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部屋の奥からは照明代わりの日差しが差し込んでいる。古代王国の硝子は透明度が段違いに高い、強度も恐ろしく高いそれは、磨くと存在を感知できなくなる。まるで宙空に切り取られた壁の様な感覚を見る者に抱かせた。
弓すら届かぬ崖の上にある故、窓に近づくと絶好の展望が広がっている。玉座の、というよりは、謁見のという意味合いの強い部屋だ。酒宴の会場になることもある。
その部屋の奥、ガラスから五mほど手前に、今は玉座がしつらえられていた。木製に金箔捺し、緻密に獅子と竜を彫りこんだ装飾、肘かけは無い、王の若さを前に押し出している簡素なつくりだ。深い赤色のびろうどが張られた座面、実用を念頭に置いているためか、鋲は真鍮の様だ。
左右に居並ぶ騎士はまだ若い、十八人の近衛は皆、貴族の子弟である。忠誠を刷り込む為に、外界とは隔絶しておかれている。手に入る情報は武と学のみだ。ぎらぎらと目が皆輝いていた。その後ろにいる十六人の文官、猜疑心に満ちた目をしている、この男達が嫌いであった。あとは、王の左に書記官、右に道化が控えている。
かつてはいた神官の姿がない。否、自分たちの後からゆっくりと入ってきた者がある。嗅ぎ慣れた香の匂いは、教会で用いられるものだ。入室の挨拶は無かった。国教として任ぜられた余裕か。
素早く視線を周囲に投げる、王妃の姿はない、もちろん王女の姿も。どちらにせよ問題はない。既定の位置まで歩き、ゆっくりとひざまずいた。
勿体をつけるように王が間をとって言った。
「大儀であった。シルベスタ・ラン・ガーデンツィオ、エーデルホフの事は残念であった」
「は」
「仇である魔竜王を討ち果たした、との知らせを聞いてはいるが、証しはあるか」
「これに」
鎧の隠しから、以前ティタナに用立ててもらった、とにかく頑丈に作った鱗を取り出す。
ひざまずいたまま差し出すと、近衛の第一席が恭しくそれを受け取り王に差し出した。
「うむ、それは?」
「魔竜王の、心臓を守護せし鱗に御座います」
息をのむ音、感嘆の声、それから嘲笑う音。後列からだ。
王もそれを聞き咎めたのであろう。一度視線を投げると、差し出されたそれをじっくりとつぶさに観察した。
「ほう、なるほど、見事な輝きである」
にっ、と笑うと、王は続けて言った。
「ガーデンツィオよ」
「は」
「文官にそちを信じぬ者がある、証しを立てられるか?」
「容易きこと、我が剣を用いること、お許しいただけるならば」
今度のどよめきは、非礼を咎めるものだ。やはり後列から、おそらくは、養父の頃より折り合いの悪い法官辺りであろう。
「良い、許す。ガーデンツィオの剣を持て」
「はっ」
「しばし、もうひと振り、鋼の剣をご用意願えますか」
「構わぬ、誰ぞ持て」
また、どよめき。騎士達は、何に用いられるかを察したのであろう。自慢の愛剣を損じてはたまらぬ、だが見たいとのどよめき。文官は何が何やら、鋼で鋼が切れるものか、と言う類いのそれだ。
長くは続かなかった、ままよ、とばかりにまだ若い騎士が歩み出る。
「名高き英雄の切り試しぞ、勲詩の一節ぞ、ここで声を上げねば近衛の名折れよ。ガーデンツィオ卿、俺が剣を御使いあれ」
「忝い、後ほど新しい剣を用意させよう」
さっぱりとした笑顔を見せて、騎士は言った。
「おう、ありがたい。それとて我が家に長く伝わる名剣、ガーデンツィオ卿の剣にとて、そうそう負けはせん、存分に試されよ」
「然らば」
用意された長机に剣を載せた、差し出されたレイマルギアを鞘から抜き、そっと刃を立ててそこに乗せる。押すも引くもない、音もなく剣と机が切れた。一拍遅れて石の床にそれらの跳ね返る音がこだまする。
歓声はなかった。誰もが切れ味に息をのんでいる。一度剣を鞘に納め、残骸をそっと騎士に手渡した。
「いや、これは、言葉もない」
圧倒的に過ぎる、と、騎士は手中の剣を見つめつぶやく。小うるさかった文官も、今は何も言葉にせぬ。
「陛下」
鱗を、と声を出すと、第一席が恭しくそれを差し出した。受け取ったそれをそっと床に置く。
