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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第四章 我が屍を越えて行け。
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7.

7.

「さて、どうする」

「報告は、そうだな、必要だろう」


 ため息をつきながら男は言った。

 確かにその通り。コリナ・イルヴィア・ラルガの雨を止ませた、丘に立つ亡霊の噂とその原因を解決した。

 手柄としては解りにくいであろうが、吟遊詩人が大喜びするのは間違いない。


「ぼかして伝えるか?」

「いいや、お前の事以外はありのままに伝えるさ」

「あえっ」


 おかしな声が出て、赤面した。ふとした拍子にこちらを向いた男が、意味を測りかねて怪訝な顔をするも、すぐに気が付いて忌々しい顔になる。


「ばか、そっちじゃない、背に乗って云々だ」

「あ、あああ、ああああ、うん」

「……まったく、自分から仕掛けて来た癖にいちいち動揺しやがって」

「ううううるさいな!」


 そうなのだ。たまに男の顔をまともに見られなくて困る。

 何と言うか、あの時の私は、私であって私でない様な、経験した事のない生物的な衝動に押し流された居たと言うべきか。

 ぽくぽくと蹄の音だけが響く。今までは沈黙などどこ吹く風と、旅を楽しんでいられたのであるが、どうにもいろいろ考えてしまってばつが悪い。

 早いとこ折り合いをつけねばな。などと思う上に、これは愛着であっても愛情ではないよな、などとも思う所がある。男もそれは同じなのであろう。これと言って扱いは変わらないし、態度も普段と同じままだ。

 そういう意味で、私が悶えているのは、あの夜自身を制御できなくなった事。ひょっとして自分はウナと同じ程度の色欲持ちなのでは、などと疑ってしまう弱さが所以なのである。

 一つだけ確かなのは、おそらく無限に続く命の中で、唯一失わずに済む者が出来た。そんな可能性が出て来たことであろう。


「報告した後はどうする?」

「王都にも長居が過ぎたしな、今度は南東にでも足を向けてみるか」


 シルベスタはそう言って、おおざっぱに方角を指差した。

 

「その心は」

「海がある……というのは冗談として、あの巨大な魔方陣、あれが二つだけだとはとても思えん」

「確かに貴様の言う通りだ」

「配置の法則性がまだ解らんのだが、規模が規模だろう? エラリア一国を対象にしている気がする」

「なるほど」

「俺も専門家ではないから何とも言えないが、怪異の噂を追っていけば、何かしらの痕跡は手繰れるのでは、と思うのだ」

「相手の正体が何者であるか解れば、目的も探りやすいのにな」


 そう言うと、男は一瞬『あれ?』と言った顔をして視線だけを上に向けた。


「言っていなかったか。敵は最古の魔人王が復活を目論む一派らしい」


 なんだそれは。

 全く知らないぞ。


「どこで掴んだんだその話……あ、養父殿か」

「ああ」

「だから、どちらにしても我等に絡んでくることになるだろう、とさ」


疑問符が浮かぶ。男の言葉からすると、此方に関わりのある何かが。


「……レイマルギアか!」

「御名答」

「―――思い出した。そもそも、オ・バシリアス・ティス・レイマルギアスと言えば、魔法王国を滅ぼした魔王の呼び名じゃないか」

「ああ、らしいな」

「……なんで気が付かなかったんだろう」

「長名の一部分だろう? むしろ気が付く方が珍しいだろう。よしんば気が付いても、気のせいで流すか記憶に引っ掻けておく程度じゃないか」


 だからお前も気付かなかったのだろうさ。そう言うと男は遠い目をして言った。


「俺達が黒い魔素と呼ぶものだがな、あれ自体が魔王の欠片なんだと」

「嘘だろう?」


 一瞬何を言われたのか理解できず、思考が漂白される。最初に言葉を、次に男を疑った。それは本当に信じがたい内容であったのだ。


「ああ。残念なことに本当らしい。正直に言えば俺も信じがたい。だが、言われてみればしっくりと腹に落ちる。魔獣や魔人が、何故奪い合うように潰しあいをするのか、何て事もな」

「それは、確かに」

「精霊王の涙雨、あの一件が無ければ、俺も信じられたか怪しいところだが、実例を見せられてはな」

「放出されたのが、神代の霊素だった件か」

「ああ。あれもあって確信した。魔人王が魔素を呪ったんじゃない、魔人王は、自身を構成する要素を、滅ぶ際に、霊素よりもはるかに感知し易く、利用しやすい魔素に転じたんだ」

「いつか、一所に還るように」

「そうだ。レイマルギアはその器なんだろう。人間も魔獣もいずれ滅ぶが、器であればまず滅びる事は無い。復活するに十全の力を蓄えた時、担い手を喰らってしまうのか、それとも担い手が喰らうのか。どちらかは解らないが、そんなところだろう」


