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冗談では笑えないし、本気であれば性質が悪い。
その場にいる文官の全員が共通してそう思ったであろう。王女を嫁に、と言うことは、将来この国を任せて良いとの事だ。各々の表情が嫌そうに歪んでいる。
これは王が男を信頼をしている、などという段階の話ではない。
権威と相性が悪い。と、男は言っていたが、それは文官からのものであろう。国王の贔屓振りは私から見ても相当なものだ。
確かに国教に主信教がなりはしたが、ランベルテの報告により、主信教が一歩遅れる形となっている。シルバが文官を怖れる理由が今一わからなかった。
「然らば、この者めを近衛の末席に御取立て下さいますよう」
しかも、それを蹴った上で自らへの報奨をケイ少年に与える有り様。絶句したのは私達だけではない、今度は近衛騎士の面々すら息を飲んだ。
それこそ自身への文官の不満を、少年を用いることで逸らしたいのであろうか。
目的が見えないというのは不安を誘う。あとで確認をしておこう。
察しの良い男の事だ、一言二言聞けば、大概を説明してくれるであろう。
「……それでそちは……いや、二言はない。ケイ、貴様を我が近衛騎士と任ずる。励めよ」
発言には王ですら目を剥いた。
男は何も望まないと答えたも同然だ、しかし何らかの方法で報いなければ、王の権威は彼にとって何の魅力もないと他には取られるであろう。それでは権威が地に墜ちる。故に、王であるならば、他に何らかの報奨で報いねばならない。
「はっ! 師の名に恥じぬ様邁進致します!」
ケイ少年が威勢良く答えた。
だが、伏せられた顔は混乱の一色である、そんな簡単になれるものなのか、とか、家族は、とか、考えることがありすぎていっぱいいっぱいであろう。慣例であれば、貴族の子弟が近衛に抜擢され、側近として教育される形なのであろうか。
……ともあれ、彼であるならば問題なく勤めるであろうとは思う。
居並ぶ騎士に、少年以上の使い手を探すのは難しかった。使えるには使えるが、経験が皆乏しいのであろう。まだ若い点もそれに拍車をかける。
筆頭が唯一対面に立てるか、と言った所であるが、男の技術はあくまでも剣で効率良く人を殺す術だ。同じ土俵にたった場合、どうなるかは極めて難しい。
心配と言えば学識作法の類だいが、武官に求められるそれなど知れたもの。作法等は武官の同輩から見てでも盗めば良い。指先まで意識すれば、上背がある分見応えもあるであろう。人当たりのよさもあることで、問題にするほどではない。
「何故だ」
「我が弟子は敬虔な主信の使徒で御座います故」
疑問には王が先に食い付いた。
即座に答えられたそれに、憮然としていた神官の肩が僅かに動いた。表情こそ変わらぬものの、目が忙しく動いているのが細めたそこからでも伺い知れる。此方に向けられていた敵意が和らいだ。
外面からすれば、末端の腐敗を暴いたことで主信教の体面を守り、橋渡しとシルバがなっている訳だ。 苦々しくも、せめて表面上は感謝を表さなければなるまい。王の視線が素早く左右する。若い様だが老獪さを兼ねた人物である、治水に功績があったとも聞いている、ただの世襲ではないのであろう。唇の端が僅かに上がり、すぐに引き締められるのが見てとれた。
……なるほど懐柔策か、今回の件で主信教側の面目は潰れたが、信者から近衛騎士を取り立てる事により対外的な面目を保つ。察するに、先に話に出ていた神殿騎士団、これへの代替案かつ牽制と布石も兼ねているのであろう。
この国での近衛がどのような立ち位置か。それがはっきりと解らないので何とも言い難いところではあるが、王の側近であるのは間違いが無さそうだ。
……つまりは作られた英雄。
主信教の敬虔な使徒にして、辺境の勇者の弟子である最も新しき近衛騎士。
そうなると、一家およびケイ少年との出会いはシルバにとって幸運であったと言えるのではなかろうか。
もしかしたら、ジョンが同行を申し出た際に、既にこの流れが頭にあったのかもしれない。そうであるならば、連日の猛特訓にも納得が行くというものだ。
