第百五話「洞窟外の激戦:前篇」
三月三十日午前九時頃。
邪神討伐隊は絶望の荒野の深部に到着したものの、嵐により身動きが取れなくなった。
その嵐が過ぎ去った後、周囲を確認すると、地形は到着時と大きく変わっていた。それだけではなく、不可思議な洞窟が口を開けて彼らを待ち受ける。
その光景にレイたちが驚いていると、一万を超えるアンデッドの大群が討伐隊に向かっていることが分かった。
アンデッドの中には骸骨竜やデスナイト、デュラハンなどの強力な魔物が多く、討伐隊の面々は激戦を覚悟する。
このタイミングでの襲撃に作為を感じたセオフィラス・ロックハートはレイに洞窟に向かうよう進言する。
レイも洞窟に虚無神がいると感じ、ジルソール島の創造神神殿で神々の加護を受けた十人の仲間と共に、決着を付けるべく洞窟に入っていった。
残された討伐隊に全長二十m、体高五メルトを超える巨大なスケルタルドラゴンたちが迫る。
後を託されたハミッシュ・マーカットは自らも前線に出るとともに、討伐隊に迎撃を命じた。
「ゼンガ! 脚をぶっ壊せ! だが尾には気を付けろ! スケルタルドラゴンは見た目以上に機敏だからな!」
マーカット傭兵団二番隊隊長、熊獣人のゼンガ・オルミガに指示を飛ばす。
「分かっただぁ! 二番隊はおらぁに続けぇ!」
いつものように独特の訛りがある言葉が返る。
その間にスケルタルドラゴンが地響きを上げながらハミッシュに迫っていた。
並の神経の者ならその巨体とアンデッド特有の禍々しい気に怯えるところだが、ハミッシュは笑みを浮かべ、三番隊隊長のラザレス・ダウェルに「手を出すなよ」と余裕を見せる。
ラザレスは「分かってますよ」と肩を竦めながら答えるが、一流の傭兵である彼ですら強力な魔物を前にいつもの余裕を見せるだけで精いっぱいで、それ以上の軽口を叩くことはできなかった。
スケルタルドラゴンはドラゴンが死霊化したアンデッドだ。
肉と鱗を失い、飛行能力やブレスを吐く能力を失ったものの、高位のアンデッドと同じく特殊な武器や魔法でなければ傷つけることすら難しい。
また、痛覚がなく、無限ともいえる再生能力を持ち、倒すためには千人規模の兵士と宮廷魔術師百人以上が必要と言われるほど危険な魔物だ。
更に理性こそ失っているが、知性まで無くしたわけではなく、凶暴なだけの魔物とは一線を画し、相手の弱点を見つけて執拗に攻撃を繰り返すなど狡猾さを持っていた。
そのスケルタルドラゴンがハミッシュに危険を感じた。そのため、闇雲に襲い掛かることなく、彼の前で止まる。
「ふっ、小賢しいな」とハミッシュは不敵に笑うと、その巨体に似合わぬ速度でドラゴンの腹の下に入り込む。
虚を突かれたスケルタルドラゴンは怒りの咆哮を上げるかのように大きく口を開くと、身体を大きくひねりながらハミッシュを尾で叩き潰そうとした。
太さ五十cmはあろうかという太い骨が砂塵を巻き上げて襲い掛かる。
ハミッシュはその巨大な骨を無視するかのように愛剣を無造作に振り上げた。
そして裂帛の気合と共に自らに襲い掛かる尾に叩きつける。
硬い金属が激しくぶつかって発する“カーン”という高い音が荒野に響く。
巻き上がった砂塵でハミッシュの姿が霞み、何が起きたのかはっきり見えない。
砂塵が一陣の風によって流れていく。
そこには剣を振り抜いたハミッシュと、尾を断ち切られバランスを崩して倒れていくスケルタルドラゴンの姿があった。
ハミッシュは横倒しになるドラゴンの胴部分に瞬時で移動し、複数の骨が絡み合った腰に当たる部分に剣を叩きつける。
次の瞬間、爆発するかのように骨が砕け散り、スケルタルドラゴンはその戦闘力の大半を失っていた。
