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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第三章 騎士の誇りはいずこにありや。
35/66

8.

8.

 茂みを掻きわける。濃く、青い臭いが鼻をついた。虫の声と鳥の声、それから、そこかしこに獣の気配がする。下生えは濃く、木々の天蓋は様々な碧さを見せる。豊かな森だ。

 岩塩と堅焼きのパン、干し肉を口に放り込んだ。ごりごりと咀嚼し、水で飲み下す。

 飛竜退治でもっとも厄介な点は、飛来する時間と場所の特定が難しい事だ。逆に言えば、それさえ解れば後はどうにでもなる。怪物に騎士道も何もない、弓を射掛け、網を投げ掛け、翼を殺し、縄と鎖を絡めて槍で突けば良い。

 捜索には思ったよりも手間がかかっていた。普段人の入らない森は、侵入する者を拒んでいる。

 緑の迷路の中を、明確な当ては無いが、風下から回り込む様に進む。昼間目撃された辺りだ。あれだけの巨体、どう降りるにしても痕跡は残る。

 この場合、鳥の声はあまり当てにならなかった。巨体過ぎる存在は、逆に彼等を守る砦となる。

 ふと、青臭さの中に、生臭さが感じられた。それと、肉食特有の便臭。血の匂いも少し。生き物の生活臭だ。

 運がよい、これであれば、先手を取れる。

 暫くそのまま行くが臭いの範囲が広い、間違いないであろう。進む向きを徐々に変える。音を立てぬよう、慎重に草木を漕ぐ。木々の密度は変わらない。だが、先に進むごとに風の音が変わっている。梢を渡る音ではない。

 不意に視界が開けた、視線だけを動かし、周辺を確認する。急に身を潜めるのは厳禁だ、動くものは素早ければ素早いほど目に留まる。山肌の一角に、それは作られていた。

 これがワイバーンの巣か。

 ほう、と、太い溜め息を吐いた。目新しいものは感動を喚ぶ。何しろ見るのは初めてである。一般に考えられている洞窟ではなく、山鳥の様に地に作られた籠皿状のそれ。ただし規模が段違いに大きい。腕ほどの太さの木々を組み上げて作られたそれは、濁流に押し流された木石が堆積したそれの様にも見える。中に岩が混じらず、泥で汚れていない事が相違点であろう。

 一度装備品の状態を確認した。留め具、縛りに弛みはない。腰の隠しから堅焼きのパンを取り出して口に含む。恐らくこの先は補給する隙がない、あるだけの食料を胃に詰め込んだ。水も飲み干し、隠しに収める。軽く体を揺すり、臨戦態勢にした。巣が軋まぬよう、太く大きなとっかかりを選んで這い上がる。

 居た。星明かりの下、ワイバーンが丸まって眠っている。

 頭の先から尾の先まで、十m程か。翼長にして十五m。翼腕の鉤爪は二本、残りの三本は翼膜を支えている。木の葉の様にささくれた鱗だ、固いには固いであろうが、剣で貫けぬ程ではない。後ろ足は獣と同じ関節構造をしている、指は何かを掴むのに適した、まるで猛禽の様な形状である。

 そう、まるで猫が丸まるような寝方だ。尾の先には頑丈そうな棘、否、最早角と呼ぶのが相応しい突起が上下左右に十三ずつ生えている。角には微細な孔が無数に開いていた、恐らくはそこから毒を出すのであろう。

 目標は緊張も見せずに眠っている。強者の傲りか、今であれば殺すのは容易いが、それでは騎士団の面目が晴れない。面倒なことだ。さて、此奴を如何にして崖の対岸まで誘導したものか。

 そんなことを思案しながら観察していると、巨体の隙間から覗くそれに気がついた。

 卵だ、四つある。

 しめたものだ、繁殖のためであるならば、卵を奪えば良いであろう。子を奪われた親の怒りは激しくあらゆる所で共通だ。中身にまみれれば、それこそ怒り狂って追いかけてくるであろう。

 そっと巣の中に降りた。中にはどう集めたものか、柔らかい苔などが敷き詰められている。

 巨体の割に卵は小さい。一つが掌に少し余る程度、殻は柔らかく、厳めしい飛竜とはそぐわない気もした。

 卵に手を伸ばし、僅かに躊躇する。頭を振って感傷を断ち切った。此奴らに罪は無い、まだ何も侵してはいないが、そんな綺麗事は言っていられない。

 夜明けは近かった。

 そっと取り出した小刀で、二つの殻に穴を開ける。じわりと中身が滲みだした。一つは布に包み背負う。最後の一つは、巣の端で殻を破り身に塗った。特に掌と髪に多く塗り、匂いをまき散らすように細工する。

