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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第一章 英雄の凱旋と戦利品。
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8.

8.

 背嚢に荷を詰めなおす。武装はそれぞれ取り出しやすく外側にくくり、内側に医療品や食料を、水が染みないように、油紙にくるんで入れていく。

 今回の旅程は三日ほど、途中、徐々に獣の姿も減るであろう。現地調達は難しくなってくる、鼠や蛇も悪くはないが、香辛料や塩などの必要量が増えることを考えると、あまり好ましくはない。

 この街道沿いなら、水は調達し易かったはず。

 そう思い、持っていく量は六リットル程度にとどめた。日中補給するだけの量があれば良いのだ、夜には次の町に着く。


「ティタナ、だけでは弱いな」

「突然どうした」


 時はアルマツィオの裏稼業を暴くための旅路、その出発の前夜。

 ふと、思案顔のティタナが思いつめた声音で言った。


「そら、貴様には家名があるだろう? だが、私はこの名にだな、そもそもなんの思い入れもない。この名はあくまで識別のためのそれ、そう認識していたからな」

「なるほど、それで?」

「考えてくれないか」

「……俺がか?」

「そうだ、是非とも頼む」

「ふむ……」


 こちらからすれば、何を言っているのかというところだが、本人は真剣な顔をしている。

 そも、幼き頃、竜にかどわかされた異国の姫君。という背景を絵図面に引っ張ったのは自分だ。と、なればそこまで責任を持つのも筋だろう。

 さて、どうしたものか。どうせならわかりやすい方が良い、彼女にも由来が伝えられ易ければ、それに越したことはないであろう。特徴的な、特徴……彼女の特徴か。

 良いものがある、しゃらしゃらと鳴る硬質な髪、縛る程度はできるが、編み上げる、なんてことはできそうにないそれ。察するに、彼女の本来の在り方である姿から、彼女の魂が変換して落とし込んだ色。

 そう、この色はまるで―――


「―――イリ・クトロンニク・コロマイディズ・オ・ティターニア、なんてのはどうだ?」


 この色はまるで、かの金属加工技術のような。

 小さく幾度か、ティタナは口の中でその名前を転がした。目に光が宿り、徐々にその唇が形よく弧を描き、若干行き過ぎて歯を剥いた。ふふっ、と、抑えきれなかった興奮らしきが鼻から噴き出る。かなり熱い。結構な勢いで火を吐くな火を。


「ほう、ほうほうほう。良いな、イリ・クトロンニク・コロマイディズ・オ・ティターニアか。押し出しが利いているな。まるでどこぞの王族のようだ」


 にまにまと嬉しそうに、ティタナが笑う。同時に、二人の手の甲で紋章が輝いた。これはいったい何事か。発動した呪の構成を解き明かそうと試み、ごっそりと移動した魔素に、体の力が抜けた。


