第百三話「更なる犠牲」
三月十九日。
絶望の荒野に入って五日目。拠点の建設と周囲の偵察、更に物資の補給が完了した。
昨日はレイも偵察班に加わり、十kmほど進んだ後、拠点に戻っている。
途中で濃い霧が発生し、方向感覚を失ったものの、翼魔族の呪術師が霧の上空に上がることで事なきを得ていた。しかし、進めば進むほど様々な罠が待ち受けていることに、レイたちの表情は硬い。
昨日の夕方には草原の民の部隊が到着し、レイとルナが作った食料保管庫に補給物資を収めている。
草原の民の部隊は数度魔物に襲われたものの、充分に対処できる体制を取っていたため、問題はなかったと報告された。
昨夜、主要なメンバーを集め、今後の方針が話し合われた。
その結果、二十キメルほど先にここと同じような拠点を作り、徐々に進んでいく方法がよいのではないかという結論となる。
また、この“第一拠点”に可能な限り物資を備蓄することで、時間を掛けても補給に問題が出ないようにすることも決まっている。
先発隊はレイ、アシュレイ、ステラの三名に加え、マーカット傭兵団から副官のアルベリック・オージェと三番隊隊長のラザレス・ダウェルの二名、獣人部隊からはウノ、ヌエベ、ディエスの三名、ロックハート家からセオフィラスとユニス・ジェークスの二名、鬼人族から大鬼族のイェスペリ・マユリ、妖魔族からは月魔族のヴァルマ・ニスカ、翼魔族のアスラ・ヴォルティとその部下であるシグネ・ハカラの計十四名が選抜された。
ハミッシュ・マーカット、月魔族のイーリス・ノルティア、人馬族のギウス・サリナス、大鬼族のタルヴォ・クロンヴァールはそれぞれの部隊を指揮する必要があり外されている。
マーカット傭兵団と鬼人族だが、彼らは拠点の警備と周辺の魔物の討伐を行う。その部隊の指揮はハミッシュに任されることになった。
当初、ハミッシュは「鬼人族を束ねるタルヴォ殿の方が適任だ」と固辞したが、タルヴォを含め、鬼人族の戦士はハミッシュの類まれなる戦闘力に敬意を抱いており、
「儂ではハミッシュ殿に勝てぬ。貴公が指揮を執るべきだ」
タルヴォがそう宣言することでハミッシュも受けざるを得なくなった。
ギウス率いる草原の民は再びマウキ村に戻り、物資の補給を担う。
また、獣人部隊と妖魔族部隊は今まで通り、斥候として各部隊の支援に当たる。
ルナについては邪神討伐隊の中では身体能力が最も劣ること、イーリスらソキウスの関係者から反対があったことから先発隊に入っておらず、ライアンとイオネも護衛として第一拠点に残っている。
先発隊は戦闘能力だけでなく、技能や種族のバランスを考慮していた。考えうる限りの状況に対応できる人選であり、ほとんどの者が納得している。
この人選にクレームを付けたのはセラフィーヌ・ロックハートだけだ。
「どうして私が入っていないのよ。セオ、代わりなさい」と双子の兄であるセオに文句を言った。
「戦うだけじゃないんですよ。セラ様はここでハミッシュさんに稽古をつけてもらった方がいいのでは?」
セラの扱いが上手いユニスがそう諭すと、セラもポンと手を叩き、「そうね」と手のひらを返したように笑顔で納得する。
その様子にハミッシュは「本当に稽古が好きなんだな」と笑い、
「空いた時間なら稽古をつけてやる。だが、ここは敵地だということを忘れるなよ」
そう言いつつも、ハミッシュは僅かだが救われた気がしていた。
彼自身は残留部隊の指揮を執るため必然的に先発隊に入れない。その状況で愛娘を危険な地に送り出すことに忸怩たる思いをしていたのだ。
その苦しい想いをあっさりと笑いに変えてくれたセラに内心では感謝の念を抱いていた。
夜明けとともに先発隊は出発した。
最初の十キメルは昨日までに偵察が終わっており、順調に進むことができた。
しかし、その地点を過ぎた辺りで砂嵐に見舞われ、視界を完全に奪われる。
霧の時のように翼魔族が上空に上がることもできず、地面の窪みに一時避難するしかなかった。
「相変わらず嫌がらせのように何か起きるね」とレイはアシュレイに話しかける。
「確かに奥に向かえば向かうほど何か起きる。これだけ用意周到に準備してもトラブルに見舞われるのだ。ソキウスの人々が“絶望”と名を付けた気持ちが分かるな」
全員が寄り添うように砂嵐を避けていたが、五分ほど経った時、突然地面が崩れた。
一瞬にして直径十m、深さ五メルトほどのすり鉢状の穴に吸い込まれていく。
空を飛べるヴァルマたちは慌てて舞い上がろうとするが、不安定な足場と半ば埋もれた足が枷となりレイたちと一緒に落ちていった。
