5.
―――お主の願いはいつか叶うじゃろう。
ただし、命の保証はしないぞよ。
かつて魔女から聞かされた言葉がある。
信じてはいなかった。だが、目前に居る男がそれなのか。
先ほどまでとは違う。容易に打倒すことのできぬ姿。
先ほどまでとは違う。ほんの僅かな時間に高められた武威。
うなじの毛が逆立った。自然と鼓動が速くなる。
「ケイ、言いたいこと、聞きたいことは沢山あるだろう。だが、今は何も言わずに俺と試合え」
「フロレンシオ様」
「様は余計だ。抜け、ケイ。貴様は実力を示した。この場において、貴様と俺は対等だ」
「僕は」
「何も言うな」
言葉には力がない。だが、そんなものは見かけだけだ。こちらからの威圧に微塵も揺るがぬその眼光。腰ぬけなどでは叶うまい。
ゆっくりと剣を抜いた。呼応するように、彼もまた剣を携える。方刃でやや内反りの長剣、あまり見かけない姿だが威力のほどは伺い知れぬ。
起きろオーノール。
名誉、と名付けた長剣に、心でそっと呼びかけた。
先ほど頂いたばかりの剣だが、まるで生まれた時から共に在るがごとく体に馴染んだ。今までの剣が、まるでただの重しのように思えるほど。
まるで、切っ先まで意識が通るがごとき一体感。確かにこの剣には何かがある。何かは解らないが、力があふれてくる。
開始の合図は無い。互いに構えは上段、大きく腰を落とし、切っ先のみを相手に向けている。徐々に間合いが詰まってきた。刹那の隙に相手が動くであろう。
ああ、何と言う喜びか。
自然と唇が持ち上がる。獣で言えば威嚇のそれ、だが化者であれば歓喜のそれ。
弾けた。踏み込みは互いに一足、それで相手の後ろまで踏み抜く胴薙ぎと兜割、速すぎてすれ違う、身を翻しざま、逆風と兜割が聞いた事がない澄んだ音を立ててすれ違う。溜めは一瞬、突きだされる切っ先を逸らし、剣を振り下ろした。引きつけるように寄せた体で、鍔元同士でそれを受ける。弾かれる。全力で押し込んだ、全力で押し返されるそれに、さらに力を込める。足が滑った。極限まで溜めこまれた力が行き場をなくし、大地に切っ先を食い込ませる。逡巡はない、即座に体ごとぶつかってきた。考える前に体が動いている、ぶつかり合う肩の鎧が火花を散らす。
負けられぬ。
聞いたことがない音を立てて剣がかみ合う。互いに互いを両断せんとばかりに力を込める。急所に近付くそれを逸らし、そこに己が意思を割り込ませる。ここだ、と思ったそれが逸らされる。思いもよらぬところで刃が身に迫る。先ほどよりも今が強い、一瞬先にはさらに強い、この男は怪物か。
流し切って、間合いを取った。意識より早く体は動いている。爆音がした、断続的に響くそれは撃剣のそれだ。最早目で見ていては間に合わぬ。一足飛びに英雄の腕前に駆け上がる相手を睨みつける。
なるほど、彼は俺を見てはいない。
ぴんときた、彼は俺を恐れてはいない。俺よりももっと強い相手を見ている。苛立ちが勝った。おお、と短く吼え、さらに力強く打ち込む。恐れろとは言わぬ。だが、今は今だけは俺を見ろ。
ごうごうと空気が啼く。微塵に刻まれた空間が悲鳴を上げる。打ち合うたびに切り結ぶたびに互いの剣が鋭く研ぎ澄まされていくのが解る。これはなんだ。剣か。剣が魔素を集めているのか。
一瞬前まで見えなかった剣筋が見える。今まで見えていた刃筋が見えなくなる。繰り返し繰り返し、無限の高さに昇るがごとく鍛えられている。
歓喜に震えた。今、確かに自分は越える事が出来なかった過去の自分を見下ろしている。伸び悩んでいたのも事実。かといって、同じほどに使える相手はいない。師は戦場に散った。兄弟子は辺境に遊歴し、自らは城に軟禁されているがごとし。
そうだ。
俺は剣で在りたいのだ。
一振りの剣で、ただ鋭利な刃でありたいのだ。
確信した。そして歓喜した。いつしか涙があふれていた。
行ける。この男とであれば、どこまででも行ける。
無限の高みへ。あの星の向こうへ。
もっとだ。
もっと速く。
もっと強く。
もっと正確に。
もっともっともっと。
さあ目を見張れ。相手を凝視しろ。全身全霊で相手の動きの先の先を読め。
