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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第二章 渇望は泥濘の底から。
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6.

6.

 たらふく詰め込んだ腹は重い。食っておかないと動き続けた時に動けなくなる。柄頭に左手を添えて相手を待つ。地面は程よくざらついていた。まるで日に焼けた石に素足で乗ったような熱さ、靴を履いているとは思えないほどの熱量。

 ぐっと腹に力を入れた。燃料は充分に積んである、敵の数はざっと見て百に足らない程度。

 問題はなさそうであった。

 上半身はがら空きにしてある。死霊騎士の動きはどこかぎこちない。時間がたてば、それなりの使い手に戻るのであろうが、そこまでの猶予は持たせない。ゆるりと踏み出した、剣は左の脇に下げたまま、歩幅を小さく正面に進む。

 敵が動いた。振りかぶりこそ緩慢であるが、間合いに入れば必殺の切り下ろしが来る。それを誘うように一歩。骨盤の内側で全ての動作を行う。空気の切り裂かれる音、弾けるように前へ。勢いそのままに振り抜いた、破片が付近に散らばるのが、目の端に映った。勢いを止めずに前へ、切り上げた。飛び散る破片、斜めに踏み込んで前へ、振り下ろせば飛び散るのはやはり鎧の残骸だ。

 こういうのは良い。何も考える必要がない。目に見える端、感じ取れる端から迎撃するだけだ。いわば踊りの様なものだ。何しろ相手は人型で、その動作は幾億と繰り返した日々の鍛錬で身に染み付いている。こう来ればこう動く、こう動けばこう動く。型とはそう言うものだ。それを飾りにするか実用品にするかは、本人の意識と努力次第、極限まで無駄を絞り落としたエッセンス。自分の立ち位置一つとってもそう、此所に立てば相手はこう動く、動かざるを得ない。だからこう返す、それは必然に必然を重ねる完全な積み重ねだ。淡々と、坦々と、更に無駄を絞り落としていく。

 人間相手であれば用いる突きだが、、今回は隙を作るだけなので用いない。ましてやこの剣。損耗を気にせず振るえるのであるから、まるで問題はない。

 もっとだ。まだ、体の使い方に無駄がある。全身の力は一挙動に、振り抜く瞬間に全ての発力を終える。緩急は流れる渓流のごとし、あらゆる細かい力も全て刃に乗せる。刃に掛かるのは瞬間の負荷、一度食い込めば後は勢いで切り裂く。まだ力みがある、この相手に必要な圧力だけ刃に載せれば良い。

 小さく、小さく、細かく、細く。最小限、それができたら更に、敵の切っ先など最早繁みの枝先、引っ掛からないように歩む道筋を見出だす。知らず顔から表情消えていく。穏やかに、ただ穏やかに。

 そうだ、上手いぞ。もっと力を抜け。ここぞと言うときのみ、弾けるように入れるんだ。

 聞こえてくるのはかつて聞いた声。養父の教えが耳に染み込んでいる。

 徹底的に型と、その意味を教えてくれた養父。

 心を燃やすのは、戦う直前まででいい。戦う瞬間には光になれ。赤い炎でも、青い炎でもない、白く輝く炎になれ。

 そうして、汗だくになりながら鍛冶屋の鞴を動かした養父。どんどんと色を変え、終いに炉は真っ白な輝きを宿した。

 白い炎になれ。もっと早く、もっと熱く、もっと強く。周囲に空間が空いた。残すところは十体ほど、それこそ十秒もつかどうか。一体を剣の腹で弾き飛ばした、それこそ無駄に、全力で、剣の強靭さに任せて打ち払う。激しい粉砕音と共に、鎧がひしゃげて打ち出される。

 これが終われば次はお前だ、睨みすくめれば呼吸を忘れる敵のよう。話にならぬと残りをがらくたに変え、大きく息を吸った。渦を巻いて魔素が集う。塵あくたのような規模だが無いよりはマシだ。ましてや無傷、それらは肉体と刃に還元される。

 破砕音が連続して響いた。見ればゆったりと腕を組んだ彼女が敵を見下している。笑っていた。妙に色気のある姿だ。手には何もない所を見るに、素手で三体を仕留めたのか。

 笑ってしまうな、死霊騎士を拳で砕くなど。

 どちらにしろ方はついた、後は一人仕留めれば話は仕舞いだ。

 問答するほどの相手でもない。そう思い剣を構え直す。一足に踏み込んで、薙ぎ払う。それで終いにしよう。


「馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な!」

「たわけ、認めよ人間」


 狂乱する敵に、腕組みもそのままにティタが歩み寄る。相手の強さは、この地のばかげた大きさの魔方陣を抜きにすれば、精々中位が良いところ。千年を生きた魔王からすれば、それこそ鉢に植えられた苗木に等しい。


