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竜は夜に飛ぶ  作者: dora
第一章 英雄の凱旋と戦利品。
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6.

6.

 地方都市の朝は早い。夜が明ける前から人々が動き出す。宿売りや、屋台売りの軽食を頬張りながら、思い思いに人々は労働に赴く。手に持ったそれをかじった。今朝のそれは、薄焼きのパンに塩味のペーストを塗り、細く刻んだ焼き肉と野菜を巻き込んだ物だ。しゃきしゃきとした、ざっくりとした歯触りが実に良い、欲を言えば胡椒とソースの欲しいところではあるが、贅沢は言うまい。この町に来ると必ず食べる好物であった。これぐらいの規模の町まで来ると、軽食程度でもなんだかんだと工夫が見られる。

宿の前に出ると、西側から馬車がやってくるのが見えた。二頭立て、ロウ引きされた覆いの付いたそれが、アルマツィオの馬車らしい。御者は此方に簡単な礼をすると、乗り込むように促した。

 聞くに、普段から本人は同行することがないらしい。今回も、御者と丁稚で二人乗りなだけだ。

 出発を告げると、宿の周囲にいた人間達が一斉に動き出した。まだ夜も明けきらぬ内だというのに、見物の人間が多い様子だ。

こうなるように計らっていたとはいえ、好都合に過ぎる。むしろ、数が多過ぎて作戦の管理に支障を生じる心配もあった。

 鉄の格子の門をくぐり、街壁の外に出た。群衆も、三々五々と後から付いて来る。事情を知らない旅人が、何事かと目を丸くする。娯楽の乏しい世の中だ。それこそ観劇気分なのであろう。弁当を持って来ているものも多くみられた。あるいは、自分達も護衛のおこぼれに、と狙っているかも知れない。確かに、一般の賊徒であれば近寄ってすら来ないであろう。


「シルバ」

「……だいたいは予定通りなんだが、さすがに数が多すぎるな」


 此方に理がある、大義がある。そう印象付けるためにも目撃者は必要だ。とはいうものの、百人も二百人もいたのでは多すぎる。流石に閉口した。

特に、今回はティタに事を治めさせるつもりであるのだ、その上で、できる限り、彼女の力は衆目から潜めておきたい。

 作戦は矛盾を孕んでいた。どちらもそれぞれの理由で今後の動きに関わってくる。また、自分が動いたのでは手加減ができない。公開処刑をするつもりはなかった。

 馬車はよく踏み固められた街道を進んでいく。今日はよく晴れていた。順調にいけば、二つの宿場町を経て、三日目に郡爵の治める土地につくであろう。途中、雨が降るかもしれないが、そこは季節がら、まとまったものとはならないであろう。先日のそれは本当に珍しい。

 小石に車輪が乗り上げた。一度大きく揺れて、荷台の木箱が音をたてる。干物の類いなだけあって、その音はひどく軽い。御者台から肩越しに後ろを見やって、すぐに視線を戻した。まだ敵の姿は見えない。

思考に再び埋没していく。馬車の積み荷に関しては、判明したところで追及しないことに決めていた。この段階で追及をしても、蜥蜴の尾の扱いを受けるだけであろう、それでは意味がない。

 麻薬がらみの話というのは、莫大な金が動く。だが、今回はいくら調べたところで、貴族の側に大きな金の動きが見いだせない。動いているのは動いているのであるが、あくまでも贅沢品の枠に収まる程度。不可解であった。つい、想定が間違っているのでは、と考えてしまうほどに。

 だが、麻薬を取り扱っている、ということに関しては裏が取れている。

 夜のうちに、ティタが倉庫の隠しを確認していた。かなりの高純度まで精製されているそれ。一舐めで、彼女の側頭部から角が飛び出した。効果は抜群らしい。

 腐毒は既に、貴族に蔓延しているのか。

 可能性は大いにあった。一度の金額が少なくとも、全体でみれば大きな額が動くことになる。これだけの高品位だ、ほしがる中毒患者はそれこそいくらでも居るであろう。王国の、郡爵以上の貴族となると、その数は六つの公家、十二の候家、四十八の州家、百二十六の郡家。そして、それらの分家がある。数百、あるいは、千に手が届くか。それらが取り扱った場合、末端価格ともなれば、恐ろしい金額になるであろう、ましてや民草にまでとなると、もはや想像もつかない。

それはつまり、金に変わった端から何らかの事に消費されているということだ。

 しかも、アーガンツィオ郡爵の仕入先は、アルマツィオだけではあるまい。安全面を確保する為に、幾つかの卸売業者を利用するであろう。いざとなればそれらを独自に切り離せば良い。

 原料を輸入し、加工技術を伝えた者が居る。数多の香辛料の中から麻薬成分だけを抽出するなど、この国の科学技術と照らし合わせれば、この先数百年単位で不可能と知れる。

 麻薬の売買は、王国法で重罪となる。庶民であれば国民の健全な生活に対する罪で磔刑、貴族であれば、国家の健全な運営に対する罪で三族が縛り首だ。尊厳死はこの罪に存在しない。アーガンツィオ卿を告発すれば、彼の親族もろとも、郡兵含めて数千の人間を路頭に迷わせる。頭の痛くなる話であった。地方の破落戸の、自堕落な悪さとは話が違う。魔獣や魔人を相手にするような、明確な敵でもない。

