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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第一章 英雄の凱旋と戦利品。
16/66

7.

 その日、郡都アーガンは騒然とした気配に包まれていた。

 物見の兵が軍旗を翻し行進してくる一団を発見したのが、昼を少し回ったころ。間もなくして、黒地に金糸で紋章を刺繍した旗がはっきりと見えてきた。

 街壁にしがみつきながら、アーガンツィオ郡爵は歯を鳴らした。

 紋章官に言わせると、あの紋章は数年前、コリナ・イルヴィア・ラルガの戦いで出奔した琥珀騎士団の、パウロ騎士爵の物らしい。それだけならば問題もなかったのである。郡兵で囲み、いかようにもできたであろう。

 問題は、同時に翻る旗にあった。

 その紋章には魔獣が描かれていた。黄金の鬣を持つ獅子の体、鬣の中から生えるそれぞれに黄金の宝冠を被る五つの蛇の首、それには角が生え、目からは炎を噴き出している。獅子の牙持つ口には槍を咥え、爪は剣を地に伏せている。尾は鋭いとげをもち、翼のような、外套のような炎を纏っていた。


「……宝冠付きで五つ首のフィロンタリ(鬣に蛇持つ獅子)だと?」


 それは、やはりコリナ・イルヴィア・ラルガの戦いにて、魔王の軍勢と交戦し、戦死したと伝えられている男が用いていた紋章であった。彼の騎士が蘇ったのでなければ、それを用いる人間は、もう一人しか残っていない。

 ジョルジュ・レイ・アーガンツィオは、顔面を蒼白にした。

 辺境の英雄の噂はよく耳にしている。先日は、魔竜王を打ち果たしたとも。そして、彼が軍旗を掲げることが、今までにほぼなかったことも知っている。

 そう。いつ、いかなるときに彼が軍旗を翻してきたのかも、ジョルジュ郡爵は知っているのだ。


「閣下……」

「いったいぜんたいなぜ何に彼が怒りを覚えているのか、皆目見当もつかないがこれはまずいぞ。ただちに門を開け放て、当方に交戦の意思がないことを明白にするのだ。それから使いを走らせよ。

 

 ―――郡都アーガンは本日ただいまを以て、シルベスタ・ラン・ガーデンツィオ殿に降伏すると!」







7.

 男が手綱を操るその後ろから、その街並みを見た。

 これまで見てきた物とはまったくレベルが違う。廃都と比較すればまだあちらのほうが洒落ているが、これでも十分に華やいでいる。

 郡都からの伝令が、誇らしげに胸を張って先導を務めていた。

 郡爵からの言葉を伝え終わると、よろしければ、私めに旗を掲げさせていただけませぬか、と、顔を紅潮させながら彼は言った。

 シルバは特に拘るところもなく了承すると、先ほどまで自身で担いでいた旗を伝令に託した。

 




 アルマツィオの一件が片付き、荷馬車の禁制品を徴収し、野次馬が途切れたころ、シルバは琥珀騎士団の面々の縄を解いた。そもそも拘束したのは大義名分のためだけであって、本気ではない。争おうとするならば、一薙ぎで皆殺しにできることもあって、私はそれに異存などなかった。

 街の外壁が見え始めるころに、シルバはおもむろに荷物から旗を取り出した。興味深げに見守っていた琥珀騎士団の面々が、ぎょっとしたようにのけぞった。

 そんな彼らを尻目に、もうひとつ荷物から取り出したのは、途中で三つに分解できる槍であった。穂先は無い、どうするのかとみていると、男はおもむろに剣の柄を外し、それを槍の穂先として改めて組み立てた。これで、全長は五mほど。堂々たる鋼拵えの大身槍……というよりはパルチザンが出来上がった。そのけら首と中ほどに二か所、ひもを掛けるところがあった。大きな手で実に不器用に紐を結ぼうと悪戦苦闘している。見ていられなくて声をかけた。


「やろうか」

「頼む」


 やはり他の男たちがぎょっとこちらを見る、意味がわからなくてこちらもぎょっとした。ただ一人、ランベルテ・デ・ラ・パウロだけが百面相のこちらを見てげらげらと笑っている。なんとなく苛立った。紐を結びつつ、その場で八つ当たりをすることにする。


「これはこれは、ドン・ランベルテは随分と楽しそうだ」

「わかった、悪かった、説明するからそのほっ……穂先をひっこめてくれ! 刺さっている!」

「ふん、人のことを笑うからだ」

「やれやれ……」


 冗談どころか笑うことも許されんとは、などとぼやくランバー―――ランベルテ―――に、再び槍を向ける。今度はしっかりと避けられた。先ほどのやり取りでも、避けようと思えば避けられたくせに。


