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食事というのは、人の品性がもろにでる瞬間だ。
その意味で威勢よく食べながらも、そこはかとなく品性を感じさせる女の食べ方は、ある一定のマナーを持っているらしい。人と交わるのはそれこそ千数百年ぶりだというが、よく忘れなかったものである。
ぐっと酒を干した、空くたびに、騎士達によってかわるがわる注がれるそれを、その度に一息に干す。返杯に注いでやると、漲った笑顔でこれまた干した。どうやら近衛全員で俺を酔い潰しにかかっているらしい。
上等だ。
「おい、こんな小さな物では飲んだ気がしない、樽でもってこい」
こちらは他と比して体が大きいのだ。三十㎝の差と言えば、大人と子供程の差がある。ましてや太さが違う。酒の強さでいえば、そもそもの許容量が違うのだ。
悪乗りと言えば悪乗りだ。居並ぶ面々に、いちいち視線を投げる。不敬であるか、とも思うが、一応最後に王にも投げておく。唯一ティタナが視線を合わせなかった。というよりは、食事にとろけるような笑顔を向けており、酒には然程の関心を見せていない。
「よし、乗った! まずは俺が相手だ」
「まずは、とは志が低いなランベルテ、それは二人目が居る事を前提としていないか」
「おう、今日は舌が回るなシルベスタ殿、その弱気な男に酔いつぶされても知らんぞ!」
ガンガンと机が打ち鳴らされる。器は先ほどまでと変わらない、ただ、机が樽に変わっただけだ。
がつんと一度杯を打ち鳴らしたら、後は酒を汲む、飲み干す、酒を汲む、飲み干す、その繰り返しだ。
騎士も、王も、文官の一部すら輪に入り、だんだんと足を踏み鳴らす。よろしい、上等だ。まずは貴様から酒塗れにしてくれよう。
「ぶふぅ―――」
「化け、もの、め」
「はっ、鍛えて出直してこい」
近衛の十七人目が沈む。残すところは後三人、メロス、フロレンシオ、王の三名のみである。
ケイはランベルテの次に潰した。祝杯を兼ねての乾杯は、都合十五度ほど続いたはずだ。飲み慣れない酒を前に、彼も良く戦ったと言って良いであろう。最後には、半分泣き笑いの顔で、樽に飛びこみそうになっていた。なるほど、ケイは笑い上戸であったか。
「御相手仕る」
「硬い奴だな、まあ飲め」
此奴は確か、組み打ちで一等の男、メロスであったか。
「そんなに縮こまっていては酒も美味くあるまい」
「恐縮、この上なく」
がん、と、杯を打ち合わせる音。体の大きい男だ、飲める量も今までの比ではあるまい。
「おい、次の樽だ!」
そもそも考えてみれば此処まで残っている事自体が大した事である。周りで囲っている人間も、まるでしらふと言う訳にはいかない、むしろ良い酒の肴なのだ、ジョッキを干しながら歓声を上げる中で、さらに挑むならば勇者と呼んでも良かろう。
「さあ飲め、メロス、走る男よ!」
「む、むむ?」
得心などせずとも良い。まずは杯を干せ、次いで杯を干せ、仕上げに杯を干せ。ああ、良い気分だ。
「そら、どうした。俺は既に酔うているぞ」
「ぐむ、負けぬ!」
体がでかいぶん、一口もでかい、三度ものどを鳴らせば立ちどころに杯は空になる。とはいえそれでも遅いのだ、こちらからすれば角杯など一口に過ぎぬ。ごぶりごぶりと胃の腑に流し込みながら、四苦八苦する友を見て笑うのだ。
じきに酒を汲む手が上がらなくなり、そのまま俺は気に留めず杯を重ねる。これはいかん、と思った所で次の男が脇にどかせばよい。
泥のようになったメロスをフロレンシオがどかした。
「まずは一献」
「おう、受けよう」
一献などとケチくさい。立て続けに杯を鳴らして浴びるように飲む。
最早言葉は無い、何かを喋った気もするが、記憶があやふやだ。気がつけば相手は王に変わっていた。挑発的な笑顔で何かを言っている。既にはっきりとは聞き取れない。
「王国に」
それだけ言って空ける。他にもなにか気の利いた事でも、とは思うのであるが、頭がうまく回らない。だったら充分だ。笑い飛ばして酒を呷る。杯が酒を汲めなくなった。次の樽だ。叫んだ気がする。
こつん、と、軽く杯が打ち鳴らされた。
「おい、楽しそうなのは良いが無茶をするな」
その声は不思議とすっきり脳に染みた。