砂がクッションとなりほとんど衝撃はなかったが、身体の半分以上がサラサラの砂に埋もれており、身動きが取れない。
更に砂は下に流れていくように動いており、徐々に身体が埋もれていく。
ウノたちが鉤付きのロープを投げて脱出を試みるが、周囲の地面も砂に変わっているのか引っかからない。
「無暗に動かないで!」とレイが叫ぶ。
子供の頃にテレビで見た底なし沼への対処法を思い出したのだ。
「手を広げて身体を横にするようにしてください! 僕が魔法で地面を固めます!」
砂に半ば埋もれながら、レイは左手で砂を石に変えていく。しかし、できた石はすぐに地面に吸い込まれていき、足場が作れない。
イェスペリはレイに言われるまま、身体を水平にした。それが功を奏したのか、沈降速度は明らかに落ちていた。
そこで彼はあることを思いつく。
「ヴァルマ殿! 俺の身体に登れ! 俺を足場にして飛び立つんだ!」
イェスペリの指示にヴァルマは即座に反応した。身長三メルトを超える大鬼族の身体に華奢な月魔族のヴァルマが掴まる。普通の人間なら彼女の重みで沈み込むはずだが、体格差が大きいためか、ほとんど沈まなかった。
すぐに身体によじ登るとウノが持っていたロープを受け取り、空に舞い上がっていく。
穴から出たところで砂嵐の強風に煽られたが、何とか着陸することに成功し、近くにある岩にロープを括りつけた。
「このロープは固定しました! 他のロープも投げてください!」というと、ヌエベとディエスがそれぞれロープを投げる。その二本も別の岩に括り付けていく。
その間にウノが蟻地獄から脱出する。
すぐにヌエベとディエス、更には身体能力が高いステラ、ラザレス、アルベリックが後に続く。
「アークライト様!」とウノは叫ぶ。
「何ですか!」とレイが反応すると、
「ロープで身体を固定し、その状態で魔法をお使いください! 魔法の岩は薄くとも構いません! 面積を大きくするようお願いします!」
レイはウノの意図をすぐに理解した。
砂が落ち続けるということは地下に空洞があるということで、そこに流れていく砂を止めるために蓋をすると理解したのだ。
また、ロープで身体を固定することにより、一定以上は沈み込まなくなる。多少動いても完全には沈み込むことはなくなり、今までより大胆に動け、広範囲に魔法を行使することができる。
レイは収納魔法からロープを取り出すと自らの身体に巻き付け、その端を上に投げる。一発でステラがそれをキャッチし、「私が押さえています!」と叫んだ。
レイはそれに応える時間を惜しみ、すぐに魔法を行使していく。
レイの魔法が効いたのか砂の流れは弱まっていく。
その間にウノたちが次々と落ちた者を引き上げていった。五分ほどでイェスペリを除く全員が脱出する。
しかし、完全には止まらず、巨漢のイェスペリを引き上げることができない。
「俺のことはもういい! ルナ様のことを頼む!」
その顔に悲壮感はなく、さばさばとした感じすら見えるが、レイは「諦めるな!」と叱咤し、アイテムボックスから天幕用の帆布を取り出して、広げた後、滑らすように投げ込む。
帆布は広がった状態でイェスペリの横に滑ってきた。
「この上に転がってきてください! ロープを投げるので四隅に繋いで! 全員で引っ張りながら土の壁で少しずつ持ち上げます!」
レイの命令にイェスペリも素直に従い、帆布の上に転がっていく。更に投げられたロープを四隅に固定していった。
レイは身体を固定するロープを確かめた後、再びすり鉢状の穴に下りていった。そして、アースウォールの呪文を唱えていく。
四本のロープと下からの押上げで五百kgを超えるイェスペリの身体が徐々に引き上げられていく。
「そのままゆっくり!」とレイが指示を出し、誰もがイェスペリの脱出が成功すると思った。
しかし、“絶望の荒野”は甘くなかった。
突然、イェスペリが「オオ!」と雄叫びを上げて、背中に固定してあった長さ二・五メルトもある巨大な剣を引き抜く。
「レイ殿、逃げろ!」と叫ぶと、剣を逆手に持ち、砂に突き立てる。
レイを含め、何が起きたのか全く分からなかった。
しかし、その直後、イェスペリの下の砂が大きく隆起する。イェスペリはその砂の山に飲み込まれながらも、剣を何度も突き立てていく。
レイの目にイェスペリが戦う魔物の姿が映った。それは長さ三メルトもの巨大なハサミ状の牙を持つ魔物だった。
「人食いよ!」とヴァルマが叫び、
「アスラ! シグネ! 魔法で援護を!」
部下たちに命じると自らも“火の矢”の魔法を放っていく。
