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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第二章 渇望は泥濘の底から。
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8.

8.

 ちらちらと火の粉が舞う。

 時折はぜる薪の音が、耳に心地よい。薪はよく乾燥していた、よく枯れてもいて、僅かに立ち上る煙が夜闇にゆっくりと消えていく。

 風のない黒色に、仄かに紫がかった色が溶ける。煙の薫りは良い、燻製の燃料にすると良いかもしれない。


「……頃合いじゃないか」

「黄色い脂が背鰭に滲んだら、でしたね」


 じゅう、と、黄色い脂が川魚から垂れた。

 鱒のようなそれが、えもいえぬ芳ばしさを漂わせている。

 脂は串を支える石に垂れると、細かく芳ばしく泡を吹きながら徐々に焦げ付いて消えた。


「なんだか皆に悪い気がします」

「見張りの特権だ」


 串を火から遠ざけ、僅かに冷ます。

 たまらず腹がなった。焼き立ての大振りなそれにそのままかじりつく。

 ざくり、と、魚の皮が音をたてた。

 胃と、腸だけは抜いてある。昔からそうするのが好きであった。

 ほんのりと苦く、よく塩を擦り込んだ魚の身が甘い。骨ごと気にせず頭から行った。ぱりぱりと砕ける感触も心地よい。よく脂の載った身が、噛むほどに熱々の汁で舌を焼く。肝のほろ苦さに、舌が次を催促する。

 一尾をあっという間に平らげる。魚はまだ数があった、一人二尾程を、稲科の大きな葉にくるんでおく。

 今度のは腹に子を持っていた。塩が染みていて、実に美味い。卵には卵にしか出せない食感と風味がある。

 そう言えば、川魚などしばらくぶりであるなと思い起こした。


「美味いな」

「これ、凄いです」


 ケイは、川魚を食べたことが無かったそうだ。

 旅馴れてはいるが、食料の現地調達まではやったことがないとのこと。

 初めての塩焼きに舌鼓を打っている。

 流石に骨までは容易にかじれないらしい。一度試して、へが、と小さくおかしな声を上げた。どうして歯が立つんだと言った顔をした後は幾分大人しく身だけを食んでいた。


 のっそりと、近くの外套が起き上がった。

 みのむしがごとく身に巻いていたそれを手荒く払い除けると、くあ、と一つ大きなあくびをする。

 水袋を一口煽ると、彼女は交替しようと申し出た。


「お! 塩焼きか!」


 嬉しそうに言うと、直ぐに串を手に取った。まだそこそこ熱い筈だが気にした様子はない。

 そのまま豪快にかじりつくと、座ったまま器用に跳び跳ねた。


「熱かったか?」

「それもあるが……いやこれはたまらない!」 


 美味い魚だな、焼き加減が実に良い。

 そう言って笑った。

 ただ串に刺して焼いただけだ。とは言うものの、誉められて嬉しくない訳がない。

 ぶっきらぼうに次の魚を渡す、手を打って喜びの声を挙げると、礼もそこそこに女が串にかじりついた。

 声に気が付いたのか、姉のシャルロットも身を起こした。ぼう、とした様子で一度こちらに微笑んで見せると、首を傾げた。母のエリザと妹のベスが起きない事はいつも通りだ。


「先に休むぞ、お前もそろそろ休め」

「はい、お休みなさいませ」


 そう声をかけて外套にくるまった。

 今はティタナが起きている。今日はこのままゆっくりと、たまには深く眠ることにしよう。





 結局、件の場所では何の手掛かりも得ることは出来なかった。

 大事をとって、しばらく引き返した所にある開けた土地で一泊し、充分な休養をとった上で来た道順を辿ることとなった。

 一家もそれには異存なく、此処からの道中もまだしばらくお世話にならせていただきます、と頭を下げていた。


 体調に関しては問題を感じない。キマイラを討った時ほどではないが、成長も確かに感じている。

 問題は剣であった。

 成長を遂げたこの身にして、重くも軽くもない絶妙さ。とは言え、ケイには持ち上げることはおろか、動かすことさえできなかった。具体的には姉妹と少年を足した程度か。恐るべき密度である。

 刃渡りは一m程に伸び、厚みも相当に増している。飾り気のない、剛直な刀身は武骨そのものだ。刃根本の、切り刃がつけられていない所など、柄と同じ厚さであり、まるで八角の鉄棒がごとき有り様であった。

