第百四話「強襲」
三月三十日。
“絶望の荒野”に挑んでから十六日目。レイたちは拠点としたマウキ村から東に約百kmの場所にいた。
三月十九日には七十キメルの場所に到達していたが、十日以上経ったにも関わらず、僅か三十キメルしか進んでいない。
これは移動中の被害を最小限にするため、慎重に進んだことと、昨日までの五日間、激しい嵐に襲われ、移動できなかったことが原因だ。
昨日までは暴風と砂塵、更には雪や雹が吹き荒れ、視界はゼロに等しかった。厳しい環境になれた獣人や鬼人たちですら、拠点内を警戒するのがやっとというほどの激しいものだった。
激しい嵐が幸いし、魔物による襲撃はなかった。また、最終的なベースキャンプとすべく拠点を作ったため、五十m四方の岩盤と食料保管庫だけでなく、休息用の小屋や調理場、更には全周からの襲撃を防ぐための南北に高さ五メルトほどの防壁などがあり、人的にも物的にも損害は無かった。
嵐が過ぎ去った夜明けにレイたちは外に出た。それまでの悪天候が嘘のように、絶望の荒野にしては珍しい青空が広がっていた。
周囲を見たレイたちはその光景に驚愕する。
「地形が変わっている……」
六日前にこの地点に到着した時はゴツゴツとした巨岩が転がる荒野だったが、嵐で吹き飛ばされたかのように巨岩は消えていた。
その代わり、三十メルトほど西に高さ二十メルトほどの小さな丘ができており、そこには怪しげな洞窟が口を開いていたのだ。
洞窟の大きさは高さ四メルト、幅八メルトほどの半円型で、地面はゴツゴツとしているものの、魔法か何かで造られた人工物であることは明らかだった。少なくとも五十メルト以上は続いているが、それ以上は暗闇のため見通せない。
また、防壁に登って周囲を見回すと、拠点の南北には幅十メルトほどの深い亀裂があることに気づく。上から覗き込むが、視力のいいエルフや獣人が見ても底は見えなかった。
嵐の間はウノたち獣人部隊ですら行動不能であったこと、また激しい雨により視界が極端に狭まっていたとはいえ、これほどの異変に気付くことができなかったことに全員が言葉を失っている。
「……どうなっているんだ?」というハミッシュ・マーカットの呟きに、副官のアルベリック・オージェが律儀に答える。
「まるで入ってこいって言っているみたいだね」
「そうみたいですね……」と一番隊隊長のガレス・エイリングが掠れた声で同意する。
彼と同じように邪神討伐隊の者たちは明らかに誘われていると感じていた。
「どうするんだ、レイ」とアシュレイが確認する。
惚けていたレイもその言葉に我に返り、
「明らかに罠なんだけど、探らないわけにはいかないよな」
「偵察隊を出しますか?」とセオフィラス・ロックハートが確認すると、
「我らが中を見てまいります」とウノがレイの前に跪いて頭を下げる。
「そうですね。偵察は必要ですが、その前に朝食と周囲の調査を行いましょう。交代で警戒しながら朝食を摂ってください……」
衝撃的な光景に動きを止めていた討伐隊が行動を始めた。
レイたちが朝食を摂り終えた頃、ウノが報告にやってきた。
「周囲の状況ですが、視認できる範囲も大きく地形が変わっております。山の位置が変わっていなければ、知らぬ間に土地ごと転移したと思ったほどでございます」
「洞窟の周囲はどうでしたか?」
「丘の西側百メルトほどのところに南北にあるものと同じような深い裂け目がございました」
「裂け目ですか。つまり洞窟と東側にしか行けないようになっているということですね……罠や何者かの気配などはどうでしたか?」
「罠らしきものは見つけられませんでした。もっとも魔法的なものに関しては、気づかなかった可能性は否定できません。外から確認した限りでは、洞窟の中から物音や気配は感じませんでした」
「中に入らないと分からないということですか」
「御意。我らに偵察をお命じください」と言ってウノは大きく頭を下げる。
「そのことについては皆さんと相談します」
そう言ってから主要なメンバーを招集しようとした。
その時、上空に舞い上がり、周囲の警戒を行っていた月魔族のヴァルマ・ニスカが大声で叫ぶ。
「一km東に魔物の群れ! 数え切れないほどの数のアンデッドです! 骸骨竜を始め大物も多数見られます!」
