表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第四章 我が屍を越えて行け。
37/66

1.

1.

 火花が散った。

 鼓膜を震わす音、僅かにきな臭い。奮われる二振りは我が鱗、生半可な事では欠けるはおろか減ることすら無い。それらが一合刃を合わせる度に、灼熱した欠片を散らす。思い付く限りでもっとも硬く、もっとも靭く育てた鱗の筈なのだが、最早この男には役者が足りない様子だ。

 麻の衣すら焦がす黄金色の火花が、男のむき出しの上半身に弾けて汗が蒸気を上げる。激突ごとに瞬時に溶融する表面を、ごうごうと大気を切り裂いて冷やす。常に攻撃と防御が一挙動、隙は互いに極小の筈だ。

 熱い筈の汗だが、流れるそれはぞくりと冷たい。流れるそれをそのままに剣を振るう。

 距離を取られては勝ち目がない、あの歩法を許した瞬間に敗北が決まる。上背の差を活かし、懐に踏み込もうにもそもそも男の姿勢が恐ろしく低い。強靭な足腰は常に九十度付近の角度で留め置かれ、恐るべきばねとして男の動きを支えている。自然同じ視線の高さで打ち合う事になる。

 さらに踏み込んだ。とにかく前へ、上から打ち込んだ。翳された刃に当たる寸前で刃が掻き消えた、力付くで押し込もうとしたところにこれだ。つんのめるように顔が前に出る、切っ先が地に食い込んだ。死角から十字鍔がこめかみを狙って襲い来る。剣を引き抜く反動で沈み込んでかわす、刀身にまとわりつくように男の剣が動く、動かそうにも空間に固定された様に動かせない。

 焦るな。焦ればどつぼにはまる。しゃがんだ顔に切っ先が迫る、紙一重で避けた、追撃は首筋に、弾くべく力一杯跳ね上げて、澄んだ擦過音と共に剣を空に飛ばされそうになる。跳ねた力に更に加速を受けたのだ。

 迂闊。これはケイ青年が長柄で見せた業。既に男の術中にある。吹き飛ばされない様に止める力がそのまま隙になる。自分を中心に後ろに回転させて勢いを殺した、棒立ちになりそうな足に斬撃が迫る、僅かに足を上げて回避した、即座に崩れたこちらに向けて次が迫る。なんと応用のきく型なのか。相手から目は逸らせない、ぬるりと滑り込む突きを下から迎撃する。

 膂力の差は此方が十に相手が一、明らかに力では勝るというに、押しきる事ができない。

 都合二十二合で刃が噛み合った、此処までに十秒もかかってはいない。緊張にうなじの毛がざっと逆立つ。僅かでも軸を捉え損ねた刹那、男の剣が私を打つであろう。慎重に、慎重に相手の重心を探る。

 だが、ふと気が付いた。この拮抗は拮抗ではない、王手が掛かっている。

 ざっと血の気が引いた。このまま拮抗は続かない、次の瞬間にでも男がさっと離れ、未だ見切る事の出来ぬ歩法―――男は水蛇と呼んだ―――が向けられる。そうなれば詰みだ。

 此方の顔色を見て、男がにっと笑った。獣の様な笑顔だ。

す っと、吸い込まれる様に力が逸らされる、まただ。踏み留まる事も難しい。まるで自分から飛び込んでしまうかのよう。

 体内をどう使っているのか、男の外観からでは判別もつかない。引き込まれないように踏みとどまった。剣と剣が張り付いているかの様に引き摺られる。これも失策か、転がってでも接敵し続けるべきであったか。

 それでも勝てるとは思えず男を見やる。何時の間にそこまで離れたか、いや離されたか。ゆらり、と燃える炎の様に男が構え直している。距離は約十歩、男であれば一歩で詰められる距離。

 動いた。相変わらず幻惑される動き、一歩目にして既に男が二人に見える。一歩進む毎に一人増える、実際の姿は一人なのだが、感覚が鋭いゆえに騙される。

 吼えた。怖じ気づく我が身を叱咤し、低く、低く構えて前に踏み込む。左右上下後ろに活路はない。ならば前だ。地に足跡を深く刻みながら前に。最小の動きで最大の斬撃を。

 手加減は無い。当たれば金剛石すら砕くその一撃はしかし、あっさりと空を切った。

 見失った。引いた血の気が更に引く。低く構えた己よりも更に低く。流れる男の髪が脇を抜けている。同時に腹部を守る障壁が砕かれた感触と、首筋に止めの刃が当てられた事を知った。





