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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第三章 騎士の誇りはいずこにありや。
28/66

1.

 ―――英雄とは、何者であるのか。


 物語に依れば、それは誰よりも秀でた男達を指す。

 家臣に聞けば、貴女様の御父君に御座います、と返る。

 父上に聞けば、「中庭の騎士」こそ真の英雄と答える。

 彼の騎士には、民草の吟う中にこそ顕現すると教えられた。


 こうして街に抜け出すのは、幾度目になるだろうか。

 皆の教えてくれた事に習い、民草の声に耳を傾ける。

 吟遊詩人が高らかに吟う勲詞の、そこに描きだされた英雄達。

 夜空にさんざめく星星がごとき中で、一際高く輝く三つの星。


 曰くエラリアの水竜王。

 氾濫する大河を治め、地をならし莫大な糧を人々にもたらした賢き王。外交の手腕にも優れ、隣国とのいかなる危機にも最小限の戦で勝利してきた戦の王。

 数多の勇猛なる騎士を抱える、誇り高き我が父。


 曰く中庭の騎士。

 余りある武勲、類いまれなる忠誠、高潔な魂。王が広大な領地を下されようと、眼前の中庭こそ我が領土、王の剣足ることこそ我が喜びと答えた騎士の中の騎士。

 魔竜の王との戦いで折れ散った、悲劇の英雄。


 曰く辺境の勇者。

 中庭の騎士を父に、彼を超える武勲を積み上げ、誰一人伴わず戦う男。民草の平穏こそ我が望み、民草の喜びこそ我が喜びと答えた戦士。父の仇である魔竜の王を討ち果たした、もっとも新しき、そしてもっとも強き英雄。


 成る程、成る程。

 皆の教えてくれた事に間違いはない。

 誰よりも秀でた男達の中で、一際輝く男達。

 聞けば聞くほどに、胸が高鳴るのが解る。

 とは言うものの、そろそろ城に戻らねば騒ぎが大きくなるであろう。

 物語の中に飛ばしていた意識を、ゆっくりと戻した。


「おっと、ごめんよ!」

「あっ」


 藁を積んだ馬車が目前を横切る。思わず仰け反って、人にぶつかってしまった。バランスを崩し、尻餅を付きそうになる。

 そっと支えられた、まるでもとからそうするつもりであったように、何の衝撃もない。それこそ、山羊の毛を詰め込んだ、クッションにもたれたかのよう。


「大丈夫ですか?」

「あ、はい、ありがとうございました」


 人の良さそうな顔が此方を覗き込んでいる。支える腕は、細身ながら実に逞しい。力強さは城の騎士と遜色がないのではなかろうか。


「立てますか」

「はい、その、重ねてお礼申し上げます」


 薄汚れた巡礼の服、旅路を長く過ごしたのであろう。格好は民草と変わらない。ただ腰に下げた長剣が目を引いた。主信教の徒らしき格好にはそぐわないそれ。だけれども、浮いた感じは受けない。


「御名前を伺っても?」

「ケイ、と申します」


 少年、青年に差し掛かった頃合いであろうか。優しいが、とても強い目をしている。胸が騒いだ。こんなに無遠慮に見詰められた事はない。

 もう一度、礼を言おうと顔を上げ―――


「ケイ、その御方はエラリアの姫君だ」


 ―――低く静かだが、雷鳴を思わせる声で巨人が言った。

 こんな人間は見たことがない。

 とにかく大きい。かつてみた誰よりも分厚く、太く、厳めしい。腕など、私の胸囲よりも太いであろう。全身にみなぎる魔素が、男の輪郭を凛と冴えさせている。

 一目で解った。これが、英雄だ。


 それが私。

 カンデラリタ・エル・エラリアツィオと、シルベスタ・ラン・ガーデンツィオ一行との出会いであった。






1.

 この男は、おかしい。

 それが、少年に戦い方を仕込み始めた彼に対する感想だった。

 まず真っ先に足の使い方を教えるなど、そもそもの、いや、これは嫉妬か。

 自分が足の使い方を、歩法を身につけたのはいつだったか、戦うことを習い始めて、どうしても勝てなくて考え抜いた揚句に師や先達から盗んだのではなかったであろうか。それを、まず基本だと教え始めた男にいろいろとすっ飛ばして怒りを覚えた。

 だが、だが間違いではない。それなりの妙手を促成しようと考えるならば、男のやり方は正しい。とにかく低く腰を落とさせ、素早く素早く、正しい動きを繰り返させる。容赦はない。教えたことができるようになるまで、一家の行動速度と同じ速度で歩法を用いさせる。