「お前も飲めよ」
「ああ、付き合おう」
呆けた顔で周囲を見る、既に起きている人間は二人だけだ。王も近衛も近習も、皆例外なく転がって高いびきを掻いている。正気なのは一人だけで、この相手は絶対につぶれない。
「良い酒だな、美味い酒だ」
「そうだな、良い」
形のよい、白い喉をそらしてぐっと杯が干される。こういうのを期待していたのだ、と女が言う。
「済まんな、連れ出したが、あまり楽しくはなかろう」
「よせよ水臭い、まだ道中は始まったばかりだし、こんなに気楽な相手もない」
「そうか、そう言ってくれると助かる」
「貴様は意外と気が小さいよなぁ」
そう言って女は笑った。顔は良く見えない、だが、さっぱりと笑っているのだろう。
その通りだ。本当のところを言えば、何もかもが恐ろしくて仕方がないのだ。
かつて何もできなかった事を覚えている。だから、今度も肝心なところでそうなるのではないかとおびえている。
「そら、手が休んでいるぞ」
「おう」
堅焼きのパンに載せられた肉をつまむ。酒だけ立て続けに飲んだ口に、香草の刺激と脂の甘さが心地よい。体が熱かった、上に着ている物を脱ぎ捨てると、汗が滝のように流れた。
女はからからと笑うと、酒を水で飲むように干す。つられて干すが、味は最早解らない。
「眠そうだな」
「そんなことはない」
強がるが、その通りだ。
いいよ、私が居る。気を張らずとも良い。
そんな声を、最後に聞いた気がした。
滞在して三日が経った。
なんだかんだと忙しく動きながらも、久方ぶりに身を休めている。
先だって剣を圧し切った騎士には、ティタナにこれを、と渡された剣を渡した。
鱗の剣か、それは流石に物が過ぎる。
そう思い、中身を検めた。すると、鞘から姿を表したのは良い鍛えに良い研磨の施された、如何にも頑丈で使い勝手の良さそうな鋼の剣であった。
これはどうしたのかと訊ねたところ、作った、とあっさり返ってきた。鍛冶場にでも行ったか、といぶかしんでいると、事もなく魔素から取り出した、などと言ってのけるではないか。
くらりと目眩がした。
どうやら組成から細工まで思うがままらしい。それと言うのも、納得が行く強度になるまで、数百は岩に打ち付けて試したらしい。岩でも断ち割れるぞ、とティタナは胸を張って言った。昨夜の謎の金属音はそれか。あれのせいで俺は不寝番を勤めていたと言うに。なんと勤勉で義理堅く、なんと鍛冶屋泣かせな話であるか。
しかも外装からして美しいのだ、如何にも名剣であるそれに、この女の美的感性は恐ろしい程に洗練されている。と、改めて感心したものだ。
青い空を振り仰いだ、今日も薄い雲が遠い山並みにかかり、王城より切り立つ崖、大断崖の向こう側にある近い山並みには、青々と木々の葉が日を照り返していた。
ティタナに言わせると、この辺りには昔同族が巣を持っていたらしい。大断崖は、それと争った痕跡なのだそうな。成る程、道理で不自然な地形だと昔から思ってはいたが。
練兵場で行軍と盾、及び集団戦の督戦をする。こればかりは持ち前の戦闘に対する才能で、と言うわけにはいかない。個人の武勇が光るのは乱戦の場合だ、それは、戦場で言うなら戦闘の末期、両軍入り乱れての混乱の中にしかない。自分やティタナなど、広範囲への攻撃手段があるのであれば話は別であるが、基本的に一人の英雄は百人の軍隊に敵わない。逆に百人の隊に飛び抜けた英雄がいても邪魔になるのだ。集団戦に必要なのは、周囲と確実に足並みを揃えることの出来る能力である。
なんだかんだと指摘されながら、飛び抜けた身体能力と身体記憶でそれにケイが食い付いていく。必要なのは全力ではない、出された指示に対して、必要な時に必要なだけの力を発揮することである。
自分もそこに加わろうか、とも思ったが、足並みを乱すことになるだけか、と思い直した。出来れば体の大きさも揃っている方が良いのだ。
「暇そうだな」
「そうだな」
ティタナの言葉にあくび混じりの答えを返した。
何しろやることがない。ランベルテは口を割らないし、ケイは騎士団の訓練にいる。王城から出るには手続きが面倒であるし、それに纏わることも考えると鬱陶しい。
平和すぎる日々、体が錆び付くような気がしていた。
最初にそれに気がついたのは、やはりというかティタナであった。
