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懐に飛び込まれた。展開から発動までの僅かな時間。接近を覚り、剣を薙ぐ。
笑っている、凄絶な顔だ。
先ほどまでの半人半竜ではない、竜鱗の鎧を纏ったような姿。抱き合うような距離で、視線が交じる。
突破された魔方陣から、魔素が迸る。来る、瞬き一つの後に、生木をも燃やす電撃が。
裏目に出た。対空に選んだ呪文が、まさか自らに向くとは。
初撃が直撃した事で、敵の本性をより引き出した事で、僅かながら慢心があったか。
見れば無傷。頭を狙った剣は角に阻まれ、翼を狙えば爪に阻まれた。
潜られた。金属色の頭髪を数本犠牲に、魔竜は剣をかわすと組み付きにかかる。
させるか。
振り切った剣を巻き込む様に、体ごと回って次撃は下から。股下から内臓を裂く必殺、これも回避された。
後がない。今度こそ組みつかれた、魔竜が笑う。咄嗟に障壁を張った。
閃光と轟音。発動した、痛みより、熱さより、ただ衝撃が体を貫く。元より足止め狙い、電圧は然程高くない。ただ体が言うことを聞かない。出鱈目に痙攣する四肢。反り返る背骨、心臓は無茶苦茶な鼓動を刻み、思考はただモザイクと砂嵐。
敵も味方もない。打ち上げられた魚がごとく、廃城の床でのたうち回る。
動け。
なんでも良い、動け。
好機だ。奴も、もがいている、はず。今の内に殺さねば。
斑の視界、歪な時間、幻死する肉体に鞭を打つ。剣、剣だ。放り出してはいない、何処にある、握り締めたこれがそれか。手放してすらいない、だが、体は言うことを聞かない。寝返りを打つように振り回した、剛力には自信がある。多くの敵を屠り、魔素を身の内に取り込んできたのだ。
肉を裂く感触、色を取り戻す視界、魔竜の脇腹に剣が食い込んでいる。浅い。致命足るにはもっと押し込まねば。身を起こそうとして崩れた、未だ力は戻らない。急がねば。急がねば。
剣が手から失われた、身を起こした敵が、振り払ったのだ。ぞ、と、音を立てて血の気が引く。間に合わない。
視界が乱れた、衝撃は後から。締め付けられる首、締め付けられる脇腹、絡み付かれた足、のし掛かられた体。武器は失われた、身動きはできない。術を解き放つより速く、竜の爪は脳を抉るだろう。刺し違える事も出来そうにない。
ここまでか。
充らせた力をゆっくりと抜いていく。不思議と悔いはなかった、養父の仇は討てなかったが、死力を尽くした充足がある。
十秒あるかないかの僅かな時間。だが、そこにはこれまでに感じた事のなかった爽快感があった。
深く、長い息を吐く。
「決着のようだな、人間」
「ああ」
笑いを含んだ声、嬉しそうなそれに、悪意はない。
俺は食われるのか。それも悪くないと、受け入れる自分がいた。
「おい、人間」
「なんだ」
「生きたいか」
予想しなかった言葉、即答出来るほど、頭が回らない。冷たい石の床が熱を奪う、じわじわと染みる冷気が心地よかった。
整った息を魔竜はつく。表情は影で見えない。仰け反るように首を振って、髪を後ろに送った。しゃら、と硬質の音が鳴る。笑っていた。実に嬉しそうだった。
「貴様の命は私のものだ」
「ああ、殺すが良い」
そう言って、目を閉じた。
思い残す事、思い残す事は何もないのだ。
此処までの道すがら、多くの魔物を屠った。ただの獣も、角のはえた何かも、人語を解する敵もいっしょくたに切り捨ててきた。
仇がその中に居たかもしれない。俺が聞いていたのは、魔竜の軍勢と養父が戦い、散ったと言うことだった。
だったらそれで充分だろう。
魔竜に向けたのは、いや、この怒りは理不尽に対する怒りだ。八つ当たりと言っても良いだろう。少なくとも、俺の知る者がこいつに害された事はない。
苦い笑いが口を曲げた。なんの事はない。今、理不尽なのは俺だった。殺し、殺されるのが当然な世界ではある。だが、こいつに養父が殺された訳ではない。
たまたま出会った敵と戦い、誇りある内に散ったのだ。
なんて身勝手な思考。負けた言い訳か。
衝撃は、いつまで経ってもやってこなかった。
怪訝に思い、目を開ける。女は悲しそうな顔をしていた。心外だとばかりに、形のよい眉を寄せている。
「殺せよ」
「嫌だ」
どうして殺さなければならない、お前の命を手に入れたのに。
そう言って、女は不機嫌そうに歯を剥いた。




