拠点を持ち、旅人を襲いながら村に食料をせびる、と言う構造を作る。暴れすぎて目をつけられるのは彼等も避けたいのである。それよりも厄介なのは、人の味を覚えた獣だ。人間は柔らかく、数がまとまっていて鈍い、抵抗が弱く、捕らえやすい。一度目は事故か、或いは落ちていた躯か。二度目は恐る恐る、三度目からは明確な空腹と意識を持って。熊か、狼か、あるいは猿か。そのどれにせよ、村一つなど容易く殺してのける顔ぶれである。

しかも今回の場合、下界へと繋がる唯一の経路を崩されている。狩り場か、それとも他の何かか。明確な悪意すら感じられる状況だ。これは、敵が知性を備えた魔獣である可能性を匂わせていた。

 

「解った、すぐ出発しよう。他の救援隊には道具が揃ってから後を追うように伝える。俺の道具は間に合わんからティタ、任せる」


 それだけ言い残すと、男は早速受付に取って返した。

 必要な連絡事項を伝えて、その足で集落への道を辿る心算であろう。


「心得た。さて、アントニオ殿、私の連れはシルベスタと申しまして」

「……辺境の……勇者?」

「おお、流石に御存じですか。それならば話が早い」


 土気色であった男の顔に、急速に血色が戻ってきた。確かに運が悪かったと言うべきであるが、その時に我々が居合わせた事、それだけは間が良かったと言うべきであろう。出来ることはあまりにも多く、他の人間には真似のできない領域である。


「いざ、参りましょう。貴殿の集落に平和を取り戻すために」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