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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第二章 渇望は泥濘の底から。
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4.

4.

 焚火のはぜる音、一度はぜると、断続的にそれが続く。火の粉がその度に舞った。夜の森に、虫の声と獣の声が響く。差し出した串は受け取られなかった。一人、キマイラの腿肉をかじる。臭みが強く、固かった。後で歯の隙間のそれをとるのに難儀するであろう。食料に困っている訳ではないが、キマイラがそれを望んでいた気がした。

 二人の間に言葉はない。どうして女性とは、唐突に話を変えて勝手に結論付けるのか、などと思いつつ、見透かされた、とも思う。事実言われた通りだ。俺はキマイラに自分を重ね、話に聞く魔王たちに自分を重ねた。

 何か言葉を返さなければ、とは思うものの、内側にあるものを形にできず、いたずらに時間だけが過ぎていく。もとよりこの場での見張りに意味はない。強力な魔獣がいた土地は、そもそれに守護されているようなもの、肉食の獣が入り込む余地はない。盗賊などもその類いだった。

 憐れむような目でしげしげとこちらを見つめた後に、寝る、と短く言って彼女は奥に消えた。

 焚火に薪を放り込むと、後ろに倒れこんで、息を長く吐いた。

 まだ短い付き合いだ。だというのに、彼女はこちらの腹の底を見透かすように言っていた。それほど解り易いのかと自嘲する。それとも彼女が特別鋭いだけか。

 その通りなのだ。今の自分には目的と言える目的がない。惰性で動いている。生きているという実感があったのは、ティタナと戦った時、キマイラと戦った時、どちらも死に直面した時だけであった。

 魔王に共感、いかにもその通り。うんざりしているのだ。人々からの腫れものじみた扱い、権力者からの化け物としての扱い、俺はただ、俺はただ、自分の大切な人々を守りたかっただけなのに。

 悲劇に酔うなよ。

 自己の内側から聞こえる声に悪態をつく。

 うるさい、黙れよ。そんなつもりは欠片もない。誰かに嘲笑われた気がする。

 馬鹿め、知っているだろうに。お前の人助けなど自己満足で、結果として人々から戦う力を奪っているだけだということに。

 そんな、そんなことはない。

 それではなぜ人々を伴って赴かないのか、魔素を一人で食らい、ひたすら人を超える為に人を捨てようとするのはなぜなのか。

 うるさい。

 響く声は正鵠を射ている。その通りだ。俺は自分一人が強くなるために魔素を独占している。その癖に、孤立することを恐れて名声に気を使っている。うんざりする。

 お前は何一つ変わってない。かつて世間から爪弾きにされた時も、全て周りのせいにしていたよな。自分がなじめないのは周囲のせいだ。自分は特別なんだ。そんなつまらない自尊心にすがって。

 うるさい。

 いまさらながら胸に痛みが走る。その通りだ。俺は、自ら馴染もうとしなかった。差しのべられた手はいくつもあったのだ。それを斜に構え鼻で笑い、偽善と呼んだのはだれであったか。そして結局敵を増やして行ったのだ。

 そうしてお前は孤立した。それは決してお前が悪いわけじゃあない。そう育てたのはお前の両親だ。父親が、母親が、妹が、お前に歪んだ自尊心を植え付けた。

 黙れ。

 いいや黙らないさ。お前が一番良く分かっているじゃないか。全部、人のせいだ。


「黙れ」


 口に出しても無駄だ。環境が悪かった。両親が悪かった。家族が悪かった。仲間が悪かった。何もかも自分の敵だった。そんな風に自分を騙して誤魔化して、お前に何が手に入ったよ。

 黙れ。

 誰も助けに来なかった。それはなぜだ。お前の家族に信用がなかったからだ。お前の家族に価値がなかったからだ。お前が無価値だったからだ。

 だから、今度こそ間違えないようにしようと思った、そうだろう。

 だが、守れなかった。いいさ、今度ばかりはお前のせいじゃあない。ここから先の他人の不幸は、お前の不幸含めて確かに他人の仕業さ。

 だが、ここから先の他人の行いは、お前自身を映す鏡だ。

 お前は英雄たる道を選んだ。そうすれば、誰かを助けられると思って。かつての自分のような人間を助けられる、そう思ったじゃないか。

 ところが、ふたを開けてみれば、出来上がったのはかつての自分ばかりだった。俺のせいじゃない、あいつが悪い。どうして自分ばかり、どうしてどうしてどうして―――

 認めろ、俺は失敗した。やり方を根本的に間違えたんだ。俺自身が戦う力になるのではなく、彼ら自身の戦う力を養うべきだった。俺がやったことは、その地方に、その空間にある魔素を独占することだけだ。それは二世代、いや、三世代。あるいは未来永劫その土地から英雄が生まれるのを妨げる。