「お。シルバ、ワイバーンだ」
「……なに?」
声に緊張感は無い、鳥でも見付けたように言うものだから、反応が一拍遅れた。彼女が示す方向に目を向ける。大断崖の向こう側より、確かに飛来している黒い影がある。自分の目にはまだ、鳥にしか見えず、そも他の人間には、点か、あるいは見えないか、であろう。
「近いな」
大断崖はさしわたし六㎞ほど、大きな山の裾野を、水平に長くえぐり取った地形だ。中央に細い川が流れおり、後はそれなりに樹木が茂っている。人間が渡るとなれば結構な労力を要するが、ワイバーンの翼であれば、ものの数分で王都に飛来するであろう。これは、拙い所に巣をかけられた。
「問題があるのか?」
「ああ、人間には過ぎた敵だ」
目測からするに、翼長十五m程。大きさからするに成竜か、あるいは老竜にさしかかった程度であろうか。尾に毒の角を持ち、火炎を吐き、腕はなく、強靭な翼を持っている。足は細く長いが、鷲のそれをもっと凶悪にした鉤爪を持ち、人間と同等の知性を備えた恐るべき魔獣である。高空からの一撃離脱などやられれば、軍隊でもまともに戦えまい。なんとか地面に引きずりおろさねば、戦う事すらできない相手である。
観戦席から飛び降りた。何事かと目を剥く一同に、魔獣現出を手短に伝える。フロレンシオの決断は早かった。
「ケイ、急ぎ城へ赴き、王に火急の用向きである事を先触れよ、大断崖の向こうにワイバーンを発見したと」
一時間程後には、謁見の間に主だった面々が集められていた。急ぞなえではあるが円卓が設えられており、俄に会議室の様相を示していた。
「さて、かの飛竜めを如何に始末するか。その方策について意見あるものは挙手して述べよ」
王の言葉に誰もが視線を巡らせる、まず文官の一人が手を上げた。男は実に詰まらない事をとでも言うように、侮った声で切り出した。
「陛下、私めが愚考致しまするに、近衛にお任せすれば宜しいのでは、と」
片眉を上げた、戦力から推察して、被害を想定する。近衛の運用次第であるが、最低でも半壊、悪くすれば全滅するであろう。
「何も王の御身辺をお守りするだけが能ではありますまい」
「無論だ、アーロン卿がそれで構わないのであれば、こちらも構わない」
あざけるような声に、フロレンシオがあざけるように返した。にわかに気色ばんだ文官―――アーロン卿が、噛みつくように声を荒げる。
「ほう、大きくでましたな。それでは如何にかの魔獣めを御仕留めなさるおつもりですかな」
「それは勿論、近衛にて巣を捜索、発見次第撃滅する」
「その間の城の守りはいかがなさいますか」
「二手に分ければよかろう」
「九人で魔獣を仕留める事が御出来になる、と。流石フロレンシオ卿は違いますな」
良くない流れだ。フロレンシオは対人、対軍の経験こそ豊富だが、対魔獣戦の経験は無かったはずだ。
このまま煽られては、ただ近衛の損耗を招く。
それにしても、アーロンの態度が解せぬ。彼にそこまでの強権は無かった筈であるし、王の心象も悪くするであろう。それなのに、拙い状況へ追い込むのはなぜか。
観察する内に、彼の胸元。そこに垣間見える鎖に気がついた。
―――あれは、主信教の聖印、その飾り鎖ではなかったであろうか。
気がついて、一気に嫌な気分になった。文官勢力まで調略されているのか。一体どのような経路で。
「良かろう、我等が誇りに賭けて、かの悪竜めを近衛のみにて討ち倒してくれる!」
「待たれよ、フロレンシオ卿」
彼が振り上げた拳をそっと抑える。
「陛下、私が出ても問題はありますまい?」
「ああ、ガーデンツィオ我が中庭の騎士よ」
アーロンの顔がくしゃりと歪んだ。それを長し見て、席を立つ。硝子の窓際に歩み寄った。
「献策仕る」
「許す、申せ。そちの思うがままに為すがよい」
王もいい加減どちらかをきっと叱らねばならなくなる展開に嫌気がさしていたのであろう。ほっと息をつく様に深く座り直すと、この軍議で初めて笑って言った。
「然らば、私が勢子を努めましょう。かの飛竜めを塒から叩き出す役目、見事に果たして見せましょう」
「出来るのか?」
「無論。可能ならばその場にて翼を圧し折り、出来ぬとも近衛騎士団の目前に引きずり出して見せましょう」