ハミッシュは特に喜びを表すことなく、前脚だけでもがくドラゴンの首を叩き落とす。
「さすがはドワーフの名工が鍛えた剣だな。ミスリルのコーティングだけでこれほどの威力とは……」
彼の活躍の間に、ゼンガたちもスケルタルドラゴンの後脚部分に大きなダメージを与えていた。
「団長に遅れるなぁ! ぶちかませぇ!」
「「オオ!」」
二番隊は斧槍や長柄斧などの長柄武器を主体としており、大型の魔物に対して絶大な力を発揮する部隊だ。
ゼンガを初めとする大柄な獣人が全力で叩き込む攻撃に鋼並みの強度を誇るスケルタルドラゴンの骨も陶器のように割れていく。
次の瞬間、ドーンという音と共にスケルタルドラゴンの巨体が地面に落ちる。後脚を二本とも破壊され、その巨体を支えきれなくなったためだ。
「ガレス、一番隊が止めを刺して。二番隊は後ろのデスナイトと距離を取って。エリアスはゼンガたちのフォローをお願い」
ハミッシュの副官であるアルベリック・オージェの緊張感のない声が響く。
「了解! 一番隊は俺に続け!」というガレス・エイリングの鋭い声がそれに応え、バネに弾かれたようにドラゴンに向かう。
それでもスケルタルドラゴンは二メルト以上もある巨大な頭蓋骨を左右に振りながら、周囲にいるレッドアームズの傭兵たちを攻撃しようとした。
「くたばれ!」と叫びながら、ガレスが自らに向かってきた巨大な頭蓋骨に剣を叩きつける。
さすがに一刀両断はできず、ガレスは弾き飛ばされたかのように後退するが、その一撃を受けたドラゴンは脳震盪でも起こしたかのように動きを止めた。
その隙を突いて、一番隊の猛者たちが群がるように襲い掛かる。
強靭な骨もドワーフの名工が鍛え上げたアルス鋼の名剣を前になすすべもなく削り取られ再生が間に合わない。
最後には心臓部分にある魔晶石を砕かれ、完全に崩壊した。
レッドアームズたちの活躍の横ではロックハート家の若者たちが嬉々として戦っていた。
「セラ! 無理に前に出ない! ロビーナはセラのフォローを! ライルは足を止めない! ユニス、牽制を切らさない! 僕も行くよ! 場所を開けて!……」
セオは仲間たちに指示を出しながら自らも斬り込んでいく。
彼らの戦い方はレッドアームズと大きく異なっていた。
ハミッシュやガレスと言った英雄の戦いではなく、五人が連携することで翻弄し、確実に体力を奪っていくという戦い方だ。
そして、最も大きな違いは戦いを楽しんでいることだろう。
ハミッシュのように士気を上げるための演技ではなく、心の底から戦いを楽しみ、満面の笑みを浮かべている。
「こいつを倒して“闘気”を覚えるわよ」と叫びながらセラフィーヌが突貫していく。
その斬撃はハミッシュを彷彿とさせる鋭いもので、スケルタルドラゴンの骨が大きく抉られる。
「力任せじゃ駄目だって教えてもらったはずですよ」と言いながら、ライルがセラに襲い掛かる前脚を弾く。
「そうですよ。セラ様は力に頼り過ぎなんです」とロビーナが後脚の関節部分に槍を突き入れながら指摘する。
スケルタルドラゴンは肉体がある時の記憶がよみがえったのか、二人の攻撃に声が出せないにもかかわらず、苦しげな咆哮を上げるように巨大な顎を天に向けて開く。
「私だって分かっているんだから!」とセラは叫び、二人が作った隙を利用して肋骨部分に鋭い斬撃を叩きつける。
その斬撃は剣聖ギデオン・ダイアー譲りの鋭いもので、太い肋骨が砕け落ちていた。
その直後、セラの頭上に大きく開かれた顎が襲い掛かる。斬撃を叩きつけた直後であり、反応が遅れる。