「……よし。ガーデンツィオ、そちにはエーデルホフと同じく司法権を与え、遊歴司法官として任ずる。今より汝は法による枷を得ず、そちが正しく在ろうとする限り失われることは無い。
今後ともよく我と我が国を守護せよ、期待しておる」
「は、有り難き幸せ。過不足なく務めきる所存に御座います」
しばらく唸り声を上げた後、膝を叩いて王は言った。
ケイ少年を華々しく売り込んだ裏側で、シルバはとんでもないものを手にいれた。
司法権とは、言わば警察と裁判所を一纏めにした様な物。伏せた顔の中で、獣が牙を剥いた気配がある。
これまでに聞いたシルバの話からすると、養父殿は王の懐刀の様な人物であったそうだ。
一つ間違えば自分の喉元に牙を剥く、もう一振りの不可視の剣だ。個人の武威が軍隊を凌駕するこの人物達にそれを与えると言うことは、自身の命運すらシルベスタに任せた、との宣言に等しい。
地位や領地に縛られず、法すら彼を縛ることあたわず、武威で抑えることも出来ない。
成る程、これは姫や国土に興味が無いのであれば、これ以上の自由はない。
「ランベルテ、よくぞ汚名を灌ぎ名誉を挽回した、直々に誉めて使わす。今回の勇を以てそち列びに団員の不名誉を打ち消し、更に金二百を使わす、励めよ」
「ははっ!」
「ティターニア嬢、なにも無いところであるがゆるりとされよ、宵には晩餐会なぞ仕度させよう」
「かような田舎者に勿体無き御言葉で御座います」
「うむ。アレハンドロ!」
我々にはさほどかける言葉も無いのであろう、短くやり取りを済ませると、王は立ち上がり、びろうどの外套を翻した。金糸の刺繍が目に鮮やかにはためき、大仰であるが、そこには確かな色気が感じられる仕種であった。
「はっ!」
「本日はこの者らを客人として扱う、寝所へ案内せよ。然る後に練兵場へ、入団試験を行え。では解散する。各々、後程な」
一気に喋りきると、王は部屋を出ていった。
アレハンドロと呼ばれた騎士が近付いてくる、表情は興奮冷めやらず、視線も此方側をさまよってはいるものの、王命に従い我々を案内すべく前に立って歩き出した。
「各々方、此方へどうぞ」
練兵場は、馬で五分ほど駆けた、街を見下ろす高台にあった。高く厚い壁で囲まれ、鳥かそれに類する者でもない限りは覗き込めそうにない。
随分秘密主義なのか、と考えていると、並走していた騎士が言った。
「この場は祭の際に、騎士や力自慢の腕比べにも用いられます。故に、壁の内側は客席が設えられており、高さと厚さがあるように見えるのです」
「あぁ、なるほど! これは御親切に」
そう言って微笑んでやると、騎士は一気に顔を赤くし、口の中で何やらうにゃうにゃと言うと俯いてしまった。
女性に馴れていないのが丸分かりである。なるほど、近衛騎士団の弱点はハニートラップであるな。
一行は開放されたままの門より内部に入ると、馬場にそのまま進入し馬をつないだ。
早速先輩に当たる騎士が、ケイ少年に馬の世話の仕方を教えている。小気味の良い返事を響かせながら、重箱の隅をつつくようにケイが質問をしていた。他の騎士が目を和ませながらその有り様を眺めている。人となりは、どうやら受け入れられた模様だ。
「ケイ」
「はい先輩!」
「クラウディオで良い、馬術は何処かで習ったのか?」
「はい、クラウディオ先輩。いいえ、習った事は御座いません」
クラウディオは苦笑しながら言った。
「真面目なやつだな、敬称は入らないよ、これからは同輩だ」
「はいクラウディオ、先輩。……まだ緊張をしている様子です、今しばらく、なれるまで御待ちいただきたいと」
ケイ少年も苦笑しながら答えた。
無理もない、昨日まではただの巡礼だった身分、今日からはいきなり近衛騎士だ。いきなりで慣れるというならば、これほどの鉄の心臓もそうはないであろう。
「ははは、解った解った。それにしても、習わずにあの駆け足か、魔術でも使ったのか?」
「はい、いいえ、皆様の動きを見て、その様に致しました」
「こいつはたまげた! その場で見て真似したって?」
「はい」