 しかも、板バネのごとき靭性を併せ持つのだ。

 なるほど。これならば折れも曲がりもしないであろう。頑丈な、という形容詞が、これが為に存在するかのよう。

 棒状鍔には波打つような凹凸と、中程に釣り針のかえしを思わせる装飾が出来ている。両端は戦鎚のごとく厳めしく張り出して尖っていた。

 柄の長さは拳二つより僅かに長く、強振に適した寸法だ。太さは自身の手首より僅かに細い程度。

 刃を下に剣を落とすと、抵抗なく鍔本まで土に刺さってしまった。切れ味自体は変わらないのだが、恐るべきはその重量と強度による截断効果。ただ置くだけで、一般的な重量の剣を叩きつけただけの効果がある。何しろ刃を立てて乗せただけで、大抵の石が割れてしまうのだ。切れる、ではなく割れるあたりに実に凄みがある。

 今ならば、ティタナの角でも止められはしないであろう。

 変化はそれだけに止まらない。

 最大の違いはこれだ。λαιμαργίαと、金色ではあるが、金ではない金属で象篏をほどこされたそれ。レイマルギア、それが剣の銘であるのか。

 これまでは取り寄せの呪いで呼び寄せてきたが、今ではひとりでに飛んでくるようになっている。自ら敵に突き立つ様な事はないが、いざ投げつければ、いかにいい加減な投げ方をしようと必ず刃先から突き刺さった。

 鞘に納まらなかったのも問題で、しばらく途方にくれた。

 無理に既存のそれに納めたところ、あまりの重量に剣帯が千切れて落ちた。その拍子に大きく切り裂かれた鞘は、確実に再起不能となっていた。

 危うく片足を失うところであったと血の気を無くした。


 幸いにも、ティタナが問題を解決してくれた。

 実に具合よく形作られた、ただし由来ゆえに装飾のない鞘を用意してくれたのだ。

 その武骨さが実に気に入って、真剣な面持ちで重量軽減の呪印を刻み込んだのは記憶に新しい。

 肩下げの剣帯は、次の街ででも新調しよう。

 彼女に言わせると、このところ自身の鱗を自在に変形させることを学習したらしい。

 どうやら、ケイが腰に下げる剣も、鞘も含めて一切がそれで出来ている様子だ。

 実に自分の体に馴染んでいるとケイは言っていた。素材が素材なだけに、間違いなく彼と共に成長していくであろう。



 何事もなく、六日が過ぎた。

 道中、幾度か鹿や兎などの獣に出会した。キマイラを討った為か、道沿いにまでそれらの現れることがよくあった。これ幸いと仕留め、道中の糧とした。あいにく血も満足に抜けないが為に、顔をしかめながら食する事にはなったが、飢えるよりは良い。

 川魚が馳走に思えたのはその要因もあるだろう。

 ともあれ、食うに困らず、太い街道に出ることが出来たのは行幸であった。

 しばらく何もない土地を行く。見覚えのある看板が、三叉路に立っていた。最初の別れ道に辿り着いたのだ。

 右に行けば王都方面、左に行けばアーガンツィオ郡となる。ここでの一家との別れもあるかもしれない。  


「さて、俺達はこれから王都を目指す心算でいるが」


 気候は良かった、初夏を感じさせる日差しが目に強い。歩きながら言うと、すかさずケイが答えた。


「シルベスタ様、僕も連れていってください」


 聞くまでもなく、目が物語っている。熱に浮かされた目だ。その意味では病に近い。


「何故だ」

「強くなりたいのです」

「ほう、何故だ」


 こういった話もあるかもしれない。予測はしていた、年頃の少年だ、強さには誰でも憧れる。

 握った拳を見つめるとケイは言った。


「家族を、大事な人を守れるようになりたいのです」


 決意の篭った言葉であった。ふい、と、天を仰ぐ。答えは決まっていた。


「じゃあだめだ、お前は連れていけない」

「……なぜですか?」

「まだジョン殿の行く先を聞いていないが、答えによっては違う道を行くことになるだろう」

「はい」

「その離別の先、誰かが死んだら後悔するのはお前だ」


 あ、と、短く声を上げてケイが固まった。

 旅をする人間に厳しい、とまでは言わないが、少しでも迷いこめばまだ野盗も魔獣も存在する。まして男手が一人だけになるのだ、危険性は否応なく増すであろう。奴隷売買も禁止されてはいるが、見目の良い子女となれば話はまた違ってくる。