「各々方、耳を塞がれよ」
一言声をかけて、再び剣を抜いた。三度、深く息を吸う。全身に力を込めた、一気に血の巡った筋肉が、異形の器官がごとく膨れ上がる。あふれ出る気迫に男達から悲鳴が上がった。
「いざ、照覧あれ!」
裂帛の気合と共に鱗に打ち込む。ティタナの笑う気配があった。現状のこの剣でも切れぬ、そう言いきったからには切れてもらっては困る。落雷のごとき轟音が響いた。直撃の瞬間、衝撃を一切内側に通さぬ為に仕掛けたという呪刻が起動する。床には何の影響もなかった。ただ、何事もなかったかのように切り付ける前と変わらずに鱗がそこにある。
剣を鞘に納め、再び騎士に手渡した。
「巨大にして勇壮、恐ろしくも美しい竜の王に御座いました」
「なるほど、そちの剣、恐ろしく切れると見えるが、それでも切れぬ鱗に覆われていたか」
そう言って、王が鱗を返却する。少し考えて王は言った。
「然らば、如何にして誅した」
「御意見御尤も」
予想された答えだ。如何にティタナを下したかの説明を、吟遊詩人の謡うままに伝える。表現には自信があった。何しろどちらが勝った、以外は実体験だ。感じ入るように聞き入った後に、王は言った。
「大儀、まさしく大儀である」
「陛下、かの魔竜王の御姿、御覧に入れましょうぞ」
「ほう、記憶写しの術か」
「如何にも、然り」
そう言って、ティタナのもとに歩み寄った。何を言い出すのか、という顔をしている彼女に、人差し指を口に当てて見せる。
「“記憶写し”」
魔術を発動させた。この呪文には問題点が二つある。本人がそうだ、と思い込んでいることは、そのように再生され、中空に映し出される。また、術を掛けた本人のイメージも映し出せる点だ。
今回映し出されたのはサーガに描かれたそれ、しめしめと、内心舌を出して居並んだ歴々を見やる。誰もが目をくぎ付けとされていた。神官も、またその限りにある。
廃城の玉座の間。そこに存在する圧倒的な質量。七色の金属色に月明かりを照らし返す、四対八本の角持つ魔竜王。角以外に攻撃的な突起は少ない。何者も恐れぬ証がごとく、その竜体は滑らかな鱗に包まれている。まるで濡れたような光沢を放つ姿は色気すら感じさせる。巨大な牙と、巨大な爪。広げられた翼は夜を覆うがごとし。
威厳と武威と人ならざる美に満ちた姿であった。
ティタナが息を飲んだ。それもそうだろう、彼女はこの姿を俺に見せたことがない、と思っている。
実際間近では見ていないが、飛ぶ姿は幾度か見ていた。再現するだけであれば、それで充分であった。
「おお……これが、おお」
誰しもが圧倒されている。気の弱い文官が意識を失った、近場にいた人間が助け起こしたところで映像を消し去った。
「言葉もないわ、よくぞ生きて帰った。褒めることすらこれはおこがましい。なんなりと言え、褒美は望むままにつかわそう」
「何も望むところは御座いませぬ」
「養父ににて欲のない奴め、望むのであれば我が娘婿にでもしてやろうぞ」
「ありがたき御言葉、この上なき幸福に存じます、しかれども、我が身には既に伴侶がありますれば」
「左様か。麗しき姫君を助けた、との事であるが、そちらの見事な花がそれか」
「如何にも、然り」
伴侶、伴侶か。自分で言っておいてこれほど彼女にそぐわない言葉もない。相方ではあっても、恋慕の情は無い。ただ対等にあれるという存在だ。
「美しき姫よ、直言を許す、名は?」
「イリ・クトロンニク・コロマイディズ・オ・ティターニアと申します」
「遠き国の言葉、生まれがどちらかお分かりか」
「彼方の滅びし国に御座いますれば、さて……雲にかかる高き山並みを七つ、端の見えぬ海を四つ越えた先に我が故国は」
「その彼方より虜囚となっておられたか」
「はい、かの竜は私を伴侶に、と望んだようで御座いました」
「それが今や『竜殺し』の伴侶とあるか、定めとは数奇な物よ」
手振りで話を打ち切ると、王は後ろに控える二人に目をやった。
「琥珀騎士団のランベルテ・デ・ラ・パウロ、であったな」
「はっ!」
「出奔したとの報告を受けておるぞ。そちが何故此処に居る? 直言を許す、説明せよ」
「はっ! 某は現在、ガーデンツィオ卿の指揮下に御座ります」
