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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第三章 騎士の誇りはいずこにありや。
31/66

4.

「……さて」


 今にして考えてみれば。

 家族を守りたい、という願いは、本当に心からのものであったのであろうか。


 高鳴る心臓がうるさい。

 足元はあやふやで、視界はぐるぐると回っている。熱いのだか寒いのだかよくわからない。言われたことにただ頷いて、なんとか失礼にならないようにと願う。

 熱に浮かされたよう。

 煮えた鍋の様な頭の中、体だけは機械的に事を運んでいる。

 まるで慣れ親しんだ道具のように、弓に弦を張った。手間取りはしない、何度もやり方は見ている。腰に矢筒を吊るし、右手に矢筈を持って下げた。

 短く、太い息を吐く。

 矢をつがえ、構え、放す。風を切る音も弱く、山なりに矢は的の方へ飛んでいく。失笑が騎士の間から洩れた。恥ずかしさに、かっ、と顔が熱くなる。

 落ち着こう。笑われて当然だ、弓なんて、今日の今日まで使った事がないのだから。

 最初の一矢で大体の飛んでいく方向は解った。次に、ランベルテに言われたことを試す。胸を張るように、最後の一引きと一押し。矢に確実に力が伝わったのが解った。

 確かに矢飛びが違う、段違いの凶暴な唸り声を上げて、矢が的へ向かう。

 修正、上に少し。


「弓の扱いにもなれているのか、ランベルテ卿は良い師匠だな」


 初めて扱いますとは言わなかった。

 正直なことは美徳であるが、馬鹿になることはない。そのまま、思い付くままに、反対につがえ、また弓を持つ手を持ち変えて射る。感覚は掴めたと思う。


「カルロス、模範を見せてやれ」

「必要ないだろう、構えは堂に入った物だ」

「ほぉ、貴様がそう言うのであれば間違いないだろうな。ケイ、始めろ」

「はい!」


 呼吸を止めた。

 つがえた矢から、引き絞られた弓から軋みが聞こえてくる。

 小刻みな振動は、弓自身の性能の限界だ。まずは左につがえた、弦も腕の外側に、左腕に添わせるように狙いを付ける。右手は顎の下に、引きちぎるように放すと、同時に胸を開く。弓は取り落とすように前へ倒した。回転する弓が、矢に最後の一押しを与える。鏃の形状故か、矢羽のバランスか。螺旋を描きながら進んだ矢が、的の中心から、やや左上に突き立った。

 次いで二射、今度は右側に矢をつがえる、高さは頬に揃えた。

 今、放した弦が弧を描く、最後の瞬間まで矢に勢いを伝えた弦が、手首の外を打つ。ぶんん、と空気を震わせて鳴った。矢は的の中心からやや右下に中っている。

 手を持ち変えた。同じく外、内と射掛け、的を確認する。矢は深く突き立っていた。

 我ながら、その異常さにぞっとする。

 できる、と確信していたのは確かだが、こうまで上手く行くとは思っていない。

 動揺を面に表さぬよう、一礼して下がった。


「カルロス」

「基準を百点とするのであれば、九十五と言ったところか」

「理由は?」

「命中しているが、中心は無い。訓練弓での威力とは思えないそれだが、狙いがまだ甘いな。だが両手で器用に使う。充分だ」

「そうか、では槍だ」

「剣じゃないのか?」

「後回しだ、疲れた腕での本当の実力が知りたい」


 まだ胸が高鳴っている。聞こえてくる言葉の意味を理解せぬまま、投げ渡された槍に持ち変えた。


「アレハンドロ!」

「心得た!」


 一礼し、槍の穂先が交差する距離で正対した。

 相手が何かを言っている、のは解るが、音が遠くて理解できない。感覚が無限に引き延ばされているようで、単語が単語になるまでがひどく長くて困る。


「始め!」


 号令が掛かる、重なった槍から動きが伝わってきた。小細工の無い突きだ、此方の槍を外側から押し込むように来る。

 ぐっと、腰を縦に回した、内側に、手元は動かさず。穂先だけが、震えながら大きく旋回する。瞬間、何物も阻む者が無い隙が出来た。導かれるように、左手を突き出す。ゆっくりとした動きの筈なのに、アレハンドロは反応することが出来なかった。