「全員戦闘準備!」とレイは即座に命じた。
「鬼人族部隊は前衛左翼! マーカット傭兵団は前衛中央から右翼に陣取ってください! 人馬族は遊撃部隊として前衛を抜けてきた敵を排除! 獣人部隊は鬼人族とレッドアームズのフォローを頼みます!」
その命令に各部隊から「おお!」という了解の声が上がる。
「我らは?」とイーリス・ノルティアが確認する。
「妖魔族部隊には魔法による支援をお願いしたいと思います。ただ治癒魔法用にできる限り魔力は温存しておいてください。それと上空から敵の動きの確認もお願いします」
イーリスは翼魔族のアスラ・ヴォルティに偵察を命じた。アスラは配下の翼魔族五名と共に空に舞い上がっていく。
彼女たちに代わり、ヴァルマが地上に舞い降りてきた。ルナの前に来ると片膝を突いて報告を始める。
「全長二十メルトほどのスケルタルドラゴン三体、身長五メルトほどのデスナイト十体を先頭にし、その後方には百以上のデュラハンが隊列を組んで続いております。更には剣と盾を装備したスケルトンが千体以上確認できました。動きを見る限り、ただのスケルトンではなさそうです。更にその後ろには無数のグールと動く死体が蠢いており、一万以上はいるのではないかと……」
「一万以上ですか……」とレイは絶句する。
そこでセオが「死霊魔道士はいましたか?」と聞くと、
「それらしきものは見ていません」と答える。
「ならやりようはありますよ」とセオがニヤリと笑い、
「この地形を利用すれば回り込まれることはありません。大物のドラゴンとデスナイトさえ潰してしまえば、後は単純作業です」
「さすがはロックハートだな!」とハミッシュが大声で言い、
「セオの言う通りだ! ロックハート家は農民を主体とした自警団三百人で数万のアンデッドを滅ぼしている! 精鋭を集めた俺たちにできないはずはない!」
ハミッシュの鼓舞に全員が「そうだ!」と武器を上げて応える。
「レイさんたちは洞窟に向かってください」とセオはレイに小声で伝える。
その言葉にレイは驚いて目を見開き、「なぜですか?」と聞き返す。
「あの敵は僕たちを消耗させるための部隊です。でなければ、回り込める飛行型の魔物か、魔法を使える魔物が出てくるはずですから。つまり、大量のアンデッドをぶつけて嫌でも洞窟に入り込ませようとしているんだと思います。なら、最初から飛び込んだ方が体力も魔力もありますから、勝機は掴めるはずです」
「ですが……」と言いかけたところで、ハミッシュが「セオの言う通りだ」と遮り、
「俺の勘だが、敵は俺たち全員をあの洞窟に押し込めようとしている。理由は分からんが、嫌な予感がする」
そこでルナが話に割り込む。
「私たちは神々の加護を受けているわ。クレアトール神殿で聞いた話だと、加護を受けていない人たちは最後まで一緒に行けないんじゃなかったかしら。もしかしたら、それを狙っているのかもしれないわ」
ステラもルナの言葉に賛同し、
「罠であっても私たちだけで入った方が対処しやすいと思います。それにこの場で体力と魔力を消耗するのは得策ではありません」
その言葉でレイは覚悟を決めた。
「僕たちは洞窟に向かいます。恐らく虚無神本人がいるはずですから、決着をつけてきます」
といい、ハミッシュに顔を向ける。
「この場の指揮はハミッシュさんに任せます。イーリス殿とセオさんはハミッシュさんの補佐を! 皆さんはできる限り体力を温存しながら時間を稼いでください!」
矢継ぎ早に指示すると、洞窟に向かって走り始めた。
残されたハミッシュはレイたちを見送ると、
「アスラ殿! 状況を教えてくれ!」と叫び、
「セオ、お前ならどうする?」と余裕の表情で聞く。
「ハミッシュさんたちでスケルタルドラゴンを二体始末してください。僕たちは一体で我慢しますから」
「一体で我慢するか。フフフ……分かったぞ」と笑いながら答えると、すぐに指示を出していく。
「タルヴォ殿! デスナイトの足止めを頼む! ギウス殿! 足が止まったデスナイトの始末を頼む! 獣人部隊は抜けてくる奴を始末してくれ! 但し、無理はするな! イーリス殿は後方から指示を。あとはレイが言った通り、ヤバそうなところにだけ魔法で支援を頼む」