 一度ベス嬢がそんなに早く歩けないのでは、と、男に言った。男は、では見ていろ、と、言って分身したようにしか見えない速度で動いて見せた。

 蛇でもこうは動けまいと言うぬるぬるとした動き。あの時は、私にすら男が七人に増えて見えた。恐るべきは彼の修めている歩法である。

 事細かに骨盤の内側の筋肉の用い方、足の指の使い方、背骨の使い方、視線の使い方、呼吸法、人体の捉え方、とにかく繰り返し繰り返し、文字通り脳裏と体に刻み込んでいく。術理と実践をとにかく押し込めて。

 その意味でケイ少年には才能があったと言って良いであろう。何しろ男の教育に食いついていく。男の指導よりも早く疑問を口にする。乾いた砂に水を撒く様に、ガーデンツィオ流とでも言うべきものが吸収されていく。

 これは教えがいがあるというもの。

 魔素による底上げがあるとは言え、このひたむきさは紛れもなく天添の物だ。

初めの七日は歩法のみを教え、次の七日は体幹を教え、最後の七日で七つの型が伝えられた。寝る間と食う間意外は、それこそ用便の間まで武に漬け込まれた日々。移動中も歩法に剣の用法が加えられ、遮二無二に近付くものを微塵に刻まんとばかりに剣を振り続ける。技はまだまだ入門のそれなれど、もはや忘れることなど出来ないであろう。

 旅の間、男は徹底して狩に勤しんだ。作り出したのは見た目にもおぞましき濃厚蛋白食。兎に鳥、鹿に猪。肉と腱と皮と骨とパンを煮込んだそれを、動きながらでもケイ少年に飲ませる。空腹など覚える時間はない。食事の際は彼だけ野草のサラダ、何かの卵の白身のせだ。

 正直なところ、自分であれば三日で逃げ出す自信があった。これは人の過ごす生活ではない。武という存在そのもの、戦闘人形を作り出す工程に他ならない。

 ただ、男は少年の精神には働き掛けなかった。

 洗脳してしまえば話は早くすむというに、素直な少年の心を残したまま、肉体を鋼に変えていく。

 そして夜間は疲労で気絶するまで、星明かりの下に掛かり稽古だ。一切の休憩を赦されず挑ませ続けられる。僅かでも隙を見せれば打ち込まれる。速く、力まずに速く、もっと速く、よく相手を見ろ、もっともっと速く、相手の意識に先んじて動け、もっと速く。男の声と少年の荒い息だけが木霊する。

 そうして限界を超えて意識を失うと、体内に蓄積された魔素が、少年の体を最適な形状と機能に作り替えていくのだ。

 成長は劇的であった。骨の軋む音を夜中に響かせながら、少年の背が伸びる。出会った頃はそれこそ姉のシャルロットとさほど変わらなかったというに、今では私に近い上背だ。どこか少女の様であった手足も、鋼の細鍛えを依り合わせた様な見るものに眩しさを感じさせるそれに変わっていく。

 こうして、少年の人生にとって初めて経験する修羅場じみた三週間は、瞬く間に過ぎていった。




 お気をつけて、と短く済ませ、シルバは少女を見送った。


「おい、さっきのは姫君なんだろう?」

「ああ」

「ほったらかしで良いのか?」

「お忍びで出てきているんだ、ほっといてやれ」


 見ないふりもたまにはな。そううそぶいて、男はケイ少年に今の動きの採点をしてやった。

 そんなものかと思いつつ、歩みの中で街並みを眺める。王都とはいえ、他の都市とさほどの差異を感じるわけではなかった。


「親父さん、それを一つ」

「銅貨一枚でいいよ」


 やがて見えて来た城の様式にしても、城郭と言うほどの物はない。大きな館に城門と見張り塔を備え、街区から少し離れた丘の上に築かれている代物だ。なんというか、予想していたものよりも随分と小さくて戸惑ってしまう。

 自身の居城と比較してしまうと、どうしてもみすぼらしいと思ってしまった。それも仕方がないところであろう。

 街路はかろうじて石畳であるが、凹凸がひどく馬車などは難儀しそうである。無論、街灯の類いはせいぜいが家々の軒下にかける松明がいいところだ。

 むしろ、これであるならば、アーガンツィオ郡爵の街の方が栄えていたかもしれぬ。

 そんな事を考えながら、買い求めた赤い大きな果実に歯を立てた。


「意外と栄えていないな」

「今上陛下が質素な方でな」


 取り立てて贅も凝らさず、むしろ治水に税を凝らしたそうな。言われてみれば、昔空から見下ろした時には、もっといくつもの大河とその支流が氾濫に氾濫を重ねていた気がする。今では水路として用いられる程度に整備されていた。