 それもいいさ、それもありだ。有象無象、まとめて怪異を狩りつくせば、そうすれば、その土地からは魔王も英雄も生まれない。あくまで人間の範囲で戦争が起きる程度だ。

 だが、それはつまり人間と言う、もっとも狡猾でもっとも卑劣でもっとも血を好む魔性の、その昂りを解き放つだけではないのか。

 馬鹿なことを。戦争やそれに関わる悲喜こもごもは、人間が持つ宿痾の中でも大きなものの一つだ。そもそんなものを一人でなんとかしようと願う。それこそおこがましいというものだろうに。それは人の望んでいい領域じゃあない。

 ああ、つまり。

 そうだその通り、俺は驕っていた。愚かにも英雄を気取り、英雄のふりをして。

 その上でそれに疲れてしまった。誰かの助けになりたい、ではなく、助けてもらうためには誰かを助けなければ、なんていう余計な物を背負いこんで。

 単純な話なんだ。人に施されたくない事は人に施すな。施されたい事をなせ。だが、俺のそれはただの親切の押し売りだ。それでは結果として誰一人良い気分にはならない。

 そうだ、それを理解している。だが、他の方法を考えられないままここまで来てしまった。いまさら生き方を変えることは難しい。

 やりかけた事が大きすぎる、夢を語り、夢を聞かせ、その聞いた人を裏切るのは、最悪の人間じゃあないか。だから、逃げられない。

 なんだ、それじゃあ仕方がない、偽物の英雄も、そんな人生も、最後まで歩き続ければ本物になる。

 ここまでやった以上、世界に食い込んだ以上、逃げ出さずに演じきるしかあるまい。その最期が魔王に堕ちると言うのなら、それはそれで良いだろうさ。


 自問自答。答えはいつもあやふやだ。悲劇に酔うなよ。冷静な部分が、いつもそう嘲笑う。

 結局眠れずに朝を迎えた。疲労は抜けている、行動に支障はないだろう。ずっと同じ姿勢でいても、それこそ三日三晩同じ姿勢でいようとも、この体は不都合を感じない。もはやそういう具合にできている。

そんな生き物を人間とは呼ばないであろう。

 この先に示されている道は二つだ。英雄と言う嘘を張りとおすか、魔王と言う楽な道を選ぶか。


「まったく、気楽でうらやましい話だ」


 小さくぼやく。何とも言えない目つきのまま、ティタが中から出て来た。唇に浮かぶ笑いはひどく苦い。出発だ。短く声をかけて、背嚢を担ぎあげた。





 そこからの道行は、特に問題なく進んだ。見えて来たのは、高い、レンガ造りの壁に囲まれた町、中央に教会の立つ丘がある。丘には多くの十字架が立てられている。十字に丸を組み合わせたそれは、古いケルト十字の様でもある。どの場所でも、人間の考える事はそう変わらない。そんなことを思いながら、町へ続く坂道を下っていく。

 活気はあるようであった、これほど通商の道となりにくかった道で、あれほどの賑わい。坂の上からは、町から他へ続く街道は見当たらなかった。反対側には何かあるのかもしれないが、思い起こした地図にそれらしい記号はなかった。

 まっこと解せぬ。産業はなんだ、農業は何処で行われている。自給自足とでも言うのか。とするならば。


「おい、ティタ」

「なんだ」


 応える声は平坦だ。そんなに気に入らないのか。それとも気にしているのか。放っておいてくれればいいものを。話がしづらいが今は仕方あるまい。様々なもやつきを無視して説明する。


「この街はおかしい。規模からして、住人は八百ほど。そこにあらゆる階級の人間がちりばめられている」

「つまり?」

「ここに一つの王国が築かれている。主信教を王とする国がな」


 見える街は、一つで全てが完結している。よそからの人間が入る余地はない。まるで、辺境から国を一つ土地ごと切り取ってきたかのよう。

 だが、だからこそおかしい。


「だがおかしい。あの規模の人間を食わせるだけの食料が、この土地では生産している気配がない」


 畑がない。牧地がない。そして、見える範囲に広場がない。市場がない。穀物、野菜、肉。あらゆる物が生産されていない。加工されていない。消費されていない。

 人は霞みで生きられぬのだ。それでは一体なにを取り入れて生きているというのか。


「気のせいじゃあなくて、か?」

「ああ、なにより食い物の匂いがしない」


 町の風下だ。鼻には犬並の自信がある。匂いだけで追跡すらしてみせよう。だが、そこにひっかかるものがない。


「それは困ったな」

「ああ」

「貴様確か、現地調達するつもりでいたろう」

「ああ」

「厳しいな」

「ああ」


 これはまいった。この街で食料を調達して帰路に至るつもりであったのに、死都ではまるで手に入らない可能性がある。蓄えた魔素でやりくりすることもできなくはないが、どうしても肉体の変質はさけられなくなる。最後の手段であった。


