第百七話「ヴァニタスの洞窟」
三月三十日。
時は少し遡る。外で激戦が繰り広げられている中、レイたちは洞窟の奥に向かって進んでいた。
洞窟は幅八m、高さ四メルトの半円型で、緩い下り勾配になっている。照明の類はなく、先は見通せないが、分かる範囲では真っ直ぐに延びているように見えた。
地面は自然の洞窟とは思えないほど平坦で、足元が暗い中でも比較的歩きやすい。レイたちは灯りの魔道具の光を頼りに奥に進んでいく。
先頭を歩くのは獣人のウノだ。
彼は暗闇で活動することが多い間者であり、斥候としても優秀だ。部下であるセイスとオチョがその後ろをやや離れて警戒している。
彼らの三メルトほど後方にレイ、アシュレイ、ステラの三人が並ぶ。
その後ろにはルナがおり、ライアンとイオネが彼女を守るように左右にいる。
最後尾は獣人のヌエベとディエスで、後方を警戒しつつ、いつでも前方にフォローに入れられるよう、周囲に気を配っている。
「嫌な感じが強くなってきた」とレイが呟くと、アシュレイも「そうだな」と相槌を打つ。
「この冷たい感じは知っている。以前私の心に入ってきた虚無神と同じ……」
ルナは誰に言うでもなく、断言する。
「これがヴァニタスの気配なのか。ヤバい感じしかしねぇ……」とライアンが応え、周囲をキョロキョロと見回す。
彼らも危険な場所であることは分かっており、本来なら話をしている余裕はないのだが、何かしゃべっていないと落ち着かず、無意識のうちに声が出ていたのだ。
危険な任務を数多くこなしてきたウノたちも、本能が危険を訴えている。同時に殺意を感じさせない視線も感じており、そのことに困惑していた。
しかし、具体的な説明が難しく、レイに話せずにいた。
(……この感じは誰かが見ていることは間違いない。ロックハート様の話ではヴァニタスのようだが、なぜ殺意を感じないのだろうか……)
ウノはそう考えるものの、今は周囲の警戒を優先すべきと意識から締め出した。
歩き始めて五分ほど、距離にして三百メルトほど進んだ。
洞窟の作りはほとんど変わっていないが、外の喧騒が全く聞こえなくなり、自分たちの足音と呼吸の音だけが響いている。
同じような作りが続いているものの勾配が変化しているのか、後ろに見えていた入り口の光は見えなくなっていた。
そのため、レイは隔絶した場所に閉じ込められたような錯覚に陥っている。
(ジルソール島の創造神神殿の地下階段みたいだ。あの時も別の世界に入るみたいな感じだった……それにしても何も出てこないのも気持ち悪いな……)
洞窟が罠であることは確信しているが、ただの一本道が続くだけで魔物の姿はない。
「一旦止まりましょう」とレイが声を掛けると、ウノが振り返り、
「何かございましたか」と確認する。
彼は異常を検知しておらず、レイが何か見つけたのかと思ったのだ。
「いえ、そういうわけではないんですが……」と言葉を濁すが、すぐに自分の考えを説明していく。
「あまりに何もなさすぎる気がします。ヴァニタスのところまで続いているにしても何かおかしい。それで一度止まって考えようかと」
「確かにそうね。ヴァニタスが何の考えもなく、仕掛けてこないことは考えられないわ。なら、闇雲に突き進むべきじゃないと思う」
ルナの言葉に全員が頷く。
ステラが「私とウノさんで先行して偵察してきましょうか」と提案する。
「私もステラ様のお考えに賛成です。先ほどから視線らしきものは感じているのですが、殺意は感じておりません。だからといって危険ではないということではないのですが……この場が安全とは限りませんが、先がどうなっているのかを確認すべきだと思います」
レイは二人を先行させることに躊躇いを感じていた。
(戦力を分散させて少しずつ消耗させるのかも……いや、それはないか。ヴァニタスにしたら僕たちの人数が多少変わったところで大きな問題ではないだろうし……)
そう考えて納得すると、
「では、二人に偵察を任せます。但し、ここにある灯りの魔道具が見える範囲までです。僕たちはここで待機。周囲の警戒は今まで以上に強めてください」
ステラは「すぐに戻ってきます」と言い、ウノは「御意」と言ってから洞窟の先に向かった。
残されたレイたちは周囲の警戒を強めながら、今後の方針を確認していく。
「この場所がヴァニタスの支配している場所なら、向こうから何か行動を起こしてくるはず。何もしてこないってことは別の目的があると思う」
「それは何なのだ?」とアシュレイが聞く。
「僕にも分からない。ただ、僕たちは監視されているらしい。なら、ヴァニタスが何かを待っていることは間違いない」