 宝物庫に二口揃っていたのは偶然だろうが、他にも幾口かあるに違いない。かの魔王からすると、保険の積もりであったのかは、今となっては解らないことである。

 事実、外観の差こそ装飾が増えたと言った所であるが、同種を斬ったレイマルギアの存在質量は倍化していた。大きさも重さも変化が無いと言うに、鞘から抜き放たれた瞬間に、あらゆる視線をくぎ付けにするであろう。魅了された、と言うのとはまた違う。その巨きさ故に目が逸らせなくなるのだ。

 目を逸らせなくなると言えば、男もまた大いに変化を遂げていた。なんと言うべきか、周囲の風景に埋没することが無いのだ。どうも全体の輪郭がくっきりと際立っている。意識的に隠れる、隠す事は出来るようなのであるが、普段は妙に目立つ。一格上に存在がずれた気配がする。

 精霊王とは土着の神に相当する、それ一柱分の霊素を取り込んだ結果か。男の体は神代のそれに等しい物に作り替えられている。今はまだ途中で、力も馴染みきっていないようであるが、いずれ何もない所から何かを取り出す事も出来るようになるであろう。もっとも、そこまで到るには数百年の時間が掛かるであろうが。

 それでも不安はある。現状のレイマルギアはまさに化物器物だ。それを、男が今後も御し続けることが出来るかどうかが、行動の焦点になってくるであろう。


「それで南東か」

「ああ、問題あるか?」

「ない。付き合うよ」


 そう言って、男の引く手綱を奪った。瞬間に馬が緊張から機械じみた動きの正確さになる。どうしても慣れてはくれない様だった。




「しかしまあ、晴れると気分が良い物だ」

「まったくだ、こんなに太陽がありがたかったとは」


 寝床の支度をし、水汲みも済ませた。

 体を解す男に付き合い、剣を構える。おや、と言うような顔を彼がした。


「片手か」

「そうだ、いつまでも貴様にやられたままだとは思わない事だ」

「ほう、面白い」


 今回は自信があった。

 しかし、両手で握ったままだと言うのに、立ち方一つで見抜いて見せた男の眼力に恐れ入る。


「行くぞー」

「来い!」


 気の抜けた声で男が言う。踏み込みは一足で間合いを全て潰すそれ、初撃は突きで、受けるかかわすかした所に七式の剣が襲いかかる。

 自然体のまま、躊躇なく右下に払った。こすれた刀身が澄んだ音を響かせる、男はそれを流すように絡めると、斜め下からの鞘切り・裏に移行する。

 臆せず踏みこんだ、右手の剣は未だに流されたままである、僅かに男が眉根を動かした、ぬるり、と何か粘っこい物が滑りこむように、その剣が受けの姿勢を取った。流石に判断が早い、男の攻撃よりも先に、確かに私の刃が届く。直後、私の左手にある剣がそれに逸らされて地に流れる。

 私の左側に踏みこんできた男が、剣を上段から岩割に振り落とした。流れた勢いそのままに、背に添えた右手の剣で背後に流す。

 左の剣を突き出した、同時に右の剣が首元を掃うべく弧を描く。

 男はそれらを、岩割から心穿ちに移行するまま絡めて宙に跳ね上げた。このまま耐えれば手首を痛める。咄嗟に手を放した、両手から剣が失われ宙を舞う。手応えの無さに男が訝しむ気配、回転の勢いは殺さず地を這った、頭上を男の剣が轟と音を立てて通り過ぎる。死にはしないだろう、そう考えての事か、手加減は一切感じられない。僅かに遅れて、地を這う私の左足が男の前足を回転のままに刈り払う。

 咄嗟に男は左足一本で飛ぶと、こちらの頭上を遥かに越えて側方宙返りをしてのけた。

 何たる身軽さ、だが、こちらも男が着地する頃には既に両手に剣を掴んでいる。男の顔に、焦りの滲んだ笑いが浮かんだ。


「まさか双剣が使えたとはな!」

「最近までは忘れていたがな!」


 深く断つ様な太刀筋は必要ない。

 浅く、浅く、かつ素早く。とにかく手数だ、それでいて威力が乗れば申し分ない。

 双剣の用法には二つある。

 一つは軽い剣で手数を増やすこと。

 もう一つは、圧倒的な膂力(背骨の力、背筋力)を用い、片手で両手の働きをすること。


「行くぞ!」

「おう、来い!」


 風を切り裂く音も猛々しく、刃を身に纏う様に剣を振う。本来であれば双刀の用い方であるが、わが身より生まれた剣なれば、剣刀変わらぬ用法で問題は無し。

 鼠花火の様に斬りつける。男に七式の歩法が在るように、こちらにもかつて蓄えた七星の歩法がある。上下左右あらゆる角度からの斬撃は、男に慣れ親しんだ型を使わせる隙を与えない。