 支度は出来た。

 可能な限り身を軽くし、対岸を目指す。往路の様に跳ぶ事は、木々が邪魔になってできない。代わりに猿のように木々の枝を渡る。

 飛竜が気が付くのも時間の問題だ、出来るだけ距離を稼いでおきたい。やがて目を覚ました彼、もしくは彼女は、卵の数が少ないことに驚愕し、次いで侵入者の臭いに激怒するであろう。

 位置関係からするに、街を自分達の狩り場にするつもりであったであろうが、この山も此方から見れば狩り場なのだ。

 星の向きを頼りに天然の雲梯を行く。細かく己の重量を制御し、失速せぬ様、加速しすぎぬ様気を付ける。木々のしなりもあって、地を駆ける程ではないがそこそこの速度が出ていた。こういう時、人の手の入らない森は楽で良い。木々が太く、樹冠の直下は空間が空いている。次々と現れる障害物を足掛かりに、夜明け間近の森を翔ぶ。

 道行きは半ばに差し掛かっている。視界の端に、川が見えてきていた。差し渡しは十五m程、跳んで行けない距離ではない。最悪水面の上を駆ければ良いであろう。川の向こうにはまた二km程森が続く。飛竜が起きるまでにそこまで駆けられれば後は容易い。

 一度大きな枝の上に留まり、崖の上を窺った。ちかり、ちかり、とランベルテが合図を送っているのが見える。あの真下まで行けば、彼が射降ろすのに具合が良いであろう。

 飛竜が起きた気配はない。振り返り、巣の辺りを確認する。変化はなかった、かの竜は未だに微睡みの中に居る。

 無用心な事だ。巨体故の傲りか。

 ちくりと何かが引っ掛かった。

 否だ。

 傲りではない。

 あれは、絶対の安心による眠りだ。

 勘に従って重力制御を一秒だけ解いた。あらゆる物質を凌駕する質量で足場にしていた枝を圧し折った。木片を纏いながらそのまま落下する、急速に迫る地面。真下に落ちる物は狙いにくいと言う。刹那の差で、己が居た空間を大きな顎が噛み裂いた。すんでのところで仰け反った、ごう、と、唸りを上げて、棘付きのメイスがごとき尾が顔の位置を過る。あんなものは当たれば頭蓋がひしゃげて散る、毒など関係なく即死するであろう。

 暴風が梢の葉を引きちぎる。周囲にいた鳥が、眠りから叩き起こされて騒ぎ出す。間一髪であった。

 番が居たのだ、たまたま餌でも取りに行っていたのか、運が良かっただけであるのか。巣に卵があった時点で気が付くべきであった。とは言え、作戦の全体像に変更はない、ただ崖下で相手取るのが二体に増えただけだ。

 地に降りて、即座に駆けた。なりふり構っている場合ではない、地面を、枝を、幹を足場に全力で駆ける。

 甲高い、凶暴な鳴き声が空気を震わせる。僅かに遅れて後方からも。もう一度声が響く、今度のそれは悲痛な甲高さをもって大断崖に響いた。先に飛んでいた飛竜がそれに呼応する。

 怒りだ。怒りが込められている。

 胸が痛んだ。

 唇を捲れ上がらせる、なんと贅沢な感傷か。先制攻撃は人の世の常、傲り昂る強者に不意の鉄槌を下す。宣戦布告も遅れて届いただけだ。良く噛み締めて追ってこい。

 梢から跳んだ、眼下に川が流れている。飛竜はまだ上空にて旋回中、この滞空中には襲えまい。

ぞ、と、血の気が引いた。

 川面に写る影が濃い。遅れて届く羽ばたきの音が近い。既に後ろを取られている。奴は、翼を折りかねない機動で無理くりに向きを変えて落ちてきたのだ。川面に突っ込むことすら覚悟の上で、更に加速する羽ばたきが聞こえる。

