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「……ふむ」
路銀が心もとなくなってきた。
村町を過ぎる内に、支払いが嵩む。開かれるのは自分の為の祝宴だ、それを奢られるまま、と言うのは心が腐る。二度三度、ならまだしも、人里を通る度に、となれば話が異なる。何しろ、その土地その土地の贅を尽くした一夜だ。それも関わった者全員。規模の小さな集落ならばまだしも、町となれば一夜で破産する。それは是非もなく避けたい。
親交深き村で過ごしても、金は出す。習慣だった。受け取らなくても置いていく。自身の正義観、英雄観と言っても良い。負担になってはならないのだ。政治家や、やくざのようになってはいけない。かつての親の教えだ。大切なことであった。奢られるままでは、気が咎めて脚を向けられなくなる。 経験則だった。
ともあれ路銀はない。吟遊詩人には、最初に権利ごと安く売った。大きな感謝と共に、金貨十枚になったのは記憶に新しい。銀貨一枚あれば、慎ましく暮らせば、一家が半年ほどは暮らせるだろう。それが一万枚分だ。充分だと思ったのだが……それが行くところ行くところ、銀貨十枚からかかる歓待をされたのでは、あぶく銭も良いところだった。
今考えてみれば、安い売り物だったろう。彼等はそれで一生涯食うに困らない。
何しろ自分の知る限り、魔王の一柱が下された事など、数百年はない。そもそも、前回、前々回は魔竜王が反目した魔王を滅ぼした話だ。
人間が、と、なれば、千年は軽くあるだろう。
金貨百枚でも、安かったかも知れん。
ティタの興味に付き従い、芝居を眺めながら考える。苦く笑った。名声も過ぎれば邪魔になる。英雄のイメージはとても大切だ。それは人々の希望に直結している。こうなると、弁当屋で厨房、という訳には行かない。
金がないと考えもさもしくなる。首が無いのと一緒だとは、良く言ったものだ。この調子で進めば、三つ先の村で資金がそこをつく。清貧であるのは構わないが、人間霞を食っても生きてはいけない。
そろそろ、資金繰りが必要であった。
ふ、と、空気が変わった。狩場の気配がする。見ればティタから武威が漏れ出でていた。未熟者め。内心で呟き、視線の方向を見やる。そこには八人の騎士崩れが居た。何処かで見た覚えがある、あれは確か、と、考え、じきに思い至った。
筆頭は宰相派の貴族に仕えて居た騎士だ。残る七人はその配下だろう。皆、それなりに使えそうだった。血が騒いだのか、ティタはごく僅かに空気を揺らめかせている。ため息を吐いた。血の気の多いことだ。のそりと立ち上がり、ややうんざりとしながら出発を告げる。瞬間、一悶着あったようだ。もう一度ため息を吐いた。
「……嬉しそうだな」
「ふふん」
あの夜に見た目だった。肌が、ぞ、と、粟立つ。根元的な、本能からの恐怖感。抑えることはできないであろう、生命に直結する恐怖だ。
戦を好む血か。星読みのように、ティタは言った。
「彼奴らとは近く見えるぞ、必ずだ」
商業会館に来た。大きな町であれば、ここのように商人の寄り集う場所がある。町で一番金が動く所と言ってもいいだろう。
掲示板には、所狭しと書き付けが貼り出されていた。ちょっとした使いから、取引相手を求めるものまで。様々な内容が無頓着に存在した。
薄い紙は未だ高価だと言うに、惜しみ無くそれが使われているのは、ここの出資者に紙商人が居るからであろう。ざっと目を通す。護衛の依頼はあるだろうか、と。
「ふふん」
隣でティタが嘲った。
ああもう、本当に嫌な気配がする。見たくなかった。自然と掲示板から人が離れていく。何かは解らない。が、商人は危険な気配に気が付けなければ一流とは言えない。
剣呑そのものの気配を醸しながら、ティタが勝ち誇ったように言った。そこには、賞金首の手配書が貼り出されている。
「見ろ、シルバ。シルベスタ・ラン・ガーデンツィオ」
「……ああ」
見知った顔がそこにはあった、正確には、先程覚えた顔であった。まったく馬鹿げている、賞金首であるならば、大人しく森にでも隠れておれば良いものを。
「ふ、はははっ」
堪えきれぬ、と、ばかりにティタが嘲う。対するこちらの眉間には、皺が深く深く刻まれていく。考えることは多かった。
金の為に、とは、我ながら浅ましいことよ。人の生き死にをそこにかけるとなればなおのこと。我が身が被害を受けた訳ではない、が、悪か。それとも何か理由があるのか。純粋に人を害し、己が享楽の為に、金品を強奪する者であるのならば、如何様にも剣を振るおう。だが。
「違うぞシルベスタ、ああそれは違う」
何を知っているのか。ティタが託占じみた言葉を紡ぐ。
「目だ。貴様も見たであろう目だ。あの目を見れば解るであろう」
充分であった。確かにその通りだ。彼の男の瞳は、皮肉と怒りを湛えていたが濁っては居なかった。ごうごうと燃える業火ではあったが、決して沈み込むような泥沼ではなかった。
必ず、これには裏がある。勘が働いた。きなくさいのだ。それも感じた事が無いほど顕著に。これではまるで、脚の下を溶岩が流れていることに気が付かないまま、硫黄と火炎にまかれるようではないか。
それでは、いかにすべきか。