「まだだ! まだ私は敗れていない!」

「では足掻けよ、さもなければ瞬き一つで……?」


 女の言葉が止まる。気温が急激に下がったような幻覚。

 ぞ、と、周辺の空間から、魔素が枯渇した。


「ほお!」


 どこか嬉しげに、ティタが感嘆の声を挙げる。これは随分と大規模な魔術行使、展開される魔方陣は強化系統か。

 莫大な量の地に潜む魔素が、大地の魔方陣に吸い上げられていく。大気中のものは既に枯れ果て、魔術行使も不可能なほど。再び用いれるようになるまでは、数日を要するであろう。

 正直なところ、驚愕を隠せない。これは、この規模は、小規模な魔王の伝え聞く総量に匹敵する。


 前に出た、視線があった瞬間に烈風が全身に吹き付ける。颶風と言っても良い。前進が阻まれ吹き飛ばされそうになる。重力の制御を軽くして、自身の本来の重さを碇のごとく用いた。地面に亀裂を刻みながら、一歩一歩、吹き荒ぶ風の中を前に進む。

 集った魔素は最早液体じみた濃度、暴力的ですらある。何事も過ぎると毒にしかならないが、今見えるそれは毒を通り越して人の尊厳を穢し切る呪詛だ。まるで逆回しの映像のように、魔素がウナに収束する。吸収する、と言うよりは、飲み込まれると言った方が近いであろう。色欲の呪詛が明確な形を持って男を作り替えていく。

 理性は保てまい、意識も残るかどうか。巨人一体に並ぶ量の魔素、余程器が鍛えられていなければ、収めきれずに破裂しかねん。

 聞こえる雄叫びは既に人外のそれだ。管楽器のような、弦楽器のような、意識を根底から揺るがす呪詛のような音。そのくせに酷く官能的で女の悦び声のごとく。耳障りであった。


 唐突に風が止んだ。一足に踏み込もうとしてたたらをふむ。魔素の乱舞が止んでいる。ティタの喉から、嘔吐を堪えるような音が響いた。黒い霧の晴れた先、視界に得体の知れない球体が宙に浮かんでいた。闇色で肉色なそれは精液の腐った臭いを撒き散らしている。耐え難かった。


「人を捨てた、か」

「お前バカを言え、あれがそんなに生易しいモノか!」


 形容しがたいねばついた音が響いた。

 球体が腐った粘液を滴らせながらほどけていく、それは、数万、数億の触手で構成された、逆さに浮かぶ山羊の生首と言ったようなものであった。うねうぞと荒ぶる触手は細い物で髪の毛ほど、太い物は人の腕ほどもある。その生い茂る密度から、本体が何処に在るのかすら伺い知ることは出来そうにない。間断なく響く粘度の高い音は、まるで無数の男女の交わりのようだ。

 これはまずい。

 捕まったが最期、結末が目に見えている。尊厳も憧憬もなにもへったくれもなく、あれに捕まれば犯される。いかに力を持とうとも無駄だ。生物は張りつけの状態から動けるようにできていない。それに、どう見ても強毒性、あの粘液に触れることすらためらわれる。さらにこの音だ。感じるのはひたすらに不快感、耳が腐れて捥げ落ちそうだ。

 こんな敵は遠間から雷で撃つに限る、が、空間の魔素は枯渇している。つまり、自分には接近して挑むことしか許されない。

 ごめんだった。まっぴらごめんだ。

 あんなもの相手にどう動くと言うのか、そも何処が本体なのか。どれだけ傷つければ果てるのか。せめて槍が欲しいところであるが、一本では足りぬ。

 そんな事を考えているうちに、それが目を開いた。


「―――っ!」


 正気が押し流される。全身が粟立ち、おぞましさに震えた。なんというだめ押し、触手の先端と言う先端、後はまったくの不規則に、幾兆という数の目が、血走った眼が、びくびくとでたらめに痙攣する目がそこかしこに開いた。


「……悪魔」


 魔獣も魔物も魔人も魔族も相手にしてきた。竜ですら見えた。だがこれは違う。そんな優しい物じゃあない。これは生き物の尊厳を一切無視して存在している。食べることも眠ることも、次世代へ繋ぐことも否定している。ただあるのは色欲、肉欲、ただれた快楽をむさぼる事だけだ。その様をつぶさに観察して、悦に浸ることだけだ。

