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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第四章 我が屍を越えて行け。
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4.

 おい、せっかく生きたんだ、強くなってみないか。

 駄目で元々、そう思いながら声を掛けた子供は、弾けるように立ち上がると言った。

 俺に戦い方をくれ。奪われない力をくれ。

 腹の底からの願いだった。

 こいつ、面白いな。

 そう思った。それが、後に息子となるシルベスタとの出会いである。






4.

 大気が熱を持って揺らぐ。立ち上る、物理の圧力すら備えた剣気に、雨が互いを避けて落ちる。

 最早霧雨すらこの身には届かない。大粒の雨滴すら弾き飛ばす気力は、そこだけを夏の大気に変えている。見る間に体も衣服も大地すらも乾いて行く、肌から立ち上る湯気は、焼けた岩に水を掛けたが如し。

 ああ、嫌だ嫌だ。養父殿の言う通り。

 口先で、頭で、心で斬り合いをどれだけ厭うても、鍛え抜かれたこの身が。鋼と化し、化者となったこの体が。強者との斬り合いを切望している。


「さて、坊や、まずはおさらいだ」


 嬉しそうに、快活に笑うと、騎士は短く言って構えた。見るでもなく体が備える。十年毎日死ぬ間際まで苛め抜き、共に身に備えたその業だ。今更忘れよう筈もない。繰り出されるは七式の一、岩割上段よりの切り下ろし。そしてそこから派生する七式の返し。

 ふ、と、騎士が動いた。遅れることなく自分も動く。水の堰を切るが如く。合図も何もない、父が踏み込み息子が受ける。都合七度の澄んだ音が響いた。

 よしよし、と、嬉しそうにエーデルホフが笑う。


「一式に対して七式の返し、忘れていない様だな。次だ。それを束ねた四十九式、行くぞ」


 構えは再び上段より、即ち岩割、剣帯、首打ち、胴抜き、鞘切り、股裂き、そして心穿ち。七つに区切られた音が七度、互いの立ち位置を僅かに変えながら繰り返される。当たり毎に僅かに違う音。ぶつかり合う金属音は、良くできた打楽器に似ている。耳に心地よいそれこそが、我等が慣れ親しんだ音曲だ。連続して型の通りに剣が動く。徐々に上がる速度により、互いの剣が鋼色の大蛇が如くのたくって見える。故に此の歩法を、天球に輝く七星、水蛇座に準えて呼び慣わす。


「上出来だ、次行くぞ」


 す、と、自然な動きで左右が逆に構えられた。足の位置だけならず、手の内すらも入れ換える。変幻自在なガーデンツィオ流、更に畏れられる裏の型が始まる。鏡写しの様に正確に、先ほどとまるで同じ、それでいて正反対の剣撃が鳴り響く。


「表裏合わせて九十八式、……は、良いだろう。腑抜けた顔しているから心配したが、上達具合は上々だ」


 ちん、と、切っ先が合わせられた。


「その上での簡化七式、弛めるなよ?」


 ぐっと腹に力がみなぎる。

 簡化七式は互いの位置がめまぐるしく入れ替わる。

 即ち岩割に対して股裂き、剣帯に対して鞘切り、心穿ちに対して心穿ち、首打ちに対して胴抜き。

 全てが必殺の抜き業である。だが、不思議な事に完璧にこの型を演じたのであれば、お互いの刃はお互いを捉えない。唯一心穿ちのみが刃を絡ませ、お互いの切っ先を空に押し上げる。歩法による位置の移動、それぞれの太刀筋、全てが噛み合って、他は触れることなく音も立てずにもとの位置に戻る。体の直近を刃が通る。体毛が、衣服が、鎧が僅かに切られて飛ぶ。一つ間違えば臓腑を散らす。