 すとん、と、布で幾重にもくるまれた穂先が相手の胸を打つ。何が何だか解らない、と言った顔で、呆然とアレハンドロは穂先を見詰めていた。


「止め!」


 遠ざかっていた音が、一気に戻ってくる。反射的に開始位置まで戻り、一礼する。アレハンドロは真っ青になっていた。


「どうしたアレハンドロ。手加減とは貴様らしくないぞ」

「否、私は手などぬいてはおらぬ。だが、まるで見えなかった」

「あの遅い突きがか?」

「……端から見ればそうであろうが、私にはいきなり穂先が届いた様にしか感じられなかった。あれは、そうあれは、私の知る槍ではない。もっと極限まで練り込まれた……そう、一対一で確実に殺すための槍だ」

「ほお」




4.

 少年は順調に勝ち星を挙げていた。それを、ややはしゃぎながら見る彼女に、苦い視線を送る。ただちに気がついて、何か問題があるのか、と問われた。


「当たり前だ、これでは勝ちすぎる」


 一度目を動かして、あ、と、女は小さく声を上げた。

 

「しまった……一式は万掌に通じる」


 そうなのだ。あらゆる戦闘方法を記憶していても、一つの用法を突き詰めた相手には羽毛や羽虫がごとき相手となる。

 少年にはそれこそたった一つ、相手を殺すことに特化した歩法を、死ぬ寸前まで痛めつけて叩きこんだのだ。他の武具であろうと、体の使い方など基本の構えからであればどれもさほどの変化は無い。


「今のあいつは基礎だけ出来た城だ、何かを見ればそこから勝手に盗んで学び取る。それで、打ち合いながら強化されていく。それぐらいでちょうどよかったんだ。

 ……それをお前、要決なんぞ教えたもんだから―――見ろ。立ちどころに開花して咲き誇るぞ」


 号令がかかった、未だどこか血の気の失せた顔で、表情を消したままの少年が、長柄の斧と同じ重さにしつらえた棒を構えている。先ほどの槍よりも、さらに堂に入った、どっしりとした姿勢だ。足を前後に開いて腰を低く下げ、持ち手は足幅と同じ程度に開いて持ち、頭上に掲げて切っ先を下げた威圧感たっぷりの姿だ。

 対して脇に構えて振り上げようとした相手の隙に、するりと切っ先が潜り込む。

 慌てて跳ね上げられた切っ先の勢いをそのまま利用し、体ごと回転して石突で足を払う。

 打ち上げようとした切っ先の思わぬ軽さに伸びた相手の体が、物の見事に刈り取られた。

 うめき声と共に背中を打ちつけられ、急いで回避しようとした胸に切っ先が載せられる。

 勝負ありだ。


「見ろ馬鹿、おい、おい馬鹿、どうするつもりだこれ」

「ど、どうしよう、まずいよね、どうしよう」


 先ほどは助言をしなかったのではない、出来なかったのだ。天才とはこういう相手の事を言うのか。それとも、魔素が後天的な天才を生み出したのか。

 こうなっては先輩後輩の関係もへったくれもない。揉み合って泥仕合になって、そこそこの腕前だ、と認められれば一番であったのに、いきなり彼の扱いが難しい物となってくる。

