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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第二章 渇望は泥濘の底から。
21/66

3.

3.

 時間にして、およそ三分と言ったところか。

 男は死力を振り絞っていた。血にまみれてキマイラの骸に寄り添う姿は、まるで一塊の肉のごとく。どれだけ肉体が強化されていようと、同じく強化されている魔獣相手では、鋼の肉体もただの肉体だ。いかなる頑強さも、そもそもそれを突破する前提の一撃を受ければ即死は必至。食うという目的に特化した攻撃を捌き続けるのは、よほど堪えたのであろう。ましてや、剣にしても、剣の用い方にしても、それらは人間同士が戦う前提で作られている武器であり、技術体系だ。攻める型はまだしも、受ける型では応用も何もないであろう。

 それを踏まえた上で男の動きは見事の一言であった。小山のような巨体を相手に一歩も退かぬ。唸る爪を逸らし、迫る牙を回避し、僅かな隙から反撃につなげた。剣を失ってもあきらめず、前腕に組みつき、へし折る姿は人間の培ってきた技術の化身と言って良いであろう。敵の爪すら折りとって用いる様は、命の象徴のようであった。掴んだ全てが武器になる、枝を折り、目に突き立てた時には歓声すらあげてしまった。

 未だ興奮冷めやらぬ巡礼の一家を尻目に、死体を見聞する。なんとたくましき体か、恐ろしき爪に、巨大な牙、分厚い筋肉に強靭な皮膚、剥ぎ取る技術でもあれば、男の為に外套でも仕立ててやりたいところだ。惜しむらくはこのまま朽ちるに任せるしかない点、この季節だ、肉に群がる獣も多かろう。何かに用いる事ができそうな爪、牙、角を外す。どこかで売れば、男の気にする路銀の足しにはなるであろう。角は上手く剥げず、力任せに捥いだ結果、頭蓋骨の一部と脳漿が付着していた。

 付着したままの肉と皮は、しばらく埋めておけば綺麗にとれるであろう。小刀で削いでも良い。蛇の牙はあきらめた、滴った滴が地面で煙を立てている、触りたいとは思えずに、そのまま放置することにした。

 さて、肉にするしても血の抜き方が判らぬ。これも諦めよう。ふと思いついて、簡単な加工を知っているか、一家に訊ねたが、力なく首を振るだけで役には立たなかった。まあ、それも仕方あるまい、さほど規模は大きくないとはいえ、町の住人だ。田舎の住人のように、誰もかれもが食うに困らない技術を身につけている訳ではないであろう。

 これだけの規模の魔獣だ。蓄積されていた魔素の量も、そこいらにいるような規模ではなかった。おそらくは、男の負傷を癒し切って、なお余る程。魔獣がさほど増えず、強大な個体が出現しにくいのもこれが理由だ。相手を倒し、食らえば傷は癒える。よって、魔獣同士の闘争において、敗走は即ち死を意味する。ただ、傷を負えばその分魔素は治癒に用いられるため、いきなりの強化とはなりがたい。結果として、歳経た老獪な個体が、奇襲に次ぐ奇襲を重ね、恐るべき穏行と狡猾さを秘めるようになるのだ。そこに至るまでに必要とされる餌の量は、獣の並ではない。男の意識が戻るのを待って、周囲の確認を始めるとしよう。


 唸り声が聞こえた。

 欠伸のような、それでいて、疑問符が付いているような響き。目をやると、両の拳が突き上げられている。固まった血で目が開かないのか、わざわざ指でこじ開けている。男は頭を振りながら起き上がった。拳を動かして、調子を確かめているらしい、べりべりと凝固したそれが剥がれ落ちていく。一段と覇気の満ちた、鞣し革めいた肌がその下から見えた。