「……勝てん!」


 荒い息を繰り返しながら地にへたり込んだ。

 ぐっ、と、額を拭うと、まるで顔を洗った直後の様に手の甲が汗にまみれる。ぞんざいに手を振って地に払った。乾いた地面に線を引く様に黒い染みが幾つか出来て、影が蒸発すると様に消えていく。

 一息ついて立ち上がると、あー、と、意味を持たない呻きをあげて井戸端に歩み寄った。

 時間にして僅か数十秒の打ち合いだが、全身が絞り取られたかのごとく乾燥を訴えている。たまさか口に流れ込む汗には僅かな塩味もない。文字通り湯を浴びたかの有様で、差し出された水を一息に干して呻く。塩味が効いている、ケイに頼んで用意させたそれは、すっと体に染み込む様だ。

 同じように水を飲んで、流れる汗を拭うとシルベスタは言った。


「養父殿の剣術は実に理に適っている、どう相手が動こうと、剣の動きなど所詮七つ以下、それに対しての型さえ練り込めば何も恐れるところは無い」

「そうは言うがな……」


 一度拭っただけで彼の汗はすっかり引いていた、体が温まるまでは一瞬だが、燃え続けるほどの運動量では無かったという事か。井戸に寄りかかりながら、角の器を持ったままの手で男が刃筋を示した。

 上段よりの切り下げ、斜めの切り下げ、同切り上げ、上薙ぎ、下薙ぎ、下よりの切り上げ、突き。極論すればこれしかないと男は言う。


「後はそれで何処を狙われているか、だが、そんなものは自分の距離まで近づいてしまえば関係ない」

「う、まあ、そうなのだけれど」

「この距離で、この位置、相手の剣が何処にあるか。ここまで決まっていれば、後は型通りだ」

「そんなに上手くいく物……なんだよなぁ」


 事実、毎回同じ手を食らう。最初は力で押し切ればどうにか、と、思ったのであるが、力で押すとまるで掻き消えたかのように手応えがなくなるのだ。そして、その行き過ぎかねない切っ先を押し留めようとする一瞬に、勝敗が決まってしまう。

 ひたりと突きつけられた切っ先に、何度冷や汗を流したことか。


「真正直に正面から力を受け止めていたら何人も切れん、養父殿は良く言っていたな」


 男の剣の型は、必ず防御の動きから始まっていた。

 必ず打ち合わず、流し、捌き、逸らし、直後に烈火の如く攻めに転ずる。徹底した戦場の剣だ。


「もともとは鎧のあるところを刃が通らない型であったが、養父殿の代で鎧ごと叩き斬れる様になってしまったからな。俺も正伝こそ受け継いでいるが、そこまで練り込んではおらん。フロレンシオの奴はきちんと表四十九式、裏四十九式の九十八式まで練り込んでいるところから、ガーデンツィオ流の正統として看板を掲げて良いだろう」

「え、そうなのか」

「ああ、養父殿や俺が使うのはそれを更に簡略化した七式。ケイにもそれしか伝えていない、が、まあ、充分だろう」


 それだけ言うと、男はしつらえて置いた土壇に件の鱗を置いた。

 この十日ほど、男は毎日それを両断せんと切り試しをしていた。こちらとしては無駄な事をする、と思うのであるが、それを男に言うと必ず『そうでもない、近いうちに切る』と言ってのける。

 乾いた笑いを顔に張りつかせながら振りかぶった男を見る。今日も撃音とともに魔法陣が展開され、その後しばらく顎に手を当てて蹲踞のまま考え込む男を眺める事になるのであろう。


「ケイ青年、もう一杯くれないか」

「はい、どうぞ」


 心得たものである。いつも通りの穏やかな笑みを浮かべながら、ケイ青年が杯を差し出した。笑って礼を言うと、どういたしまして先生、と爽やかな笑顔が返ってくる。いつの間にやら私も彼の師に数えられているらしい。

 良く冷えた水が、熱い体に心地よく染みる。

 はー、と長く息を吐いた。よくやるよ、と一人ごちながら、男を眺める。具合を確かめているのか、まずは鱗の剣を両断して見せた。そこにはなんの気負いもない。あまりに自然に為された事に、認識が追い付かずに思考を止める。


「いける」


 恐ろしい声がした。

 顔のむきはそのままに、手にした剣に目をやると、それはまるで千年使いこまれたそれがごとくぼろぼろに傷ついていた。それだけではない、幾筋かの傷は、確実に剣の芯を傷つけている。他の打ち合いの傷とは違い、明確に剣を断ちに来ていた証しだ。

 視線を上げた、ちょうどレイマルギアが振り下ろされるところ。いつもどおりに何の気負いもなく、気合すらかけずにそれは切り下ろされる。

 だが今日は一味違った。いつもの激突音ではなく、硬い硝子を割る様な甲高い音が一つ。空間に広がる魔法陣、ではなく、たっぷりと鱗が吸い込んできた魔素と、強化に用いた魔素、それから防御の魔法陣に込められていた魔素だ。