敵は人間の悪徳そのものなのだ。


 今回のことには、魔王が関わっている。

 確信めいたものがあった。それも、ただ力押しに攻める類いではない。ゆるりゆるりと時をかけて、内側から国家人類を破滅に導く類いだ。それも王国に根付いて相当古いのであろう。表立って動きだしたのは、最終段階が近いからではなかろうか。

 魔王自体は金など必要あるまい、だが、その配下として動かされている人間は違う。麻薬はおそらくそれの資金源。効率よく消費される麻薬と金、何処にも滞らず根を張っている。

 はたして、いくつの蔓があるのか。

 事の最後、人間を効率よく滅ぼすためには、どうすればよいか。


「戦、毒、病、か」


 他国が侵攻する口上として、麻薬に侵された国、というのは十分だ。そこに病が蔓延っていれば尚のこと。戦時の常として、敗北した国は全てを奪われ、男は殺され、女は犯される。薬に侵された弱兵、病に侵された女、上手く事が運べば、近隣諸国を葬り去れる。


 ばりばりと食いしばった口で歯が音を立てる。腹の底からおぞけが湧き上がってきた。吐き気を通り越して、それだけで死んでしまいたくなるほど。これが妄想であってくれればよい。かつての人生ならば笑い飛ばして済ませることができたであろう、だが、今は違う。この肉体は高機能に過ぎる。

 何しろ生まれてこの方、想像と勘を外したことがない。

それではこちらから戦をおこすならば?

 手っ取り早いのは宗教を利用することであろう、他国に麻薬の口実を与え、自国では神の名の基に死兵を募る。泥沼の戦争になるのは間違いない。

 不意に閃いた。アーガンツィオ卿は隠れ蓑だ。誅すべき悪は、卿の裏側に居る。


「シルバ」


 ふと、現実に引き戻された。

 馬の嘶き、蹄の音。鎧の触れ合う音が聞こえてくる。楽しそうにティタが笑った。獰猛な獣の顔だ。食い物を前にした犬の顔だ。歯を剥き目を光らせ楽しげに相手を見据えている。


「ついでに周りも黙らせられるか?」

「お安い御用だ」


 それだけ言うと、彼女は御者台に腕組みしつつ立ち上がった。

 同時に、騎兵が一騎、歩みでて口上を述べた。


「商人アルマツィオの馬車と見える。我等は琥珀騎士団である、積み荷を改めたい! 王国の尊き法に則り、積み荷の開封を要請する!」


 目前の男の言うことは尤もだ。今でこそ主なき騎士団であるが、もし王の危急に駆け付けたとあれば全てが赦される。口上に不審な点は無い。法に則れば、士分の人間には独自の警察権が賦与されている。男達の要求は真っ当な物であった。


「へへえ、騎士様、積み荷の一割を金貨にてお納め致します、どうぞお通しくださいませ」


 成る程、これが意味の解らない口上と、巻き上げられる金の真相か。

 王国法では、この時に支払われる金を、釈費兼税金として扱っている。それは、本来であれば街道を管理する貴族に納められる物だ。法にはそこに注釈がない。大まかにこれこれこういうものである、と規定され、対処はそれぞれの領法に任されていた。

 また、税収が得られたのであれば咎めなく通すように、とも。笊の目が此処にあった。


「貴様らの積み荷が、正しくそうであるならば良かろう。だが、毎度の事なれど、その積み荷に禁制の疑惑が懸かっている。大人しく開封せよ!」


 ざわ、と、背後の群衆が沸いた。商会の急成長、禁制の品、やる気の無い護衛依頼、繋げて考える者も出てくるであろう。

 怯えたように此方を横目で見やると、御者は震える声で答えた。


「ええい不逞の輩よ、騎士崩れのどぶねずみども! いつもいつも訳のわからぬ口上を述べおって、そんなに我等が妬ましいか! ふん、今回は貴様らが逆立ちしても敵わない御方が用心棒を買ってでて下さった、貴様らの暴虐偽政も、これまでよ!」