 心臓が早鐘を打っていた。


「体は暖まったか? 此処からが本番だ」


 そう言って、エーデルホフは構えを解いた。

 全身から汗が噴き出した。理解させられた。この時点で自分は養父に負けている。既に飲まれているのだ。切り結んだ瞬間に、確実に致命傷を負わせられるであろう。

 曰く、内式。

 それぞれの型が動き出す前の、体内での型。全ての動きに対応出来る様、そして最速で相手に死を与えられる様、ぎりぎりと力が練り上げられている。

 体が固く硬くこわばっていた。

 負ける。あの姿を目にする以前に、否、あの男を目にした瞬間に、それも否、そもそもここに来る以前に決めて居なければならない覚悟があった。

 出来て居ない。出来て居ないのだ。そんなものは。エーデルホフの意識があると知った瞬間に、言葉を交わせるかもしれないと考えた瞬間に、そんな覚悟は消し飛んでいるのだ。

 呼吸がまとまらない。でたらめに痙攣する横隔膜が、整ったそれを許さない。

 塩辛く、べたついた脂汗が目にしみる。言訳にもならないそれが、視界をじわりじわりと歪ませる。

 心が折れている。この怪物は、目の前の男は、そんな生易しい物ではなかった事を知っていたと言うに。

 目に見えぬ蔦が全身に絡みつくような気がした。指先一つとして己の自由にならぬ錯視、瞬き一つ後にある自身の血飛沫が容易に脳裏に描きだされる。

 後悔が身を苛む。だが今更だ、来てしまった以上、他に選択肢は無い。

 動かなければ、力を抜いて備えなければ、自ら踊りかかって敵を斬り伏せねば。

 だが、ああ、だが。手にした剣は未だかつて感じた事がないほどに重く、握りしめる手には際限なく力が込められて行く。これではまともに戦う事はおろか、剣を振うことすらままならぬであろう。

 血の気が全て失われた。足の裏から流れ落ちて消える幻視。手の力は籠るばかりであるのに、足の力はまるで病を得たかの如く失われている。膝が震えていた、武者震いなどではない、ただただ恐怖に足がすくんでいた。

 力が要る。この呪縛じみた恐怖を打ち払う為に。

 腹の底から息を吐いて、もう一度吸い込んだ。大きく、大きく。

 エーデルホフの眉根が寄った。構うものか。今は兎に角動けるようにならなければ。


「……おい」

「―――おおぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 全てを打ち払うがごとく吼えた。竜の咆哮もかくや、というそれは、確かに身を縛る恐怖を打ち払った。ほとばしる魔素が球を描いて雨粒を天へと弾き返す。そして―――