「貧民街と、教会、病む者と孤児だ」
解答は迅速だ、普段の筋肉思考の影もない。ずばりずばりと本質を見抜くように、ティタは何を知るべきかを伝えてくる。
「よし、手分けして調べよう。合流は太陽があの塔にかかる頃、場所はそこの路地。シルバは民を、私は盗賊の被害者についてを調べてくる」
それだけ言うと、ティタは颯爽と人混みに消えた。止める間もない、不安に伸ばしたら腕が空を切った。
結果から言えば義賊の類い、半年程前から、この辺りを根城に据えたらしい。富める商人を襲い、所持する一割の現金を奪う。密かにそれらは、この町の貧しき者に分け与えられていた。無論、男達が飲み食いした余りであろうが。
商人の内では"アルマツィオの通行税"と揶揄されているらしい。
懸賞金を掛けては見たものの、首領の腕が恐ろしく立つとかで、近隣の賞金稼ぎ程度では、返り討ちにあうのが関の山、だ、そうだ。
この様子ではどうやら、討伐隊が組まれるのも時間の問題である。
一応商人についても調べておくか、とも思ったのであるが、聞き込みに思ったよりも時間をとられてしまい、せいぜい商人の名が、アルマツィオと言うことぐらいしか解らなかった。
さて、彼女の首尾はいかがな所か。
不安に思いながら、落ち合う予定の路地に向かう。
「遅かったな」
「ほう、早いじゃないか」
路地の木箱には、既に彼女が腰かけていた。
驚いた顔もそのままに、対面に腰を下ろした。簡潔に此方の情報を伝えると、彼女の答えを促す。
にっ、と、笑ってティタは言った。
「シルバ、被害者の商人は一人、噂のアルマツィオだけ。この数年で、急速に成長を遂げた商会らしい。仕入れ先は東の部族で、希少な香辛料を商いの種としているそうだ。卸先はここの郡爵、結構上の人間らしいな。規模は二頭立ての馬車が月に一台、現状で死者は無い、との事だ」
「……よく調べたな」
正直に言って意外であった。交渉ごとは苦手、と思っていたが、なかなかどうして。
欲しかった情報を、簡潔かつ明確に集めている。
「済まないな、侮っていた」
「仕方がないだろう、私が人間の常識を知らないからな。……さて、どうする?」
面白がるようにティタが笑う。盗賊自体を捕まえるのであれば、誘き寄せて、一網打尽にするのが上策であろうか。
口許に当てていた手を腰に添えて言った。
「そうだな、まずは商人と交渉する。調べた限りでは、賞金は一回に奪われる額より僅かに高いだけだ」
「ほう、つまり?」
「おそらくは自尊心から懸けられた金であろう。本気で仕留めたいならば、もっと高額でも良い筈だ」
それにしたところで、金貨十枚とはなかなかに張っている。積み荷は香辛料だったらしい。香辛料は確かに金になる、が、それにしてはややきなくさい。
「これも推測だが……積み荷は香辛料ではなかったのではないか、と、考えている。具体的には禁制の品、例えば奴隷などではなかろうか」
不意に視線を鋭くし、これまでは聞き役に徹していたティタが言った。
「奴隷、の線はないと思うな」
「ほう、何故だ?」
自信がある様子に、興味を惹かれた。
「何を運んでいるか、なんてことは、その場で少し調べれば解る事だろう? 奴隷などという、嵩張るものであればなおのこと」
尤もである。人間一人を運ぶのには、相応の金が動く。荷馬車の大きさもまた、相当な物になるであろう。
「然り、それから?」
「と、なれば、金貨よりも金貨を産む物。絹や香辛料などとは比較にならない黄金の雌鳥と言えば?」
嗜好品。それも、おおっぴらに出来ない類いのそれ。薬草や香辛料に混ぜて運べば発覚もし難いそれは。
「……麻薬、か」
「おそらくな」
中毒起こして死んだ人間でもいれば、話が早いのにな。
そう嘯くティタを睨み、ふ、と、思考に沈む。
推測に過ぎない。
推測に過ぎないが、確かに彼の土地の民は、戦士の決闘に麻薬を用いる。痛みを忘れ、不安を忘れ、何処までも昇るような心地のなか、彼等の信じる神に、己と決闘相手の心臓を捧げるのだ。
ぞくり、と、した。
そうなれば何処までこの悪は蔓延るのか。郡爵程度で終わり、と言う事はあるまい。そこから貴族に、販路が作られているのであろう。
そうだとすれば、何故賊が消されないのか。
秘密を知る者は少ない方が良い。と、なると、まだ賊の詳細な情報を、組織、今はあえて組織と呼ぼう。その上層部は、まだ手に入れていない。或いは、いつでも消せるとたかをくくっているのであろう。この場合、人数が少ない事が幸いしている。これ以上多ければ、郡爵が治安維持を名目に兵を出せるだろう。
証人の確保が必要だ。
大きな事件である。粛正の嵐が吹き荒れるのは間違いない。こうして考えてみると、件の騎士達が宰相一派の庇護から外れ、野盗に身をやつしたことすら繋がって見える。
ふ、と、思考に何かが引っ掛かった。何かを忘れている、大事な事であると思うのであるが……
「……しかし、これは傑作だな」
「何がだ?」
「ふと思い出したのだが、今考えてみれば魔女エソも、魔狼フルトも、かつて私が滅ぼした魔王共は、自身も配下もそんな類いを用いてなかったぞ? 奴等を怖れた人間の方が、よほど不健康な趣味をしているらしい」
返す言葉もなかった。