レイはその場で援護しようとしたが、「アークライト様を引き上げよ!」というウノの指示で砂の中から引き上げられていく。
「イェスペリ殿!」と叫んだ後、魔法で援護しようと“光の矢”を放つ。
しかし、砂の中にいる魔物には火の矢も光の矢も無力だった。
イェスペリの身体は既に半分以上沈み込み、上半身が見えているだけになっていた。更に動くたびに身体は沈んでいく。
「グハァッ!」とイェスペリが大量の血を吐き出す。巨大な魔物の牙が彼の胴体を挟み込んでいた。
「イェスペリ殿!」というレイの叫びが響く。
“雷”などの強力な魔法を使おうかと考えたが、撃ち込めばイェスペリにもダメージを与えることは必至だ。
「くそっ! まだだ!」
イェスペリは血をまき散らしながらそう叫ぶと、渾身の力を振り絞って剣をマンイーターの牙の間に突き入れる。
この攻撃はマンイーターにも効いたようで、巨大な牙が大きく開かれ、イェスペリは拘束から逃れた。
マンイーターは牙を二度開閉した後、そのまま砂の中に沈み込んでいった。
魔物に止めを刺したイェスペリは剣を握ったまま動きを止めている。
「イェスペリ殿を助ける! 僕を下ろしてくれ!」
レイは叫びながら身を乗り出す。それをアシュレイが押さえる。
「落ち着け。イェスペリ殿は既にこと切れている。それに今から降りても間に合わぬ」
その言葉でレイは力を緩めた。
その直後、イェスペリの身体は砂の中に完全に消えた。
「イェスペリ殿……」
レイは彼の名を呟くと空を仰ぎ見る。あれほど激しかった砂嵐は嘘のように消えており、青空が広がっていた。
レイは一度、イェスペリが吸い込まれた穴に対し黙祷を捧げると、感情を押し殺して全員に指示を出していく。
「ロープと天幕を回収したら出発します。今まで以上に警戒を強めてください」
レイが無理をしていることは誰の目にも明らかだった。しかし、そのことは口にせず、黙々とその命令に従っていく。
「では出発します!」とレイが宣言し、先発隊は歩み始めた。
出発の直前、ヴァルマはイェスペリが飲み込まれた穴を見つめる。
種族は違えど、ペリクリトル攻防戦からの逃避行で行動を共にした戦友であった。
(あなたほどルナ様に忠誠を捧げた人はいなかった。ここで命を落としたことは無念でしょう。後は私たちがルナ様を守ってみせるわ! 闇の神の御許から私たちのことを見守って……)
そこで一瞬だけ黙祷を捧げると、すぐに前を向く。
「ヴァルマ殿たちは上空から周囲の警戒を」というレイの指示を受け、空に舞い上がっていった。
その後、巨大な岩のゴーレムやカメレオンのように擬態する火蜥蜴に襲われたが、一騎当千の先発隊の敵ではなかった。
日が傾きかけた午後四時頃に拠点にできそうな場所を見つけると、レイとヴァルマは二十m四方の地面を石化し、簡易の拠点を作成する。
「今夜は交代で不寝番を行います。明日の朝一番にヌエベさん、アスラ殿、シグネ殿は第一拠点に戻り、ハミッシュさんたちに状況の報告をお願いします。その際、イーリス殿にここへの物資の輸送を依頼してください。イーリス殿たちの案内役はシグネ殿にお願いします……」
レイはこの場所に第二拠点を作ることを決め、自らはヴァルマと共にここを広げることにした。
「……草原の民はギウス殿たち人馬族を除き、マウキ村に引き返すよう伝えてください。これは“白き王”としての命令だということも併せて……ハミッシュさんたちは明後日の早朝に出発するよう伝えてください……」
そして、最後に視線を揺らがせた後、
「タルヴォ殿にイェスペリ殿は大鬼族戦士として勇敢に戦い、闇の神の下に旅立たれたと伝えてください……僕たちはイェスペリ殿のお陰で全滅を免れたと……」
ヌエベたちはその言葉に大きく頭を下げる。
その夜は何度もアンデッドに襲われた。中には高位の死霊魔術師がいたが、アルベリックの矢とレイたちの魔法で攻撃する暇すら与えずに倒している。
それまでの魔物や罠に比べるとほとんど脅威に感じることはなかった。それほど道中の魔物の襲撃や巧妙な罠が危険だったのだ。
翌日、ヌエベらは無事第一拠点に到着した。
ルナはイェスペリの死を聞き、「イェスペリ殿が……」と絶句する。
ペリクリトルからソキウスに入るまで護衛として身近にあったため、その死が信じられなかった。
しかし、アスラから「ルナ様のことを最後まで案じておられました」という言葉で涙が流れる。
ルナはイェスペリのことを思い、「ありがとう」と呟いた後、闇の神に祈りを捧げた。