そこに意識するより速く打ちこめ。もっとだ。もっと速く。もっと強く。
ごう、と聞き慣れない音がした。剣が魔素の炎を噴いている。心に呼応したがごとく、紅に猛々しく。
歓喜の稲妻が全身を走った。俺はここまで来たのか。まだ行ける。もっと高みへ行ける。
泡粒が弾けるような音、ケイの剣だ。刀身に青白い光が瞬いている。なんだあれは。構うものか。
さらに激しく打ち込んだ。一合ごとに体が軋みを上げる。
ぱちぱちと散る火花は次第に大きくのたうち始める。あれは火花ではない、雷だ。紫色の稲光が、刀身に絡みつく竜がごとく。
「ッ―――ぉぉおおおおあ!」
ケイが吼えた。今までとは違う動き、慣れ親しんだ型より外れて新たな一歩を踏み出した。伸びあがる様な突きをかわす、それそのものが振りかぶりになる。脇を締め込んだ八双より、左右からの猛烈な打ち込みが浴びせられる。まさに紫電、一撃でも掠れば炎の加護は無い。僅かな時間でも、麻痺すればそこで終わる。
天空に泳ぐ雷光の魔術は英雄の象徴だ。それだけでもこの決闘の価値が計り知れない。
都合八度、凌ぎ切った両腕に痺れが走る。重なる刃越しに見てぞっとした。のたうつ稲妻は、最早剣と言う枠には収まらないほどに成長している。九つ目の斬撃を凌ぐ。振りかぶられる事はない、あれが放たれる前に、と、前に出掛けて留まった。掬いあげるような下からの一撃が迫る。棒状鍔を絡めるように受け、上に流した。
失策だ。即座に解った、あれはあくまでも予備動作、本命はこの後に来る一撃―――
閃光と衝撃、音は無い。
ただ、ひたすらに歓喜に包まれていた。
5.
片手で掴み上げ、シルバがフロレンシオを己の馬の後ろに乗せた。同様にランベルテがケイ少年を受け持った。
最後の一撃を放った後、直撃は避けたものの、フロレンシオは落雷の余波を受けて失神した。僅かに遅れて、緊張の糸が切れたのであろうケイ少年―――否、もはや少年とは呼べまい―――青年も意識を手放した。
シルバに言わせれば、どうやら、合格は合格らしい。
坂道で馬を駆けさせる、振動が気付けになったのか、意識を二人とも取り戻したので、引いてきた馬にまたがらせる。今にもまた眠りそうなほど疲労困憊と言った有様であったが、その顔は実に満足そうであった。
「おい」
「なにかな」
少し駆けた所で、シルバが馬を寄せてきた。
「あの二人の急成長だが、あれは剣の仕業ではないか?」
「……ふむ、そうだろうな」
それは自分でも驚いた点だ。魔素を集めて衣服を作ることくらいは以前から出来ていたが、まさか自分から切り離した鱗の剣までもが魔素を大気から汲み上げる事が出来るとは。
「いや驚いた。仕留めた獲物の魔素を食らうことは経験していたが、戦っている最中にと言うのは初めて見たよ。そう言えば貴様の剣はできないのか」
「不可能だ」
「……貴様自身であれば、衣服を編むことぐらいはできるだろう?」
男は有り得ない物を見る目で言った。
「出来ん、糸一本織りだした段階で意識を失うだろう」
「えっ」
「規格外のお前といっしょくたにするな、せいぜい魔法陣を構築して詠唱時間を短くするのが関の山だ。そもそもそれは魔素で出来ていたのか、鱗の一種だと思っていたのだが」
「貴様は私に裸で居ろと言うのか」
「そもそもお前にとって鱗は肌の内なのか」
「無論、体毛丸出しで貴様は歩きたいか? 私は御免だぞ」
男が出来ないとは知らなかった。道理で普段から小汚い格好をしていると思っていたのであるが、そうかそう言う理由であったのか。
しかし解せない。これだけ魔素が濃密にある世界。黒い魔素だけでなく、無色の魔素もまだ存在しているのだ。それを利用すれば良いのではなかろうか。
「馬鹿を言え、無色の魔素なぞ既に神話の時代の話だ、今となっては人間に感知できる代物ではない」
「貴様でもか」
「ああ、解らんな」
「そうかぁ」
繊維であろうが金属であろうが思うがままに作りだせるのに。
そうつぶやくと、男は形容しがたい冒涜的な、宇宙の裏側を見てしまった表情を見せた後にこう言った。