 ―――食われた。


 他に表現のしようがない。体重はおそらく三分の二程度まで減っているであろう。寝れば回復する消耗ではない、最大値がごっそりと下がった。

 泡を食ってティタナを見る。確実に育っていた。何処が、とまでは言わないが、めりはりのめりはりが際立っていた。なにより、目に力がある。

 まさか、竜族の名付けにこんな効果があるとは。


「知っていたのか?」

「何の話だ?」


 きょとんと聞き返された。彼女からすると、その程度の増量はさほど気にするところでもないらしい。それもそうか、人間でいえば食事での誤差程度の範疇だ。

 げっそりしながら寝台に転がり込んだ。支度もできたし、今日はもう寝てしまおう。明日の朝も早い。

 なんだ、もう眠るのか。などと言いつつ、ティタナも自分の寝台に潜り込んだ。その格好は、いつの間に着替えたのか淡色の寝巻だ。

 かさばらなくて便利だな、などと思いつつ目を閉じた。





「最後のティターニアはわかるが、そのほかの部分は何処から出て来たのだ?」


 そろそろ眠りに落ちるか、という時間が過ぎたころ、ふと、思いついたようにティタナは言った。

 枕の上に、さらに腕枕をしつつ、目を開いた。暗い天井が見えた。だが、あの時の夜空は鮮明に思い出せる。まるで星空にかかった虹だった。


「以前、鱗の色からティタナとなった、そう言っていたな」

「覚えていたのか、ああ、その通りだ」

「多分、由来がチタンのことだとは思うんだが、ああ、確証はない。そもそも、こちらにチタンがあるかどうかすらわからん」

「ふむ、それで?」

「チタンという金属はな、表面を電気分解することで、様々な色を付与できるんだ」

「ほう、なるほど」

「お前の鱗の色がな、まさにそんな感じだ。電解着色チタン。……いや、意味合いが微妙だな。やめるか、もっと良いものを―――」


 改めて考えてみると、あんまりな理由である。

 もっとましなものがないかと考え始めた時、ティタナがはっきりとその名を肯定した。


「―――いいや、これがいい。

 貴様がこの名を、よく考えてつけてくれたことは理解している。良い名前じゃあないか、気にいったぞ。これからは、名乗る時にそういうことにする。異論は聞かんぞ?」

「……まあ、お前がそれでいいなら、俺は良いのだが」


 まるで我が身の手柄だとでも言わんばかりの声音で言う。そこまで言うのであれば、ひっくり返すこともない。


「ああ、これがいい。有難うシルベスタ」


 そういうと、彼女は嬉しそうに嬉しそうに笑った。

 それは、今までに見たどんな顔よりも華やいで見えた。





 アーガンの夜は明るい。街路には松明が焚かれ、家々の窓からは中の明かりがこぼれていた。治安のよい証しだ。時折漏れいでてくる人の笑い声を聞きながら、選り好んで暗い路地を歩く。足元を走り抜ける鼠は、ねぐらに来た闖入者をとがめるようだ。

 結論からいえば、アルマツィオの丁稚は何も知らなった。いつも通り荷をこの街まで運んでくると、アーガンツィオ卿に受け渡す。代金を受け取り、荷馬車に戻る。いつの間にか荷は軽くなっていて、アーガンツィオ卿は、麻薬の存在自体を知らなかった。

 それにしてはおかしい、隠れ蓑にするにしても、何の物的証拠も掲げられないのであれば隠れ蓑である郡爵に殺される。さては、と、思い、卿の私室を調査させてもらった。

 やはり麻薬は隠されていた。それも、探せばすぐに見つかるであろうところに、いたるところにだ。アーガンツィオ卿は真っ青になって身の潔白を訴えた。それは既に分かっている事だったので、軽く流して受け入れる、逆に信用されなくて時間を食った。

 さらに偽装の手蔓を引き寄せる。配下の騎士、奥方のサロン、卿の商売相手。下男の部屋と、下男の行きつけの飲み屋。

 あらゆるところに麻薬の包は隠されていた。さも、私が犯人ですと言わんばかりに。

 だが、違う。彼は犯人ではない。

 やっていることの証明は証拠を見つければ良いだけであるが、やっていないことの証明は、空気の存在を証明するのと同じくらい難しい。

 真犯人を捕まえ、吊るし上げるのが最も早い。

 昼間の男、人々の視線が奴をねめつけた時の仕草。両手を組んで、背筋を伸ばしたその動き。宗教関係者か、教師か、後者はないであろう。周辺に生徒を侍らせて居なかった。子供は師の周りに侍る。習性のようなものだ。

 と、なれば。

 と、なればだ。

 主信教か、拝然教か、あるいは徳悦教か。

 拝然ではない、拝然ならばもっと素早く体が動く。徳悦ならば、その場で身動きできまい。

 ならば主信教、古い宗派だ。千年の歴史を数える、主神の教えを説く最大勢力。

 現在、法王が、我が宗派こそを国教とすべし。と、宰相と共に王へ進言していると聞く。

 ぞ、と、血の気が引いた。

 もし、もしもだ。これが、この悪が主信の法王を籠絡済みであったとしたら。

 宰相を、籠絡済みであったとしたら。

 情報が足りない、ひとりごちた。夕方を前に、琥珀騎士団は各地へと走らせた。とかく情報が必要だ。このろくでもない想像を、裏付けたくないがために。

 

 目当ての建物の裏手に到着した、街壁を音もなくよじのぼり、閉ざされた木窓に手を掛ける。

 内側に気配はない、ひそめている手合いもいない。薄く鍛えた小刀で、窓の掛け金をそっと持ち上げる。かすかな音を立てながら、掛け金は外れた。のどが、ぐびり、と音を立てた。周囲に気配はない。片手でぶら下りながら、片手で腰から油の瓶を取り出す。蝶番にそれを垂らした。それから、徐々に動きを大きくしながら窓を開く。それでもきしむ音は響いた。