 だが流石だ、それでも流石だ。

 一撃一撃が必殺の領域に達するこの重い剣を以て、秒間八撃は下らない剣嵐の中、確かに男はあらゆる斬撃を無効化しながら前に進もうと足をにじらせる。

 昂る。

 これは、頗る昂る。


「どうした! 手も足も出ないか!?」

「はっ! ぬかせ!」


 既に男は剣を剣らしい持ち方で保持していない。まるで槌槍がごとく、刃根元と半ばを掴んで、杖が如く取り廻している。

 だからこの男は侮れない。

 剣しか習っていないと男は言うが、習わずとも周囲から盗んでのけている。今だとて、隙あらばこちらの剣を絡め取らんと、男の剣が視界に歪んでいる、否、歪んで見える程の不可思議な動きをしている。


「見切った!」

「甘い!」


 左手の剣が絡め取られて宙に舞った、即座に踏みこむ男を新たに生やした剣が上段より迎撃する。抜かりは無い、無限に剣を生み出す事が可能な己なればこその戦術である。


「ふん!」

「ぃわ!?」


 しかし男もさる者、手に持った剣を放すと、振り下ろされる柄頭に己の右手を添え、さらに此方の右面に踏み込んで、左手で脇の下から喉首を捕まえに来た。こちらは肘を極められている形になる。僅かに遅れて男の左足がこちらの膝の裏を踏み抜きに来た。

 これは危険だ。こちらの肘を砕きながら、膝を踏み砕き喉を握り潰し、後頭部を地に打ちつける投げ。


「らぁあぁあああああ!」

「させるか!」


 確実な殺し技に、剣を手放し顔を引き攣らせながら右手で喉首を掴む男の手を握る、肘に手を添えると、後方に宙返りを打った、そのままの勢いで極められた肘をそのまま曲げる。僅かに男の蹴り足が遅れたから助かった物の、同時であれば今頃目を回しているであろう。

 脇固めに極まりきる寸前で、男が肘を曲げた。なかなかに往生際が悪くて楽しくなる。固めていた左手を放し、男の腕の上を転がるようにして後頭部に左の肘を叩き込む。これも寸前で、前転してかわされた。同時に飛んで似たような前かがみの姿勢で対峙する、今度は己の右手が掴まれている。

 瞬間、互いに固まった、引き込めば飛びこまれる、放せば飛びかかられる。掴めば隙が出来る。

 耳に届く風切り音、互いに選んだのは同時に飛び退く事であった。

 地に突き立つ剣を抜き、落ちて来た剣を掴む。男も再び剣を手にしていた。


「正直驚いている」

「何がだ?」

「もっと、獣の様な戦い方をするものだと思っていたからな」

「忘れていたんだ、本当だぞ」


 男が自身の掌を見つめながら言った。

 言葉の間にも隙は無い、改めて踏み込む隙を窺うと男の構えが変わった。

 具体的に言うならば、打ち合う構え、であるのだが、どうにもそれにしては重心が攻撃寄りに見える。

 まあ良い、試せば解る。

 一足に踏み込んだ、上と左からの同時攻撃はしかし、男の斬撃によって一撃に減らされた。


「良し!」

「嘘だろう!?」


 斬り飛ばしよった。この男、襲い来る剣を半ばから。

 瞬時に思考を切り替える、いちいち鱗を生やしていたのでは間に合わない。それであるならば、霊素から剣を練り上げた方が余程早い。さらに言うならば、秒間八撃ではまだ足りない。

 回転を上げた、拳足も加えて秒間十六撃、無限の体力に物を言わせて襲いかかる。男は防御に専念しているかのようで、積極的に此方に斬り付けてくる。振り切った剣は必ず中ほどから斬り飛ばされている。

 冗談でなかった。今日こそ久し振りに勝てると思ったのに。


「―――ならばっ!」

「ぬおっ!?」


 剣が来る、そう思う意識に隙がある。鉄鎖を引きずり出し、先端の鉤針を男の靴に引っ掛けた。

 流石にこれは予想外だったのか、男が踏ん張ろうと重力を制御する。

 今だ。

 鎖を引き千切りながら、近い足首に組みついた。そのまま、男に向かって前方宙返りをしつつぶつかっていく、剣を挟ませる隙は無かった、男の首に足を絡めると、全身の屈筋で一気に縮み、足を引き上げる。もつれ合って倒れ込んだ、回転の勢いそのままに足首を固め、首を足で締めつつ剣を突きつけた。


「……参った」

「……勝った」


 本当は双剣だけで勝てると思っていたのに、隠し玉の全てを引きずり出されてしまったのであった。

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