「忘れてたよ、そもそもお前、神話の時代の遺物なんだったな」
「遺物とは失礼な。せめて生き残りと言え」
「どちらでも変わらぬわ」
部屋に再び案内され、一息つく。御風呂でも使いたいところであるが、あいにくと生まれ変わってこの方湯槽と言うものを見たことがない。
王都は見る限り草原の都市であった、となれば、薪の類いは外部からの商品となるのであろう。干し草の類いでもあるかもしれないが、そこまで贅沢を言うのも気が咎める。
そんな事を考えていたら、部屋に侍女達が湯桶と手拭いを用意してくれた。どうやら体を拭いてくれるらしい。
これ幸いとばかりに着ていたものを寝台に投げる。装飾の類いも一切外し、いざ恃もうと腕を伸ばす。
……伸ばした、のだが、手拭いを持ったまま、侍女は一向に動こうとしない。あれ、これは不味いな。鱗でもしまい忘れたかと思い、見下ろしてみるものの、そんな事もなかった。
「どうかされましたか?」
「―――あ、はい? あ、そのいいえ」
さっぱり要領を得ない。
仕方がないな、などと思いながら歩み寄ると、びくりと体を震わせて真っ赤になった。
ああつまりこれはあれか。見惚れられてしまったのか。
「仕方がないなあ」
呟いて、手拭いを奪った。侍女は手を手拭いを持った形で固めたまま動かない。はて私の目に魅了の魔力なぞなかった筈だし、一家の女性方は平気だったのにどういうことであろう。これはひょっとして、この娘そう言う趣味であるのか? などと考えながら湯に手拭い浸して軽く絞る。そこでやっと我に帰った侍女が、わたわたとしながら体を拭いてくれた。
始終息が荒かった所を見るに、やはりそう言う事なのであろう。そんなにうらやましがるほどの物でもないぞ、と苦笑する。なにしろ、この体は女性体であるが、生まれてこの方発情の経験がない。無論月の障りやそれに伴う不都合もない。
ましてや使わなくて幾星霜、クモの巣どころか退化して喪われていても不思議ではないのだ。
久方ぶりにさっぱりとした心地で、晩餐の席に着く。おおざっぱに長机がいくつも並べられたそこに、これまたおおざっぱな料理と酒が並べられていた。メニューは焼いた肉、生の肉、焼いた魚、焼いた鳥、得体の知れないシチュー、切り分けたハム、ソーセージ、チーズの塊、堅焼きパンだ。
久方ぶりに肩を落とした、王都で一番の楽しみがこれでは。その様を見かねた男が肩をどやしつけた。
「見た目で判断するな」
「ああ、まあ、村での肉があるからなぁ」
「王都のソーセージは絶品だ、目を丸くすることが請け合いだぞ」
「……ほう!」
腹を空かしながら待っていると。おもむろに王が立ち上がって言った。
「昨日味を見たが、今年の蜂蜜酒は実に出来がよい。幾らでもあるから、存分に杯を重ねよ。
今宵は幸いである、偉大なる英雄の後継者と、新たな騎士を迎える夜となった。皆の者、乾杯の声を上げよう。英雄に!」
「英雄に!」
ぐっと角のジョッキを干した。思ったよりも強い酒精が喉を焼いていく。突き抜ける濃厚な蜂蜜の香り、だが甘さはさほどでもない。度数は沸かせば火がつくほどなのであろう。炭酸で割ったそれが、乾いた喉にじつに染みる。
これはいい。
遠慮なく料理の皿にナイフを伸ばした。食器などと言う上品な代物はこれぐらいしかない。突き刺して、口に運ぶ。聞いていたソーセージはどんな塩梅か。
ぱき、と、音を立てて腸詰が弾ける。なるほど、なるほど。かつて経験のない香ばしさ。たっぷりの肉汁と脂が、香草の香りと共に濃厚かつさわやかに主張している。
実にいい。
ハムはかなり塩気が強い、上にかかっているのは植物の種を絞った油らしい。水分が抜けて、みっちりとした食感がたまらない。
合間に蜂蜜酒を呷る。甘い香りとさわやかな風味で油を胃に流す。
これならば、と焼いた肉に手を伸ばす。切り分けられた肉は、あの村で見た小豚の包み焼きだ。ただし、こちらの方が間違いなく肉の質がよい。
とろけるような食感に舌鼓を打つ。
途中、なんのかんのと話しかけられるが、適当に話を合わせて聞き流した。
あ、これ、このリンゴもどきに巻くととても美味しい。