「本末転倒だと思わないか? 大切な家族を守るために、大切な家族を捨てて行くのだ」

「シルベスタ様、弟は決して私たちを捨てるなどということでは」

「同じ事だ」


 我慢が出来なかったのであろう、口を挟んだシャルロットの言葉をざっくりと切って捨てた。

 自分と同じ轍を踏ませたくはないのだ。

 誰かを守るために力を望むなら、代償にその対象との時間を捧げなければならない。

 その先に、永遠の離別が待ち受けているかも知れないのだ。

 正直に言って、少年とその一家が羨ましかったのだ。眩しくて直視できない、本当に手に入れたかったのは、こんな家庭ではなかっただろうか。

 だからこそ、少年が家族を守りたいと望むなら、彼を連れていくことはできない。


「お前が家族と離れるだろう? そして、ある程度使える人間になる。そして帰ったときに、家族が皆健在だとは思うなよ」

「それ、は」

「そもそも足手まといだ、ケイ、お前、迂闊に俺達と共に居ると死ぬぞ」


 それは事実とも嘘とも言い難い事だ、実際に事があれば、どうなるか解らない。

 今まで通り守れるかもしれないし、そうとも限らない。

 そも守られていては意味がないのだ。それでも技術は身に付くであろう、だが、大事なのは技術ではない。


「シルベスタ様」

「なにかな」


 歳に見あった落ち着いた声で、ジョンが言った。


「私共も王都へ向かおうと思っております、折角で御座いますし、都の大神殿に御詣り致しましょうかと」

「成る程」


 努めて冷たい言い方を心掛ける。姉妹の目に、薄く涙が滲んでいた。


「どうぞそれまでの道中も、御一緒させては頂けませんか」

「それは構わんが」


 地図を思い浮かべた。

 王都までは州爵領を抜けて、三週間程度の距離がある。同時に父親の言葉が折衷案である事にも気がつく。


「ではその間、息子に御教授を願えませんか」

「構わない」


 ぱっと少年の顔に喜色が満ちた。

 溜息を吐いて、腰に手を当てる。


「本気でやるつもりなら、俺は厳しいぞ」

「望むところです!」


 こうなっては仕方がない、覚悟は何処かで時期を見計らうとしよう。

 三週間しかない、否、三週間もある。今から始めれば、壊れるか成るかのどちらかだ。王都にはしばらく滞在する積りでもある。で、あるならば三ヶ月は時間が見られるであろう。魔素も幾らかは取り込んでいる。才能はあった。対人の基本までならば、なんとか仕込めるかもしれない。


「時間は有限だ、早速始めるとしよう」

「はい!」


 必要なのは兎に角獣か鳥の肉と腱を煮込んだものだ。ひたすらに野草の新芽も摘ませなければならない。味など二の次だ。


「ケイ、よく見ろ」


 手近な細い枝を折り取った。これが基本の歩法だと、前に進む、後退する、回り込む、踏み込むの四つを実演して見せる。ティタナが目を剥いた。愕然と此方を見詰めている。なんだ煩わしいと見返しながら少年に言った。


「やってみろ」

「はい!」

「まずは足の動かしかたからで良い、中身はおいおい入れていく」


 さて、町まで二日はある。

 延々と指導しつつ歩かせれば、嫌でも体に染み付くであろう。




 ふと耳に届くそれ、馬蹄の轟だ。数は一つ、大急ぎに急いでいる。正面から来るようであった、徐々に遠くの姿が大きくなってくる。見知った顔であった。


「……ランベルテじゃあないか?」

「そうだな」


 こちらの姿に気がついたのか、血相を変えて更に馬に鞭をくれた。

 最早見えているのであろうから、そこまで急ぐこともあるまいに。

 脇によけようとする一家を手で制し、腕を組んで道の中央に立つ。

 少し離れたところで、騎士は手綱を引き絞った。


「見つけた! おい、とんでもないことになったぞ!」


 興奮する馬を静めつつ、ランベルテは叫んだ。


「慌てずに話せ」

「いいか、良く聞け。聞いてもひっくり返るんじゃあないぞ? 主信教が国教に認定された、教皇が認定されたぞ!」


 ジョンが破顔した。なるほど、主信教の信徒からすれば、朗報であろう。

 しかしそれは紛れもなく、こちら側からすれば戦略規模での敗北であった。

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