「だから周りを見ろって!」とセオがセラにタックルし、スケルタルドラゴンの顎の罠から妹を弾き飛ばす。
「痛いじゃないの! もう少し考えて助けなさいよ!」
セラは数メルト跳ばされるが、転倒することなく剣を構える。スケルタルドラゴンは更に追撃しようと前脚を振り上げた。
「今のはセラ様が悪いです!」とユニスが合成弓で肋骨の間にある魔晶石に矢を放つ。
スケルタルドラゴンも魔晶石を直接攻撃されるのが嫌なのか、セラに向かっていた憎悪がユニスに向かう。
ユニスに意識が集中した直後、セオとライルが同時に胴体に斬りかかった。
既に何度も斬り付けられていた肋骨はパリンという音と共に砕け、その隙間にロビーナが槍を突き入れる。
見事に魔晶石を捉えた一撃でスケルタルドラゴンは頭を下げて動きを止め、横に回り込んだセラによって頭蓋骨の後ろを叩き切られた。
そしてドーンという音と共に崩れ落ちていく。
その様子を見ていたハミッシュは妻であるヴァレリアに向かって、
「なあ、あいつらこの状況で楽しんでいるよな?」と聞く。
ヴァレリアは小さく肩を竦めながら、
「“ロックハート”だから仕方がないんじゃないですか。あれだけ訓練が好きなんですから」と呆れている。
彼らも呆けて見ていたわけではなく、目の前に迫ってきたデスナイトに対応していた。
デスナイトは身長五メルトもある巨大な人型のアンデッドだ。
無念を抱えたまま戦場で命を散らした騎士の魂がアンデッド化したと言われており、肉体は腐った魔物のものが複雑に絡み合ってできている。
長さ三メルトを超える巨大な剣と縦二メルト、幅一・五メルトの凧型盾、更には金属製の鎧を身に着けている。
オークのような醜い外見と重装備のため鈍重に見えるが、その動きは意外に素早い。大鬼族の英雄タルヴォ・クロンヴァール率いる鬼人族戦士はデスナイト相手に苦戦していた。
「攪乱すればよい! 人馬族の突撃を助けるのだ!」
タルヴォはそう命じながら自らもデスナイトに対峙する。しかし、大鬼族である彼は普段自分たちより小さな敵に対することが多く、自分の倍近い大きさの人型への対処が上手くできない。
幸い獣人部隊の支援によって大きな損害は出していないが、タルヴォらは焦り始めていた。
「相手の動きは思ったより隙が多いです。敵の動きに合わせて一体ずつ確実に倒していきましょう」とセオが助言する。
タルヴォはその言葉に自らの焦りが仲間たちに伝染していると気づく。
「セオ殿の言う通りだな」と独り言を呟くと、仲間たちに的確な指示を出していく。
「足元に隙が多いぞ! 大鬼族は太ももを、中鬼族は膝、小鬼族は脛を狙え!……」
その指示によって鬼人族部隊の動きはよくなっていった。
ギウス・サリナス率いる人馬族も予想以上に苦戦していた。
戦場が狭く、彼らの機動力が生かしきれず、防御力が高いデスナイトに有効なダメージを与えられないのだ。
デスナイトも人馬族の攻撃力を警戒しているのか、中鬼族や小鬼族戦士の攻撃を無視して盾で防御を固めてしまう。
このままではデスナイトという大物ではなく、その後方にいるデュラハンの相手をするように言われてしまうと焦りが生じ始める。
「落ち着け! 単発で攻撃するな! 波状攻撃を加えろ! 盾は前にしか出せぬ! 後から心臓の魔晶石を貫くのだ!」
その言葉に人馬族戦士たちが連携を取り始める。十人が一組となり、周りを取り囲むようにしてダメージを蓄積していく。アンデッドであるデスナイトは都度再生していくが、それでも鬱陶しいのか、徐々に防御がおざなりになっていった。
その隙を突いて、後方から深々と槍が突き刺さった。分厚い胸板のデスナイトを貫くことこそできなかったが、心臓に当たる魔晶石を砕き、デスナイトはそのまま崩れ落ちていった。