厩舎内が一斉にざわついた。それは少年の観察力もさることながら、即座に実行に移せる身体能力の高さも物語っている。いきなりで実行に移せる度胸も勿論だ。
これはなかなかに傑物が来た。少年達の目が、可愛い後輩を見るものから油断できない好敵手を見るものに変わる。流石は騎士を名乗るだけのこと、膨れ上がった気の圧力は、肌がちりちりとするほどだ。
「これは楽しみだな」
「参ったな、俺、いきなり抜かれそうだ」
「シルベスタ卿の弟子、になれば皆ああなるのか?」
「はは、やめろ。城から出たくなる」
「元々は巡礼だって? そうは見えないな」
「フロレンシオ」
「ああ」
一番大柄な、この中では唯一黒鉄の板金鎧を着た少年が前に進み出た。
「近衛騎士団長フロレンシオだ、近衛のしきたり故家名は無い」
「はい、ケイと申します、フロレンシオ団長」
「良い返事だ。本来であれば、馬術、弓術、剣術、槍術、盾術、長柄術、組打術に、行軍術、追跡術、学術の十科目を試験とするところだが、馬術に関しては問題無さそうだな」
「お誉めいただきありがとうございます!」
「良い、その上で盾、行軍、追跡、学の四科目も時間と試験内容の問題があることにより免除とする」
「はい!」
「よって、弓、剣、槍、長柄、組打ちの五科目とし、近衛の名手が試験官となる。ここまでに質問は?」
「はい、いいえ、ありません」
「よろしい、それではそちらに訓練用の武具がある、十分後に始めるので、慣れておくように、以上だ」
「はい、ありがとうございます!」
「シルバ、助言の一つも無いのか?」
「ないな、いや、おい」
「はい先生!」
「フロレンシオだが、彼は俺の後輩だ。お前と同じ剣を使う、気を付けろ。他の連中は殺さないように気を付けろ」
「はい? ……あ、はい」
「それ、助言のつもりか?」
「ああ」
あてにならない男をおいて、ケイ少年のもとに歩み寄った。
「槍の扱いは?」
「解りません。槍は、というよりも、剣以外は、見たことが無い程度です」
「だよなぁ」
思わず腰に手を当てて天を仰いだ。
これでは仕方がない、一肌脱ぐことにしよう。
「ランバー」
「おう」
まずは弓の名手に話を聞く。これについては彼が一番であろう。
「弓はどうやって引くと良い?」
「こうだな」
早速背の矢を弓につがえて見せると、特に何も気負うことなく的に向けてそれを放した。異様な矢飛びと風切り音を響かせて、的の中央を矢が貫く。勢い余って矢は的を貫通した。相変わらずの威力である。ぎょっと顔を強張らせて、弓に弦を張っていた少年が目を剥いた。それもそうであろう、距離にしてざっと百五十m、それをろくに狙いもせず撃ち抜くなど、人間業とは思えまい。
「……なる、ほど」
こちらもその限りであろう、突然の神業に、ケイ少年も顔を引き攣らせている。
とはいえ、これで大まかな体の使い方は見えたであろう。
「一言添えるならば?」
「矢を放す時に、左手を開け、右手は同じ力で引け、一射目は弓の癖を掴め、矢はここにある物ならば矢道には然程の影響がない。何処に飛ぶかを確かめたら、二射目からは体で合わせろ」
「なるほど、的確だ」
次に槍を持ち、腰の高さで構えて見せる。両足の幅は肩幅よりやや広く、重心を垂直に降ろして移動はなめらかに。
「基本は三つだ、手元で操作して、背骨の力を穂先に伝える。内に回す、外に回す、突く。以上」
「な、なるほど?」
「徒手格闘ならもっと話は早い。剣の突きは覚えているか? あの要領で、手のひらの付け根を突き出せばいい。近くにいるなら肘だ」
「……はい、ええと、はい」
「長柄は実演した方が早いな、こうだ」
「ええ、えええ、はい、ええ?」
「要穴は体から離さない事、まとわりつく様に両腕の延長と思え」
「…………はぃ」
「準備はできているか? 始めるぞ」
「はい!」
難しい顔をしていたケイ少年が、はじかれたように顔を上げた。
できるだけのことはやった。後はなるようになるであろう、そう思って振り返ると、シルバが何ともいい表現をしがたい顔でこちらを見ていた。
「どうした?」
「お前、あれで解ると思うか?」
心から呆れた声で言った。
とても心外である。