「なにはともあれ、行くだけ行ってみよう。なければその時に嘆けばいい」

「それもそうだな」


 街道に刻まれた不可解な溝をまたぐ。思い起こしてみれば、幾つかそういった溝をこれまでも見た気がする、記憶には引っかかっていたのであるが、特に気にとめてはいなかった。

 しかしこれは、なんの溝だ?




 城門は開け放たれていた。これと言って立ちふさがる者もなく、そもそも人の気配がうかがえない。

 悩ましいところであった。一家の安全を考えれば、この場で置いていくのも手であろう。だが、魔人や魔物が支配している、と考えた場合、置いていくのは即ち見捨てることと同義だ。

 しばし思案した後に、全員を伴うことにした。父親が真っ青な顔で長女と次女を抱きしめている。母親は気丈にふるまっているが、ケイに支えられていた。一家の中では、長男であるケイだけが、魔素の適合性があったらしい。道中討ち果たした敵より溢れたそれを、僅かずつではあるがその身に取り込んでいた。最初に出会った時よりも、一回り体が大きくなっている。そうはいっても、何の訓練も受けていない少年を、危険にさらすつもりにはならなかった。

 

「さて、どうするシルバ」

「街の中に人の気配はないな」


 幾つか家の中を見てみたが、どれも真新しいまま古ぼけている。器だけ作り上げて、中身をよそっていない食卓のような味気なさ。いつ、誰が来ても生活できそうだというに。


「あ、あの、ガーデンツィオ様」

「どうした?」


 父親のジョンが言った。

 先ほど街に入る前に聞こえて来た、生活の気配はなんだったのですか、と。

 幻聴だ。短く言って、それから説明する。


「おそらくは、だが、あの道中を生き延びた人間に対する罠の一つであろう」


 溝は街の中にも刻まれている。どうやら教会を中心に同心円状に配置されたものと、それ以外の物があるらしい。

 しばらく街の中を歩いてみるに、どうやらこの街は完全な円形をしてる模様だ。きちんと区画整理されている家並みは、都市計画がきちんとなされた証しのようであった。何かが引っ掛かる。まるで―――


「まるで、魔法陣の様だな」


 ティタがそういうと、ぐっと教会を睨みつけた。僅かに遅れて自分もそちらに視線を向ける。これはひょっとすると、ひょっとしてしまうかもしれない。


「あの数字はつまり、麻薬や金の流れではなく」

「文字通り、命と魔素の流れであった可能性がある、と」


 ぴり、と、空気が引き締まった。これはどう転ぶかわからなくなってきた。一家を置いていくか、連れて行くか、もう一度思案する。明らかに足手まといだ。


「ジョン殿、我々はこれより、湖沼の魔性やキマイラの主と戦うことになるであろう、申し訳ないが、そうなった場合、御一家を守り通すことは難しいかもしれない」

「そんな!」

「よって、一度街の外まで引き返し、天幕と防壁呪を用意したいと思う。申し訳なく思うが、御協力を願いたい」


 有無を言わさぬ語調、魔物も逃げ出す目で射すくめる。気を使ってはいられない。ティタがケイに腰から引き抜いた短剣を渡している、気休めのようなものだが、ないよりはましであろう。

 ティタの張るそれは、自身の竜鱗を触媒とする物だ、あのキマイラ程度では破ることができないであろう。自分の全力でどうにか、といったところだ。


「どれだけ保つ」


 あまりつかったことはないのだが、と前置いて彼女は言った。


「今からだと、八時間と言ったところか。短くして強度を上げてある」

「充分だ」


 街に引き返して一時間、中心まで三十分もあれば至る。敵が凶悪であればあるほど戦いなど一瞬で終わる。

 ティタに薪の様になった干し肉と石のようになったパンを投げ渡す。二人ともそのままごりごりとかじると、とっておきの葡萄酒で飲み下した。腹の底に火がともる感覚、腹ごしらえは充分だ。

 ちりちりとうなじの毛が逆立っていく。知らず歯を剥いていた、鼻に皺が寄っているのが判る。


「そんなに楽しそうな顔をするなよ」


 どこか楽しそうにティタが言う。


「うるせえ、お互い様だ」


 こちらの声も弾んでいた。

 ああ、どうしようもない。あちらもこちらもなく、とうの昔に俺はここに生きているのだ。

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