「どれくらいたった?」

「三時間、くらいか」


 一息吐いて、首をならした。血でばさばさの髪がもつれて、酷いことになっている。もともとの癖っ毛故に、それはそれは壮絶であった。


「そっちに少し行った所、川があるぞ。水でも浴びて来ると良い」

「おお、そうさせてもらおう」


 ほれ、と、男の背嚢から手拭いを取り出して渡してやる。軽く手を上げて男は感謝を伝えてきた、遺体の側にあった剣を担ぐと、そのまま示した方向に歩いていく。


「背中でも流してやろうか」

「いらん。お前でも女だ」


 言われて一瞬思考が飛んだ。

 しばしきょとんとした後に、ああ、そう言えばそうであった。と思い直す。とは言え、それらしい扱いを受けた覚えはない。

 性別についてどうこうと言うのは、生まれて初めての経験ではなかろうか。

 それはあれか、意識してしまって恥ずかしいと言うことなのか。やめろばかめ、此方も目が泳ぐであろうに。

 男は、自然と付き従ったケイ少年に手拭いを渡すと、一段と盛り上がった胸を張って背伸びをした。ぱらぱらと、遠目にも血の欠片が辺りに散っていた。


 小一時間程で男は戻ってきた。洗濯も一緒にしてきたのか、真っ赤であった鎧下も、それなりに薄赤い程度に落ち着いている。革鎧に染み付いた所は仕方がなかろうが、要所を補強する鎖帷子の部分は綺麗になっていた、川砂をまぶして、ケイ少年に踏ませたか何かしたのであろう。見違えるように、旅の埃を落としている。意外にもそれらは乾いていた、時間からして然程乾くまい、とも思ったが、器用な男のことだ、なんぞ思いもよらぬ方法で乾かしたのであろう。髭もついでに剃ってきたのか、随分とこざっぱりしていた。それは、ケイ少年も同様であった。

 むず、と、あちこちが痒くなった気がした。あまり臭いは気にならない性質であるが、相方と比較して小汚ない、旅塵まみれ、というのはどうにも居心地が悪い。

 どうせ今日はここから大して歩けはするまい。どうせなら、そう、どうせならだ。自分も水を被ってさっぱりとしても問題はあるまい。

 そうと決まればさっそく。一家の女性達を誘って、一汗流してしまうことにした。



「さ、て。どうする」

「少し辺りを調べてみよう」


 のっそりと抜き身の剣を手に提げたまま、男が動き出した。この巨体で、この男はまるで猫のように動くことが出来る。身を低く屈め、積もった落ち葉、樹皮、薮の枝、岩壁の状態など、何を見ているのか解らないが、実に真剣な様子で調べている。

 後ろからケイ少年が興味深げに覗き込んでいた。男が何かに気が付いて向きを変えるごとに、何やら質問をしているようだ。その度に、何か痕跡が残っている部分を指して、説明をしている。そのくせに歩みはいつもと然程速度を変えていない。狩人としても一流なのであろう。

 やがて、我々は大きな洞穴に辿り着いた。


「今夜の宿はここになるかもな」

「えっ」


 仰天したように、一家の父が言う。無理もない、どう見ても、そこは先程のキマイラが塒にしていたであろう巣穴なのだ。番や子などの心配をしているのであろう。


「心配無い、魔獣は基本的に子を成さない。キマイラのような、幻獣に半歩踏み込んだような奴は特にな」


 言われてみれば、雌のキマイラは見たことがない。男は心配そうな一家に、不器用に笑いかけた、そのさまはどう見ても威嚇する獅子のごとし。逆効果だよな、などと思いながら、水を防ぐためか、一段盛り上げられた入り口を跨ぐ。獣臭さは無い、巣穴にありがちな、食い残しの腐臭もしなかった。ただ、綺麗に掃かれたように、土にキマイラの、あの針金の様な毛の跡が残されている。穴の大きさからすると、出入りできるぎりぎりの大きさだったであろう。見れば、頭上の岩は、山羊の角形に削れていた。その高さは人が立って歩けるほどだ。

 男はしきりと首をかしげていた。


「ごく最近この辺りに流れて来た、という具合ではないな。むしろ、相当以前からこの辺りを縄張りにしていた土地の主、といった方がしっくりとくる」


 明かりをともして、穴の中を照らしだす。一度低くなった後に上り坂になっていた。空気は流れており淀みもない。男を先頭に、私が殿になって穴の中を進む。土の穴は、途中から岩の穴に変わった。途中、清水の湧き出しているところもあり、野営するには具合が良い。

 突き当たりは、通路と違って大きな空間となっていた。魔獣の抜け毛が敷き詰められ、まるで寝藁の床のように見える。今夜の寝床は随分と柔らかそうであった。


「ますます不可解だな」

「ほう、何がだ」

「金目の物がない、こいつは人間を襲ったことがないとでも言うのだろうか」


 自分も、他の事はとやかく言えないが、魔獣にはそのような性癖が確かにある。強大であれば強大であるほど、ため込む量も多い。大きさからして百に近い歳を経ているであろう。