「それで?」

「ああ、辺境でガーデンツィオ卿の軍旗を見た、となれば、敗北したと同義だと言われている」

「勝利ではなくてか?」」

「ああ、なにしろ」


 なにやら居心地悪そうにシルバが旗を担いだ。そろそろ行くぞ。いつもの口下手さに、ぶっきらぼうさがのっている。


「シルベスタ殿と言えば孤高の勇者、拠点を守れば旗を地につきさして奮闘、攻め入るとなれば旗に返り血がつかぬほどの槍さばき、雄たけびと共に掲げられるその旗に、民草は心を熱く燃え上がらせるが―――率いられるはずの兵は何処にも居ない、なぜならば」





 なぜならば、ガーデンツィオ家は父と養い子の二人のみ。

 領地も持たず、妻もめとらず、終生を王国への忠誠に捧げた父と、その後継者として育てられた息子と。父子二代、ただ個人の武勇を以て王国に仕えているのだ。

 よっていつでも最前線。戦時徴用の農民兵よりもさらに前、誰よりも先に敵とぶつかりこれを微塵に粉砕する。その武勲から、父であるエーデルホフ・ラン・ガーデンツィオ卿は、騎士爵でありながら公爵と同じ位階、宝冠を身に付けた魔獣の旗を許された。


 隣国との戦場に出れば一騎当千、辺境に魔獣でれば即座に行ってこれを討ち、並みいる武人を抑えて競技会では無敵を誇る。決しておごらず、気高く、騎士の見本を示すエーデルホフは、当然のごとく王のお気に入りとなっていた。

 なにしろ、積み重ねられる武勲がすごい。ひとたび遊撃を任せて以来、彼は王国の剣として縦横無尽の活躍をしていた。あまりの仕事ぶりに、その年の叙勲が一人だけになってしまったという。

 剣、鎧、馬、槍。およそ騎士に与えられる武具は、一年ほどで全て下賜されてしまった。胸に下げる勲章は、公式の場でも略章で許されるほど。財布のひもが固いことで知られる王国の財務担当も、さすがに気が咎めたのであろう。昇爵と、王領よりの領地の割譲を王に進言、これを快く受け入れられた。

 王が爵位と領地をも下賜せんとした折に、エーデルホフ卿はこう言ったそうだ。


『恐れ多くも陛下に申し上げ奉る。我が身はただ一介の武人、爵位と領地をとのお言葉、ありがたくも決して私めの得にはなり申さぬ。爵位は我が武働きを妨げ、領地は我が足を縛るでしょう。部下は行軍を遅め、より負担を強いるでしょう。どうぞ我が身を騎士のまま、陛下の剣のまま留め置き下さいますよう』

 

 ただ武働きの身の人間に、どうして領地の経営などできようか。軍を率いればそれだけ足が遅くなる。家人がいればそれを食わせなければならない。それでは自分の存在すら意味を見失う。彼は王にそう訴えた。

 それを聞いた王は、膝を打って絶賛したと伝えられている。


『エーデルホフ・ラン、不遜であろう。だが、我が剣でありたいという言葉、強く我が胸を打ったわ。昨今の騎士爵は名誉を求め、それを金に換えることしか考えておらぬと思っていたが、いや、我が思い違いであったと知らされたわ。我はその忠勤に報いねばならぬ。信賞必罰は王の務め、これを断ることはまかりならぬ。そうだな、ガーデンツィオの姓を与える。お主は今日よりエーデルホフ・ラン・ガーデンツィオを名乗れ。お主の武勲は一郡、いや一州、足りぬな。一候に値する。よって、軍旗を与えよう。そして旗に宝冠を用いることを許す。何か間違いあれば、我に直言する権利を授けよう。切れ味鋭き剣は、扱いを違えた時に我が身を損なおう』


 その後、彼は出来上がった旗を息子に渡すと、こう伝えたらしい。







「曰く―――」

「私にはもう旗がある、私が頂く旗は、我が忠誠を捧げた陛下の旗だ。だから、これはお前が持て。持って、辛い時にはこの旗を掲げて戦に挑め。辺境を巡り、お前の為したい所を成せ。心配するな。遠く離れようとお前には私が付いている―――義父殿の言葉だ」


 ランバーの言葉に、シルバが割って入った。じっと睨みつけると、シルバは続けた。


「世の中に伝わっているところで、これだけは正しておきたいところだ」

「確かに俺の聞いていたのは違う」

「なんて聞いている?」

「もっと大げさだが、こうして本当のところを聞くと中身がない改変だな」

「だから正したいのだ、自分のことを好きに言われるのは構わんが、養父殿を間違えられるのはたまらん」


 どういう訳か頬が緩んだ。

 始めてみる男の一面に、和んだことを覚える。このところ悩み顔しかしていなかった男が、僅かな間でも年相応の顔をできていることがどういう訳かうれしかった。





 郡都に入った。強張った空気に自然と顔も引き締まる。今まであの旗は我々の守護神だったはず。民衆の顔には、それがありありと出ている。家並みを抜けると、開けたところに出た。広場というか、市場というか、都市生活の中心となる場所なのだろう。やや風が出てきた、掲げられていた旗が翻る。周囲では、色とりどりの布が、居並ぶ店の屋根として踊っていた。