 飛竜に換算して軽く五頭分はありそうな濃度の魔素が、一度練兵場に広がり、渦を巻いてレイマルギアに吸収される。

 あんぐりと、空いた口が塞がらない。

 男は確かに両断してのけた。確かに剣の比類なき威力はあるだろう。

 だがしかし、しかしだ。

 今まで切れなかったを為す、と言う事は、男がその実力を以てあの鱗を両断せしめたに他ならない。


「……今なら確実に勝てるな」


 掌を眺めながら男は小さくつぶやいた。

 それが誰を相手にして、であるのかは解らないが、おそらくは私を相手にした場合を想定しているのであろう。その通りだ、今なら確実に殺される。

 ざっと考えては見た物の、角があっても鱗があっても今の男の剣は防げまい。開戦一番火でも吹かない限りは男に勝てる気がしない。しかも、その一瞬に踏み込まれれば御仕舞で、一度耐えられてしまえば威力ゆえに男の姿を見失うであろう。そうなればやはり御仕舞なのだ。

 内心冷や汗を掻きながら男に向けて言った。


「貴様の剣が此方を向かない事を祈るよ」

「ばかをぬかせ」


 帰って来た言葉は、想像したことがないくらい優しい音をしていた。





 


「幽霊が出るって?」


 ジョッキを干しながら、噂話に耳を傾ける。

 王都に滞在し、飛竜を退治してから二十日が過ぎていた。

 その間に宿を街に移した。一応叙勲された騎士であるとは言え、中庭の騎士という、自由身分と言っても良い男、自身もそれにつき従って、との名目で街に下っている。

 王宮の面々からは、貴婦人がどうのこうのと言われたのであるが、自身が魔術に長けている点を披露しくびきを解くことに成功していた。

 何かがあれば王に報告し、普段は練兵場と街とを往復する日々を過ごしている。

 近衛騎士団との関係は良好だ、ケイ青年に先生と仰がれることもあり、時折訓練に参加することすらあった。背丈が近い分、男とは違う意味で訓練になって良い。

 何しろ、男には勝つ事が出来なくなった。近接だけではない、遠距離から魔法を撃ちかけようと、全て叩き斬られて間合いを詰められる。しかもレイマルギアの有無にかかわらずである。

 暗澹たる心持になってジョッキを傾けた。世界で一番強い自信があっただけに、超えられるというのはなかなかに堪えるものがある。


「幽霊が出るって?」


 そんな耳に、やはり不穏にも入ってくる単語がある。


「おうよ、コリナ・イルヴィア・ラルガ(長雨が丘)に出るって話だ」


 一緒に飲んでいたシルベスタとランベルテの顔色がにわかに変わった、シルベスタの顔に、怒気が満ちる。一方ランベルテの顔は、沈痛な面持ちになっている。


「コリナ・イルヴィア・ラルガか……中庭の騎士様が魔王に」

「しっ、皆まで言うんじゃねえ!」

「あ、ああ……それで?」

「先日来た隊商の連中がだな、丘の頂に、雨の中ぼうっと立つ騎士を見たって言うんだよ」

「それだけかい?」

「あそこは駐屯地から遠いだろう? それに、見た事のない真っ黒い全身鎧を着ていたって言うんだよ」


 みしり、と、シルベスタの手の中で、ジョッキが軋みを上げた。


「それで?」

「けっこうな雨が降っていたんだと、それでな、騎士様騎士様、どうぞ私めの馬車にて雨露を御凌ぎ下さい、と声をかけたそうな」

「お、おう、で?」

「すぅーうっと消えちまったって言うんだよ!」

「うわああ! 急にでかい声出すんじゃねえよ!」


 どうやら話はそれで終わりらしかった。

 何のことやら。そう思いながら、ジョッキを傾ける。唐突に、唐突に男が気配を消した、否、必死に殺して立ちあがった。


「ランベルテ、話がある」


 その言葉からは、一切の色が失われていた。


「ああ、俺も卿に話さなきゃならない事がある」


 その言葉には、幾千幾億の苦みと苦しみが込められていた。


「河岸を変えよう」

「ああ、そうだな」


 事情は解らない。だが、なんとなくではあるが、彼の養父殿絡みの事であるのだろうと察した。

 男達が机に勘定を置いて店を出る。

 しばし後を追うか迷った。踏み込むべきか、行かざるべきか。

 何のことは無い。男に小心者と言った私だが、臆病なのは、私も同じなのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