「ついた二つ名が水竜王だ」

「なるほどね」


 のっそりと男が歩く。気配はどれほど先まで届くのか、相当先を歩く人まで足を止めて振り返る。人並みはざっと割れた。誰か一人が叫んだ途端、一斉に街が歓声に沸き上がった。

 まるで戦勝のパレードがごとし、いや、それもそのはずだ。そもそも今日こそが凱旋の日。

 辺境の勇者が魔竜王たる私を打倒し、養父の仇を討って異国の姫である私を手に入れ、颯爽と王都に帰還したその瞬間なのだから。


「大人気だな」

「そうだな、吟遊詩人は良い仕事をしてくれた」


 照れながら男は言った。





「これからどうするのだ?」


 広場まで来て訊ねた。人の熱は収まりそうにない、この調子では宿をとる、どころの話ではなさそうだ。


「面倒だしな、城に行く。ランベルテ、ケイ、付いて来い」

「心得た」

「はい先生」


 二人がその場で返答した。ジョンは娘と妻を見て言った。


「シルベスタ様、私共は大聖堂へ向かう事とします」

「心得た、ジョン殿、ケイを借ります」


 さっと頭を下げると踵を返す。さて、私はどうするか。空腹も覚えて来たところ、それならばと、しばらく考えてから背中に向けて呼びかけた。


「シルバ、じゃあ私は観光をしてくる」

「馬鹿言え、お前が来なくてどうするんだ」





 城山のふもとに来ると、騎馬が二、坂を駆け下ってきた。


「何者であるか!」

「エーデルホフが一子、シルベスタ・ラン・ガーデンツィオ、父が仇討ちより帰参仕った、陛下に御目通り願う」


 誰何の声に男が応える。さほど大声を張り上げた訳ではない、だが、不思議と良く通る声が近くの山に木霊した。


「おお、ガーデンツィオ殿か! しばし待たれい……いや、このまま我等と共に参られよ、貴殿であられるならば陛下も赦されよう!」

「案内、忝い」

「なんの、勇者の凱旋よ。我等とて誇らしいわ!」


 馬首を返すと、騎士たちは歩調を合わせて先導についた。

 ……何と言うか。

 冒頓と言うか、素朴と言うか。全体的に漂うおおらかな空気に、毒気を抜かれてしまう。


「いつもこんな感じなのか?」

「さてな、俺も王都に来るのは……六年ぶりか?」


 なんとも言い難い回答に脱力しつつ、城門を潜った。

 居住性を重視しているようで、館自体は木造であった。床の石畳は街のそれに比して凹凸が少ない。窓は存在しなかった。暗殺防止か、盗難防止か。どちらにしろ、城内に入る口は、ここか煙突のどちらかしか無いらしい。

 回廊を歩くうちに、場内の喧騒が伝わってくる。伝令が走りまわり、中に駐在している騎士が全て玉座の間に集まっているらしい。


「ふむ……近衛のアレハンドロ卿、であったよな」

「おお、然り! 覚えていてくれたのか」


 案内を務めている騎士が、嬉しそうに男に応えた。


「同じ釜の飯を食った仲だ。忘れはせんさ」

「自信無さ気に言いだした癖に良く言う、まあ良いさ」


 笑いながらアレハンドロと呼ばれた男が振り返って言った。


「この扉より先に、戦の器を持ち込むことはあいならぬ。各々方、この場にて、装いを改めさせていただきたい」

「仰せの通りにいたそう、我が父と我が剣にかけて確かと」


 そう言うと、男は肩より掛けた剣をアレハンドロに手渡した。背負いの諸々を持つケイも、それに倣い武装を渡して行く。ランベルテも一瞬迷うそぶりを見せたが、おとなしく従った。


「御婦人、貴女にも身検めを受けて頂く」

「ティターニアと御呼び下さい、アレハンドロ様」


 にっこりとほほ笑んで見せる。アレハンドロは―――意外と若い、十七かそこいらであろうか?―――目をどぎまぎと泳がせた後に、女官を呼びつけてティターニア様の身検めを頼む、と言った。かわいいものだ。





「エーデルホフ・ラン・ガーデンツィオ卿が一子、シルベスタ・ラン・ガーデンツィオ殿をご案内仕った。恐れ多くも陛下に御目通りを願う、開門!」


 重いきしみと共に、扉が開かれる。僅かな隙間から、眩い光が差し込んだ。思わず目を細める。


「シルベスタ殿と御連れの方々の入室を陛下が許された、前へ進まれよ」


 玉座の間は、窓から差し込む光に照らし出されていた。逆光で王の顔は見えない。ただはめ込まれたガラスには見覚えがあった。あれは、私の城の回廊にはまっていたそれであろう。

 こんなところに使われていたのか、そんな事を考えながら、シルバに従って片膝を付いた。

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