「私もそう思うわ」とルナがレイの考えに賛同する。
「タイミングを計っている……外の状況が悪くなるまで待っているのかな……」
レイは独り言のように呟く。その呟きにアシュレイが答える。
「しかし、そうであっても理由が分からん。父上たちが不利になることと我々の行動に何ら関係はないだろう」
「確かにそうなんだけど……凄く気になるんだ」
「といっても、ここで待ち続けるわけにはいかんだろう」
「アッシュの言う通りなんだけど……」
結局、結論が出ないまま、ステラたちが戻ってきた。
「この先も同じように続いているようです。ただ、少しずつ下っているようで、五十メルトも進むとここの灯りが見えなくなりそうでした」
「ありがとう」とレイは答え、
「とりあえず前に進もう。向こうがその気にならなくても、何か手掛かりがあるかもしれないから」
レイ自身、この状況を不安に思っており、ただ待ち続けるという選択肢は採ることができなかった。
再び歩き始めてから五分が経過した。しかし、洞窟は同じように続き、変化はない。
更に進むと、先頭を行くウノが手を上げて停止する。ウノはレイの下に戻り、報告を行う。
「この先に部屋のような空間がありそうです。五十メルトほど先で洞窟の壁が途切れております」
その言葉にレイは洞窟の先を見つめるが、人間である彼には暗闇が続いているようにしか見えなかった。
「偵察をお願いします。但し、中には入らないようにしてください」
レイはウノにそう指示を出す。
「御意」とウノは頭を下げ、オチョと共に先行する。
ウノたちが奥に向かった後、レイたちはその場で彼らを待つ。
五分ほどでウノたちが戻った。
「やはり前方は広い空間になっていました。人も魔物もおりません」
「大きさはどのくらいですか」とレイが聞くと、
「見える範囲では直径百メルトほどのドーム状の部屋でございました。壁は金属に見え、明らかに自然にできたものではございません」
「何か置いてあるとか、どこかに続いているとかは?」
「中央部に高さ五メルトほどの円筒型の物がございましたが、それ以外は特に何も」
レイは「とりあえず部屋の中が見えるところまでいってみましょう」と言って進むことにした。
歩き始めると前方がやや明るくなっている気がした。
「いつの間に明かりが……先ほどは暗闇でしたが……」とウノが困惑気味に言うが、徐々に明るさが強くなり、灯りの魔道具がいらないほどの照度になっていた。
レイはできる限り身を隠したいと考えたが、洞窟は半円型であるため、壁に張り付くことが難しく、そのまま慎重に進んでいく。
空間の入り口まで十メルトほどの位置まで来たところで、中がはっきりと見えてきた。
ウノが報告したように五十メルトほど先の中央部には金属製の円筒状の構築物があり、よく見ると複雑な模様のレリーフが刻まれている。
「祭壇なのかな?」とレイは隣にいるアシュレイに聞きながら、彼女の方に視線を向けた。
しかし、アシュレイは固まったかのように全く動かない。それだけではなく、ステラやウノたちも同様に動きを止め、息遣いすら感じない。
(時間が止まっているのか? 僕だけが動ける……)
その時、「どうしたの、ライアン!」という焦りを含んだルナの声が聞こえた。
「君は動けるんだ」というと、ルナは安堵の表情を浮かべる。
「どうなっているの? 時間が止まっているみたいなんだけど……」
「僕も同じことを思っているんだけど、何が起きているかは……」
その時、二人の頭の中に思念が響く。
『別の位相に来てもらった』
「誰だ!」とレイが周囲を見回す。
『君とは一度会っているのだが、覚えていないだろうね』
「一度会っている?」
『以前、君がこの辺りを通った時に夢の回廊で……その時の記憶を蘇らせよう……』
そう言った途端、レイの頭に記憶が戻る。
「……観察者でしたよね。絶望の荒野を通った時に夢の中で話をした……」
『その通り。あの時は三主神たちの目を欺くために夢の中で話をさせてもらったが、今回は少し趣向を変えてみた』
「誰なの?」とルナがレイに小声で聞く。
「別の世界から来た存在らしいんだ。この世界を五万年も見続けていると聞いている」
「五万年も……それにしても話をしていて大丈夫なの?」
「神々とも虚無神とも関係ないと聞いたよ。そうですよね」
『その通り。といっても今は三主神側と手を結んだといってもよいが』
「神々と手を? 以前、殺されそうになったと聞いたんですが?」
『その通りなのだが、彼らは私のこの能力に目を付けたようだ。ここで君たちにメッセージを送るという条件で、この世界に留まることを許された。もっとも世界への干渉は固く禁じられているがね』