 市場の反対側―――広場の対面には、固定された首かせをはめられた罪人と、吊るし木、屠殺場じみた丸太が置かれている。丸太には、大斧が突き立っていた。処刑場を兼ねているのだろう。そこから二十歩ほど離れたところに、石造りの舞台があった。


「旗を」

「はっ」


 両手に一本ずつ旗を持ったシルバが、石舞台に上がった。背後の旗立てにぶっちがいにそれを仕掛けると、おもむろに群衆にめがけて語りかけ始めた。


「敬愛する郡爵閣下、ならびに親愛なる郡都の民よ、まずは驚かせたこと、不安に思わせたことをお詫びしよう。このたび俺がこうしてやってきたのには理由がある。―――これは先日の話だ。俺が魔竜王を打ち果たしたことは、皆も伝え聞いているところだと思う。その夜、俺は天からの啓示を受けた」


 いったい何を言い出すのか。事前に聞いてはいなかった内容に、視線が泳ぐ。思わず周囲を見渡した。自分がこれだけ挙動をおかしくしているのだ、民草がおかしなことをしても仕方があるまい。

 しかし、一人として動揺を浮かべる人間は居なかった。魅了されたかのように、預言者の言葉に耳を傾けるように、ランバーすらもが黙って男の言葉に耳を傾けている。

 後で知ったことであるが、これまでに幾度かシルバは演説をしてきているが、その内容は一度として外したことがないらしい。驚異的な情報分析と洞察力による、一種未来予知じみた予測を立ててのけるそうな。


「恐れずに、心を静めて聞いてほしい。天の声は俺に言った。王国に巣食う魔王を倒せ、さもなくば近隣諸国諸共に滅びの道を進むであろう、と」


 広場から、一斉に息をのむおとが聞こえる。男の目が鋭く周囲を睥睨した。

 心の何かをつま弾く音がした、男が何かを探している。

 必ず居る。必ずこの場にいる。シルベスタは宣戦布告したのだ。今まで隠れ潜んできた平和の敵に。

 アーガンツィオは違う、取り巻きの騎士も違う。敵は何者か。それをあぶりだすために。


「俺はそれを許さない。俺は皆を守る盾である、悪を討つ剣である。

 今、ここに宣言しよう。魔王よ、王国に潜む、憎むべき悪鬼よ。俺は貴様を殺す。必ずだ、必ず殺す。追いつめて殺す。それを助ける者も殺す。それにまつわるものも殺す。皆殺しだ、決して逃がしはしない。そして貴様の握った未来を奪い返す。俺の目は見逃さない。悪よ、この地に潜む悪よ。決して末端まで逃しはしない。俺の目は欺けない―――そうだ、そこにいる貴様だ!」



 見つけたのは三人が同時、否、毛筋ほどの時間に遅れてランベルテが視線をたどった。民衆の目が、一斉にそちらを向く。幾千の瞳が見詰める。その目には怒りと恐怖があった。シルバから伝播した、抑えきれぬ殺意があった。鼠色の外套の男が、すくみあがりつつも身を翻す。


「“血に染まる森よ、怒りよ、我が敵を討て”!」


 石舞台に駆け上がったランバーが、力ある言葉を解き放つ。同時に着弾音、矢は確実に逃げ出した男の足を射抜いていた。揉んどり打って男が転倒した。足の角度からして、骨ごと打ち砕いたらしい。

 男からすればあまりに不意打ちだったのであろう、短剣を抜き、顔を刻もうとする。投げた石がそれを弾いた。間に合った、見付けた蔦の一つ、逃がさない。


「捉えよ!」


 郡爵の号令で、歩哨が一気に男を引っ立てる。出血はない、焼けた矢が傷口を止血したらしい。舌を噛まれるかもしれない、猿轡が噛まされ、男は締め落とされた。効果的な方法だった、


 人々の目が、期待に満ちて舞台上を見詰める。演出ではない、男が、本当に悪を暴きに来たのだと見せ付けられたのだ。太陽のように見えているであろう。シルバは腕組みをして、どこか遠くを睨み付けている。何かに気が付いた顔であった。察するに、捕らえた男の特徴から、なにか目星を付けたのであろう。

 壇上に、巻き毛の男が上がった。


「さて、改めてアーガンツィオ卿には御協力を願いたい」

「すわ王国の危機とは、私でよければ喜んで御協力いたそう」


 やりとりは短い。だが、かたい握手をして、男達は微笑みあっていた。

 獅子が小鹿にじゃれているようだった。

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