それだけ指示を出すと、後ろにいるアルベリックらマーカット傭兵団の猛者たちに顔を向ける。
「大物を倒すぞ! 俺に続け!」
ハミッシュはそれだけ言うと、防衛ラインにする拠点の東端に向かう。レッドアームズの猛者たちが「「オオ!!」」と雄叫びを上げ、ハミッシュに続いていった。
セオはセラフィーヌたちに向かってにこりと笑い、
「大物を一匹もらえたよ。村に帰ったらおじい様たちに自慢しよう」
「スケルタルドラゴン一匹じゃ大した手柄じゃないわ。デスナイトも二、三体倒させてもらわないと」
セラがそういうと、ライル・マーロンは「ドラゴンだけでも手に余りそうなんですけど」と肩を竦めてぼやき、ユニス・ジェークスは「大丈夫よ。スケルタルドラゴンはブレスを撃たないから」と余裕の笑みを見せる。
ロビーナ・ヴァッセルはいつも通りその様子を見て微笑んでいた。
五人を見ていた者たちは呆れながらもこれだけ余裕があるなら大丈夫だと思い始める。
上空からアスラの甲高い声が響く。
「あと三百メルトです! スケルタルドラゴンが先行! デスナイトは五十メルトほど後方で隊列を組んでいます!」
「ゼンガ! 一体はお前が足止めしろ! もう一体は俺が仕留める! アルは弓術士を使って牽制! ガレス、エリアスはゼンガが止めた敵を仕留めろ! ラザレスとヴァレリアは俺が敵を始末する間、邪魔が入らないよう牽制してくれ!」
レッドアームズの中でも精鋭を集めただけあり、その命令に即座に陣形を展開していく。
タルヴォはその様子を見ながら、鬼人族に命令を下す。
「スケルタルドラゴンの横を抜けてくるデスナイトを止めろ! だが無理はするな! ギウス殿らもおるのだからな! 敵の数は多い! 差し違えるなど間違っても考えるな! 生きてルナ様に報告するのだ! 我ら鬼人族は世界のために存分に戦ったと! では儂の指示があるまで待機せよ!」
その言葉に鬼人族戦士は静かに頷く。今までなら自らの存在を誇示するため、武器を振り上げて叫ぶことが多かったが、ルナと過ごすうちにそのようなことをする必要がないと気づいたためだ。
ギウスも仲間たちに指示を出していく。
「敵に飛び道具はない! 鬼人族が足止めしたデスナイトを確実に葬るのだ! 間違ってもドラゴンに向かうな! 功名争いで王の信頼を損なうなど愚の骨頂だからな!」
その言葉に人馬族たちは槍を上げて応える。
レイは洞窟の入り口に到着した。そして一度だけ後ろを振り返り、ハミッシュたちが迎撃態勢を整えたことを確認する。
「後ろはハミッシュさんたちに任せておけば大丈夫そうだね」
隣に立つアシュレイにそう言うと、全員に改めて指示を出す。
「慎重にいきます。何が起きるか分かりませんから、少しでも気になることがあったら報告してください」
洞窟の中に光源はなく、暗闇が広がっていた。その闇からは瘴気のようなものを感じ、レイは背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
その感覚を無理やり無視し、アイテムボックスからランタン型の灯りの魔道具を取り出すと、アシュレイたちに渡していく。
「ウノさん、セイスさん、オチョさん、先導を頼みます。アッシュとステラは僕と一緒に前衛だ。ライアンとイオネさんは僕たちの後ろでルナの護衛をお願いします。ヌエベさんとディエスさんは後方の警戒を頼みます」
その言葉に全員が頷く。
「いよいよ決戦ね」とルナが自らを奮い立たせるように宣言する。
その言葉にアシュレイが答える。
「その通りだ。ここで敗れればすべてが終わる。だから悔いのないように戦わねばならん」
「絶対に勝たないと……」とステラも答えるが、「命に代えてもレイ様を守ってみせる」と誰にも聞こえない小声で付け加えていた。
レイにその声が聞こえたわけではないが、アシュレイとステラ、更にはウノたちも自分のために命を捨てるつもりだと分かっていた。
「全員で生きて戻ってくる! 自分を犠牲になんて考えるな! その考えにヴァニタスが付け込まないとも限らないんだ!」
レイの力強い言葉と共に十一人は洞窟の中に入っていった。