 音もなく窓から踊りこむ。明かりはなかった。真っ暗な闇が部屋の中にうずくまっている。暗視の呪文を唱えると、机、書棚、壁の順に部屋の中を調べた。

 机には何もない、書棚は、調べきるだけの時間がない。壁は―――通路が隠されている。

 壁を殴りつけたくなった。いやな予感ばかりがいつも当たる。なぜ、主信教の教会に、隠し通路などが仕掛けてあるのか。もはや答を考えるまでもない。息を殺して大きなタペストリーをめくりあげた。黒々とした闇が口をあけている、ふと、鼻に淫靡な匂いが届いた。男女の交わる匂いだ。げんなりとした。この通路の奥、おそらくは階段の下で繰り広げられる狂態を想像すると吐き気がする。前世から守り通した、素直さと女性に対する憧れというものが、幻想が著しく傷つけられそうな予感がする。

 ばりばりと歯噛して、足を動かした。

 なにくそ。負けるものか。この程度の汚態を見せられた程度で幻滅など、なにが英雄か。

 そんなもの、なにするものぞと呑み込んで、俺は幻想を抱き続けるのだ。

 嬌声が聞こえる。いくつものそれ、男の荒い息使いも。魔術の気配がした、皮膚感覚を鋭敏に、共感覚を引き起こす類い。麻薬の上にそれでは、もはや正気など欠片も残るまい。地下の扉は開け放たれていた。漏れいでる明かりの中に、淫らに絡み合う影が踊る。匂いは濃さをまし、鼻の中に実体を持ちそうな重たさで嗅覚を責め立てた。どくどくと心臓が鳴る、こめかみがびくりびくりと動き、頭痛で視界が明滅した。人間に幻滅しそうだ。吐き気がする。壁に張り付いた、音を立てぬよう、少しずつ、少しずつ、間口に近づいていく。息は荒かった、だが、悟られることは最早あるまい。汗が目に染みた、それでも目をつむることはできない。もう少し、もう少しで中の様子が見える―――


「―――おい」


 強張っていた体が一気に解き放たれた、肩に置かれた手、それを巻きこむように払いながら前へ飛ぶ。間口の明かりをきれいによけきると、空中で前転しつつ半ひねりを加えて着地、即座に短剣を抜き放ち……そのままの姿勢で固まっているティタの顔に気がついた。

 驚かすな、死ぬかと思っただろう。視線だけで抗議をする。訝しげに眼を瞬かせたのちに、すまない、といった具合に彼女が目を伏せた。それから、何の気なしに中をひょいとのぞき、壮絶に顔をひきつらせてのけぞった。真っ赤になっている。そんなところから見るに、どうやら室内の気配が何事かを理解していなかったらしい。

 鼻が鈍いからか、はたまた、かつて興味がなかったのか。

 口元を覆いながら中の様子に見入るティタナを、そっと暗がりに引っ張る。何を警戒しているのか、何とも言えない顔で手を慌てさせる彼女を促して、階上へ向かう。


「首尾は?」

「閂なら外した、後は合図ひとつで行ける」

「良し」


 互いにまだ、顔が赤いのだろう。一度も目を合わせずにやり取りを済ませると、指先に光を灯し、窓からまるく振って見せた。門がきしみながら開き、完全武装の兵士が流れ込んでくる。

 一度階上に、さらに地下に案内すると、用は済んだとばかりに再び二階の執務室とでも言うべき部屋に戻った。地下からは捕り物の激しい物音がする、とはいえ、相手は全裸の男女。さほど時は必要あるまい。魔術を使われれば厄介であろうが、薬で飛んでしまっている頭ではそうもいくまい。

 ふと、ティタナと目があった。瞬間、どういう訳か彼女の顔に力が入る。そんな切羽詰まった顔をされてもこちらが困る。同じような顔を自分もしているのであろうと思いつつ、ランプに火を入れた。書棚から取り出した書類、目星をつけていた辺りをざっと調べていく。金の流れと、物の流れ。不自然なところがないかを。

 

「あった」


 なにがおかしいのか、彼女がそっと手元を覗き込んだ。指でその数字を示してやる。それは一枚の地図と、巡礼の数と行き先を示した帳簿であった。


「これの何が……そうか」


 訝しげな顔が、理解に染まる。ふつう巡礼と言えば、王都の大神殿か聖地のどちらかであろう。だが、地図に示された土地に、神殿の地図記号はない。辺境と言うほどでもないが、深い森の近くにある町であった。

 そして何より。帰ってきた人数より、向かった人数が圧倒的に多い。

 腕を組んで、短く唸った。

 麻薬の筋、ではない。また別の何かが、この土地に蠢いている?


「一度、引き上げて考えをまとめよう」

「そうだな、少し寝たい」


 髪を掻き上げながらティタナが言った。くらりとした。地下の空気に麻薬でも混じっていたのか、その姿はやけに艶めいて見えた。

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