「メッセージですか?」とレイが聞くと、
『この先はあの神の版図だ。この世界とは違う理の場所、すなわち、何が起きてもおかしくない。そこに入る前にメッセージを送ってほしいと頼まれたのだ』
「遂にヴァニタスのところに……」とレイが呟く。
『その通り。神々のメッセージだが、ヴァニタスはそちらの“闇の神の御子”だけでなく、君も標的になったらしいとのことだ。具体的には聞いていないが、何らかの揺さぶりを掛けてくる。それに屈するなと伝えろと言われたよ』
「ルナだけでなく、僕もターゲットに……」
『まあ、君よりノクティスの御子が本命のようなのだが、君も油断するなということだ』
ルナは自らを掻き抱き、
「“揺さぶり”ということは精神的なものなんでしょうけど、相手が相手だけに怖いわ」
レイは彼女の手を取り、「仲間がいるんだ。彼らを信じよう」と励ます。
「そうね」とルナは頷く。
『あの神は感情など持たぬのに人の心を操ることに長けている。それこそ“人の神”や“闇の神”よりも……君たちがどうやって切り抜けるのか、見させてもらうよ』
それだけ伝えると、“観察者”の思念は消えた。
そして、二人の周囲の世界が動き始める。
視線が消えたことに気づいたウノがそのことを報告する。
「先ほどまでの視線が消えました。ただ、危険な気配は未だに残っております」
「視線の主は別の存在、神々からのメッセージを運んできた存在でした。ですので、問題はありません……」
レイはそう言ってから手短に観察者との邂逅について説明する。
「では、これからが本番ということだな」とアシュレイが言い、ステラがレイの前に立ち、
「部屋の中の偵察を命じてください」と頭を下げる。その後ろにはウノたちも同じように頭を下げていた。
「この先は全員で動きましょう。神々からの話では、この先にヴァニタスがいるんです。全員で挑んだ方がいいでしょう」
「しかし、危険ではありませんか?」
ステラの言葉にレイは首を小さく横に振る。
「メッセージが正しいなら、ターゲットはルナ、そして僕だ。それに向こうは神なんだ。その気になれば、何でもできる。用心するに越したことはないけど、今は一緒に行動することが大事な気がするんだ」
ステラはすぐに「分かりました」と引き下がる。
「では、全員で入りましょう」とレイは言い、全員が頷く。
全員で足を踏み入れると後ろでシュッという音が聞こえ、通ってきた洞窟の入り口が消えていた。
「ここから帰さないということか……」とライアンが呟く。
その直後、ウノの警告の声が響く。
「祭壇の上に何かが現れます!」
ウノが指差す方向を全員が見る。そこにはぼんやりと浮かぶ人型の影があった。
「転送の魔法陣? 敵だと判断したら魔法で攻撃します! ライアンとイオネさんはルナを守って! ウノさんたちは周囲の警戒をお願いします!」
アシュレイとステラはレイが指示を出す前に武器を構えて彼の前に立っていた。
全員が動く中、レイは呪文を唱えるが、すぐに違和感を覚える。
「精霊の力が集まらない……」
普段ならすぐに集まる精霊の力が全く感じられない。
「ルナ、イオネさん、魔法を使えるか確認してくれ!」
その言葉にルナも呪文を唱えるが、すぐに詠唱を中止し、「私も同じよ」と伝える。イオネも同様で困惑の表情を浮かべていた。
「武器にも魔法を纏えないようです」とウノが剣を構えながらいい、更にルナが「私の鎧もいつもより重くなっている」と言った。
「お前の鎧は大丈夫なのか」とアシュレイが確認する。レイの鎧、雪の衣は通常の金属鎧の数倍の重さがあり、魔法陣による重量軽減が効かなければ、行動に支障が出るためだ。
レイは少し動いてみるが、特に変わった様子はなく、
「いつもと同じだ。この鎧と槍は特別みたいだ」
その間に祭壇の上の人影ははっきりと形を作っていた。人型に見えたが、人間ではなく、月魔族のような翼を持っていることが分かった。
十秒ほどで完全に実体化した。
そこには漆黒の妖魔族の男が不敵な笑みを浮かべて立っていた。翼だけでなく、皮膚も漆黒で、更に着ている服もすべて黒で統一されていた。
「黒魔族……どうして……」というイオネの声が響く。
「黒魔族?」とレイが疑問の声を上げるが、それに構わず、その男は話し始めた。
「ようこそ、我が領土へ。諸君らを歓迎しよう」
笑みとは裏腹に人の温かみを一切感じさせない声だった。レイはその声を聴き、背中に冷たいものが流れるのを感じていた。
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