「―――隙だらけだ、たわけ」


 ―――背後から、父であった男の呆れ果てた声を聞いた。


「あ」

「馬鹿が、飲まれやがって」


 断絶している。一瞬も気を逸らしたつもりなどない。だが、既に終わっている。

 何をされたかは解っていた、どう斬られたかは解らない。だが、鞘切りの一撃を身に受けた事だけは、ふつふつと体が伝えてくる違和感が物語っている。

 足から力が失われた。天に押し返した雨粒が、倍の勢いで叩きつけられる。膝をついた、衝撃で血が噴き出す。左の脇腹から右胸に切っ先は抜けている。


「が」

「興醒めだ」


 失望した声。命が流れ落ちていく。雨が容赦なくそれを地に押し流す。ひどくさむかった。

 くさいきれ。壁にぶつかるように地に倒れた。からだがうごかない。

 足音がする。何かをちちがいっている。よくききとれない。あしおと、ちかずいて―――


 ごきん、と、頭に衝撃を感じ、それきり何も感じられなくなった。





 ―――ほのおだ。

 あかあかと燃え盛る。こうこうと火花をとばす。

 崩れた家から叫びがあがる。

 母であった人、父であった人、兄弟たち。

 必死で抵抗した。

 噛みついて、殴りつけた。

 結果、家族と離されて、殺される。


 広場に連れ出された、他の家も、もえている。

 血まみれだった、動いているのは自分だけ。

 こうなるのが嫌で、こうなるのが嫌で。

 嫌で嫌で、いっしょうけんめい生きようと、守れるようになろうとしていたのに。

 ちかりと光が走る、ちかりと体が傷む。

 ちかりと大人が嗤う、ちかりと体が痛む。

 すぐに血にまみれた。


 子供のからだの血なんてたかがしれている。

 すぐにうごけなくなる。

 熱くて痛くてからからに乾いていた。

 涙も出ない。

 燃えて居た、内側から。

 怒りで燃えて居た。

 殺してやる。


 息がしにくくなっていた。

 もうなにもできない。

 でも殺す。

 動けない。

 でも殺す。

 息ができない。

 でも殺す。必ずだ。



 目が覚めると、布でミイラになっていた。

 どうやら助かったらしい。

 見れば剣を背もたれに、でもそこに凭れず騎士が座っている。


「気がついたか」


 振り向かずに男は言った。


「お前は井戸の中に浮いていた」

「みんなは」

「死んだ。済まん、間に合わなかった」


 そんな風に、簡潔に、ぶっきらぼうに、とてもとても申し訳なさそうに彼は言った。


「奴らは」

「逃げられた、俺が来た時には、虫の息のお前だけが残されていた」

「どうしておれだけ」

「体質だな、魔素が揮発しない。お前は村の連中に生かされたようなものだ」


 みんな、家の中でゆっくりゆっくり焼け死んでいった。

 家も人も家畜も獣も、いっしょくたに焼け死んでいった。

 土地ですら焼けて死んでいた。だから魔素が放出された。だからお前が助かったんだろう。

 そう男は言って、思いついたように続けた。


「おい、せっかく生きたんだ、強くなってみないか」


 弾かれたように立ち上がった、なんて答えたかは良く覚えていない。

 ただ、嬉しそうに笑うと、養父は自分を背に負った。

 お前には素質がある。そう言うと、男はまた笑った。







 ゆっくりと目を開いた。

 天幕に雨が弾ける音。

 草いきれの匂い。

 辺りは水浸しのはずなのにすっかりと乾いた空気。

 何も着ては居なかった、毛皮が傷に障らぬよう上にかけてある。

 

「な、ぜ」


 疑問が口をついて出た。殺せたはずだ。十や二十ではきかない、無限に殺し続けるだけの隙があったはずだ。

 殺されたならそれでも良かったと思ってしまった、どうせ彼に助けられた命、彼に食われてしまうのであれば、それもまた運命であろう。心が負けていた。

 折られた。剣はある。だが心が折れている。だが生きている、何かが介入したか、情けを掛けられたか。纏まらぬ思考を投げ出して目を覆った。声が掛けられたのは、そんな時であった。


「気がついたか」


 声音に色はない。気遣わしげな表情なのであろう、見ずとも解った。彼女が癒したのであろう、傷は癒えて居た。魔素の総量に変動はさほどない、養父のレイマルギアは自身を食わなかったのか。

 震える息を吐きながら身を起こした。額に乗せられていた手拭いが腹に落ちる、なるほど、担ぎこまれて世話を焼かせていたらしい。


「何故生きている」

「聞きたいか」


 屈辱だろう、言外に女は言っていた。その通りだ、だが聞かねばならない。


「言えよ」

「今の餓鬼には覚悟が無い、顔を洗って出直せ。……とさ」

「……そうか」


 慈悲ではない。戦士の慈悲なら首をその場で刎ねている。騎士のそれでもない、騎士のそれならば、そも斬り合いに至らない。父親のそれ、であれば、養父の望みは死力を尽くした後に、どちらかが果て潰える事なのだろう。

 顔を覆った。涙が出そうで参る。なぜ自分が恩人を斬らねばならないのか。

 どうしていいのかわからなかった、胸の中をぐるぐると激情だけが渦巻いている。やり場がなかった、どこかに吐きだしたい、どうすればいいのか。


「貴様はどうしたいんだ?」

「うるさい」


 女の言葉に苛立ちをぶつけた。それがますます自分をみじめな者に見せる。


「定まらないのか?」

「黙れ、うるさい」


 そうだ、ティタナの言う通り。

 どうしたいのか定まらず、何を求めているのかも解らない。


「養父殿と貴様が向かい合った時に、私は貴様が死ぬと思ったよ―――っ!?」


 胸倉を掴んで、体を入れ替えた。

 女は目を丸くしている。手に豊かな弾力が伝わってくる。内に秘められた熱さが、強張っていた体に染みいるようだ。


「何が言いたいんだ」

「シルバ、貴様はどうしたいんだ?」


 見るからに汚染されている。助けるとは、殺すことに他ならない。

 理解していて、目を逸らしていた。

 自分にはその覚悟が出来て居ない。

 頭にきた。どうでも良くなった。だが、どうすればいいのか解らなかった。


「なあシルバ」

「黙れ!」


 掴んだ胸倉を力一杯引き裂いた。

 形の良い、張りのある大きな乳房がまろび出る。白かった。それが目に鮮やか過ぎて、思考が邪に濁っていく。

 手首と肩を掴んで押し倒した。

 もう構うものか、どうなっても良い。何も考えたくは無い、自棄になった。

 掴んだ手首が震えていた。嘲笑うように、女を見る。


「怖いのか」


 はたして、女の顔色は、普段と同じであった。

 そうしてまるで震えて居ないもう一方の手で俺の頬に触れると、彼女は慈しむように、慰めるように言った。


「いいよ、私はあの時から貴様の物だ、それで心が晴れると言うなら、私を抱くと良い」

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