 振り返る余裕はない、何とか枝を捉えて一気に地に伏せる。暴風と粉砕音、飛び散る木片混じりの衝撃に、体ごと持っていかれる。

 かろうじて上下の感覚はある、方角も、まだ見失っていない。

 視界が開けていた、体ごと森に突っ込んで、俺を殺さんとしたらしい。

 惜しかったな。小さく呟いて向きを変える。いくら拓けていても、こんなささくれだった所を走る気はない、であるならばまだ、足場の丸い森の中を選ぶ。

 最早音に気を付ける理由は無い、盛大に梢を揺らしながら跳ねる。横から殺気を感じた。迷わず上に跳ぶ、直後赤黒い巨体が居た場所を薙ぎ払った。とんでもない破壊力だ。一撃ごとに、森に大きな爪痕が刻まれる。

 上に跳ぶならば、挟撃に気を付けねばな。そう思いながら森の中を駆ける。身にまとった臭いは良い仕事をしている様子だ。まるで見えないであろう森の中でも、追撃が正確でかつ容赦がない。

 突き出した岩を回避せず、そのまま駆け登る。一度樹冠に出た。正面から飛竜が襲い来る、もう一頭の姿は見えない。

 上か、後ろだ。

 敵も此方が跳ぶ以外に出来ないよう、森に突っ込んで来るであろう。高空からの急降下後、更に羽ばたいて速度を増している。あの勢いでは、一度確実に地に降りるであろう。

 衝突まで三秒、詠唱を破棄し、魔方陣を小さく展開する。鞘の留め具を外した。

 二秒、最早衝突する道行きを変えることは出来ない。柄に手を掛けその時を待つ。

 一秒、枝をしならせて、速く、高く前に跳んだ。

 零秒、剣を抜いて―――

 足の下を猛悪な速度で飛竜が過ぎる。その頭に着地するように脚を乗せた。当然のように急速につんのめる、逆手に持った剣の切っ先を当てた、互いの衝突速度のままに、深く刃が通る。肋骨を複数本、重要な内臓の幾つかを切り裂いた実感。

 体を丸めて背中の上を転がるように磨り下ろされる。即座に絶命したのか、辺りが闇に包まれる。耳障りな音、むしろ衝撃波が身を叩く。鎧の肩当てが圧力に負けてすっ飛んでいった。鎖帷子が一つ一つ引きちぎられ、星明かりに煌めいている。魔素の霧の中に散る火花がまるで流れ星の様だ。盛大に散っていた。肉が磨り下ろされる前に、ティタナのくれた鞘で受け身をとる。火花こそ散るが、相手の鱗が摩擦で燃えているだけだ。

 上下前後が逆しまになった視界に、もう一頭が映る。刹那、雷撃呪を展開した、仰け反るように、後方から飛来した飛竜の顎と尾が上がる。背筋群が良い仕事をしている。とは言え勢いはそのままだ、ピンと伸ばされた脚、そこから延びた恐ろしい爪をひっ掴み、一気に体勢を整える。剣は手放した、どちらにしろ呼べば来る。遠ければ取り寄せの呪で呼び寄せればよい。

 流石に筋を傷めた気配があった。だが問題ない、傷めた場所は、今食らった竜の命が埋め戻す。

 一回転すると同時に、一気に跳び上がった。這い上がるように足に絡み、そのままささくれた鱗を掴んで背中までよじ登る。こちらにはまだ気が付いていない。背中の剣状突起を掴みながら、首元ににじり寄る。俺を探しているのか、一度旋回すると、相方の亡骸に呼びかけているようであった。

 首の付け根にとりついた、そのまま伸びあがって首に腕を絡めた。やっと気がついたのであろう、振り落とさんとばかりに機動がむちゃくちゃになる。幾度も体が宙に浮いた。だが放さん。万力もかくやという勢いで締め付ける。しなやかな首に、鋼のごとき筋肉が浮かび上がる。敵も必死だ。

 ちら、と、地上に目をやった。しめた。大断崖は飛びこしている。下からランベルテが狙っているのが見えた。ぎゅう、と、力一杯絞めた。自然と唸り声が漏れる。唸り声は雄叫びに、雄叫びは咆哮に変わる。


「―――ぬぅぅうぉぉおおおおおあああああああああああああああ!」


 ふ、と、飛竜の意識があやふやになったのが解る。機動が単調になった、瞬間、矢鳴りを聞いた。同時にぐるりと視界が回転する。制御を失った飛竜が、天空より大地に滑り落ちる。