 現状、試験管を務めるのは近衛中その道では一番の腕前を誇る騎士達だ。それを軽々と打ち負かすようでは、彼らの誇りが大いに傷つけられるであろう。


「彼奴はどうなんだ?」

「フロレンシオか? 剣こそ飛びぬけているが、他の得物では同輩に劣る。彼の飛びぬけているところは、集団戦における采配と、状況判断力だ」


 諸侯騎士団との模擬戦闘において無敗の名将、十八の若さで黒獅子の二つ名を持つ。


「的確で、迅速、火の様な男だ」


 ずん、と、音にならない音が響いた。

 みれば、ケイが飛び込んできた相手の拳をすり抜け様、潜り込むようにして突き出した肘が見事にめり込んでいる。

 これはまずい、と動こうとした矢先、倒れかかる騎士にケイが力ある言葉をかけた。


「“疾く在らざる障りよ去れ”」


 これには本気で目を剥いた。癒しの魔術など、それこそ誰も教えていない。道中で使う事は幾度かあったが、あくまでもそれだけだ。


「う、うわあ、ええと、うわあ」


 ティタがすっかりポンコツになっている。

 正直なところを言えば、同じように気を抜いてしまいたい。

 これは想定外だ、才覚はあると思っていたが、まさかここまで一気に開花するとは。


「済まん、フロレンシオ」

「いいさメロス、後は任せろ」


 ふと、フロレンシオの言葉に違和感を覚えた。

 彼は帯剣したままこちらに歩いて来ると、右手を胸に当てて片膝をついた。


「ガーデンツィオ卿に申し上げる。私とケイの決闘を認めて頂きたい」

「決闘だと?」

「然り」


 これもまた予想の外だ。


「何故だ」

「我等近衛一同は皆誓いあっておりました」


 我等の全てを打倒す者あれば、そしてその者の人品気高き物であれば。

 我ら近衛の盟主として、忠誠を誓おうと。


「それは、そうか」


 王に対する造反ではないのか。出かけた言葉を呑み込んだ。そも近衛騎士団長とは、貴族の子弟の中から最も武勇及び真善美の三徳に優れた者が選出される。そして、今上陛下には男子がない。フロレンシオこそ次代を担うのでは、との呼び声も高かったのだ。


「は、常日頃より私こそ次代の、と言われておりましたが、自らを省みるに決して足り得る人間では御座いません」

「わかった、皆まで言わずとも良い。認めよう、俺が立会人を務める」

「恐悦!」


 ジョン殿は徳の高い御人であったな、これは、ケイの立場も含めて大僧正程度は狙えるやも知れん。

 そんな生臭い事を考えつつ、ケイを呼びつけた。


「次は本身だ」

「はい、え?」

「次は本身だ」

「え、と、?」

「三度も言わせるな、次は真剣勝負だ」

「なぜっ」


 目を白黒させるケイを尻目に、ティタナに言う。


「剣を用意してくれ、壊れない奴がよい」

「いいのか?」

「外装は彼のをそのまま使ってくれ」

「解った」


 それだけで、彼女は全てを察した様子で頷くと、未だ跪くフロレンシオに歩み寄った。


 

「フロレンシオ様、剣をお貸し願えますか?」

「これは姫君、いかがなされましたか」


 疑問符を浮かべつつも、そつのない仕草で、剣を抜き放ち、刃を持って差し出される。

 受け取って刀身に目をやったティタナが、大仰な仕草で天を仰いだ。


「―――ああ、やはり」

「どうかなされ……っ」


 ばき、と、音を立てて、女の手の中で剣が二つに折れた。

 ありえない物を見るように、フロレンシオの両目が見開かれる。


「剣に致命的な刃切れが入っておりましたの、鞘鳴りの音がおかしくて、どうにも気になっておりました」

「なんと、しかし、これは……」


 それでも女人の力で折れる物ではないと、必死に今の現象に頭を悩ませるフロレンシオを尻目に、ティタナは踵を返す。


「少々お待ち下さいませ、フロレンシオ様。今、代わりの剣をお持ちします」



 しばらくして、ティタナが厩舎から戻ってきた。手には、見慣れた外装の見慣れない剣を手にしている。鎬が高くすっきりとした姿のそれは、何とも例えがたい金属光沢を放っていた。

 フロレンシオが、魂を奪われたかのように輝きに見入っている。


「これは、忝い。なんと素晴らしき剣か!」

「英雄には英雄の持ち物が御座います。これは、かの名高き魔竜王の魔窟より持ち帰りし名剣。是非お召し下さいませ」

「御言葉、ありがたく」


 剣の調子を見るように、見知った型をフロレンシオがなぞっている、それを一瞥すると、今度はケイを呼びつけた。


「ケイ少年!」

「ひあ!」

「ひあとはなんだひあとは、貴様にはこれをやろう、着ると良い」

「……すみませ……鎧?」

「そ、の様だな」


 フットコンバットアーマーが近いか。腕の動きを妨げない肩当て、かがむのに支障のない胴部、腰回りはきちんとしながらも、どこか有機的なデザイン。手足は外側のみに板金があり、普段の格好の上から身に着けられるようになっている。


「すごい、これ、まるで竜のような」


 目を輝かせる少年を尻目に、そっと呟いた。


「鱗か?」

「鱗だ」

「ベルトも?」

「鱗だ」

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