 これはあれだ、昔のやくざの話が如く。


「シルベスタ様、お願いしやす」

「……ああ、解った」


 情けなくも仕方がなく。のっそりと、街道に足を進めた。





「問おう、琥珀騎士団の御歴々よ」

「おう、これはガーデンツィオ卿の御子息殿と見える。遠慮せずになんでも問われるが良い、此方も躊躇なく御解答致そう」

「忝なく思う。時に御歴々は、なぜ本来の地位を捨て、此方の街道を守護して居られるか」

「御答えいたそう。我等、国家の危急を覚り、この地を守護つかまつった」

「賊輩の類いではないと仰られるか」

「いかにも然り! 我等は正しきを剣に誓いし者、いかに飢えようと盗賊なぞに身をやつしはしない!」

「それでは郡爵卿の元まで御足労願おう、貴殿らの言に嘘が無ければ可能である筈だ」

「……それは出来かねる相談、何故、と問われれば、民草の為とのみ御答えしたい」

「答えられぬと言うのか」

「然り、どうしても、と仰られるならば、剣に物を言わせるが良かろう」


 ああ、嫌だ嫌だ。本当に嫌だ。全てが必然の様に繋がってくる。

 こうなると、ティタとの出会いが地獄の中の福音か。

 大敵たる悪も、彼女の事は読めなかったか。

 魔素を動かす、魔方陣は小さく、目立たぬ様に。空が俄にかき曇る、気温が下がり、風が吹き出した。


「今一度問おう、琥珀騎士団の勇士方々よ。その言葉に、その身に偽りはないか」

「ない!」

「然らば天の裁きを受け入れるか」

「如何様にもなされるが良かろう、今となっては天と、神々と、偉大なる国王陛下のみが我等を裁ける」





「―――不遜なるぞ、琥珀騎士団」





 聞くだけで戦場の鴉が死に墜ちる。

 唐突に、そんな声が響いた。

 沈黙が舞い降りる。御者台に立ったティタが、騎士団を見下ろしている。それほど大きな声ではない、筈であるのに、その声は不思議とその空間に居る全ての人間の耳に届いた。民衆の中に、気を失うものが出始めていた。強烈な威圧感、気の弱い者ならば即座に意識を失なうそれは、竜族のみの持つ皇の気配。

 絶対者の声であった。男の声が、それこそ春の暖かさに思える程の。


「な……何者であるか!」


 誰何出来たのは誉めるに値するであろう、逃げ出さない馬達もまた。よく訓練されている。ただ、最早意識は逃避しているのであろう、凍りついたように動かない馬から、騎士団が下馬する。本能的な物か、手は剣の柄にかかり、今にも抜き放たんとしている。恐怖故のそれであった。


「それを聞いてどうする」

「こ、答えよ!」


 は、と、短く笑って女が答えた。


「イリ・クトロンニク・コロマイディズ・オ・ティターニア。貴様らには過ぎた名である。



 ―――頭が高い。疾く、ひれ伏せ」



 直後、視界が真っ白に塗り潰された。周囲の木々、それらに幾筋もの雷が降り注いだのだ。轟音と、あらゆる方向から、心が殴り付けられる衝撃、ティタナがその存在感のみを完全に解放した。大きさはそのままに、遥か彼方の山並みの小鳥すら、畏怖に沈黙する。琥珀騎士団は一斉に膝を着いた。見物客達は、それが何による衝撃であるか、理解できなかったであろう。一人残らずその場で意識を失っている。立っているのは自分と彼女、それから琥珀騎士団の首領のみであった。


「ほぉ、耐えたか」


 こらえたか、ではない。もっと圧倒的なモノに対する言霊。波と津波の違い。

 首領は瞬時に弓に弦を張った。ぶん、と、高くも低い、弦楽器のように音が鳴る。女は御者台から飛び降りると、十歩程脇に逸れた。そこであれば、射線上に人は居ない。

 がくがくと震える体に鞭を打って、騎士団が脇に避けていく。

 敵は弓兵、長く見積もっても、三十秒は懸かるまい。

 最初の弦音が響いた。それを背に、馬車の荷台へへ縄を取りに上がる。御者達は失禁しつつ失神していた、昨夜の酒でも悪かったのか、鼻が曲がりそうな悪臭に、顔をしかめる。漂うきな臭さに顔を上げた。幌が燃えていた。燃えてしまっては元も子もない。外套を叩き付けて、消火する。この後は馬の背にでも乗るか。他愛ないことを考えながら表に戻った。勝負は既に着いていた。





 時間を掛ける趣味はない。さっさと騎士団を縛り上げる。そも、こんな事に時間は掛からない。保釈金の説明をしつつ、周囲を見渡した。群衆も意識を取り戻しつつある。上首尾であった。


「親愛なる王国の友輩に告げる。天の裁きは下された!」


 巻き上がる喚声に、両手を上げる。ゆっくりと手を下げていくと、それに従うように人々も声を潜めた。


「俺は天に祈った。神々に祈った。この場に置いて、琥珀騎士団のなす事に悪あれば、雷挺にて撃ち据え賜え、と。確かに天は、神々は我が祈りに応えた!

 見よ、この堂々たる男達を!

 何に恥じ入る所もない。雷挺は木々を引き裂き街道を焼いた、だが、罪人として騎士団の誰一人裁かなかった。ここに裁きは下された!

 琥珀騎士団に罪はない! 彼等の正義を讃えよ!」


 一瞬の沈黙、わっと喚声が巻き起こった。今度は自然にそれが落ち着くまで待つ。


「天は御照覧ある、神々もまた然り。だが人はそれを知らぬ。俺はこれより郡都に向かい、郡爵に彼等の正義を訴えよう!」

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