「なるほど、確かに」

「だろう?」


 男の言うとおり、不可解な話であった。




 荷物を下ろした一家をおいて、洞穴の口に戻る。考えるべきことは山ほどあった。


「郡爵領からたったの五日だぞ、たかがそれだけの距離で、この規模の魔獣。人里に現れれば、町の一つや二つ、滅んでいてもおかしくはない。郡の騎士団なぞ、それこそ良い餌だ。それがこれだけの節度を守って存在していたことも不思議なら、その縄張りのど真ん中に、主信教が街道を引っ張っていることも解せん。それも相当に古い街道だぞ? 確かに巡礼の人間は、魔獣を肥え太らせるにはうってつけの生贄かもしれんが」

「おい」


 一家には聞こえていないか、シルバが穴の奥に視線を投げながら言った。突然何を言っているのか。それを短くとがめる。不思議な顔をして見られた。この男は、時折こんな顔をする。ひどく冷酷に見える事がある。だが、それにしても言って良いことと悪いことがある。


「意外だな」

「何がだ?」

「シルバはもっと、人間が好きなのかと思っていたが」


 男が答えに詰まった。

 そうなのだ、この男には義務感がある。だが、それは、あくまでも強者の視点から、守らなければ、との意識が強い。おそらくは、これまでに積み重ねて来た歪みの結果なのであろうとは思うが、対等の立場から言葉を交わすとなると、些かこれは違う、と思わせるところがある。


「ふん……過去に何があったかは知らない。おそらくはそこから来る人間不信なのであろうとは思うが。……いや、違うな」


 何がある。男を見つめた。魂の奥底まで見透かすように。何をうろたえているのか、何を恐れているのか。まだその理由はわからないが、確かにおかしい。

 シルベスタ・ラン・ガーデンツィオは人間の英雄だ。だというのに、なぜこちら側に来ているのか。

 キマイラと魔素を介してやり取りしている節があった。なにゆえにそこに共感するところがあったのか。何を自分に重ねているのか。

 ふと、光がさした。脳裏に一瞬絵図面が浮かぶ。立ちどころに思考に流されてしまったが、一言告げるには十分だ。


「貴様、魔王を自分に重ねたな」


 男の返答はない、視線は下に向けられ、表情は消されている。ああ理解した、男はすがるものを失ったばかりなのであった。

 以前、男に目的がない、と、考えたことがあった。それでは不足していた。彼にはそもそも、誰かに認められたい、という意識がある。

 人間であるならば、誰にでもあるそれであるが、シルベスタの場合は訳が違った。

 彼からすれば、今の生における行動の全てが贖罪なのだ。かつての彼の人生で、守れなかった者達への、メッセージなのだ。そうはいっても、失われた人間が言葉を返すことはない。だから、新しい家族にそれを認められたがった。

 しかし、それはかなわなかったのであろう。

 幼い頃に皆殺し。

 そう男は言っていた。それは、深い傷となって、いまだに彼の心で血を流す記憶だ。

 それを癒すべくすがった騎士も、この初春に喪われた。

 故に目的がないのだ。認められたい、認めさせたい、その先に赦されたい。かつての無力だった自分を葬り去りたい。無意識下で必死に目をそらす、幼い子供の悲鳴。

 自分は強くなった、何でもできる。自分より弱い存在を守ることができる。

 だから、だから、赦してほしい。

 そう叫んでいるように感じられた。そして、その弱さを自分以外に投影しているとも。

 だから彼は弱きもの、力なき民を守りながら、それらを突き放すのだ。かつての無力であった自分を殺すために。だが、守れば守るほど、英雄である自分が出来上がり、守ったはずの民は自分を偶像化する。

 そこに残るのは、戦う力を失い、苦難に慟哭するだけの、かつての自分以下の人間である。

 困難に立ち向かおうとしない、人に頼り、人にすがる。今の彼が、もっとも嫌悪する人間だ。

 故に彼の心は目的を見失う。なぜ、自分の理想の為に、理想からかけ離れた人間を助けなければならないのか。

 結果的に、彼の心は少年のまま固定されてしまっている。


「ああ、これはまいったな」


 まいった。彼は、私のもとに来た時点で命を投げていたのだ。

 守るべきを失い、生きなおすこともできず、目的をなくし、その果てに自らの終わりを求めて私の城に来た。彼自身、復讐など本来の目的ではないことには、とうの昔に気が付いている。その上で、人間に価値を見いだせなくなっているのだ。

 これは困った。やっと見つけた相方だというのに、この相手は人生を既に投げている。

 いったいどうすれば、私の言葉は心に届くのであろうか。

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