人馬族戦士たちはその光景に槍を上げて歓声を上げ、次の獲物を狙っていく。
邪神討伐隊はスケルタルドラゴンを駆逐した後、僅か十分で十体のデスナイトを殲滅した。鬼人族と獣人部隊に戦死者が出たものの、一級相当三体、三級相当十体という大戦果を挙げたことを考えると、討伐隊の圧勝と言える。
「気を抜くな! これからが本番だ! デュラハンは前線で必ず止めるんだ! 万が一、中に入られたら、妖魔族の呪術師に任せろ! 剣術士は馬の脚を狙え! 槍術士は牽制を第一に考えろ! 弓術士はミスリルの鏃を消耗しすぎないようしろ! この先、何が出てくるのか分からんのだからな!」
ハミッシュはそこまで叫んだところで、各部隊の長に指示を出す。
「これからは持久戦だ! 疲れが溜まった者がいたら余裕があるうちに下げさせろ! 厳しくなったら遠慮なく言ってくれ」
大物を倒したものの指揮官であるハミッシュに余裕はなかった。
目に見える範囲だけでもデュラハンやスケルトンウォーリアなど侮れない敵で溢れかえっており、ミリース谷でのオークとの死闘を思い出していた。
ハミッシュは補佐役であるイーリスに顔を向けずに話し始める。
「イーリス殿、物資はどの程度収納魔法に入れてあるのだ?」
その突然の問いに戸惑うが、すぐに「食料が五日分と予備の矢を千本ほど。槍と剣も多少はありますが」と答える。
それを聞いたハミッシュは隣に立つアルベリックに小声で命じる。
「弓術士と中鬼族、小鬼族に命じて、食料と予備の武具を洞窟に運び込ませてくれ。この場所では半日ももたん。準備をするなら今しかない」
「分かったよ。オークと違ってアンデッドは休まなくていいから厄介だからね。できるだけ目立たないように運ぶよ」
ハミッシュは洞窟への撤退を考え始めていた。幅五十メルトもある拠点ではどうしても隙間が生まれる。そのため、その隙間に入り込んだ敵が側面から攻撃を加え、損害を出し始めていたのだ。
アルベリックが目立たないようにと言ったのは、機動力が身上の人馬族や、基本的にレイの命令しか聞かない獣人たちが洞窟に逃げ込むことをよしとせず、外で敵を少しでも減らすと言いかねないと考えたのだ。
「それで頼む。だが、最優先は前線の戦いだ。そっちの支援を疎かにするな」
「了解。といっても僕にもあまり出番はなさそうだし、暇そうなのを見つけて運ぶよ」
それだけ言うと、その場を離れていく。
「よいのですか」とイーリスが確認する。
「よいとは?」
「洞窟は罠と判断されたのではありませんか? 確かに選択肢はなさそうですが、保管庫を盾に使えば、戦場を限定することは可能かと思いますが」
幅五十メルトの拠点の中央に、十メルト四方、高さ三メルトの石造りの食料保管庫が作られている。それを防壁に見立てれば左右に二十メルトずつの隙間だけになり、戦いやすくなると提案したのだ。
「さっきセオが伝えてきたのだが、高さ三メルトでは障壁にならんそうだ……」
デュラハンは大型のアンデッド馬に騎乗する騎兵だ。セオたちはラスモア村でその機動力を見ており、助走を付ければ三メルトの壁を飛び越えることができると断言している。
また、食料保管庫を障壁にした場合でも、結局屋根の上に兵を配置しなければならず、相互の支援が難しくなると指摘していた。
逆に保管庫を背にする方が、負傷者の治療を行う場を確保できるというメリットがあった。
「確かにそうですね。では、後退する時は一気に下がりますか?」
「うむ……」と言うが、その後に言葉が続かない。彼自身、未だに後退することを決断しきれずにいた。