 力を抜いた、いつ動くかわからぬ。間合いがどれだけかもわからぬ。不意に太い触手が伸びた。反射的に切り落として、悪臭に顔を歪める。切れなくはない、見えぬほどでもない。ただ一つ確実なのは、どういう訳だか奴は空間に固定されているということだ。触手の動きによる反作用はない。刹那の時間差で、掌が感触を伝えてくる。腐れ落ちそうだった。なんと言う不快感、肘から先を、衝動的に切り落としたくなるほど。呻き声を上げて耐えた。


「おい、シルバ」

「なんだよ!」


 呼び掛けに八つ当たりする、そうでもしなければやってられない。なんだこの悪夢は。目を閉じても音だけで発狂しそう、目を閉じた瞬間に肉体も精神も犯される。じわじわと正気が削られていると言うに一体何を―――





「耐えろよ?」





 ―――絶望した。

 希望の一切を失った。

 全身の血が何処かへ流れて消えた錯覚。音にして四つ、たったのそれだけだと言うのに死を覚悟した。

 思わずウナであったそれから視線を外した。隙を見たか、無数の触手がこちらに殺到する。それでもティタナの顔を見た。

 ひきつっている。笑っているのか、泣いているのか、真っ青を通り越して紙のような色の顔。

 触手が到達するまで三秒もない、それでも女から視線を逸らせない。まずい。何がまずいかと言うと、目の前の悪魔よりも確実な死の、否、滅びの気配。街の全周に巨大な魔方陣が浮かぶ。あれは、効果を限定する為の防壁か。

 息を吸い込んで止めた、全身に防壁、耐熱、耐衝撃の呪い。フードでとりあえず顔面の穴を庇う。一瞬もてば良い。一瞬で決まる。予感ではなく実感だ。これでは足りない。耐熱の上に更に耐熱を重ねる。幾重にも重ねられた魔方陣。描き出す端から描き出す。幾ら重ねても足りない、輝く呪式が厚すぎて視界はない。物理防御の上から触手が絡み付く。粘液と肉の壁、気色悪いが今はむしろ好都合であった。その瞬間に備える。今か、今か。

 視界が白くなった。目をつむっているのに漂白される。爆音、などと言う生易しい物ではない。衝撃が全身を打ちのめした、事前に準備した防壁呪は五百を超える。砕かれた端から描き出す。それでもそれの、最後の一枚まで砕かれて、なお揉みくちゃに吹き飛ばされる。破城槌もかくや。竜の尾の一撃ですらこうは強くあるまい。絡み付いた触手など一瞬で蒸発した。

 なるほど。

 なるほど。これが魔竜王の炎か。

 これはまるで、太陽を地に呼び寄せたがごとし。

 膨れ上がった大気があらゆるものを燃やしながら拡大していく。なんと言う気圧差、それだけでまともな生物なら死に至る。永遠とも思える数秒が続く。

 かつて女が言っていたことを思い出す。我が炎は爆弾のそれ、と。

 これが爆弾だと? そんな生易しいものであるか。

 言わば連鎖式の燃料気化爆弾、体内の膨大な魔素を全て爆炎に変え、その熱量で、空間に存在するあらゆるものを燃料に変えて膨れ上がる原始の焔。炎すら燃料に変える真の爆炎。

 そうだ。そもそも耐熱は、最初にティタがかけていたではないか。それでも身を焼きかねない、この熱量。


 永遠に続くかとも思われた地獄は、唐突に終わった。

 懐かしい地面の感触に、恐る恐る目を開ければ、そこには心配そうに覗き混む一家の姿があった。

 愕然とした。こんなところまで飛ばされたのか。さっき一家のために張った防壁は何処にいった。それすらも砕かれたのか。

 跳ね起きて、苦痛に呻く。全身が火傷にひりついていた。打撲も酷い。ケイが何か言っているようだが、耳鳴りで聞こえない。幸いにも、まだらになった視界だが見えないことはない。街の方角を見た。そこには出来たばかりの火口が溶岩を噴き出していた。

 唖然とした。

 街など何処にもない。

 ただ黒く焼けた火山の大地と、巨大な口を開け、頻りに溶岩を噴き出す火口がある。どれ程地中深くまで抉ったのか、少なくとも数十キロは掘らねばこんな事にはなるまい。火山など、話にしか聞いたことがない土地だ。前世も今世も通して、見るのは初めての経験であった。

 もうもうと沸き上がる噴煙に火山雷が走る。それはまさに、畏怖すべき自然の姿であった。それが人為的なものであることが何よりも恐ろしい。

 立ち上る噴煙の中、中空に巨大な線の魔方陣が見えた。術式は燃えなかったのか、その中心に、焼け焦げたウナであったそれが浮かんでいる。まだ息がある様だった、なんてしぶとい、感動すら覚える程だ。

 火口の縁にティタナが立っている。腕組みをしつつ、何かを考えている様子であった。

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