「見ればそれは解る、何故だ?」
「エーデルホフ閣下の御遺志なれば」
聞き流せない言葉があった。
「なんだと」
それは聞いていない。両眼に炎が宿ったのを感じる。周囲の空気が陽炎と化した。
「控えよガーデンツィオ、そちの指揮下にあって報告できぬ、今はまだ時ではないと言った所か」
「御慧眼、流石で御座います!」
「世辞は良い、続けよ」
「然らば。先日より卿の指揮下に入りました琥珀騎士団は、アルマツィオと申します商人の関わる、麻薬の流通経路を内偵して参りました」
「ほう」
「結果、アーガンツィオ郡爵領に於いて、主信教分教会が悪魔信仰の隠れ蓑として用いられている事を突き止め、これをガーデンツィオ卿、アーガンツィオ卿と協力の上、壊滅せしめました。証拠の品々をこちらに用意して御座います」
「あいわかった、後ほど詳しく詮議する。今は下がってよい……でかしたぞランベルテ、その方らの忠誠、心より嬉しく思う」
「はっ! 恐悦至極に存じ上げます」
ふ、と、短く息を吐くと、王は神官を見つめて言った。
「どうやら枝葉に毒虫が付いてしまった様子であるな」
「ははぁ、陛下の御心を煩わせる事、大変恐縮致しております」
「良い、教皇猊下にお伝えされよ、神殿騎士団の設立は見送りとする、とな」
「ははぁ、御心のままに」
うやうやしく、と言うよりは、やや大仰に、時代がかった仕草で神官が頭を垂れた。それきり興味を失ったように、王は視線をこちらに戻す。
「その小僧が証人か?」
「は、いえ、この者は我が弟子に御座りますれば」
「ほお!」
近衛の空気が変わった。とはいえ、決して敵対する気配ではない。頼もしい後輩を見るような、温かなそれだ。
「良い、直言を許す。名乗れ」
「シルベスタ・ラン・ガーデンツィオが弟子、ケイと申します」
「民草か」
「恐れ多くもこの場に」
「それだけ言えれば度胸は確かとしている。もっとも、竜より強い男の弟子では当然か」
王は視線をこちらに戻すと言った。
「シルベスタ、何故この者を同伴した」
「は、麻薬の件で突入した折、不可解な地図を発見、これの陰謀を突き止めんと挑み申した」
「ふむ、それで?」
「結論から申し上げれば、悪魔の現出を確認、これを成敗致し申した」
「大きく出たな、つまり、小僧はそちらの証人か」
「然り」
「良かろう勇者よ、者共にその武勇を見せてみよ。無論我も楽しませてもらう」
「然らば。“記憶写し”」
ケイににじり寄り、頭に手を載せた。今回は何の作業もない、ただ彼の記憶を再生するだけである。
異形の人型、強靭無比なキマイラ、偽りの聖都、巨大魔法陣に腐敗した沼地、湧き返る死者、万象焼き尽くす爆炎、直視できぬ悪魔、そしてそれらの終焉。
観客は全て言葉もなくそれらを見つめていた。未だかつて目にした事のない異形に慄き、未だかつて目にした事のない偉業に沸き立った。歓喜の涙を流している者もある。彼等からすれば、まさしく神話の再現にほかならぬのであろう。
「成程。大儀であった、これだけでは到底ねぎらう事が出来ぬ」
額を押さえながら、王が近衛第一席の名を呼んだ。
「フロレンシオ!」
「はっ!」
「忌憚なく意見を述べよ、かの勇者には何が相応しい?」
「はっ! お答えいたします我が君、シルベスタ殿に相応しきは思いつき申しませぬ!」
「それはカンデラリタでも不足、という事か?」
「はっ! 偉大なる陛下はエラリアの魂であり、背骨であり、頭脳であり、心臓であられます。対してシルベスタ殿はエラリアの剣であり、槍であり、鎧であられます。また、下世話な事を申しますが、おそらくはあらゆる意味で不釣り合いかと!」
それを聞くと、王はどこか悪戯な表情で騎士の頬を軽く打った。懲罰的なそれではない、まるで息子をたしなめるかのごとき一手であった。
「はっ、言うわ此奴め。だがもっともであるな、シルベスタの体躯から察するに、我が娘では初夜に命を終える事となりかねぬ」
豪快に笑い飛ばすと、王は改めてこちらに向き直った。
「望みを言え、シルベスタ・ラン・ガーデンツィオ。我が名に賭けて、エルメネヒルド・ウル・アラリアツィオが叶えよう」