 身を固くして衝撃に備えた。

 南無三。普段は神仏に祈ることなどないが、あちらの神仏になら祈っても良い。確率は半分だ、如何に魔素の恩恵あらたかとは言え、この巨体の下敷きとなって無事でいられる気はしない。

 衝撃。視界が黒と白に暴れた。賭けに勝ったのか、三半規管は流石に痛めつけられている。尾がしなったのが見えた。レイマルギア。心の中で剣を呼ぶ。手の中に現れたそれをかざすのと、尾が横殴りに叩きつけられたのは同時であった。読みが冴えている、そう思いながら飛ばされるまま距離をとった。起きがけの駄賃に、射抜かれた翼と反対側の翼膜をきっちりと切り裂いていく。

 さあ出番だ。今か今かと待ち構えていた近衛騎士団が、周囲から一気に飛竜に群がった。怒りの咆哮がそれを迎え撃つ。大盾を構えた騎士が、尾の一撃を受けて吹き飛んだ。

 やはり侮れぬ。

 立ち上がりざまに走った。だが、それよりも早くに流れ星が炎の尾を引いた。フロレンシオだ、彼は騎乗したまま竜に駆け込むと、飛びこむようにして剣で尾を地に縫い付けた。次いでアレハンドロが走る。雄叫びも高らかに槍を掲げると、騎士を薙ぎ払わんと広げられた翼腕をこれまた大地に縫いとめた。


「見事だ」


 口をついて言葉が出た。誰も彼も命を惜しんでいる気配は無い。武勇と誇りに賭けて、名こそを惜しんでいる。

 クラウディオが駆けた、流石は馬術一等振り回されるもう一方の翼腕を華麗に跳び避けると、そのまま槍で大地に縫いとめた。苦痛に飛竜がうめき声を上げる、その開いた口にカルロスが射掛けた。奇妙な音を立てて、のど袋が赤く光りながら膨れ上がる。直後に爆散した、火炎の息吹を吐く器官を射抜いたのか、焼け焦げた喉をさらしながら、それでも飛竜は敵を道連れにせんとその長い首を振う。

 いつの間に馬を集めたのか、それともどこかに待機させていたのか。一陣の馬群が戦場に現れた。先頭を駆けるのはやはりアレハンドロ。襲い来る首を華麗にかわしながら、騎士達が己の馬に取り付いていく。やがて彼等は方々に突き立ててあった槍を引き抜くと、次々と飛竜に向かって突撃を開始した。

 誰しもが見事な馬術であった、二隊に分かれた彼等は、片方が飛竜の気を引き、片方が斜列で次々と槍を横腹に突き立てて行く。その中にはケイの姿もあった。

 声なき声で、飛竜が断末魔を上げる。怒りと、屈辱と、悲しみに溢れたそれ。留めを刺さねば。そう思った時にはフロレンシオが、ケイが駆けていた。

 いつの間に相乗りになったのか、二人を乗せた馬が、一直線に飛竜へと駆ける。ケイが跳んだ。高く、高く跳んだ。飛竜の首が釣られて持ち上がる。フロレンシオも跳んだ、飛竜の顔だけが、釣られて下がった。苦痛と出血で、最早反射的に動いているのであろう。致命的な隙であった。

 体ごとぶつかるように、二人の騎士が脳と心臓にその剣を突き立てる。見事な連携であった。飛竜の瞳から、意志の炎が失われたのが解った。

 地響きを立てて、長い首が地に伏せる。投げ出された二人が、大の字に転がって荒い息を吐いている。

 黒く、濃い霧が竜の骸から湧き上がると、周囲の騎士達に吸い込まれていった。

 

 自らも、大きく息を吐いて、剣を鞘に戻す。今回も流石に疲れた。

 座り込むことはできない、凱旋するまでが戦の内だ。

 疲労に眠りたがるまぶたに活を入れると、転がる二人を引き起こし、周囲の騎士に集合をかける。

 一同を見渡す。誰も彼も疲労の色濃いが、誰しもが目を爛爛と輝かせている。良い眼であった、一端の戦士の目に変わっていた。

 拳を天に突き上げた。


「見事だ、戦友達よ! さあ、凱旋だ、雄叫びを!」

「戦友に!」

「凱歌を!」

「王国に!」

「勝鬨を、上げろ!」

「おおおおおおお!」


 勝鬨は高らかに、高らかに。

 こうして、飛竜の来襲は騎士団の武勇を近隣に打ち鳴らし、幕を下ろした。

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